第23話 新しい旅路へ(1)
窓の外、夕暮れの街並みが流れる。瞰望岩も遠くへ過ぎ去っていく。夕暮れはもう夜の闇に染まりそうだ。
夕食と泊まるところをそろそろ決めなければ。
昼にカニを食べようと思っていたのは覚えている。しかし、思えば夕食にカニが付くようなところが今から予約できるのか? 夕食は無しにしてどこかに食べに行くか、最悪、買ってきて食べる、でもいいかもしれないが。
検索してみると、さすが市だけあってホテルや旅館の数は多い。駅前にも結構あるし。その中からあれこれ探して、ちょっとお高めだが食事はレストランで食べる温泉付きホテルにツインの空き室を見つけ、予約した。駅からそれほど離れていない。
一口にカニと言っても色々と種類があるのだが、毛ガニ・タラバガニ・ズワイガニと三種類食べられる、みたいなところは遠かったり満室だったり。カニが一種類のところは毛ガニ付きのところが多いらしく、空いていたところもそう。
身が多く食べ応えのあるタラバガニ、身が甘く味噌も美味いズワイガニ、カニ味噌が一番美味いという毛ガニ。その中でも一番わたしが好きなのは毛ガニだ。
一人暮らしでカニ一杯そのまま食べる機会もそうそうなかったが、確か高校の見学旅行で、泊まったホテルの夕食時に同じテーブルになった子が毛ガニを前に言っていた。
毛ガニは絶品のカニ味噌を楽しむもので、すべて身をむいたらカニ味噌たっぷりの甲羅に投入し、すべて絶品のカニ味噌味にして食べるものだ、すべて絶品のカニ味噌味なのだから一番美味い蟹は毛ガニだ――という寸法である。
毛ガニはとげとげの殻がなかなか厄介だけれど、道具を、もしくは能力を上手く使えば簡単に剥ける。
「もうすっかり夜だ」
列車は遠軽町を抜け、北見市に入る。窓の外を流れていく夜空の向こうには、星々も小さく見えた。
「着くのが遅いから、着いたらすぐホテルだね。人探しは明日にしよう。探せるかどうかはわからないけれど」
「ネットに目撃談があって、地区はわかるんだろう?」
「ずっとその地区にいてくれるといいけど、どっかに旅行に行っているとか……逆に、家から一歩も出ないでいられても巡り合えない」
わたしたちも何日もいられるわけじゃないから、これは完全に運とタイミングが合うかどうかだ。それに地区がわかっていたって、その地区だってなかなかの広さだし。
ホテルに戻ったらまたネットで情報収集してみよう。
すっかり太陽も沈み夜闇に包まれた中、列車はいくつかの駅を経て北見駅に到着する。ホテルや市役所、公共施設が近くにあり、都会の雰囲気だ。
駅を出て周囲を確認する。土地勘のない場所で夜だと余計に、一瞬方位がわからなくなるような感覚があるが、WITTに目的地を設定しておくと現在地と目的地の位置関係を地図上に表示してくれる機能がある。便利な世の中だ。
「夜の街の雰囲気もいいけど、眠くなってきた」
マルフィスがあくび交じりに言う。思えば今日も結構歩いたものだ。
「まだだ、負けるな、まだ寝るには早い。美味しい夕食が待ってるよ」
「うん、そうだ。夕食を食べる前には死ねない」
「冬じゃないから寝ても死なないけれどね」
冬の夜にこんな北国の道端で寝ていたら凍死してしまう。今でも、風邪くらいはひきそうだけれど。
「温かい物が食べられたらしいな」
茹でガニって結構温かくはない気がするけれど、ほかに何があるかは見ていなかったな。鉄砲汁でもあればいいんだけれど。
駅から歩いて十分もしないうちにホテルに着く。チェックインして部屋へ向かい、荷物を置いたら温泉はあとにしてすぐに食事だ。
レストランは和洋中が選べるようになっていた。どれも毛ガニ一杯は共通になっている。マルフィスは和食を、わたしは別のを選んだ方が分け合えるものもあるかもしれないと、中華を選んでみる。
