第25話 新しい旅路へ(3)

 先輩はもともとここの近くの町に実家があり、家は金物店を営んでいるという。しかし店は兄が継ぐことになっており手伝いの手も足りているため、働き口を求めて近くで最も大きい都市であり、親戚もいる北見市に出てきたのだという。今は同年代の親戚の家に居候しているそうだ。

「そっちは、能力者を探しているんだってな」

 部屋の外に近づく気配で、先輩はことばを切る。料理が運ばれてきたようだ。

 デザートセットは丁度良いボリューム。値段も観光客向けのお店に比べればずっとお安い。

「先輩の能力って、どういうものなんですか?」

 店員さんがいなくなると、わたしから切り出す。そう、何年も同じ職場で働いていて日常的に顔を合わせておきながら、わたしは先輩の能力を知らない。そりゃ、先輩は革命者じゃなくて保菌者だから知られないようにもするからなあ。

「なかなか説明が難しい。波及効果を操る、とでもいうかな」

「波及効果? 影響力とは違うので?」

「似たようなものだけれど、オレの能力は影響する効果そのものではなく、効果の対象となるものの状態を、影響を受けやすい状態にする、みたいな。と言っても、自分であれこれ試した結果感じたことがそうだってだけだから、実際のところはわからないよ」

「どれくらいの範囲とか、どれくらい遠くに届くとか、どれほど強く変化を及ぼせるかはわかりませんか?」

 能力の登録もしていないようだし、正式な科学的実験もしていないだろうから正確性には欠けるだろうけれど、一応きいてみる。

「さあ……空に効果を及ぼせるみたいだから、それなりに広くて遠くても大丈夫なんじゃないかね、ってくらいだね」

 空に虹をかけた、雲を消し飛ばした――そんな目撃例もあったような。

 ということは、対象に触れなくても発動できるはず。これはやはり、対バブルヘルの能力としてなかなか有望なのでは。

「マルフィス、研究所に連絡しておいて」

 と、見ると、外界人はオレンジジュースのストローを見つめていて、

「あ、え、なに?」

 声を掛けられてやっと気づいたところだった。

 心ここに在らず、と言ったところか。

「聞いてなかったのかい、今の?」

「わかった」

 唐突に先輩が膝立ちになり、からかうような笑顔でマルフィスの顔を覗く。

「たぶん、しばらく一緒に旅していた一番親しい地球人である藍をオレに取られたみたいで気に入らないんだろう」

 先輩はそう推測する。マルフィスにそんな感情はあり得るのか。モノへの執着はあまりなさそうだったけれど。

「べ、べつにそんなことは……」

 彼は半分口の中で言って目をそらす。

 それを見て先輩はとんでもないことを言った。

「オレは藍より、どっちかって言うとキミみたいな綺麗で可愛い感じの子の方が好きだな」

 え……?

 それはつまり。

「先輩……そういう趣味だったんですか」

「え、いや違う違う! あくまで見た目の話ってだけで……」

 しかし、マルフィスの種族には本来、性別は存在しない。彼が男性に見えるのも、身体が男性として造られているからというのが大きな理由だろう。精神性を参考にしたというから精神的には男性に近いのかもしれないが。

 マルフィスも戸惑ったような顔で、

「一週間くらいあれば、女性の身体に変えることもできるけど……」

 と、やや頓珍漢な返事をする。

「ちょと見てみたい気もするけど……って、いやいや、それは置いといて。とにかく、オレの能力が何かの役に立つ可能性があるなら、いくらでも協力するぜ。ただ問題は……」

 安いオムライスを一口食べて咀嚼し、とんとん、とコートのポケットを叩く。

「その間の生活の保障はされるのかって話」

 やっぱりお金は重要だ。必要最低限の保証は全員されているけれど、バイトできていればさらに収入はあるわけで。

 対バブルヘルズの貴重な戦力となるなら何かしら保証はありそうだけれど、わたしは詳しくは知らないし、マルフィスに連絡を取ってもらう。

「保証はされるし、対バブルヘルズに有効な活躍ができたら報奨金が出るみたいだよ」

 なるほど。まあ、活躍したのにご褒美も何もない味気ないのより、結構なことなんじゃないだろうか。

 あいにく、わたしは金銭感覚が他の人とは少し違うので実感がない。

「そうかそうか。そりゃ、やる気がみなぎるってもんだ」

 先輩も満足そうに笑い、目の前のオムライスに取り掛かった。


 研究所から女満別空港に迎えが来ることになり、アンティーク市場で一時間程度過ごしてから無人タクシーで空港まで移動する。先輩を送っていくだけのつもりだったのだけれど、わたしも呼ばれているらしい。

「つまり、わたしと先輩の能力を組み合わせてバブルヘルをどうにかする、ってこと?」

「そういうことみたいだね」

 マルフィスは窓の外の流れる景色を眺めながら、どこか上の空のような声色だった。

「たぶん、藍の能力の効果を上げてバブルヘルの進路をずらせるのかを試すんじゃないかな。そうなると、旅は中断だね」

 確かに。優先順位はどうしてもバブルヘル対策が上になるし、旅を続けながらはできないだろう。

 むしろ、マルフィスの旅の意味すらなくなる可能性もある。そう考えたら、少し寂しいような気もしてきた。

 マルフィスとの旅が終わる可能性もある……? そうだとしたら、少し寂しいどころではないけれど今は実感がない。

「まあ、着いてから考えればいいんじゃないの」

 先輩は楽観的だ。

 女満別空港に着いたときには陽は傾きかけていた。リエスタさんがタクシーの停まる近くにすでに待っていて、わたしたちを迎えてくれる。

「話は聞いていますよ。お疲れさま」

 タクシーを降りると、リエスタさんは笑顔で近づいてくる。

 後ろでドアが自動的に閉じたとき、わたしは不意に、空気の流れに異質なものが混じるのを感じた。

 ――何か来る。

 反射的に圧縮した空気で身体の周囲を覆いながら、辺りを見渡す。

 ヒュッと音がした。顔を上げると、見覚えのあるビール瓶が宙を回転しながら舞い落ちてくる。炎が瓶の口から飲み込まれていくのがチラリと見えた。

 とっさに手を突き上げ、空気の塊を弾き出す。瓶が上へ弾かれ、爆発した。

 ドン!

