望遠鏡のお部屋

#3




 望遠鏡のお部屋、と彼女の呼ぶスウィートだ。

 皇居と日比谷公園に面し、議事堂の丘を望む窪地に立つそのホテルの上層階は、主として東京を訪れた外国人をもてなすために、各部屋にちいさな望遠鏡が置かれている。

 望遠鏡といっても、立った姿勢で屈みこんで覗く、フルサイズのものではない。出窓にしつらええられた、金色に輝く身の丈60センチほどのコンパクトなモデルだ。ただし、猫脚の三脚まで全て真鍮製で、見かけのわりに重量感があり、手の込んだ品であることは素人目にも明らかだ。


 バーミリオンの夕闇が降りてくる、宵の口の暮れ行く東京。極彩色に輝く真夜中の夜景。そして紫色の朝もやに覆われた、静謐な街並み。

 この部屋に泊まると、彼女はいくつもの時間にベッドから抜け出しては、その望遠鏡で街を観察する。

 部屋の照明を落とし、カーテンを全て開け放ち、裸のままで彼女は、まるで重力などそこになかったかのように、ふわりふわりと部屋を横切り、望遠鏡のアイピースをのぞく。


 「ねぇ、今日は富士山が見えるよ」


 「飛行船の操縦室が見えた」


 「お堀の白鳥、また数が増えたね」


 彼女が望遠鏡を覗くたびに、なにか新しい発見がそこにある。

 手付かずの、染みひとつない真新しい世界を発見したかのように声を上げて、彼女はぼくを呼ぶ。邪気のない、透き通った声で。ぼくはその声を聞くたびに、いつでもベッドを抜け出して一緒に望遠鏡をのぞく。彼女が発見した輝かしい世界を共有するために。

 でも、いつしかぼくは気づいていた。望遠鏡をのぞくたびに、新世界がそこにあるのではない。彼女だからこそ。彼女が見つけたからこそ、世界は輝きをとりもどし、その潤いに充ちた色彩を放つのだ。

 他の誰にも、そんな芸当はできない。

 疲労と、憔悴に曇った心を持つ人々は、あの金色の望遠鏡を覗いても、グレイに沈んだ憂鬱な東京しか発見することはできないだろう。クローズアップされるだけのありふれた日常には、どんな新鮮味もありはしない。


 ぼくの恋人は、そんな色あせた日常を、軽々と一蹴する。

 彼女がぼくに活力を与え、うなだれそうになる背中にエネルギーを注いでくれる。

 だからこそぼくは、あたたかいベッドを離れ、窓辺の望遠鏡に歩いていける。望遠鏡にかがんでいる、愛しいひとの隣へ。

 それはきっと、今年で26歳になろうとする彼女が持つ純真さと率直さが生み出してくれる力なのだと、ぼくは信じている。他の誰にもできないことを、彼女はいともたやすくやってのける。

 

 ―――それは、そう。つまりぼくを少年でいさせてくれる、ということだ。


 最年少取締役兼、経営企画室長などではなく。そして人生にいささか疲れた39歳の中年男性としてでもない。

 ぼくは彼女と出会って初めて、少年でいられる時間を持つことができた。

 この望遠鏡の部屋で。


 そしてそれと同時にぼくは、神を憎んだ。

 ぼくが既婚者であること。そして彼女もまた、既婚者であること。

 どうしていま、このタイミングでぼく達は出会ってしまったのだろう。

 どうしてもっと早く、出会えなかったのか。

 どうして。

 どうして。


 今日の昼前の話だ。

 執務室で部下が一枚のプリントアウトを持ったまま、青ざめて立っていた。彼はぼくと目を合わせることなく、その書類を手渡した。

 乱雑に書かれたこれが、怪文書、と呼ばれるものなのか、というのがぼくの最初の感想だった。そこには最年少取締役が行っている不貞行為の告発がされていた。曰く、『三代目、婚外交際の事実』であり、『家族経営企業の恥部』とのことだ。

 その文章の稚拙さとばらまかれるタイミングの浅薄さなどから、この行為の発案者はすぐにでもわかる。その発想の幼さと下品さに、おもわず苦笑が漏れた。

 「室長、笑いごとでは――」と言いかけた部下を片手で制した。

 笑うほかないではないか。

 明日の取締役会での、あの者たちの下種な笑みが目に浮かんで仕方がなかった。

 このような形でしか、権力の操作ができないとは。

 このような形でしか、自らの不安を表現できないとは。

 わが社ももう、一度屋台骨をたたんだほうが良いのかもしれない。

 それにしても、神さま、と思う。

 