和食は毛ガニのほかに天ぷらに蟹の鉄砲汁、漬物や酢の物などの小鉢がいくつかに刺身と茶碗蒸し、主食は散らし寿司、デザートに季節の生菓子。落ち葉と栗をかたどったものだ。
中華は焼き餃子に、重なったせいろに入ったシュウマイと小籠包と豚角煮まん、あんまん、チンジャオロースー、杏仁豆腐。
わたしとマルフィスは、三つあるシュウマイのうちの一つと刺身少しを交換した。選んだ刺身はたくさんあるイカ刺し三本とマグロ。彼は刺身にあまりこだわりがないらしい。以前すでに味わったからか。
「なかなか食べづらそうな……」
マルフィスはやはり毛ガニに目を奪われていた。
「慣れればどうってことないんだけどね」
与えられた道具は、厚手の軍手に丈夫なハサミにタオル。
軍手を手にはめ、タオルでとげとげの甲羅を押さえながら脚をすべて落とし、裏側から甲羅を外す。ハサミは脚に入れ、身をカニ味噌の上に落としていく。胴体の身は指で外せるのでそこからも同じく身を取り出す。
あとは修学旅行で見たのと同じ。
「イテッ……手馴れてるね、藍は」
向かいではマルフィスが苦労して殻と向き合っていた。
「そんなことはないけれど、まさか、わたしが殻の棘ごときに傷つけられるわけがないし」
そのことばで、彼もようやく気付いたようだ。
そう、わたしの能力を有効活用すればカニの殻向きも容易い。手の周りに圧縮した空気の層を作れば棘は刺さらないし、身を取り出すときも吸い寄せればいい。そんなピンポイントで能力を使えるようになるには鍛錬と慣れが必要だが。
「なんかズルいような……」
「あるものを使って悪いことはないでしょ。タダだし。ほら、もう使わないからこれ貸してあげるよ」
と、自分の軍手とタオルを差し出す。
マルフィスが重ねた軍手で力業でカニを解体していくのを眺めつつ、わたしはまだアツアツのシュウマイを食べる。中にホタテの貝柱が入っていて味が染みている。チンジャオロースーも野菜たっぷりだがやや油っぽい。中華料理はどうしても油が多めになりがちだ。
そうなったら刺身を一口。それに、ここはドリンクバーがついていて、ウーロン茶を持ってきてある。
小籠包はアツアツのままだと火傷をしそうなので少し冷ましてからいただく。皮が破けると美味い汁が染み出してくる。冷ましたおかげでまだ熱いが火傷はしない程度だ。
餃子はやや淡白で、タレを生かす味付けのようだ。ご飯が欲しくなるが、このメニューの主食は豚角煮まんである。大きめの豚角煮まんは余計な物が入っておらず、具は本当に豚角煮のみなのだが、汁が皮に染み込んで美味しい。
食べ勧めているうちにマルフィスも毛ガニを剥き終わったようだ。わたしを参考にしたらしく、甲羅に身を詰めている。
わたしはあんまんを半分に割ったところだった。なにか、恨めしそうな視線を感じる。
「あんまんいいなあ……」
「そっちも和菓子があるでしょ、和菓子が」
「温かいデザートも美味しそうだし。和菓子一個とあんまん半分を交換してくださいお願いします、お代官さま」
何か時代劇のドラマでも見たのだろうか。
わたしはあんまんにこだわりがあるわけじゃないので、交換してあげた。あんこがアツアツのあんまんはコンビニのものでも、寒い冬にはかなり美味く感じられるものだけれど、室内はそこまで寒くはない。もちろんこれも美味しいあんまんだけれど。
ほかの物をだいぶ片付けて、まだ味噌と混ぜていない毛ガニの身を一口。
ほど良い塩気が口の中に広がる。水っぽくもないし、このままでも充分美味しい。でも、容赦なくかき混ぜる。
甘みと塩気とほのかな苦みも絶妙に取り込まれた濃厚なカニ味噌がほぐれた身を染める。これもご飯が欲しくなるが、このままでも贅沢に美味しくいただける。すべていただいた後に甲羅にお酒を入れて、という楽しみ方もあるらしいが、ここはお酒は置いてないようだし今はやめておこう。
