第14話 境界を超えて(3)

 玄関を抜けてすぐ、横に受付窓。正面には広い玄関ホール。

「ああ、お帰りなさい! それに、研究所へようこそ。あら、でも予定より一人多いみたいだけど」

 受付窓から、恰幅のいい赤毛の女性が笑顔を見せた。

「黒神アリサちゃんだよ。黒神さんの娘さん」

 マルフィスが紹介すると、少女はペコリと頭を下げた。

「あら、可愛い。ちょっと待ってね、今みんなを呼び出すから」

 言い残して受付窓の向こうに去っていく。とはいえ、すぐそこに背中が見える程度だ。そこにマイクがあるのも見えた。

 間もなく館内に声が響く。

『お手すきの皆さまはロビーにお集まりください。お客さまがおいでです』

 それを聞いた人たちが姿を見せ始める。研究員らしい白衣姿が多い。

 ――こうやって改めて紹介されると、ちょっと恥ずかしいな。

 というのは初対面のわたしの感想で、マルフィスは出てくる顔を見ると「あ、久しぶり」や「レイヴン、元気そうじゃないか。安心したよ」などと親しげに声をかけていた。

 わたしとアリサちゃんは簡単に自己紹介し、それをマルフィスやリエスタさんが補足する。なぜ、わたしたちがここに来ることになったのかを。

 対して、何人か要職にある者がリエスタさんに紹介された。ここの所長のバターソンさん、研究者として名高いというクワルさんにアランダさん、マルフィスの友人の一人だというジェルジさん。

 研究者たちは、やはり黒神さんの研究資料に釘付けだった。資料はとりあえず、彼らに預けられることになる。

「いや、でも仕事は一旦後回しにしてください。まずは昼食でしょう。客人を出迎えるのにもそれは重要ですよ」

 喜び勇んで研究室に取って返しそうな白衣姿たちを、リエスタさんが呼び止める。周囲の人々の一部は、最初から研究資料よりもわたしの紙袋から覗くものに興味を抱いていた様子だけど。

「ほら、素敵なお土産もたくさん買ってきてくださっていますから」

 素敵かどうかは不明だが、お土産の食料がたくさんあるのは確かだ。

 ざっと見たところ、人数は三〇人と少しくらいか。想定内だが、味の好みに合うのかどうかが心配だ。見た目はほぼ地球人ばかりに見えても、ここにはマルフィスのような異星人もいるはず。

 マルフィスと同じ基準なら、たぶん大丈夫だと思うのだけども。

「すぐに昼食をご用意しますね」

 食事担当らしいエプロン姿の男性に、土産物の紙袋ごと預けて任せることにする。彼は嬉々として、厨房があるらしいドアの向こうに消えていった。

 その間にわたしたちは質問責めにあった。能力に関する質問が主だが、文化や社会について気にしている者もいるらしい。社会情勢や流行の音楽や映画、、それにファッションについてなんかも。

 そう言えば、男性陣は白衣や制服、スーツなど地味な服装が多いが、女性たちは結構、お洒落な格好をしている。ここにも流行の服なんかはあるんだろうか。

 質問攻勢が一段落したあたりで、奥から出てきたエプロン姿がテーブルを移動し始め、それを一部が手伝い始める。最初はわけもわからずわたしも手を貸すが、どうやら昼食の時間が近いようだ。

 このロビーは吹き抜けになっていて、奥に階段や二階と三階の通路も見える。受付近くからはテーブルやソファーがたくさんあり、ほかに灯の入っていない大きなモニターや掲示板、造花らしい飾り付けのある棚、それに、メダカに似た赤と青の小魚の泳ぐ水槽も置かれていた。たぶん、シェルター内の一般的な天文台とそれほどかけ離れていない雰囲気。

 テーブルとソファーが整えられ、向かい合って食べるような形に席が置かれると、奥に厨房のあるらしいドアが開いて料理や食器が運ばれてくる。

 料理には、わたしやマルフィスの買い込んだ海鮮スープの素や魚介の燻製、一口チーズスフレも利用されていた。

 メニューは海藻と小魚と小海老の入った海鮮スープ、葉物野菜と根野菜のベーコン巻き、鶏肉とコーン入りチーズリゾット、それにミルクと角砂糖つきのコーヒーとデザートのスフレ。

