第16話 境界を超えて(5)
納得しかけて、わたしはとなりを見下ろす。勝手に大人たちでそういうことにしているけれど、一番重要なのは本人の意思だ。
「アリサちゃん、それでいい? しばらくここで暮らすことになるけれど」
問いかけると、彼女は見上げる。その顔には別に嫌そうな表情はない。
「後から一緒に行けるんでしょう? なら、大丈夫」
ちょっと拍子抜けするくらいあっさり。別れが辛いと思ってほしいわけじゃないけれど、少しだけ残念なような。まあ、素直な子でよかった。
もしくは、大人たちの様子を見て安心しているのかもしれない。みんないい人だし、きっとここでも心穏やかに過ごせるだろう。任せて大丈夫、という安心感がある。
「できれば、アリサちゃんと合流する前にバブルヘルズをどうにかする方法を見つけて全部解決しちゃえばいいんだけどね」
そうすれば、ゆっくりのんびりと旅を楽しめそうだし。
「バブルヘルズをどこかへ消し飛ばしちゃう能力者が転がっているといいねえ」
マルフィスはあまり緊張感なく言う。
彼はそれからすぐ、旧友に呼ばれて姿を消した。
――友人がいるんだ。家族や親せき、恋人もいるかもな。
そんな考えがふと思い浮かんで、なぜか愕然としてしまった。わかっていたけれど、彼が暮らすのはもともとわたしたちとはまったく違う次元の世界。そこに彼の本来の生活がある。わたしとの旅は彼の人生の中ではほんの瞬きの間の仕事に過ぎない。
ちょっと肩を落としながら、部屋に戻る。なんで落ち込むのかはよくわからないけれど。たぶん、知らないということを想像以上に突きつけられたからか。
気を紛らわせようと、アリサちゃんといろんな話をした。外の地図や雑誌を見せて、旅で見聞きしたこと、それに能力についても。
話した印象、頭のいい子だな、という感じ。血筋もあるんだろうか。
そんな中、控えめにドアがノックされる。
「どちらさま?」
「メアリよ。良かったら、教えてほしいことがいくつかあって。邪魔じゃなければ、でいいのだけれど」
「大丈夫ですよ。どうぞ」
ここはシェルター内とは違い、テレビ番組が見られたりラジオが聞けたりはしない。いや、ラジオは試していないし、一応WITTの通信はある程度できるみたいだけれども。
そんなわけで、暇潰しが欲しいのだ。メアリさんには世話にもなっているし。
ドアを開けると、彼女は笑顔で、そして湯気を立てるカップが三つ載ったトレイを持ってそこに立っていた。
「まずは、美味しいデザートのお礼を持ってきたわよ」
カップに用意されたのは、爽やかな香りのするお茶だった。お茶自体は淡い桜色で、ミントに似た風味のある小さな葉が浮かんでいる。
一口飲んでみると、ほっとするようなほのかな甘み。紅茶と緑茶の間のような。
お茶を口にして一息つくと、さっそく彼女は本題に入る。内容はここへきて間もなくの質問攻めの続きのようなものだ。流行りのファッション、最近のドラマや映画、ゴシップまで。
メアリさんは熱心に、時折メモを取ったり質問を挟んだりしながら話を聞いている。
「しつこくてごめんなさいね。できるだけたくさんの正確な情報を流したいものだから。楽しみにしている人たちもいるし」
そう、シェルター外の居住区や研究所はここだけではないのだった。
「ここ以外の研究所などにも知らせるんですね?」
そう尋ねると、相手は満面の笑みでうなずいた。
「ここから一番近い研究所が一番大きなところでもあるんだけど、そこにはFMラジオ局もあるのよ。だから、シェルター内の情報なんかもそこに知らせればみんなに届くの」
はあ、ラジオもあるのか。それは予想外だった。
たぶんネット通信で情報の拡散なんかはできるんだろうけれど、やはり暇潰しは必要なんだろう。それに、ラジオはテレビやインターネットと違い、何かをしながら聞くのに向いていると聞いたことがある。それも一因で今も生き残っているのだろうし。
「普段は天気予報や研究や各居住区に関わること、それにシェルター内のことも簡単なニュースくらいなら流れるんだけどね。内部の日常的な話題や娯楽の話はあまり放送に乗らないものだから」
「なるほど……じゃあ、知ってる限りのことを話しましょう」
正直話題が散漫過ぎて何を話せばいいか考えこむことが多かったが、ラジオ放送と聞いて思いついた。旅行情報や旅番組というジャンルもあるのだ。旅で経験したことだってそのうちに入るはず。
わたしは旅日記を見ながら、かいつまんで旅の先々で見聞きしたものを話した。それをメアリさんだけでなく、アリサちゃんも楽しそうに聞いてくれる。自分が思い出を記録するためと思っていたけれど、これも役に立つことがあるものだ。
そうやって話していると、気がつけば結構な時間になっていた。
「そろそろお開きかしら」
