第15話 境界を超えて(4)
当たり前だが風呂を出てすぐに研究室へ、とはならず、自由に使っていいという部屋へ案内してくれた。二階にあるその部屋は広くはないが一晩過ごすには充分。ベッドは二階建てで、わたしとアリサちゃんが快適かつプライバシーを保護され過ごせる空間もある。
荷物をベッドに置き、階段を下りロビーに戻る。
さて、研究はどこまで進んでいるのだろう。次のバブルヘルズは着々とこの惑星に迫っているのだから、本当はのんびりしている時間はないのだ。
実は昼食を食べている間に、研究内容やバブルヘルについての話もいくらか聞こえてきていた。とある研究では、バブルヘルを破壊するのではなく位置をずらすことを目的にしているとか。それと、成果が芳しくなければシェルターの外からミサイルを射ちあげて爆発を起こすことも手段の一つに加えられているという。
マルフィスとその友人のジェルジさんと合流し、まずは、ジェルジさんが所属する研究室を案内してくれるようだ。
「研究は四種類ある。まずはバブルヘルそのものの解析。そしてバブルヘルの破壊。バブルヘルズからの防御。わたしがいるのはバブルヘルの移動だ」
洩れ聞こえていた、バブルヘルのルートをずらすことで回避しようというのが、ここの研究室の役目らしい。
バブルヘルズ、ということばにはバブルヘルとは違う意味がある。前回はバブルヘルは単体ではなく、三つ大きさの違うものが並んで地球をかすめた。今回のバブルヘルズも少なくとも奥にもうひとつ重なったように襲来してきているように見えるという。
だから、ルートを変えるならバブルヘル単体ではなくすべて変えなければならない。先頭をどうにかすれば他もその影響を受ける、という話が食事中に聞こえていた。
研究室の中は、どこも似たような光景だ。並ぶ机、端末、資料や本でいっぱいの本棚、何かの実験装置、立体映像投射装置。
そこでバブルヘルの細かい構造などの話も聞いたのだけれど、正直、専門用語や難しい計算が多く半分も理解できた気はしない。
ただ、バブルヘルについては七割くらいは解析できているが情報が足りず、探査機を飛ばす必要があるが今回の襲来前に飛ばして解析するのは難しいだろう、でも今後のためにはなるかもしれない、というのは覚えている。
マルフィスの種族はバブルヘルと一緒にとぶことはできるが、その状態だと解析機器を持てないので一緒に飛ぶだけになるらしい。
「僕の本来の身体はバブルヘルの影響を受けないけど、こちらからも物理的な影響は与えられないからね」
物理的な影響は与えられないが、精神的な影響は与えられるということなのか。ますます幽霊っぽいな。
「優れた宇宙船を持つ種族はいないの?」
「それはいるけれど、危険が伴うし必要な機材を乗せるのに時間がかかる。何しろ規格がバラバラで……無人の専用探査機があればいいんだけどね」
ジェルジさんは、地球の政府はあまりバブルヘルに何かをするのに肯定的ではない、と付け加えた。何かの拍子にバブルヘルがより危険なことにでもなったら、誰も責任を取れないということかもしれない。
手を出したくないなら、研究目的の〈バブルヘルズからの防御〉に期待をするところだけれども。
そこが最後の研究室だ。
今までいた研究室を出ようと、ジェルジさんがドアノブに手をのばしたとき。
甲高い悲鳴がドアの外から響いた。
「なに……?」
忙しく研究に没頭していた研究員たちすら、思わず動きを止める。
ジェルジさんがドアを勢いよく開け、わたしたちは転がり出るように外へ飛び出す。
すると、白い煙で視界がぼやけている。特に玄関方面が白く染まっていた。以前にもあった、消火器の中身をぶちまけでもしたような粉っぽい煙だ。
さっきの悲鳴は受付の人だろうか――そう思いながら当然のように手のひらを差し出す。以前のときよりも広範囲だが、空気の塊を何発か撃ち込んでやればいい。
ぶわっ、ぶわっと空気が煙を吹き散らし、そこに隠されていた姿が見えてくる。
ああ、と納得がいった。
終末教の信者だ。見覚えのある黒尽くめの姿。黒いマスクにコートに頭巾の男が、両腕に瓶を抱えていた。四本ものビール瓶……もしや、火炎瓶?
