第六話「いざ、リベンジマッチ!」
次の日曜日、空には澄み切った青さが広がっていた。
羽澄、明里、結衣、翔子の四人はそれぞれ変装して、目的のホテル近くのマックに集まった。結衣以外の三人はサングラスをかけていて、四人席のテーブルは異様な雰囲気に包まれていた。
「結衣、それ完全にノーガードじゃん」
羽澄はサングラスを少しずらして結衣を見た。
「でも私、サングラスなんて持ってないし……」
困った表情を浮かべて結衣が俯く。まあ確かに仏の優しさを持つ結衣が、サングラスをかけているところなんて想像がつかない。
「けど、さすがにそのままじゃマズくない?」
明里も心配そうに結衣を見る。「うーん……」と黙り込んでしまった結衣の目の前で、翔子がリュックを開けて何かを探し始めた。
「だったら結衣殿、これを使いますか?」
翔子はそう言ってリュックから眼鏡ケースを取り出すと、中を開けてサングラスを手に取った。それはマラソン選手が使っていそうな、黒一色のスタイリッシュなサングラスだった。
「あたいの父親のやつですが、無いよりかは良いかと」
「あ……ありがとう……」
かつてないほどの苦笑いを浮かべて、結衣はそのサングラスを受け取った。その様子を見ていた明里と羽澄は、目を丸くして固まっている。まさか、こんなエキサイティングなサングラスを結衣がかけるのか?
申し訳ないと思いながらも、羽澄は興味津々だった。あのいつだって聖母マリアのような結衣が、こんな挑戦的なサングラスをかけるなんて、これまたプチスキャンダルだ!
羽澄はポケットに手を忍び込ませると、スマホを握りしめてシャッターチャンスを狙った。明里も何も言わないが興味があるようで、さっきから口元に手をあてて笑うのを我慢している。
そんな二人には気付かず、結衣はゆっくりとサングラスを顔に近づける。妙な緊張感が四人を包み、羽澄は瞬きするのも忘れて結衣のことを見ていた。
「ど……どうかな?」
そこには今まさに聖母マリアから、ランナーへと変身を遂げた結衣の姿があった。
少しタレ目の結衣とは正反対のつり上がったサングラスは、その鋭いデザインから一気にこの場の雰囲気を引き立てた。
いきなり本格的なスパイが現れた……。
羽澄と明里はもう結衣のことが直視できず、俯いて肩を震わせていた。翔子にとっては違和感がないようで、「いいですね、似合ってますよ!」とお世辞ではなく、本音で言っているようだ。
これはこれで逆に目立ちそうな気もしたが、貴重な機会に羽澄も明里もそれ以上は何も言わなかった。
結衣のことを直視できるようになってから、四人はどうやってカフェに忍び込むかの打ち合わせを始めた。さすがに四人一緒に入るのは危ない。
そこで羽澄と翔子、明里と結衣がそれぞれペアになって、時間差でカフェに入ることになった。座る場所もエロ教頭の姿が見えつつも、ペア毎に少し距離を取ることで、バレる危険性を少なくする。
サングラスをかけて変装した四人がそんな打ち合わせをしているので、羽澄はいつの間にか自分が映画に出てくるスパイの気分になっていた。
「いいな、お前たち。大事なのはバレないように任務を遂行すること。いけるか?」
ポテトを煙草代わりに持ちながら、羽澄はみんなの顔を見渡した。
サングラスをかけているので表情まではわからないが、みな真剣な気持ちで「わかった」と返事をしてくれた、と思っている。
「それじゃあ、ミッション開始!」
羽澄の言葉を合図に全員席を立つと、ターゲットが潜む目的地へと向かった。念には念をということで、ホテル前の公園に着くと、四人はもう一度打ち合わせを行った。
「じゃあ、行ってくる!」
羽澄は明里と結衣に敬礼のポーズを取ると、翔子と一緒にホテルの入り口へと向かった。前回と同じく入り口には凛々しいドアマンが立っていて、ホテルに出入りする人達のお出迎えをしている。
今回は翔子もいるので心強い。羽澄は躊躇することなく、入り口まで向かうことができた。サングラスをかけた二人組に気づいたドアマンが、頭を深々と下げて一礼する。
「あのドア、自動で開くから」
羽澄は得意げに小声で翔子に伝えると、前方のドアを指差す。「了解!」と同じくスパイ気分になっている相方が返事をした。気持ちはまさに、ハリウッド女優だ。
二人を待っていたかのようにスムーズに開いたドアを抜けると、見覚えのある非日常な空間が目の前に現れた。ワインレッドの絨毯の上には、国籍年齢問わず様々な貴族たちが優雅に歩いている。
「すっご……」
翔子も初めて来たようで、呆然としながらロビーを見渡していた。羽澄は経験者として、「こっちよ、翔子」と胸を張って言うと、カフェの方へと歩き出す。
二人は入り口から左手に進み、小さな階段を降りてカフェの前に立った。相変わらずショーケースに並ぶ宝石のようなお菓子たちに、羽澄は視線を奪われる。
