すべてをさらう黒い風

「エルフがこんなところでいったい」


「え?」


 長い耳は声もよく聞こえるのか、ぼそりとつぶやいた俺の声に気がついて視線が交わる。


「ここは危険だぞ。出口まで案内してやろうか」


「ご心配なく。エルフは魔法を扱えますから」


「それにしたって散歩には向かないぞ」


 毒性のモンスターは倒せたところで毒を受けると厄介だ。魔法はほとんどの場合一人一種類の属性しか扱えない。それはエルフも変わらない。もし魔術が使えるなら法術と呼ばれる治癒魔法は使えない。逆なら魔術なしにモンスターを倒すのに苦労するだろう。


「最近この辺りの魔力の様子がおかしいんです」


「魔力の? 俺はそこまでよくわからないが」


「エルフは魔力の流れに敏感なんです。まるでこの近くで竜巻のような渦が発生しているような」


「もしかして魔王城への一斉攻撃が始まってるのか?」


 ギアが主導しているならおかしくない。あいつの頭の中の計画はいつも最速を目指しているからな。


「そういうことですか。魔力のぶつかり合いが乱気流のように魔力を乱しているんですね。でもあまりにも大きすぎます。これじゃいつ爆発してもおかしくない」


 エルフの少女がそう言った瞬間だった。轟音が魔王城のある方から届く。


 視界一面の木々が恐怖を訴えるように震えている。沼地のモンスターたちが安全な場所を探してうごめいているのが見えた。


「何か来る!」


 俺の本能がヤバイと言った。理由はない。ただ俺はとっさに少女の体を抱いて、その小さな体を俺の身の後ろに隠した。


「ちょっと、何するんですか!」


 抵抗する少女を押し込める。その瞬間、世界を黒が覆った。


「があああ!」


 悲鳴が森の中に響き渡る。背中が焼けるように痛い。


「これは、魔力の奔流。何かに魔力を圧縮して爆発させたような」


 そんなことはどうでもいい。とにかく今俺の体が魔力に襲われていることは間違いない。


「私のことなんて捨てていってください! どこかに隠れて!」


「心配するな」


 肺に空気が入っていかない。それでも細く息を吸いながら、流れてくる魔力を吸い込む。


「……気功法!」


 まだ体があるのなら、どんな傷だって瞬時に治す。それが俺の唯一使える法術だ。黒い風に焼かれる肌をすぐさま気功法が癒していく。


 いったいどのくらいの時間が経っただろう。数秒だったのか、数分だったのか、一日よりも長く感じた。


 俺の胸元でエルフの少女はただ泣いていた。その涙も拭えないほどに俺の体は固まっていた。黒い風を吸ったように体は黒く染まっている。


「誰か! 誰か助けてー!」


 このワンプで助けを求めれば、必ず来てくれるやつらがいる。俺もその一員のはずだったんだがな。


 黒い風にすべてをさらわれてその姿を変えたワンプの中心で、ただエルフの少女の慟哭どうこくがこだましていた。


   ♢   ♢   ♢


「こいつはひでえな」


「あれだけの魔力を受けたんですから生きているだけで奇跡です」


 アジトに担ぎ込まれた俺をモンドとエルフの少女が難しい顔で覗き込んでいる。寝かされた体は少しずつ動くようにはなってきた。だが、やはりどれほど気功法を重ねても肌の黒さはまったくとれなかった。


「魔力によって皮膚が変質しています。それに大量の魔力を受けて魔力勁路まりょくけいろが焼き切れてしまっているみたいです」


「魔力勁路か。そいつは問題だな」


「魔力勁路、ってなんだ?」


「バカは黙ってろ」


 遠巻きに見ていたチタンが不思議そうにつぶやくが、今はそんなものにいちいち答えている暇はない。勇者候補生ならきちんと勉強している基礎的な内容だが、ずっと義賊団にいるようなやつなら知らなくても不思議じゃない。


 魔力勁路は生物の体に張り巡らされた魔力の通り道だ。ここを通って魔術を外に発現したり、治癒法術を受けて回復する。


 普通は一生痛むようなことはないが、魔法を使えるかは魔力の掌握という天性の才能に大きく左右されるので、ただの剣士や格闘家にはせいぜい治癒法術が効かなくなるくらいのものだ。


「それに、体内に魔素が発生しています。なぜかはわからないんですが」


「魔素って?」


「いいからチタンは黙ってろ」


 ああもう。ケガしてんだからツッコミ役は勘弁してくれ。


「とりあえず俺様がいいって言うまでは全員近づくな」


 俺の願いが通じたのか、モンドは人払いをして部屋の扉を閉めた。魔素が発生してるってのは結構マズいかもしれないな。


「魔素は本来数百年ほどの長寿なものに生まれます。大地や大樹。それから老齢のエルフやドルイドにもあります」


 エルフと言ってもまだ若いこの子にすら生まれていないもの。それが魔素だ。魔素は魔力を生み出す基となるものだ。


 魔法使いはこの魔素から生まれた魔力を掌握し、体内で変換。それを魔力勁路を通して外に発現する、ということが全部できる人間、ということになる。


 魔法使いといっても変換できる魔法元素はたいてい一つで、俺の場合は回復、つまり法術に限られる。ごくまれに複数の魔法元素を操るやつもいるらしいが、少なくとも俺はまだ見たことがない。


「それがあるとどうマズいんだ?」


「人間の体は魔素が際限なく生み出す魔力に耐えられません。体内に魔力が溜まり続けていつか暴発してしまうでしょう」


「つまりは使い続ければユーマは生きられるんだな?」


「それは、無理です」


 そこで少女は言葉に詰まる。俺はなんとなく察しがついていた。


「ユーマさんの魔力勁路は焼き切れています。魔力を外に放出する方法がありません。幸い回復魔法なので自己治癒することで消費はできますが、そのためには常に体の中に傷がないといけませんし」


「ふーむ」


 そう考えこみながら、モンドが寝ている俺の横っ腹を思いっきり蹴飛ばした。気を抜いていた。容赦のない一撃に俺の体が浮き上がる。骨が折れたぞ、バカ野郎。


「気功法!」


 その傷を法術で癒す。ぽっきりと三本折れていたあばらが一瞬にして繋がった。俺は飛び跳ねるように起き上がってモンドの顔を殴りつける。

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