彼は一瞬目を見開くが、すぐに懐からライターを取り出す。
危険過ぎる。
わたしは空気を急激に吸い寄せた。少し遠いが、空気はつながっているの連鎖的に影響は及ぼせる。動作が急すぎて、キュッポン、とおかしな音が鳴ってしまったけれど。
吸い付けられて男は転びそうになり、ライターと火炎瓶を二本放してしまう。ライターは火の出ないままこちらに飛んできたが、火炎瓶の一本は転がり、一本が床に砕けて中身が飛び出してしまった。
ライターは空気のクッションに当たってこの手に収まる。しかし、相手が持っている火種がライターひとつだけとは限らない。どう相手の動きを止めるか。
と思っていると、出入口の方から二人の青い制服姿が黒尽くめに駆け寄り跳びかかるようにして押さえつけた。さすがに大の男二人にのしかかられては、自分の命も顧みない終末教の信者も手も足も出ない。
どうにかこの状況も収束するようだ。まさか仲間が外にいて、なんてことはあるまい……ないよね?
ちょっと心配になって窓の外を見たくなり、歩き出そうとして、周囲の視線に気がつく。
さすがに、ここで能力者を忌み嫌うものはいないはず。だからこそ、気兼ねなく能力を使ったのだし。
「かっこいい……」
そばから、そんな少女の声がした。
視線を向けると、あこがれの目で見上げるアリサちゃん。
「アイ姉ちゃん、凄い。能力を使いこなしてる。あたしもお姉ちゃんみたいになりたい」
そのことばに、わたしは今まで経験したことのない感情を覚えた。
嬉しい? 嬉しいのは違いないけれど。優越感? とは、ちょっと違うけれど。とにかく、誰かの憧れの対象になるなんて、初めてなのだ。
少し頬が熱くなる。あまりにやけてないといいが。
「練習すれば、アリサちゃんはわたしより凄いことができるようになると思うよ」
そう、彼女の能力もかなり応用が利く能力だ。つい今の騒ぎだって、彼女がその気になれば終末教信者の手からライターを自分の手に瞬間移動させたり、火炎瓶を同じように移動させたりもできる。相手を無力化しようと思えば、服を奪ったり足もとのタイルを奪ったりもできるんじゃないかな。
「いや、本当に凄い能力だよ。話には聞いていたけれど、特殊能力というものはこれほど強力なのか」
そう口を開いたのはジェルジさん。
「黒神さんの研究資料に、特殊能力を使ったバブルヘルズ対処法についての研究内容が書かれていることもうなずける。その能力でバブルヘルを押しやることはできそうですか?」
それができれば、どんなに楽か。でもわたしの力はそこまで万能ではない。
「いえ、残念ながら、わたしが圧力を直接操れるのは直径一メートルの立方体程度だけなんです。影響は空気がある範囲なら遠くまで届きますが、それもあくまで空気のある範囲にしか作用しませんし」
「そうか。空気はどうにかできるかもしれないけれど、一メートル四方じゃ難しいか。バブルヘルガ膜のある存在なら良かったのだけれど」
バブルヘルに膜があれば、そこに一メートル四方でも穴を空ければ大きく進路をずらせたかもしれない。しかし、膜のないバブルヘルをどうにかするにはやはり一メートル四方では足りないらしい。
「でも、アリサちゃんの能力は見込みがあるかもしれませんね」
と、我ながらいいアイデアだと思いながら言ってみたのだけれど。
アリサちゃんの能力は黒神さんの研究資料にも書かれており、それによるとどうやら、肉眼で見ているものでなければ移動できないようだ、とジェルジさんが言った。
そうなのか、肉眼でなくとも移動可能ならバブルヘルズを映像で見て進路を変えることもできたかもしれないが。
最終手段を考えると、アリサちゃんに宇宙に行ってもらうか、肉眼で見えるくらい近づいたときに……は、移動しても避けられなそうか。
「ただ、能力を組み合わせればどうにかなりそうだ、という記述もあるね」
「藍とアリサの能力を組み合わせてみれば、ってこと?」
「それだけじゃ足りないかな。シェルター内には、色々な能力者がいるんだろう?」
そう、わたしのまだ知らない能力の持ち主がシェルター内にはたくさんいる。でも、どんな能力が存在するのかは……いや、それも政府が把握しているはずだ。革命者の能力、登録済みの保菌者の能力。
研究所から情報を要請すれば、さすがに政府も協力してくれるだろう。それがバブルヘルズに有効な手段になり得るのだから。
「確かにやってみる価値はある。早速所長に掛け合ってみよう」
と、ジェルジさんは軽い足取りで去っていく。
まだ玄関前はバタバタしていて掃除すら始まらず、周囲は張り詰めた空気に包まれているが、彼の白衣の背中の周りだけは花でも咲いているかのようだ。
シェルター内でもそうだったように、終末教の信者は黒いスーツ姿の男たちに確保されてどこかへ連れていかれる。対終末教の処理はしっかりマニュアルでもあるらしい。