 空中で爆炎が上がる。悲鳴が沸きあがると同時に、熱い爆風を避けるためにわたしは再び空気の塊を放つ。

「先輩!」

 マルフィスの手を引きながら、反対側から降りた先輩を呼ぶ。リエスタさんもこちらに駆け寄った。

 周りの多くの人々が悲鳴を上げ爆発から逃げ出そうとする中、逆行してこちらに向かってくる姿が三人。そのうちの一人は少し遅れて木の上から降りて来る。全員、全身黒尽くめだ。

 わたしは空気の塊を圧縮しながら、昨日の夜にネットで見た一文を思い出していた。終末教もネットの情報からこちらの動きを予測していたのだろう。

「動くな!」

 リエスタさんが小さめの拳銃に似た銃器を右手に掲げ、一番近くに迫ってきた黒尽くめに銃口を向ける。

 細長い棒のような物を持った相手は止まらず、トリガーが引かれた。見えない何かに撃たれて黒尽くめは動きを止め、その場に崩れ落ちる。まさか死んではいないだろうが。

 わたしはもう一人に狙いを定めていた。その相手は火炎瓶を手にしている。着火される前に無力化しなければ。

 すると、わたしが空気の塊を放つ前に相手は転倒する。

「あいつの靴への地面からの摩擦をゼロにした」

 と先輩が言う。先輩の能力、とっさにそんな応用も可能なのか。

 残すは一人。おそらく最初に火炎瓶を木の上から投げてきたらしい黒尽くめ。その手にはやはり、火炎瓶がさらに一本握られている。もう一方の手にはライターだ。

 わたしはそのライターを空気の塊で弾き飛ばした。

 空港の警備員たちが一気に駆けつけてくる。このままだと、わたしたちも面倒なことになるのでは……?

 と思っていたが、駆け付けてきた警察にリエスタさんが何か証明書を見せるとわたしたちは何もきかれることなくスルーされる。黒尽くめたちは拘束され、やがてやってきた黒塗りの車から現われたスーツの男たちに連行されていった。

 わたしたちはある程度騒ぎの痕跡が片付くまで目立たないところで待っていたが、リエスタさんが誘導してくれて、ほかの利用者が使うのとは違う通路に案内してくれる。あの現場の騒動もネットにあれこれ書かれるだろうが、もう外界に出てしまえば関係ない。少なくともしばらくの間は。

 通路を抜けて天井のない空間に出ると開放感があった。

 もちろん、外界には一般的な飛行機などは使わない。前に見た小型飛行機と似たデザインの、少し大きめのものが滑走路の隅に駐機していた。

 わたしはリエスタさんに続いて歩き出そうとしていて、まだマルフィスの手を握っていたことに気がつき慌てて放す。

「ごめん、気がつかなかった」

「べつにいいのに」

 マルフィスのことばが少しすねたように聞こえたのは、わたしのそう聞こえてほしいという願望が入っていたのかもしれない。

 ――その会話以降、外界へ出てから彼と話すことはなかった。

 旅暮らしをすると決めて書き始めた旅日記も、しばらくは簡単な日記だけになる。書き残すことが許されないことも多いのが一因だ。

 とにかく、再び研究所を訪れ、アリサちゃんらとも再会し、古い衣服をメアリさんが喜んで受け取ってくれ、能力についての実験や検証が何日も繰り返され……やがて、初対面の能力者何人かとも顔を合わせ、バブルヘルズ対策に有効とされる能力の組み合わせがいくつか編み出された。

 最終的に使用されたのは〈凍結〉と〈波及力操作〉とわたしの〈空圧操作〉。

 そこに至るまでに一週間以上がかかり、それが終わった後は世界が変わった。能力者の力によりバブルヘルズが消滅したことが発表され、またバブルヘルズが来たときのために能力者を保護すべきだ、いや、能力者もいつか亡くなるのだから、どうして消滅したのかのメカニズムを解明していつでも対応できるようにすべきだ、などとあちこちで議論が起こった。

 でも反応の大半は、安堵や喜びの声だ。

 少しずつデータは取らせてほしいとお願いされ、WITTの能力関係の記録を研究所に送信するのを承諾したが、保護、はされなかった。それは、自由を奪われ意志をないがしろにされた革命者と変わらない。

 ――これで少しは能力者へ対する風当たりが和らげばいいが、完全には差別は無くならないだろうな。

 異質なものが気持ち悪い、便利な能力がうらやましい、強力な力を持っているものが恐ろしい、普通じゃなくって可哀そう。

 そんな感情がある限り、能力者を遠ざけようという者はいなくならない。

 それでもまあ、今まで通り能力を隠し、普通に生活していけばいい。もうバブルヘルズの脅威は消え去ったのだから。

 ――とりあえず、今のところは。

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