壁掛け時計を見て、メアリさんもそう口にする。そろそろ夕食の時間も迫っていた。わたしたちは平気だとしても、まだ成長期真っただ中のアリサちゃんにはしっかり栄養を取ってもらわなくては。
「そろそろ帰るわね。睡眠不足はお肌の大敵だし……それにしても、藍さん、いきなり同行者ができて大変だったんじゃない?」
そりゃまあ、一人旅のつもりだったから、という思い入れで、
「最初は戸惑いましたよ。一人での長旅も初めてなのに、二人旅も初めてくらいですからね。それも初対面の相手だし」
そんな、一般的な内容の返事をする。
しかし、どうやらそういう意味ではなかったらしい。
「それももちろんでしょうけど、マルフィスはこの研究所にいる幽星人の中で一番複雑そうに見えるから」
あくまで主観だけどね、と付け加える。
幽星人、とマルフィスの故郷の者たちは呼ばれているのか、とぼんやりと思う一方、気になるのはマルフィスが複雑だということ。いったいどういう意味なのか。
「それは、好みが複雑とかいうわけではないですよね……?」
自分で言っていても思うが、いや、違う。彼は食べ物の好き嫌いもないし、特に面倒くさい趣向はなかったはず。
「そうじゃなくて、性格が。ほかの幽星人はもっと冷静で大人びている印象だし」
充分落ち着いていると思うのだけれど……と、リエスタさんの存在を思い出してみる。あのリエスタさんと比較すれば、落ち着きがないと言えなくもない。
すごく長命な種族らしいし、長年色々なものを見聞きして、もうすっかり性格が落ち着いている人ばかりというのが普通なのだろうか。
「特に面倒くさいと思う性格でもなさそうですけれど」
「そうね。ジョルジは面白いって言っていたわ。彼によるとマルフィスは好奇心が強くて、子どもと大人の中間にいるような性格だとか」
わかるようなわからないような。
「まあ、悪くは思われていないなら、それでいいんじゃないですか」
「そうね。地球の女の子たちには彼、人気よ。あなたに嫉妬している人もいるかもしれないわね」
「へえ……」
ここに来てから特にそんな気配は感じなかったけれども。それとも、わたしが気づいていないだけだろうか?
夕食にやっとマルフィスと顔を合わせることになるが、結局彼と話すことはなかった。周りに若い女性らの姿はあるものの、別に彼女たちがガードしてたとか独占しようとしていたとかいうこともなく、主にジョルジさんや気心の知れた男性陣と話しているばかりで、わたしはもちろん女性の入る隙間はなかったのである。
朝食は、簡単なサンドイッチにコーヒーとプリン、スクランブルエッグというメニューだった。サンドイッチにはわたしが買ってきたスモークチキンとアリサちゃんの提供してくれた缶詰のシーチキンが使われ、プリンもマルフィスのお土産だ。
食事を終えると、早々にアリサちゃんと別れることになる。
「アリサちゃんをよろしくお願いします」
すっかり保護者気分で頭を下げる。
見送りに出てくれた所長やメアリさんら数人の職員らが口々に、大丈夫、任せてほしい。と言ってくれた。
そして、ジェルジさんが少し意地悪そうな笑みを浮かべて口を開いた。
「こちらこそ、マルフィスをよろしく頼むよ。こいつは世間知らずだし、ちょっと警戒心が薄いところがあるからね」
「いや、そんなことないから。研究室にこもってるジョルジの方がよっぽど世間を経験してないじゃないか」
心外だ、という様子で頬を膨れさせて反論する様子に、思わず周りの人々も笑みをこぼす。
「まあ、こちらは大丈夫だよ。昨日のような騒動はあったが、巡回も増やしてもらえるようだし、何かあれば警備員が飛んでくるからね」
所長さんが言うよに、近くに見えていた建物に警備員たちが詰めており、監視カメラの映像に何かあればすぐに警備員が飛んでくるようになっているという。
ここからは見えないが、軍隊の基地や小さな病院も存在するという。シェルター外にも、やはり人が社会生活を営むのに必要な施設は残されているんだな。
とはいえ、シェルター内と違いここは空気が良くない。働いているものは研究所と同じく、外界人が中心で一部は能力者もいるという。病院では〈再生〉の特殊能力を持つ保菌者が重宝されているとか。
ともかく、病院もあるとなれば安心だ。
「アリサちゃん、またあとでね」
「うん……藍姉ちゃんも、マルフィスさんも、それまで元気で」
別れのこの瞬間ともなると、さすがに少し寂しそうだ。でも、長くても一週間後にはまた会える予定になっている。
手を振って別れ、わたしとマルフィスは来たときと同様、リエスタさんの案内で飛行機に乗り込み、空へ舞った。あとは、来たときの逆を辿るだけである。
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