散り散りになった白い粉はできるだけ掃除され、とりあえず、ロビーは最初に見たときと同じ姿を取り戻した。
そのあと、わたしとアリサちゃんとマルフィス、手近にいた人たちで三時のおやつを楽しんだ。シェルター内で買ってきたいちご大福、一口大のチョコレートケーキ、ミルクの風味豊かなバウムクーヘンの三種類を用意した。これはそれぞれ十数個しか用意できなかったので、もともと、たまたまその場に居合わせたような人に分けようと思っていた。
「いやあ、ごちそうだわ。ちょっと脂肪が気になるけれど」
メアリさんも甘い物は嫌いではなかったようで、笑顔でデザートを楽しんでいた。
「このバウムクーヘンも美味しいね。全然、チョコやあんこに負けてないよ」
料理係の人に入れてもらった紅茶のカップを片手に、マルフィスも変わらずデザートを楽しんでいた。
「マルフィスはシェルター内で味わえるじゃないか」
「僕の舌と胃は今、甘い物を欲しているんだよ」
「自分で買った物を食べればいいんじゃないの」
「僕のは僕が食べるだけだから」
本当に、彼は食に対して貪欲だ。それにしても、実際はそんなことはないのにずい分久々に会話した気がする。
アリサちゃんは、と様子が気になって横目でチラチラと見ていたのだけれど、彼女は目の前に三種類のデザートが置かれると信じられない様子で目を輝かせ、一口ずつそれぞれを食べるという周回を繰り返しては紅茶の香りと味も楽しんでいた。
おやつを終えると、わたしたちはジェルジさんに呼ばれた。そこで伝えられたことによると、四人の能力者が対バブルヘルに有効かもしれない能力者として挙がっていた。
一人は、〈影響力〉を操る能力者。例えばわたしの空気の圧力を操る範囲や圧力を何倍にもすることができるかもしれないという。
二人目は、〈反射〉の能力者。向かってくる力を反対方向に跳ね返すことができるという、バブルヘル防御に向いた力に思える。ただ、どれだけの力まで跳ね返せるかなどのデータはないという。
三人目は〈消滅〉の力。意志のない無生物にしか作用しない。これも、どれほどの大きさまで消滅できるのかまでは不明。
四人目は〈凍結〉の力で、かなり大きなものまで凍結できるらしいが、氷に包まれたものがどうなるかは検証が必要らしい。バブルヘルを凍結してもそのまま落ちてきたら意味がないかもしれないし。大気圏突入時にいくらかは溶けるだろうけれど。
「各地の政府に能力者を呼び出してもらって、とりあえず、詳細な能力のデータを採って送ってもらうことになったよ。ただ、どれも決定打になるかは微妙かな」
「登録されていない能力者で、いい能力を持っている人が見つかるといいんだけれどな」
マルフィスが願望を述べる。決して非現実的なことではないけれど、存在していても見つけるのは困難だろうな。登録していない人は、理由があって能力を隠しているわけで。
「向こうに戻ったら、探してみてくれ。難しいだろうけれどな」
困難なのはわかっていながら、ジェルジさんはそう言い残して研究室に戻っていった。
とりあえず、今夜はここに泊まり明日の朝出発することになっている。あまり長居していては邪魔になるかもしれないし。
わたしとマルフィスはそれでいいかもしれないが、アリサちゃんはどうなるんだろうか。
「能力についてもう少しデータを採りたいらしいけれど、アリサは藍について行きたいみたいだね」
マルフィスのことばに、アリサちゃんは、うん、と強くうなずいた。
でも、連れて行って大丈夫なんだろうか。もともと彼女が黒神さんとともにシェルターの外で暮らすことになった原因も原因だし、このご時世、保菌者であることでさらに辛い目に遭いかねない。
ああ、でも、シェルター内には彼女の母親もいるのだった。もしかしたら、母親に会いたいというのもあるのかな。
わたしの顔色を読んだのか、マルフィスは少し表情を曇らせる。
「少し心配だね。外界人と保菌者が一緒に旅をしているのが何かの拍子に広がったら、かなりの悪意を向けられかねない。できるだけ安全な状態で後から合流した方がいいかもしれない」
「後から合流も可能なんだね?」
「ああ、リエスタに頼めばいいよ。充分なデータを取って、こちらが安全な状況だと確認出来たら合流すればいい」
完全に安全な状況、というのはバブルヘルをどうにかやり過ごせなければないかもしれないけれど。いや、バブルヘルの脅威が過ぎ去った後でも、保菌者にとって完全に安全というのはないかもしれない。
それでも、人の少ない田舎なら安全性は高いかな。そう思えば、北海道の旅はおあつらえ向きだ。
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