第21話 追うもの追われるもの(4)
話しているうちに、枝幸町の市街地が見えてくる。
「カニって食べたことあった?」
我ながら、唐突に話題ががらりと変わる。
「確か……海鮮丼に少し乗ってたり、バイキングのお寿司にもあったかな」
「そのくらいか。じゃあ今度、食事にカニが一匹付くような旅館にでも泊まろう」
枝幸町というと、カニ祭りのニュースを見るイメージ。名物を調べてみるとここも道の駅があり、ホタテカレーやホタテラーメンなど、見覚えのあるメニューも……まあ、同じ海で漁しているんだし、沿岸を旅していると同じ料理に遭遇するのも仕方がないよなあ。
土産物などを調べているうちに、ある単語も目に留まる。
「そういや、ザンギって食べてないよね」
ジンギスカンやスープカレーは食べたものの、これを食べずに北海道グルメを制覇したとは言えない。
「ああ、コンビニで見ていずれ食べようと思ってたけど忘れていた。普通のから揚げとは違うの?」
「味付けしてから揚げるから、味がしっかり肉の奥まで染み込んでるとかじゃなかったかな。たぶん」
「道民でもよくらからないんだねえ」
「よく食べていても、どうやってできているかとかは意外と知らないね。スープカレー食べてたって、普通の客はスープカレーにどんなスパイスがどれだけ入ってるかなんて考えないだろう?」
と理屈を述べるが、一般家庭でスープカレーをスパイスの調合から作る人はそんなにいないだろうけど、ジンギスカンや甘納豆入りの赤飯同様にザンギを家庭で作る人はまあまあ多い。
「それはそうだねえ」
幸い、マルフィスは納得したようだ。
なんの障害もなく、無人タクシーは順調に枝幸町を抜けて雄武町へ。どこかで休憩するのに、雄武町か次の興部町の道の駅を使おうと思っていた。
〈道の駅おうむ〉は韃靼そばコロッケなるものがあるらしい。〈道の駅おこっぺ〉は乳製品中でもソフトクリームの評判がいいらしいが、この時季にソフトクリームは寒いしやってない可能性も……と迷っていると、バタークリームのケーキというのが目に留まる。
マルフィスにきくと、当然ケーキのある方を選んだ。もちろん、道の駅おうむにもデザートはあるのだろうけれど。
出発から二時間余り――時間は十一時近くなっていた。無人タクシーに指示して道の駅おうむに停まり、ここでトイレ休憩と買い物。無人タクシーは指示しておけば、三〇分以内ならその場で待っていてくれる。
昼食は到着地点で取るつもりだ。あと一時間くらいしかないし、胃に残る物を買い食いするわけにもいかず。飲み物と例のバタークリームのケーキを買うくらいで出発する。
しかし、バタークリームは結構カロリーが高かったはず。これは後で運動が必要かも。もしくは、昼を軽くするか。
わたしの心配をつゆ知らず、動き出したタクシーの中でマルフィスは美味しそうにケーキを味わう。そりゃ、彼の作り物の身体は太らないものな。
ちょっとひがみっぽくそう思うが、バタークリームの味自体はわたしも好きだ。塩気がほどよく飽きがこない。その、もっと食べたいと思わせる味が太りたくない意志への天敵でもあるんだけれども。
タクシーは興部町を抜けると紋別市に入る。ここには空港があるので、しばらく空を眺めていると飛行機が飛んでいくのが見える。今日は快晴なので上空も見やすい。
「もう少し時季が先だったら、流氷を見に行くのも良かったかもしれないね」
ガリンコ号が出動するようになるまではまだ早い。いくつか湖を横目に紋別市を通り抜け、さらに上湧別町、湧別町へ。ここまで来ると広大な湖が見え始めるが、サロマ湖全体を見るならもう少し東へ行かなくては。その分、あとで戻ることになるけれど仕方がない。
「まるで海みたいに広いね」
「あれに乗ると全体が見られるらしいよ」
行く手に見えてきた観覧車を指さすと、マルフィスは目を見開く。
「あ、遊園地がある!」
湧別町の道の駅は遊園地が併設されている。小さな遊園地でどちらかというと子ども向けのようだが、観覧車からの眺めがいいとの評判だ。
「まずは昼食にしようか」
道の駅の駐車場に入ってタクシーを降りたところで、時刻は十二時過ぎ。太陽が高く昇り、遮る雲もないので段々気温が上がってきている。
駐車場にほかにも車が停まっており、丁度ドアを開けて家族連れが降りてくるところだ。それを見て他人の目というものを思い出す。無人タクシーはあまりに気楽だけれど、その気分のままで降りて行動してはまずい。
道の駅で買い物の前に、まず遊園地にあるレストランで食事を済ます。二人とも料理は地元産のホタテや魚を使ったフライ定食で、わたしはコーヒーフロート、マルフィスはメロンソーダフロートを飲み物に頼んだ。
待ち時間、無人タクシーを予約しておく。三〇分以上だと再度予約しないといけないため、ここまで乗ってきたタクシーは帰らせた。
