第2話



 たぶん端から見たら今の僕は、家出少年か、あるいは授業をサボった不真面目な予備校生——……そんなところだろう。

 そう思いながら、チキンナゲットをひとつ口の中に放り込む。夜中に食べる揚げたての肉の欠片は、かなり深めの罪の味がした。


 自分の部屋からそっと抜け出し、逃げた先は家からバスで数分のところにある、24時間営業のファストフード店だった。ここは小さい頃から僕のお気に入りで、ここに来るといつも、2階の窓際の席に座り、街を見渡すのが習慣のようになっている。しかもちょうど今は冬なので、街中にはクリスマスツリーやらイルミネーションやらがちらほら設置されており、景色を楽しむには特に適した時期でもある。

 にしても今は、逃げてきたという負い目のせいで、あまりのんきに景色を楽しむ気にはなれなかった。「もう筆を持たない」と心の中で宣言するのは簡単だったが、「じゃあ代わりに何が出来る?」と言ってくるもう一人の自分に対する答えを考えるのは、それはそれでひどく憂鬱だった。


 お前に、他に何が出来るっていうんだ? もやしっ子のお前によ。肉体労働ブルーカラーでもするか? ん?


 容赦無く責め立てる内なる声に、僕は心の中で、Tの字を腕で作ってガードした。

 他にったって……ものを書くことさえできなくなってるんだから、何かしらするしかないだろ。責め立てられても、何も出ないぞ。僕の才能の泉は、とっくの昔に枯渇している。抵抗しても無駄だ、僕。

「はあ……」

 なんて茶番をやめてリュックを隣の椅子に置き、コートを椅子にかける。ため息と共に、バニラシェイクを喉に流し込んだときだった。人気の少ない二階席に、階段を昇ってくる音が聞こえてきた。だがその足音は、こつ……こつこつ、とかなり不規則で、どこか妙だった。

 酔っ払いでも来たのか?

 そう思って階段の方に目をやると、現れたのは、僕とそう年の変わらぬ、二十歳そこそこの青年だった。ふわふわの髪を短く切りそろえ、暖かそうな青いマフラーを顔を隠すように巻いており、まるで洗い立ての子犬のような穏やかな印象を受けた。だがその足取りはなぜかおぼつかず、ひどく怯えたような表情で、あたりをキョロキョロ見回しながら階段を昇ってくる。

 が、あまりにそわそわと視線を彷徨わせていたため、最後の階段に躓き、その青年は頭から盛大に転んだ。


 ビタンッ!


「えっ、あ……」

 あまりに派手な転び方に、僕はさすがに駆け寄った。小柄な青年だったし、打ち所が悪ければ救急搬送しなくてはならないかもしれないと思ったが、予想に反して、彼はその場でむくっと起き上がった。その顔を見て、僕は思わず「ひっ!」と叫んでしまった。

 その目は、先ほどのおどおどしたものとは打って変わって、猛禽類を思わせるような鋭い光を灯していたからだ。

「あ、あの、大丈夫ですか? ひどく転んでたから」

 人前で転んで恥かいたからって、逆ギレかよ……。

 内心そう思いながらも、駆け寄ってしまった手前一応尋ねてみると、青年は髪をぐしゃぐしゃとやりながら、

「は? あ、俺、こけたのか……ったく」

 と言ったきり、僕のことなどまるで見えないように、そのまま素通りしてレジの方に向かってしまった。乱暴にマフラーを外し、かったるそうにそれを肩にかけると、素知らぬ顔で注文を初めている。

「えっ……」

 あまりのことに、僕はしばしその場に固まってしまった。

 いや、別に……決して「助けてくれてありがとう」とかを期待して駆け寄ったわけではないのだ。だが、これはあまりにも……。

 しかし、たとえあの青年にそれを言って渋々お礼を言われたとしても、嬉しくもないばかりか、さらに情けなさに拍車をかけそうだったので、諦めて自分の席に戻った。

「なんだよもう……」

 弱り目に祟り目、としか言いようがない。

 僕はちょっと行儀悪い感じにテーブルに頬杖をついて、さっきの青年を目で追った。彼はMサイズの0カロリーコーラだけを頼み、小さなトレーにそれを乗せて歩き、隅の席に座った。肩掛け鞄からノートと筆記用具を取り出して、テーブルに広げると、なにやらガリガリと書き付け始める。

「……」

 シェイクを、ずご、と一口飲む。

 参考書も、教科書も見ていない。

 ただ何かに取り憑かれたように、時々腕時計を見たり、首をひねって斜線を引いたりしながら、延々と書き続けている。周りのことなど一ミリも視界に入っていないようだ。

 こういう風にして書くものを、僕は一つだけ知っていた。

 立ち上がってそばまで行っても、マフラーの彼は全く気づかぬ様子で、ノートの新しいページに取り掛かっていた。僕が「えへん」と咳払いをすると、ようやく彼はうんざりした顔でこちらを向いた。

「なんだよ、さっきのやつか。礼でも言ってほしいのか?」

 僕は無遠慮なその言葉を黙殺し、ただ、彼のノートを指差して言った。

「もしかして、それ、小説書いてる?」

 

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