「さあ、皆さん、席にお座りになってお召し上がりください」

 料理人らしいエプロン姿の男性が大声で言う。もちろん、ここでいただかない手はない。

 みんな思い思いの場所に座り食べ始める。中には祈りを捧げてから食べる人や印を組むようにしてから食べる人もいる。ここには色々な人種や宗教の人が集まっているようだ。

 わたしたちは普通に日本式で。

「いただきます」

 わたしは普通にスプーンを手にするが、ふととなりを見ると、アリサちゃんは何か信じられないものを見るような目で自分の前に置かれた料理を眺め、慌ててスプーンを取ろうとして一度取り損ねながらも握りしめ、どこかぎこちない動きでリゾットをすくう。

 ――彼女にとっては、こんなまともな食事は少なくとも一年以上ぶりかもしれない。

 そう思うと、わたしなんかは物凄く恵まれているんだなあ。べつにこの生い立ちで自分が不幸だと思ったことはないけれど、毎日美味しいご飯から食いっぱぐれないなんて、どれだけ幸せなことか。

 今さらそんな風に実感しながら、少女とほぼ同時にチーズリゾットを口に運ぶ。

 コンソメ風味の味がミルクか何かでまろやかになっていて、チーズと味の染みた鶏肉とよく合う。主食だからかそれほど主張のない味だけれど美味しい。海鮮スープは魚貝の旨味が出ているし、日本人には馴染み深い。野菜のベーコン巻きはブロッコリーに似た茎を食べる野菜を葉野菜で巻き、それをベーコンで巻いたもので丁度いい塩気。

 コーヒーは食事に限らず、研究には欠かせないという。それぞれのお好みでミルクや角砂糖を加えてもらう形式だ。そのコーヒーとチーズスフレの甘みも合っていた。アリサちゃんはミルクと角砂糖が足りず、使わない人のをわたしがもらって渡した。

「いやあ、このスープ美味しかったね」

「久々にゆっくりご飯を食べたよ。たまにはのんびり味わうのもいいもんだね」

「このチーズスフレ、凄く美味しいわ。わたしもたまには、シェルターの中に買い物に行かなくっちゃ」

 そんな声が聞こえてくると、少し嬉しくなる。

 しかし、それ以上にとなりの様子を見ている方が幸せな気持ちになった。アリサちゃんは一口一口を噛みしめ、噛みしめるごとに感動しているような様子である。ほかの料理を食べ終えてチーズスフレを一口食べたときなど、それが無くなってしまうのが惜しいかのようにゆっくりじっくり食べる。

 そのころになるともう、周囲は食べ終えて席を立つ者が多いのだけれど、わたしとマルフィス、それに彼と談笑しているその友人たちの一角だけは残っている。わたしもコーヒーをじっくり味わいながら耳をそばだてていた。

 ――マルフィスは今はすっかり友人たちとの話しに夢中だなあ。なぜか少し寂しい。彼とは会ってまだ一週間程度、友人と言えるレベルの関係になっているかどうかも怪しいのだが。

 そうこうしているうちに、アリサちゃんの目の前にあるチーズスフレは一口大になった。少女はそれを凝視して長いこと固まっている。

 わたしは笑いをかみ殺し、彼女の耳にささやく。

「大丈夫だよ、そのスフレもまた買えるし。それに、ほかにも美味しい物はたくさんあるからね。食べても永遠の別れにはならないよ」

 この先彼女がどうなるのかはわからないが、たとえここで暮らすことになってもシェルター内に入って買い物をすることもできるらしいし、あのお土産屋さんで同じ物を購入することくらい可能だろう。

 わたしのことばに背中を押されたか、彼女は最後の一口を口に入れ、じっくり時間をかけて噛みしめて飲み下した。

「ごちそうさまでした」

「美味しかった?」

 答はわかりきっていたけれど、そう問うてみる。

「うん、とっても!」

 そう力強く言ってうなずく彼女の顔は、年相応の子どもらしい笑顔。

 出会ってから今、初めてその表情を見た。笑っていると本当に可愛らしい少女だ。

「それは良かった」

 食器を下げに来た料理係の人も、嬉しそうに破顔した。

 それを見て、わたしはひとつ思いつく。

「そう言えば、ここにもシャワーかお風呂はありますか?」

「ああ、どちらもあるよ。さすがに入浴施設並みとはいかないけれどね。必要ならお風呂を沸かしておくよ」

 そりゃあ、普通は天文台に来客用お風呂はないだろうし。研究員用に仮設したものかもしれない。

「お願いします。まずはアリサちゃんとお風呂に入って綺麗にして、三時になったらおやつを食べよう」

 彼女の服はその間に洗濯しておいてもらうか、わたしの服をどうにかして着れるようにして着てもらうしかないかな、と思っていたのだけれど。

「それなら、わたしが服を用意しておくわね」

 そう声を上げたのは、流行のファッションについて質問していた女性だった。淡い黄色のワンピースに首にはスカーフ、長い金髪を高い位置で束ねたお洒落な姿だ。確か、館内管理担当のメアリさんという名前。

