第20話 追うもの追われるもの(3)

 ここの無人ホテルは景色が良く、無人ホテルの割にはそこそこ人気らしい。わたしとマルフィスは隣同士の部屋を取った。向かう合う部屋だと、景色に差が出るので不公平感がある。

 自室に入り荷物を置く。窓から見えるのは白い点が散らばるクッチャロ湖。夜のとばりが降り始め、だいぶ見えづらくなっているけれども。

 夕食時間を八時に決め、それまで自由時間とした。夕食だってそれぞれ自由にしてもいいんだろうけれど、マルフィスが一緒がいいと言うので。

 自由時間は二時間余り。さて、近くの温泉に行くかどうか。ちょっと部屋を調べてみたが、ここも無人ホテルのご多聞に漏れずシャワーだけだ。パンフレットを見ても大浴場があったりもしない。

 マルフィスも誘おうか、と少し思ったものの、しばらく前の様子を思い出してやめておくことにする。わたしと違って髪を念入りに洗う必要もないのに、付き合いで昼間に温泉に入ったようなものだし。

 女一人で夜の街中に行くのは普通なら少々危険かもしれないが、わたしはちょっとやそっとのことは荒事でも切り抜けられる。

 一応、マルフィスが部屋に訪ねてきたときのことを考え、彼の部屋のドアノブに付箋を残して無人ホテルを出る。

 特にこだわりもないので、一番近い温泉施設に向かった。湖畔の眺めのいい露天風呂のある施設のようだ。

 けっこう賑わっているようで、靴箱に靴がたくさん入っている。

 カウンターで入浴料を払い、〈女湯〉と書かれた赤い暖簾をくぐって更衣室に向かう。そこに、見覚えのある顔があった。

 ――昼間、カフェで見かけた女子高生たち。

 彼女たちはわたしの姿を見るなり、あ、と表情を変え、

「あの、確か外界人の人と一緒にいた革命者の人ですよね?」

 そんなことをきいてくる。

「どこでそれを?」

「ネットで噂になってますよ」

 女子高生のうちの一人が、自分の手首につけたWITTを操作して画面にネットの書き込みを表示し、わたしに見せつけた。

『なんで革命者と保菌者が一緒にいるんだよ』

『革命者って嘘だろ。保菌者に決まってる』

『誰か確かめて来いよ、本当に革命者かどうか』

 画面に表示されたSNSの書き込みにはそんな文面が躍っていた。

 これはまずい……?

「失礼かもしれないけど、本当に革命者なんですか? もし、革命者だって証明してくれるなら、コーヒー牛乳をおごりますよ」

 メガネの子がそんな提案をする。

 ふと、思いついたことがあった。

 わたしはコートの内ポケットを探る。実は革命者であることを証明することは難しくない。革命者には政府から専用の身分証明書が配布される。

 証明書を見た少女たちは、おー、と声を上げた。

「凄い。本物……?」

「もし証明書の内容を疑うなら、登録番号を記録してネットで政府の革命者管理部門を検索して、専用ログインに登録番号を入れてログインしてみるといいよ。パスワードがないとログインはできないけど、登録番号が間違っていれば〈登録番号とパスワードが間違っています〉と出るところを、〈パスワードが間違っています〉とだけ出る」

 こうすれば、登録番号が実在することはわかる。登録番号は革命者と政府の担当部門の人間くらいしか知らない。登録番号は別の者に知られたところで悪用のしようもなく、特に不利益もないし。

 言われてすぐ、女子高生の一人が実行した。若者の方がWITTの操作が速いな。

「ほんとだ、確かにこれで証明されますね。コーヒー牛乳を奢りますよ」

「いや、革命者はお金には困らないから」

 なぜ、と不思議そうな彼女らにわたしは理由を説明した。

 うーん、でもこのことがネットで広がると、誰かに革命者だと知られるたびに奢ってと言われるんじゃなかろうか。

 とはいえ、ここでわたしが保菌者ではなく革命者だと証明することは、同行するマルフィスの安全にも関わることだから仕方なかった。

「まあ、わたしも昔は節約して貯金していたし働いていたし、あくまで贅沢しなければの話だけれど」

 どうにかそう付け加える。

 それから、わたしは一計を案じた。

「それでも、ここはわたしがコーヒー牛乳をおごるよ。登録番号はいいけど、あまりわたしや連れの顔がわかるような写真はアップしないよう注意してほしいな。みんな外界人や能力者に対しては忘れがちだけど、それも違法行為だしね」

