第17話 境界を超えて(6)
出発時を逆回転させたような変化の仕方を辿って飛行機は海の途中で船に変身し、着いた先は見覚えのある、稚内港の端。
「何も変わらないねえ」
昨日見たのとほぼ同じ光景。まあ、戻ってきたら焼け野原だったとかあっても困るけれど。
「それでは、わたしはこれで。藍さん、マルフィスを頼みますね」
「ええ、ご心配なく」
マルフィスは何かしたのか。いや、単に不案内な場所を旅する案内人としてわたしが頼りにされているだけだろうか。
とにかく……凄くリアルにはっきり記憶してはいるし、思ったよりシェルターの中と変わらない雰囲気でもあったものの、改めて振り返るとなんだか一晩の間夢でも見ていたような気分になるな。
去っていく船に手を振っていたマルフィスは、こちらを見て首を傾げた。
「どうしたの、ぼうっとして」
「いや、外界に行ったも夢や幻じゃないんだと思って。こうして元の場所に戻ると、昨日の現実感が薄れるね」
我ながら、外界から来たマルフィスには笑われそうなことばだ。
でも、それを聞いても彼は笑うことはなかった。
「いや、わかるよ。僕なんて母星にいるころは、こうして人間の身体を持って地面を歩くような経験をするとは考えられなかった。今だって半分は夢心地みたいなものなんだから」
そんな風に思っていたとは知らなかったな。
しかし、考えてみれば本来肉体を持たない種族がこうして地球上を身体を使って旅しているのは大変なことだ。手足を動かしたことがないのに動かすのだから、最初は赤ん坊と同じ条件じゃないだろうか。
それがおそらく一年もない程度の期間で、こうしてここにいるのだし。
「もう、その身体の使い方には慣れた?」
「まあまあかな。基本的な動作なら。でも、スポーツ選手みたいなことはできないよ」
日常生活なら問題はないらしい。
話しながら漁港を歩いて、近くの道路に出た。無人タクシーを探したいところ。一晩とはいえ寄り道した分を取り返したい。
しかし、ここから東へ行こうとするともう線路が続いていなくて、移動手段がなかなか悩みどころ。バスを使おうかと思うが、どうせ道路を使うならもう無人タクシーを使った方が楽かな。
それは風情はない選択だけども。タクシーは直接目的日に行けてしまう分、ちょっと道中見かけたカフェに入ってみようとか、思わぬ場所で思わぬ経験が、という状況が生まれにくい。
「バスとタクシー、どちらがいいと思う?」
一人で悩んでいても仕方がないので、そう口に出してみる。
バスは周囲の目が気にならないでもないが、それは列車とも大した違いはないか。列車よりも席が近く視界に入りやすいのは気がかりだが。
「バスに間に合うなら、バスの方がいいかな。その方が人々の生活を眺められそうだ」
そう、それが彼の仕事だった。人々が彼を見ているのと同様に、彼もまた、人々の様子を観察しているのである。
それを思い出せば簡単な選択だった。
時刻は午前九時半前。WITTでルート検索してみると、駅前にあるバスターミナルからバスが出ているようだ。ちなみに、行き先は日本最北端の地である宗谷岬。ここは記念にもなるし、寄っておきたい。行ってやってみたいこともあるし。
「じゃあ、バスターミナルに行くのがわかりやすいか」
出発は十時過ぎ。歩いて行けば丁度いいくらいの時間になるだろう。コンビニか売店にでも寄るだけの余裕もある。
研究所でそれなりにお菓子や食べ物を放出してしまったので、立ち寄ったコンビニでチョコレート菓子やスナック菓子、三個入りのマフィンと飲み物を買った。それからターミナルでバス待ちの列へ。
列はそれほど長くない。みんなやっぱり、タクシーや、目的地によっては空路を使うんだろうな。
周囲の視線が集まるかと思ったが、最後尾だったのでそれほどでもなかった。最初に駅でマルフィスを見かけたときのような光景は、やはり気分がいいものではない。
間もなくバスが来て、乗り込んだわたしたちは後ろの方の席を選んだ。この方がほかの乗客の視界に入りにくい。
「そういえば、こういうバスに乗るのは初めてだね。シェルター内に来たときに乗っているけれど、あれは色んな人が乗るようなバスじゃなかったし」
マルフィスは珍しそうに車内を眺め、停止ブザーや吊革、荷物籠などを眺める。ちなみに鞄は荷物籠には載せず、抱えるように持っていた。
間もなくバスは動き出し、ターミナルを出る。
列車に比べ、バスは移動速度が遅い。信号にひっかかったり前後の車の速度に合わせたり。でもその間に、街並みや道行く人、信号を渡る人々を眺められたりする。
鉄道のあのガタンゴトンという震動や雰囲気が好きだけれど、バスの旅もこうしてみると、利点があるものだなあ。
窓側の席にいるマルフィスは食い入るように街並みを眺めていた。見るからに新しそうなクレープ屋さんがあると、目を輝かせた後に無情に通り過ぎるのを見て「あー」と残念そうに声を上げたりしていた。
一時間と少しすると、宗谷岬前に辿り着く。
停留所でバスを降りて岬に向かう。日本最北端の地にはもちろん、それを記念する碑が存在した。わたしはそこにひとつ用事がある。