 ―――神さま。

 多くの日本人とおなじく、ぼくも普段、ほとんどその存在を意識しない。

 芝の実家には仏壇があるが、実家の家族も特にそれに対して熱心であるとはいえないと思う。

 ぼくの家は、祖父が興した商社を営んでいるが、その生粋の商社マンである祖父が信じる宗教とは、貸借対照表バランスシートであり、為替の値動きであった。

 盆に青山へ墓参りをし、クリスマスに四谷へ礼拝を受けに行き、暮れに増上寺の除夜の鐘をつき、正月に芝神宮へ初詣に行く。それが我が実家が年中で神仏へもっとも接近するタイミングだった。


 しかし彼女に会ってからというもの、ぼくは折に触れてその存在のことを意識する。

 いままでずっと無視をしてきたのだ。いまさら帰依しようとも思わないし、何かを祈ろうなんて虫のいいことを考えるつもりもない。

 だが、最初に彼女のなかに入ったとき、ぼくはこう思った。


 ―――、と。


 なぜだろう。

 その時のことは今でもよく覚えている。ぼくはその時、自分でも驚くほどあっけなく射精してしまった。普段なら考えられないことだけど、避妊具をつける間もなく挿入し、そして普段の性交渉とはまるで違う何かに包まれたかのような気持ちを抱いた。快感を分かち合うなどとは程遠い体験だった。何かに急き立てられるように。あわてるように、ぼくは彼女に挿入した。その時、彼女も同じように急いでいた。一刻も早く、ひとつになろうとしていた。。何故かはわからないけれど。

 そして気づいたらぼくは、あっという間に登りつめ、深く、深く彼女のなかに性器をうずめていた。どこまでも深く、彼女のなかに入っていける気がした。彼女となら、身体ごと溶けてつながってしまえるような錯覚を覚えた。

 気がついたとき、ぼくは彼女のなかに、思い切り射精していた。そしてぼくがそのとき感じたのは、「神さま」という、祈りにも似た、奇妙な感覚だった。なぜその、啓示にも似た名前が思い浮かんだのかはわからない。とにかく、その人知を超えた圧倒的な存在のことを強く強く意識していた。その瞬間は、愛の絶頂感もなければ、不貞の罪悪感もなかった。どんな感情も、そこには存在し得なかった。ただ、真っ白になった意識のなかでぼくは、その、普段は接することのない大いなるものの存在を、強く意識し続けていた。

 そして、ぼくは裸の彼女の上に力尽きてもたれかかり、しくしくと泣いた。


 ぼく自身は妻がいて、長く既婚者として暮らしてきた中で、妻以外の女性と性的な関係を持ったことがなかったわけではない。ある時にそれは、プロの女性であったり、またある時にそれは、心触れ合った束の間の情事だった。

 でもぼくはずっと妻を愛してきた。

 この冷たく厳しい都会で生き抜くために、妻はぼくの心の拠り所でありつづけた。そして妻にとってもこの東京で唯一、ぼくだけが心を開いて寄り添える相手だった。

 我が父である、社長の椅子の簒奪騒動が起こったときも、わが社が外資系ファンドから公開買い付けを仕掛けられて荒波にもまれた時も、妻は変わらぬ温度で家に居、深い優しさをたたえた微笑みを浮かべていた。

 ぼくたちがセックスをしなくなって何年も経つけれど、性行為だけが夫婦間を支える術なのではないことに気づいていた。

 我々は、わかりあい、慈しみあい、支えあっていた。

 すくなくとも、ぼくはそう、信じていた。


 しかし、彼女と身体を重ねるたび、ぼくら夫婦が長い時間をかけて築き上げてきたものが、静かに静かに崩壊していくのが感じられた。岩が崩れ、奈落の底へ転がり落ちてゆく、その音が聞こえた。


 ぼくにとって彼女は、“ぴったりの”人だった。ぼくという人間の致命的に掛けていた部分に、彼女というピースはあまりに自然に符合した。まるで何の手がかりもないのに、鮭が生まれた河に帰るように。春になれば桜の花がほころぶように。

 彼女がぼくに与えてくれたのは、性の快感ばかりではない。彼女はぼくに、みずみずしい恋を与えてくれた。それはぼくを少年に変え、永遠に失ってしまったと思っていたイノセンスを蘇らせてくれた。


 思えば生まれてこの方三九年間、ぼくは常に、大人でいることを要求され続けてきた。

 すでに成人して二〇年近く。いまさら家の教育方針に文句を言うつもりなどない。いや、ぼくは彼女に会うまで、そのことに気づかずいたのだ。それがあまりに当たり前だったから。空気のように、水のように、そこに自然にあるものだった。


 大人でいること。



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