 そう言うと、女子高生たちは素直に応じてくれた。

「でも、なんで革命者の人が外界人と一緒に行動しているんですか?」

 最後にそれをきかれる。

 変に嘘をついても疑われるだけだろうし、べつに誤魔化す必要があるとも思えなかった。もう連れが外界人であることはバレているわけだし。

「道案内兼ボディーガードってところかな。旅をするという目的も合ってたし、旅は道連れ、なんてことばもあるから」

 言って、わたしは苦笑した。

「ボディーガードとか言ってるわたしも乱暴な人間にジュースをぶっかけられたりしているくらいだからね」

 この件もすでにネットに広がっているだろう。だからこその、さっき見せられたSNSの書き込みのはず。

「確かに、大変ですね。革命者も」

 わたしは彼女らにコーヒー牛乳を一本ずつ奢った。それを手に礼を言い、着替えた女子高生たちは去っていく。

 あまり変なことをネットに書かれないといいが。悪い子たちじゃなさそうだったけれど、人の見た目なんて当てにならないということは身に染みているからなぁ。どんな高性能なWITTを持っている人でも何も検索すらしないような無知であろうとする人は害になり得るし、そういう人の口にも戸は建てられない。

 果たしてあの対応は正しかったのか、と思いながら温泉に浸かる。靴箱の靴が多かったのは女湯だとあの女子高生たちのものだったらしく、ほかに入浴客は二人だけ。

 のんびり星空の下の露天風呂を楽しむうちにも、いつの間にか一人になっていた。

 ふと、時間が気になる。いや、さすがに二時間は経っていないと思うが……でもマルフィスのボディーガードを自認しながらこんなに離れていていいのか。

 のんびり気分を振り払って、更衣室に戻って着替える。髪は昼にしっかり洗ったので、入る前に頭上にまとめていた。それでも多少は湿っただろうけれど、少しドライヤーを当てればすぐに乾く。

 温泉施設を出ても、部屋を出たときから一時間程度しか経っていなかった。どこか店に寄って行こうかと思ったが、部屋に残してきた鞄の中にまだお菓子があることを思い出して真っすぐ帰る。

 マルフィスの部屋のドアノブにはまだ付箋が貼ってあった。それを回収して部屋に戻り、鞄からお菓子を取り出してから、WITTでネットの情報をあれこれ検索する。

 さっそく、とあるSNS上では革命者の登録番号についての話が撮られた証明書の写真とともにアップされ、確かに存在するらしい、と確かめた人たちの報告で盛り上がっていた。

 一方、『親戚から聞いたけど、バブルヘルズ対策のために登録されていない強力な特殊能力を持つ者を探している人がいるらしい』というような書き込みも見つけた。ネット上で能力者が探されるのはメリットもリスクもあるが……まあ、わたしができることには限界があるし、リスクが高ければ政府も対策を取るだろう。

 しかし、これ以上わたしとマルフィスの情報が広がるのも困る。まるでストーカーに追われている気分だ。実際、やっていることはストーカーだけど。

 アリサちゃんはどうしているかな、と思い出す。こちらが危険のない状況で再開する手はずになっているというけれど、現在のところ、とてもわたしたちをめぐる周囲は平和な状況とは言い難い。

 それからわたしはこの先の経路を思案した。浜頓別から直接北見にはバスで行けるようだけれど、それでは味気ない。クッチャロ湖もいいけれど、サロマ湖にも寄りたいのだ。同じ道内に住んでいる者としても一度は見てみたいなと思う湖。

 サロマ湖を見て、遠軽町まで南下してここで鉄道に戻り北見に行く。これが一番旅を楽しめそうなルートか。

 ああだこうだ悩んだり日記を書いているうちに一時間足らずが過ぎ、ドアがノックされてマルフィスが現われる。どうやらほぼ寝て過ごしていたらしい。少し寝癖がついていた。

 夕食の時間だ。メニューははレンジで温めた鮭まんじゅうにホタテまんじゅう、それから自分で買ったおかずと汁物。あと、ウニホタテの瓶詰も少し開けてみる。

「美味しいけど、ご飯が欲しくなるね」

 と、瓶詰へのマルフィスの感想。

 まったく同感だ。この夕食だと、まんじゅうの具とかち合ってしまうな。

 それでも、つまみ程度に食べるくらいで味が喧嘩するほどでもなく、アツアツのまんじゅうを美味しくいただくことができた。

 地域の名物じゃないけれど、寒い時季はバイト帰りにコンビニで売っているあんまんや肉まんをよく買って帰ったものだ。特別感はなくてもあれも美味しい。

「明日の朝ごはんにすれば良かったかな。朝ご飯は何にするか考えてないけど」

 朝から重い物を食べるのもなんだし、コンビニで何かを買ってタクシーの車内で食べるのもいいかもしれない。無人タクシーの中なら気兼ねなく食べられる。何を食べようと寝てようといい気楽さは、無人タクシーのいいところ。