「広い海だね。向こうに岸が見える」
綺麗に水平線まで見える風景はなかなか壮大だ。空からの風景なんてのを見た直後でなければ、もっとその壮大さに感動しただろう。
何組か、ほかにも観光客の姿が見えた。多くの観光客は日本最北端の地を示す碑と一緒に記念写真を撮っている。
しばらく爽やかな潮風に当たっていたが、記念碑の近くに誰もいなくなったのを見て、わたしは連れを振り向いた。
「マルフィス、あそこで記念写真を撮ろう」
わたしが提案すると、彼は少し驚く。
「写真? いいけど、何か突然だね。心境の変化でもあったの?」
そう驚かれるのも想定済みではある。今まで撮ってなかったんだから。
「いや……本当は前から撮ろうと思っていたんだけど、なかなか機会がなくて。記念碑、とあれば記念写真にはおあつらえ向けだろう?」
こうして一緒に旅をしている今を何かの形で残したい。今なら写真を撮りたかった長居さんの気持ちが少しわかる。
「そういうものか……ああ、そうか。僕が母星の写真をありがたいと思うのと一緒なのかな。この場所、この瞬間だからある光景を刻み付けて残したいと思う」
確かに、同じような感情かもしれない。
わたしは彼と記念碑を背後にする。WITTで自撮りをするのはちょっとやりにくい。一旦手首から外して目いっぱい腕をのばし、画面を見ながら調整する。WITTの周辺ツールに三脚があり、それを持っていれば簡単に撮れるのだろうけれど、持ち歩いてはいない。
何枚か撮ってみると、どうにか、納得のいく写真が撮れた。このデータはコンビニや家電量販店など、対応プリンタの置いてある場所でプリントできる。
「僕の分も印刷してね」
「ああ、近くのコンビニか何かに寄って行こう。それから、お昼ご飯を早めに取ろうかな」
近くに最北の宿もあるけれど、さすがに泊まるには早過ぎる。ここで食事を済ませ、もっと先へ進んでから宿を確保したいところ。
少し風が強く、長居すると寒そうだ。潮風を避けて道路側に戻り、昼食を取る場所を探す。海岸を離れるように歩くと展望台がある。その向こうには宗谷黒牛の牧場がある。
「見て、風車があるよ」
マルフィスが指さしたそこには、小さな風車が強風を受けて木製の羽根を回していた。わたしが肉眼で見たことのある風車は、滑らかで流線形な未来的なデザインの風力発電用の風車で、こういう木製の風車は初めて見た。本か何かで見た、古き良き時代のヨーロッパの風車似ていた。
「風流だね。観光情報を見ると、レストランもあるみたい。宗谷黒牛のステーキも食べられるみたいだよ」
「うーん、ステーキは今はちょっとなあ……もう少し軽い物を食べたい気分」
「定食とか、メニューは色々あるらしい。展望台も食堂や土産物店があるみたいだね」
たぶん、展望台ならWITT対応プリンタもあるんじゃないかな。写真が良く撮られるような場所にはひとつくらい設置あるものだ。
歩きながら、まず昼食を食べてから帰りに展望台に寄ろうということになる。
眺めのいいレストランで、結局わたしは焼肉定食を、マルフィスはハンバーグ定食を頼んだ。これでもけっこう重めの料理かもしれないけれど、ステーキよりはマシかな。
「宗谷牛と聞くと、やっぱり肉が食べたくなるね」
「その分、身体にも肉がつきそうだけど」
とはいうものの、脂がのっていて旨い、と思ってしまう舌は騙せない。噛みしめると程よい甘みの肉汁が口の中に広がる。脂がのって、と言ってもさすがにギトギトなレベルの脂は食欲が萎えるけれど。
一応、定食にはサラダとスープががついてくるのが健康的に思えて嬉しい。今度はできるだけ野菜中心のメニューを注文することを心がけよう。まだわたしの脂はそれほどかさが増してはいないけれど……増してないはず。
「筋肉を食べて筋肉をつけるといいんじゃないの」
向かいの席のマルフィスは相変わらず華奢に見えるくらいで、嬉しそうにナイフで切ったハンバーグの切れ端を口にしていた。
食事を終えると展望台のお土産店で土産物のお菓子を少し買い、プリンタを見つけて写真を二枚、プリントする。マルフィスはともかくわたしは画像データの形でいつでも見られるのだが、やっぱり紙の形で見るのとは印象が違うのだ。
ベンチに座り取り出した写真を眺める。でも、写真で自分の顔を見るというのはなかなか恥ずかしい。
「いい写真じゃないか。このときは天気もいいし」
となりからマルフィスが覗き込んだ。そう、写真の背景はほぼ青空だ。実際は結構、映っていない範囲に雲が多くて、今では白がだいぶ攻勢を強めている。
ブレもないし一応綺麗に撮れたようだと確認すると、それぞれ写真を鞄に仕舞い、ベンチに座り今後のルートを決める。現在、正午を過ぎたころ。
調べてみると、次のバスの出発は午後二時過ぎか。もうちょっと先まで考えて時間配分をするんだった。ちょっと後悔しながら、わたしはルートを探すため見ていたWITTの画面から顔を上げた。
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