三章 魔法使いの憂鬱

癒しの女神

 夜になる前にウェルネシアの防壁が見えてきた。切り出した石を積み上げた高い壁は勇者候補生のときに何度も見たが、以前より高くなっているような気がする。


「しかも上に見張りがついてるな。あれも魔術師か」


 市民に被害を与えないという役割を持っていただけの防壁もああやって安全な位置から魔法で攻撃できるなら価値が変わってくる。ギアの言う通り魔術師が増えたことで防衛のやり方も変化しているのだ。


「でも今の俺には邪魔なやつだな」


 一応布で隠しているとはいえ、黒い肌を見られれば誰なのかはすぐにバレる。そうでなくてもモンスターと間違われて騒ぎになるに違いない。


 とにかく人の目に触れないようにしながらモンドのいるところまでたどり着かないといけない。


「ってかあいつどこにいるんだ?」


 一度も会っていないからどこに住んでいるかもどんな役職についているかもわからない。ギアに帯同してきたことはないから、側近ってわけじゃないんだろう。あいつの得意なことって考えると、防衛か、意外と魔法関係か?


「とにかく入ってみるしかねえな」


 どんなに高くても今の俺には防壁なんてあってないようなものだ。塗り固めた高い壁にも足や指がひっかかるところは無数にある。それを使えばこの壁を越えることなんて大したことはない。


 夜の闇に乗じて防壁へと近づく。首都の周囲をぐるりと囲んだ防壁はその頑強さからか門番以外の場所は上の魔術師に任せているようだ。


「んじゃそろそろ行くか」


 いつまで待っていてもしかたない。見張りの目を盗むように壁面を駆け上がる。夜の闇はこの肌と相性がいい。少しくらいなら遠目で見られたところでごまかしが利くかもしれない。


 速度を上げ、見張りの背中を通って一気に市内に駆け降りる。とりあえずシルバ王の住んでいた宮殿にでも行ってみるか。


「っと。ずいぶんと派手なお迎えじゃねえか」


 防壁の外はあんなにスカスカの警備だったくせに、内側はずらりと衛兵が並んでいる。お前の考えなどすべて読めている、とほくそ笑むギアの声が聞こえてきそうだ。


 まったく面倒だ。俺はウェルネシアにケンカを売りに来たわけじゃない。衛兵を傷つければそのまま牢屋に放り込まれることになるだろう。


「ギア様の情報通りだ。ひっ捕らえろ!」


「おうおう。あいつも慕われてんなぁ」


 忠義にあついやつは嫌いじゃない。だが簡単に捕まってやるわけにもいかない。俺には目的があるのだ。


 ロングシールドを構えた衛兵たち。隙間なく整列されたところに教育が行き届いているのを感じる。この三年間はろくにモンスターの襲撃がなかったにもかかわらず、兵士の士気が高いのはギアの統率力の賜物だろう。


「ま、相手が悪かったなぁ」


「跳んだぞ!?」


「次はもっと訓練してきてくれよな」


 衛兵の壁を跳び越えて俺は夜の街並みを駆け抜ける。速度で俺に敵うはずはない。宵の街は人通りもまばらで、すれ違うのは衛兵ばかりだ。かなりの数を準備していたらしい。


 逃げ切るだけなら簡単だが、今日の目的はモンドに会うことだ。一度まかないことにはどうしようもないな。


「こっちです!」


 狭い路地から伸びた手に誘われる。澄んだ声はどこか聞き覚えがあるんだが。


 ウェルネシアに知り合いなんていたかと思ったが、とりあえず敵という感じはしない。勘に頼ってその手に従って路地に走り込んだ。


 夜の黒の中でも映えるプラチナブロンドの髪。汚れ一つ見当たらない純白と言っていいほどの整った服は洞窟暮らしの俺とは正反対に思えた。


「こちらに!」


「助かる」


 停まっていた荷馬車の荷台に逃げ込む。耳をすますとどうやら衛兵がこっちにやってきたらしい。


「こちらに黒い肌の男は来ませんでしたか?」


「いえ、見ておりませんわ。来たとしてもこの暗がりでは」


「念のため馬車の中を確認したいのですが」


「すみません。治療のための道具ですから、むやみに触られるわけにはいかないのですわ」


 この優しいが自分の意思をはっきりと言い切る声。か弱く見えて誰にも有無を言わせない芯の強さ。思い出した。彼女は。


「ううむ、セレン様がそうおっしゃるのであれば」


 まだ心残りがあるような衛兵だったが、いくらかすると折れたようで重いロングシールドが地面を擦る音が遠ざかっていった。


「もう大丈夫ですわ」


「セレン、助かった。ひさしぶりで誰かと思ったぜ」


 セレンはギアやルビーと同じく勇者候補として同じパーティで旅をしていた。優秀な法術師で回復はもちろん、防御障壁の展開も得意だった。巨大なモンスターの攻撃から守ってもらったのは数回では済まない。


「私もです。ユーマさんは別人のようになりましたね」


 ボロ布から覗く黒い手。セレンから見ればまさしく別人だろう。人ですらないかもしれない。こうして目を逸らさないでいてくれるだけで助かるほどに変わってしまった。


「変わっちまってもなんとか生きてるさ。こんな見た目でも意外と悪くないんだ」


「いえ、そうではありません。雰囲気というか、心が大きくなったような立ち居振る舞いをされていたので」


「衛兵との話、聞いてたのか」


 そういえばギアも言っていたな。モンドに似てきた、って。自分ではそんなつもりはまったくない。三年経ってもあいつの代わりになれたような気はしない。


「一緒に旅をしていた時より自信がみなぎっていて素敵でしたよ」


「恥ずかしいからやめてくれ。ギアと違って俺は義賊のリーダー代行でしかないんだ」


 セレンに微笑まれると、なんだかこっ恥ずかしくなってくる。こいつは嫌味でもなく本心から言っているんだろうが、まっすぐな評価は受け止めづらい。


「そういうセレンは法術での治療をして回っているらしいな」


「はい。医療法術師は世界中で不足していますわ。治療費も高額で、貧しい村や囚人は治療を受けることができないんです」


 政府が立ち上がったと言ってもまだまだ世界の安定には遠い。それにギアなら能力のない人間は後回しだと言い張ってもおかしくない。


「セレンらしくていいんじゃないか? 偉そうな服を着てふんぞり返ってるよりは」


「ユーマさんにそう言ってもらえると心が軽くなりますわ」


 曲がりなりにも共に旅をした仲間だ。少しくらいはわかってやれていると思っている。


 セレンは口元に手を当てて上品に笑ったあと、瞳を厳しくして俺を見つめた。


「魔王城にまた塔が立ち上がったそうですわね」


「あぁ。それで俺たち義賊団はワンプから追い出されそうになってるとこだ」


「魔法部隊、ですか。ギアさんの政策でかなりの人が魔術師になっているようですね」


「魔法が使えるようになると急に自分が強くなった気がするんだ。兵士になりたいと言い出してもおかしくない」


 法術師としては落ちこぼれと言ってもいい気功法ですら、魔法が使えないのと比べれば優秀に見える。だから俺は調子に乗って勇者候補に名乗り出て村を助けたいなんて願ってしまったわけだ。

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