「まだまだコンビニのお弁当でも食べたことのないものが多いし、それでもいいよ」

 しじみの味噌汁をすすりながら、彼は幸せそうに言う。

 彼はネット上の情報をどの程度知っているのだろうと思うが、その笑顔を見ていたら、そんな些細なことはどうでもよくなったのだった。


 コンビニで朝食を買い、白鳥舞う湖畔を軽く歩いてから、わたしたちは無人タクシーに乗り込んだ。

 日記に書くとこんな一文だが、朝もやの中の白鳥の神秘的なこと。そればかりを撮り続けるカメラマンがいるのも理解できる。わたしたちが歩いている間にも撮っている姿があったし。かなり遠方から撮影に来る者もいると何かで読んだことがある。

 それを背後に、タクシーの目指す先、目的地はサロマ湖。到着予想時刻がタクシーのナビに表示されるのだが、三時間半くらいはかかるらしい。どこかで休憩が必要かも。

 出発が八時半過ぎ。着いた後に昼食で丁度いい。

 道路はほぼずっと海沿いを行く。出発してすぐ、わたしたちは車内で朝食を取った。わたしはピザトーストとカフェラテにヨーグルト。マルフィスはカツ丼とレモンサイダー、豆乳ムースのデザートを食べた。

 しばらくして無人タクシーはトンネルに入り、また長い間、オホーツク海を横目にして走り続ける。

 長い待ち時間の間に、わたしはネットをチェックしてみた。精神衛生上はあまり見ない方がいいかもしれないけれど。

 わたしたちの目撃証言については昨日見たときとあまり変わらず。北見の能力者についてはいくつか情報が増えていて、『私はこの地区のお祭りで雲をどかした人を見たよ』とか、『若くて背の高い男の人で、黒いチューリップハットにデニムのジャケットとジーパンだった』、『なかなかイケメンだった』など、なかなか具体的なものが出てきている。

 地区のお祭りに参加するとなれば、その地区に住んでいる可能性が高いはず。だだっ広い北見市をやみくもに探すよりずっと当てができた。

「いい景色だね」

 飽きもせずマルフィスは窓の外を眺めている。今日は天気も良く、青空の下のオホーツク海も穏やかだ。

「なんだか、こういう風景を眺めているとバブルヘルズが迫っているとはとても思えない雰囲気だね」

「あんまり、街の人たちも気にしてない風に見えていたよ」

 彼の言うとおり、どこのお店の人も、その客たちも、あの女子高生たちも、一見バブルヘルズへの危機感は見えなかったな。

「今はまだ、かもしれないけれど」

 そう、まだバブルヘルの襲来まで数週間ある。これが残り十日とか一週間とかになれば、だいぶ危機感を煽られるんじゃないか。

「できれば、みんながのんびりしているうちにバブルヘルズへの有効な対抗手段が見つかると嬉しいね」

「その方がみんなが怖がらなくて済むし、生活が普段と変わらないままだから?」

 と、マルフィスが質問してくる。

「それもあるけど、死の危険が目の前に迫った人間には、自暴自棄になって暴走するようなのも少しはいるからね」

 バブルヘルズで死ぬくらいなら心中しようとか、死ぬ前に好きなだけ奪おう、食べつくそうとか、いい女を無理矢理自分のものにしようとか、恨みを晴らそう、誰でもいいから憂さ晴らしをしよう――そんな事件が、主に海外でだが前回のバブルヘルズのときにもあったと記録されている。

「そういうのに巻き込まれるのはごめんだから」

「うーん、そういう人もいるんだね。シェルターだけじゃ安心できないか。シェルターの強化のプロジェクトも始まってたみたいだけど、今回のには間に合わないし」

 以前も書いた通り、シェルターは地球全体を覆わなければ意味がないという説を推す学者も少なからずおり、そのためのプロジェクトも始まっていた。時間と労力のかかる一大事業なため、一気に実現は難しいが、段階的にシェルターを拡大していこうとしていたところである。

 覆ったところで、強度が足りているかどうかは当たってみないとわからないだろうけれど。

「バブルヘルズの情報をもっと集められて、シェルターの素材の強度実験ができればいいんだけどね」

「その結果、穴が空いたらどうする?」

 ちょっと意地悪なことを言ってみる。

「それは強化しないと……でも、穴が開いた結果は公表できないよね……」

 それを公表すると暴動でも起きかねない。

 実際にそんなことになった場合は、強化したら強化したことだけが公表されるだろう。強化しても穴が開いた場合は、すべてのデータは秘密のまま。

「シェルターはもう不要になるような対抗手段が確立するといいのだけれどね」

 そう、それができればシェルターの強度は関係なくなる。結局、能力者で対抗できると早いということだ。

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