「おお、美味しそう」
マルフィスの目はどちらかというと、定食よりフロートに向いている。
もうソフトクリームは食べられない時季になるなと思っていたが、どうやら冷たいものの期限はまだ切れていないようである。フライはやっぱり少し脂っぽくなるので、口の中がすっきりするフロートはいい。定食のフライもホタテは甘みがあり、どれも素材の味がしっかり感じられる。
サロマ湖というと牡蠣も気になるが、今回はお預けだ。個人的には牡蠣はフライより茹でが好きだ。どこかのホテルに鍋ででも食べたいところ。
そうだ、昼は軽めに、と思っていたのを忘れていた。もう今さらどうしようもない、運動しなければ。
食事を終えると、遊園地を歩いてみる。
「あまり人がいないな」
「遊園地に行こう、と思って来る場所ではないだろうからね。旅行中の家族連れが子どもと楽しむために利用する感じらしい」
それでも、ゴーカートのコースの近くを歩いていたら楽しそうな子どもの声が聞こえてきた。両親が見守る中、兄弟らしき三人の子どもたちが楽しそうにゴーカートを走らせている。
わたしたちが向かうのは観覧車だ。そこにも客の姿があった。一組の若い男女。カップルだろうか。
はた目にはわたしたちもそう見えるかもしれない。と思うと少し恥ずかしい気がする。
「もう乗れるみたいだよ」
となりからの声で我に返る。先の二人組が観覧車に乗り込み、係の人がこちらを手招きしている。
観覧車はゆっくり回り、目の前にドアの開いた空間が見える。足もとお気をつけて、と注意を促されながら内部に入りベンチに腰を下ろした。中はよくある観覧車だ。思い返せば中学生くらいの旅行か何かで遊園地に行って乗って以来じゃないだろうか。
ドアが閉じられ、上昇を開始する。エレベーターの上昇に似た浮遊感。
向かいに座るマルフィスと二人きりになった。ここは密室だから、よく恋愛ものの物語の舞台になるのもうなずける。
彼は窓から外の景色を眺めている。
「へえ……落ちたりしないんだね」
「そういう事故は聞いたことがないなあ。探せば世界のどこかには事故例はありそうだけれど、わたしの能力なら潰れりゃしないから平気だよ」
密室では空気が外と遮断されているが、必要なら窓を破壊することもできるし。
「僕は落ちても平気だけど。言ってなかったかな、僕は死んでも死なないんだよ」
へ?
これはおかしなことを。
「矛盾した発言だなあ」
「つまり、身体は死んでもそれは本体ではないから」
なるほど。彼の本来の身体は物質的なものではないし、肉体は作り物だから損傷したところで本体にダメージはないのか。
「ただ、新しい身体を用意してそれに乗り移って来るのに最低一週間くらいかかるから、何もないのが一番だけれどね」
肉体がなければ地球上で活動できないため、肉体を失うのが痛手には違いはないようだ。そうだとしても、人間から見れば充分とんでもないが。
それを伝えると、
「いや、逆に言えばこの状態の僕の種族は死なないくらいしか特技がないよ。藍みたいな能力者の方がよほどとんでもないと思うな」
彼の反応に、そういうものなのか、と思う。特殊能力がなぜ生まれたのか、その構造みたいなものも外界人にとってもまだ不明のようだし。
「あ、湖が見えてきたね」
窓の外はだいぶ上から見下ろす高度になっている。青空の下、綺麗な青の水面がそよ風に細かな波を立てていた。その向こうにはオホーツク海。
「そうだ、てっぺんまで来たら写真を撮ろうか」
記念になるような光景、普通ならないような場所。観覧車の中でこの窓の外の風景と撮るというのは、それに合致していると思う。
「大丈夫? バランスが崩れたりしない?」
「一瞬だし平気だよ。それに、そこまで体重があるわけじゃないからね」
最近色々食べまくっているけれど、運動もしているし気をつけているし、増加はしていないはず。たぶん。
観覧車が一番高いところに近づくとWITTを準備し、窓の外が見えるようにちょっと無理な体勢で写真を撮る。無理をした甲斐あって、どうにか窓の下に顔が入るように撮ることができた。
「綺麗だねえ」
「時間があれば海と湖の間にも行ってみたかったところだね」
写真を撮った後は、のんびり景色を眺めらながらゆっくり地上に近づいていく。
なんというか、乗り物の中では観覧車は、だいぶ個人で空を飛んで戻って来るのに近い感覚かもしれない。気球とか、実際に飛んでいる乗り物は別として。
観覧車を下りると地に足がついた実感があるものの、少しの間ふわふわした感触が続く。
「道の駅で買い物してからタクシーに乗ろうか」
無人タクシーは二時にやって来るよう予約した。予約時間からも三〇分は待ってくれるので、五〇分近くは時間がある。
とりあえず土産物を物色する。ここも海産物が多い。ホタテチーズ貝柱、牡蠣の燻製、インスタントのカニラーメン、色々な種類の塩、チューリップの花びら入りゴーフル、定番のアイスやおまんじゅうなど。