「あ、いた!」
翔子がショーケースに釘付けになっている羽澄の腕を掴んで言った。見ると、前とまったく同じ席に、エロ教頭とスーツ姿の男の姿が見える。
「もう密会は始まってるみたいですね」
翔子が眼鏡の代わりにサングラスをくいっとあげた。その仕草が何となくカッコいいと思った羽澄は、同じようにサングラスをくいっと上げると、「出遅れたか」と呟く。
二人はカフェに入ると、店員に希望の席を伝えて中へと案内される。教頭の真後ろ、オレンジジュースをぶちまけて、運命的な出会いがあったあの席へと。
「そういえば、翔子のお姉ちゃんって誰なの?」
椅子に座った羽澄は店内を見渡すと、姿勢を低くして翔子に尋ねた。もしあのイケメン青年がこのカフェの常連なら、翔子のお姉ちゃんが知っているかもしれない。
「姉貴は大学のテスト期間中なので、今日は働いてないんです。来週の日曜日は出勤してるので、ばっちり協力してもらえますよ、ボス」
羽澄の質問の意図を知らない翔子は、ぴんと親指を立ててにっと笑う。それを聞いて羽澄はとりあえず、「そっか」と少し残念そうに返事をした。
「あ、そうだ。明里たちに連絡しなくちゃ」
外で待機している仲間の存在を思い出した羽澄は、スマホを取り出すと「無事に潜入成功!」とメッセージを送った。するとすぐに既読マークがつき、「了解!」と吹き出しが付いた可愛いスタンプが返ってきた。
「今から明里たちも来るって」
羽澄が翔子に伝えたタイミングで、店員がメニューを聞きにやってきた。前にメニューを見たとき、財布にダメージが最も少なかったのがオレンジジュースだったので、羽澄は迷わずそれを頼んだ。
翔子はメニューを見ることもなく、「アイスコーヒー」と店員に伝えると、その後に「ブラックで」と付け足す。
「え、翔子コーヒー飲めるの? しかもブラックで?」
「飲めますよ。ちょっと大人の女性っぽいでしょ」
大人の女性……翔子もそんなことを意識するのか。羽澄は「へー」と言いながら、翔子の顔を凝視する。
自分もコーヒーをブラックで飲めるようになれば、大人の女性に見られるようになるのか?
そうだとしたら、もしあの青年と運命的な再会をしてカフェでお茶をすることがあれば、その時は私も大人の女性になろう。テーブルに届けられたオレンジシュースを見て、羽澄はそんなことを考えていた。
そのまま妄想は止まらず都合が良いように夢物語は進んでいたが、ホテル入り口から入ってくる明里たちの姿を見て、すぐに現実に戻った。
「来たよ」
意識を切り替えた羽澄が、小声で翔子に言った。その言葉を受け取った翔子は後ろを振り返ると、明里たちの方を見て小さくエロ教頭を指差した。二人は教頭の姿を確認すると、羽澄たちの席からは少し離れたテーブルに座った。
いよいよ、教頭のスキャンダルを掴む為のリベンジマッチが始まった。
今日はよっぽど重要な取り引きをしているのか、エロ教頭とスーツ姿の男には前回のような笑い声は無く、真剣な様子で密会をしている。
これはかなりのスキャンダルが期待できそうだと思った時、突然テラスの方から犬の鳴き声が聞こえてきた。見ると、全身ピンクの服を着た女性が、その体格には似合わない小さくて可愛いチワワを抱きかかえて歩いてくるではないか。
ピンクマダムだ!
羽澄は翔子と目を合わせた。どうやら今日の密会には、エロ教頭の奥さんであるピンクマダムも参加するらしい。スマホが震えたと思ったら、明里からも「ピンクマダム登場!」とメッセージが入っていた。
ピンクマダムは柵にチワワの紐をくくり付けると、その巨体を揺らしながらテラスの方からカフェへと入ってきた。
学校に現れる時も生徒達はみな釘付けになるのだが、どうやらそれはここでも同じらしい。羽澄たちを含めカフェにいる全員が、突然現れたピンク一色の人物に釘付けになっていた。
紳士的な接客をしていた店員でさえ、口を半開きにしながら通路で固まっている。
「お待ちしておりました!」
突然、背後から威勢の良い声が聞こえて、羽澄はびくっと肩を震わせた。先ほどまで真剣な表情で打ち合わせをしていたスーツ姿の男が、急に立ち上がり叫んだのだ。
そして教頭も立ち上がると、へこへこしながらピンクマダムを隣のソファ席へと案内している。どうやら、密会の最高権力者はピンクマダムのようだ。
「ボス、これは本当にすごいスクープになりそうですね!」
目の前で少し興奮気味の翔子が小声で言った。翔子も、この密会のただならぬ雰囲気を感じ取っているようだ。
「ばっちりスキャンダルを掴んでやる!」
羽澄はぎゅっと拳に力を入れると、耳をダンボにして意識を後方のテーブルに集中させた。
一体、どんな密会が始まるのだろう?
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