「何か月かに一回、シェルター内に古着を買い集めに行くのだけど、その中に同じくらいのサイズのものもあったはず」

 なぜ古着を買うかというと、それを仕立て直して新しいデザインの服やバッグなどを作るのが趣味だという。ここに子どもはいないようだから期待していなかっただけに、これはありがたい。

「それがいいだろうね」

 向かいでマルフィスは、一応こちらの話を聞いていたらしい。

「研究について説明してもらおうと思っていたけれど、アリサの健康の方が大事だし、すっかり綺麗になってから研究室を覗くことにしよう」

 そうだった、ちょっと忘れかけていたけれど、ここにはバブルヘル対策がどれだけ進んでいるかを知りたいというので来たのだった。

 しかしまあ、結果オーライということで。

「それでいいかな?」

 確認すると、アリサちゃんも大きくうなずいた。

 それから食器を集めテーブルを戻すのを少し手伝っているうちに、風呂の湯が沸いたと知らされる。もちろん、温泉や大衆浴場のように男湯女湯と分かれているはずもなく、普段は時間で分けているらしい。

 ただ、湯につかる文化のある者はそれほど多くないと、案内してくれたエプロン姿の女性が教えてくれた。そういう文化のある者でも、研究員は時間が惜しく、シャワーで済ませる者も多いとか。

 シャワーを浴びる習慣のある者はまだいい方で、何日も不潔なまま過ごしているのを女性たちが引きずってシャワー室に放り込むこともあるんだ、と案内人は笑っていた。

 アリサちゃんの服は用意しておくとのことで、小さな更衣室で服を脱ぎ風呂に入る。個人の家の風呂の二、三倍くらいの大きさだ。お金持ちの家にはこれくらいありそうだけれど、それでも三、四人が一緒に入れそうな湯舟や洗い場の大きさがある。

 アリサちゃんの髪を洗ってやり、石鹸を泡立てて身体を洗い、すっかり綺麗になると湯舟に浸かる。湯加減も丁度いい。

 芯から温まってきて心地よくなると、少し落ち着いてこの状況を考える余裕ができる。

 ――シェルター外も思ったより、普通だな。

 それが素直な感想。

 マルフィスは本来肉体を持たない種族と知って、わたしが勝手に、もっと異質な姿や文化を目にする想像をしていただけなのだろうけれど。しかし、こうして地球上に物質として存在する場所で暮らして研究しているのだから、地球人と同じような身体を持って生活を営んでいて当然なのに。

 結局のところ、地球上にある時点でシェルターの中も外もあまり変わりないのだった。

 風呂を出るころには、わたしもアリサちゃんもすっかり汗と垢を落として綺麗になった。自分の服はいつものワンピースを用意していたけれど、気になってとなりの籠を覗く。

 すると、洗濯して乾かされた下着のほかに、三組の服があった。この中から好きなものを選べということらしい。

 一組目、派手過ぎない柄物の青い長袖と白いロングスカート、白い靴下。ちょっとクールな感じ。

 二組目、淡い黄色と白の花柄のワンピースに、長めの横縞靴下。靴下は白と淡い空色の縞模様で、そんなにくどくない印象。

 三組目、襟や袖に白いフリルのついたピンクのパーカーに薄い青のジーパン、白い靴下。動きやすいけれどスポーティーというより可愛らしい。

 さて、どれを選ぶか。

「好きなのを着ていいみたいだよ」

 彼女も棄てられた街の家から何着か服を持ってきていたけれど、正直、だいぶ古さが見て取れる。好きな服を選ぶような経験もあまりないらしく、少女は少し戸惑っていた。

 だがやがて、とある一組を手に取る。花柄ワンピースだ。けっこう明るめの色が好みなのかもしれない。

 それにしても、ほかの服もなかなか似合いそうじゃないか。シェルター内で買い物できればもっといい物も見つかるかもしれないが、とりあえず選ばれなかったほかの二組も確保したいところだ。きっと、メアリさんに頼めば譲ってくれるだろう。

 着替えてドライヤーで髪を乾かし、ロビーへと戻る。わたしが持つまでもなく、アリサちゃんが大事そうに残り二組の服を抱えていった。

 ロビーにはメアリさんがいて、服の件をもちろん、と譲ってくれる。アリサちゃんはペコリと頭を下げて礼を言っていた。

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