わたしは六個入りの塩まんじゅうとインスタントの毛ガニラーメンを、マルフィスはゴーフルを買った。インスタントラーメンなんて食べる機会があるのかと思うが、まあ、あれば非常食になる。
飲み物はまだ残っていたので、終わってみれば買い物はそれだけ。外に出ると無人タクシーはすでに来ており、早々に出発。
ここから少し戻って遠軽芭露線に入り、遠軽へ向かう。車通りは少なく、天気もいいのでスイスイ行ける。と言っても無人タクシーは当然法定速度遵守だ。車や道路設備の安全性能が向上した分、昔よりは法定速度も緩くなっているらしいが。わたしは自動車免許を持っていないので詳しくないけれど。常備している身分証明書は革命者の証明書くらいなので、バイト先には自然と革命者であることがバレる。
そういや、バイト先と言えば、あのバイト先を辞めさせられた先輩はどうしているだろう、と不意に思い出す。
いい先輩だった。いつも明るくて、親切で。先輩がいなくなったのはわたしが旅立つ理由としてはあくまで間接的なものだが、先輩がもっといけ好かない性格ならこうはなっていなかったかも。
「ねえ、藍」
となりからの声で我に返る。マルフィスは道の駅でもらってきたらしいこの辺りの観光情報のパンフレットについていた列車時間を眺めていた。
「調べたら、遠軽からの列車は六時近くじゃないと出ないみたいだよ。遠軽に着いたらおやつの時間だし、ここ行こう、ここ」
と指さしたのは、洋菓子やパンを扱うお店だ。様々な種類のケーキもあるらしい。
彼の目的はケーキなのだろうが……。
「さっきバタークリームのケーキを食べたのに、またケーキを食べるのかい?」
いくらお口直しをしたところで、バタークリームからのケーキは口の中でくどく感じそうなものだ。
「甘さにも種類があるから平気だよ。僕は感覚をリセットできるし」
そんな機能もあるのか、便利だなあ。
わたしがケーキのはしごなどしようなものなら、駅の近くにあるらしい公園でちょっとジョギングでもしないと安心できないものだが――マルフィスの手の中のパンフレットを覗くと、どうやら健康的なものもあるようだ。
「それじゃあ、わたしはビフィズス菌入りチーズケーキでもいただこうかな。確か、ビフィズス菌はダイエットに効果があるはず」
少なくとも、普通のケーキよりは健康的に思える。
「藍もそんなに太る体質にも見えないけどな。というか、お洒落に関心がなさそうな割に太るかどうかは気になるんだね」
「そりゃあね、見た目の印象くらいできるだけ良くしないと、能力を見られたときに最悪だよ。かっこうの攻撃対象になる」
いくら人は外見じゃないとか中身が大事とか綺麗ごとを言おうとも、人は見た目の印象に引きずられるものだ。
それだけじゃなく、身体が重くなれば動きが鈍くなるわけで、そういう意味でもかっこうの攻撃対象になるのが厄介。
「そう思うなら、それこそもう少し明るくてお洒落な格好にした方がいいんじゃないの」
そういうマルフィスこそ、と思って、以前のファッション対決を思い出した。ああいうのもたまにはいいかもしれないけれど、あくまでたまにだな。長く過ごすならやっぱり実用性が一番だし、もう少し汚れても目立たないような地味な格好になる。
ああ、しかしネットで顔が売れ始めているのだった。変装を試してもいいかもしれない。
「わたしがお洒落な格好をしたら、きみも当然合わせるんだよ?」
「いいよ、べつに。この服も身体に合わせて作られた物をそのまま来ているだけだし」
「そうなんだ。というか、それはやっぱりわたし以上にお洒落に関心がなさ過ぎだよ、人間たちの格好を見てああいう格好をしてみたい、とかいう感情はなかったの?」
「うーん……味は持って帰れるけど、どんな格好をしたかは記憶して持って帰っても、仲間にとって意味がないから?」
当人にもはっきりしたことはわからないらしいが、確かに彼の言う差は大きいかもしれない。食べることに貪欲なのは、仲間のためという使命感も少しはあるだろう。
「お洒落をする楽しさを記憶できるかもしれないよ」
とは言うものの、わたしもいまいちわかっていない。
それにお洒落をする楽しさって見る者、見せる相手がいるから感じるもののような。誰かにこう見られたい、という欲がわたしたちにはない。
「ん、でも今なら、変装のためのお洒落という目的が〈いつもと違う自分に見られたい〉という意識になるかもしれないな」
「変装? 面白そう」
そんな気はしていたが、彼はあまりネットで自分のことを検索したりしないらしい。なんのための変装かもわかってなさそうだな。
それでも乗り気になってくれて良かった。
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