――でも、いつかはマルフィスにお酒を飲ませてみたいな。
不意にそんな野望が湧く。うん、どんな酔い方をするか気になる。もしくは、酔うという機能がなくて酔わなかったりして。
「カニも美味しいね。苦労した甲斐もあるわけだ」
彼は満足そうに言い、少し食べてから、カニ味噌のついた身を散らし寿司の上にのせて食べてみたり、刺身の上にのせて食べてみたりする。ご飯があるのは正直うらやましい。
しかしまあ、こちらもやろうと思えばシュウマイにのせたりはできたか。もう食べちゃったけど。
すでにまともに残っているのはデザートくらいだ。杏仁豆腐は硬いものより柔らかめが好きなのだが、これはわたしの好みに近いものだった。
今日の夕食も満足満足。
と、レストランから帰る途中、同じく満足そうなニコニコ笑顔のマルフィスが、
「帰ったらデザートも待ってるからね」
と楽しげに言う。確かに部屋に着いたときに、真っ先にケーキを冷蔵庫に入れていたが、まだ食べるつもりなのか。
「さすがに、まだ胃に隙間がないよ」
「お風呂に入ったら少しは空くんじゃない?」
「それはそうかもしれないけれど……」
寝る前に食べること自体太りそうなんだけどな。食べてから運動して、せっかく温泉に入ったのに汗をかいた状態で寝るというのも……。
あ、そう言えば。
「なら、運動してからデザートを食べて、それから温泉に入らないかい?」
わたしはひとつ思いついた。
温泉にはゲームがつきものである。ゲーセンにあるような商品をキャッチするゲームやパチンコゲーム、それにビリヤードや卓球。
壁にかかっていた案内図を見たところ、ここは地下の温泉の近くに広めの遊戯室があるらしいので、きっと卓球か何かはあるだろう。
部屋に戻りエコバッグに着替えを入れて一応準備をしておいてから、エレベーターで地下へ。遊戯室に着くと、すぐに卓球台二つが見えた。ひとつはすでに仕事仲間っぽく見える男性陣が使っている。
「卓球のルールは知ってる?」
「いや、全然」
そりゃそうか。
とりあえずラケットとボールを持ち、わたしもなんとなく知っている程度の簡単なルールを説明する。学校の体育の授業で何度かやった程度で、大した経験がないことはマルフィスとそう変わりない。
まあ、わたしはあまりスポーツに関わらないようにしていた。理由は明白。
「ズルしないでよ?」
マルフィスが念押ししてくる通り、わたしの能力は使えばスポーツにも絶大な効果を発揮する。ボールを使うならボールを自在に操ることもできるし、速く走ることも重いものを持ち上げることも得意だ。
「使わないよ。誰かが怪我しそうとかなければ」
卓球で怪我はよほど無茶をしなければないだろうけれど。
口で説明するよりとりあえず実践だ。と一試合始める。
卓球というやつは初めてやるときは力加減に苦労するものだが、マルフィスも最初は力を入れ過ぎ、球が卓球台の向こうへ飛んでいた。わたしが助言すると、球の行き来がそこそこ続くようになる。
スポーツの中でも卓球はあまり運動にならなそうなイメージがあるが、実践してみればそうでもない。常に球の来る位置を予想して横の反復運動が多いし、手首も肘や肩も使う。意外に全身を動かすスポーツだ。
「そろそろ、いい感じに疲れたんじゃない?」
「えー、やっと慣れてきたところなのに」
彼は案外負けず嫌いらしい。勝てるようになるまでやりたいタイプだな。
「オリンピックに出るわけじゃないんだから」
うーん、と少し不満げなものの、一応納得してラケットを返す。
しかしおかげで胃には余裕ができた感覚はあった。部屋に戻り、ケーキを味わう。抹茶ケーキとフルーツタルトを半分に切って半分ずつ。紅茶のパックが備え付けであったので、飲み物としてカップに紅茶を入れた。
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