第9話 災害、再来(4)
旅館に泊まった翌日もまだ雨は降り続いていた。ただしあまり強い降り方ではなく、しとしとと静かに降る雨だ。鉄道も今日から復旧作業が始まるらしい。
朝食を食べ、また無人タクシーのページを見るが今は出払っているらしい。昨日の夜に一度は復活したらしいが、見たタイミングが悪かったか。
チェックアウト時間には一時間以上ある。ただ、列車の時間がある以上、あまり遅くなり過ぎるのもまずいが。
ロビーのソファーに座って少し待っていると、スーツの男五人に囲まれた上品そうなお婆さんが通りかかった。
「あら……あなたたち、待ちぼうけなの?」
お婆さんは優しい声で話しかけてくる。
特段派手ではないが、首にかけたシンプルなネックレスも手にした白い革のバッグも、どことなく高級そう。それ以上に、周りの男たちの異様さが目を引くが。きっちりしたスーツにサングラスの体格のいい男たち。
その男たちの一人が口を開く。
「奥さま、席も空いていますし、近くの市街地までなら送れますので、同乗を進められてはいかがでしょうか」
「あら、それはいい考えね。あなたたち、わたしが呼んだタクシーに一緒にどう?」
渡りに船だ――と思ったのだが。
どうやら男たちは乗る席が決まっているらしく、わたしはマルフィスと二台のタクシーに分かれて乗らなくてはいけないと聞いて迷った。もし、何かの拍子に離れ離れになったら? 同乗者が外界人嫌いだったら?
「少しの間だし、大丈夫だろう」
マルフィスは楽観的に言うが、男たちが怪しげに見えて心配なのだ。第六感かもしれない。
しかし反対までする材料もなく、一台目に運転手とお婆さんと男二人にわたし、二台目に運転手とマルフィスと男三人が乗る。わたしは助手席を勧められてそこに乗った。乗ってから振り返ると、二枚のガラス越しに見えるマルフィスは後部座席の端に座ったようだ。
タクシーは小雨の中、旅館の前から走り出す。バックミラーを見ると、二台目も後ろについてくる。
「ごめんなさいね、お嬢さん」
「いいえ、わたしたちとしては助かります」
お婆さんのことばにそう返すが、バックミラーに映るその表情が酷く悲しげで驚いた。てっきり、マルフィスと分かれたことか窮屈なのを謝っているのか、と思ったのだけれど。
「わたしみたいないつ死んでもいいような老人にも、何か人の役に立てることがあるといいんだけどね……」
とても裕福そうで何不自由なく暮らしているように見えたのだけれど、そんなお婆さんにも重大な悩みか何かがありそうだ。
タクシーは大きな道路から、少し狭い道に入る。道の両脇にはススキが高く群生し、あまり視界は良くない。
やがてガサガサと前方脇のススキがざわめく。
――獣か?
運転手が急ブレーキをかける。その直後、ススキの間から握り拳大の銀色の球体が転がり出てきた。
後続のタクシーも止まる。球体は動かず、一分くらい経っても変化はない。
「様子を見てきます」
男のうちの一人がドアを開けて降りる。ドアは開けたまま、油断なく球体を凝視しながら近づいていく。片手はジャケットのポケットに入れたまま。
球体の一歩前まで接近すると、男は屈み込もうと膝を折りかけ――
ブシュッ!
白い煙が球体の四方から噴き出し、周囲を白く染めあげる。煙幕か。
「バックだ、さがれ!」
男の一人が後ろのタクシーに叫ぶが、視界が奪われ、届いたのかもわからない。
となりの席の運転手はどうすればいいか迷うが、バックしようと手をのばす。その間にわたしは窓を開けた。特に匂いはなく、少し粉っぽい煙のようなものが漂ってくる。
窓から少しだけ手を突き出し、前方へ向けて大きな空気の塊を放出する。煙が吹き散らされ、そこにある光景があきらかになる。
手にした拳銃の銃口を向ける男。降りていったあのスーツの男だ。銃口が狙いをつけるのはおそらく、お婆さん。
車内に残っていた男が庇うようにお婆さんに覆いかぶさり、運転手がアクセルを踏む。引き金が引かれる。
ドスン、と思い銃声が空気を震わせる。
フロントガラスが小さく穴を空けるが、銃弾は標的に届くことはない。フロントガラスに接している室内の空気の圧力を操作し、分厚いコンクリートよりなお硬いくらいの層を作り出しておいたのだ。ガラスを破った瞬間に弾は砕け散っている。
しかし、放っておけば二発目が来る。だがこのときには、後続のタクシーから降りたスーツ姿がこちらの車の横を駆け抜けていく。
「お前がスパイか!」
「大人しくしろ、もう失敗なのはわかっているだろ!」
そんな怒号が飛び交い、スプレーを噴き付けられた男は痛みで顔を押さえているうちに確保された。
白い煙は徐々に吹き散らされて薄れていく。その中で振り返ると、マルフィスは少し唖然とした様子でこちらを眺めていた。
少し開けたところで車を止め、お婆さんが事情を話してくれた。
てっきりヤクザの抗争か何かかと思っていたが、そうではないらしい。お婆さんは大きな会社の元会長で、甥である今の会長に邪魔にされており、命を狙われていることも知っていたのでボディーガードを雇っていたという。
「甥を警察に差し出すというのも気が引けていたけれど、もうこうなっては仕方がないねえ。昔は素直で良い子だったのに……」
彼女は溜め息交じりに言う。
襲撃してきた男はしっかり拘束されていた。男が何をしたのかは、タクシーについているドライブレコーダーに記録されている。レコーダーに対しても姿を見せないための煙幕だったのだろう。
それが吹き散らされたのが誤算だったようだ。ちなみにお婆さんたちは煙幕が散らされたのも銃弾が砕けたのも〈何らかの偶然〉と理解している。
「警察に話を聞かれるのはちょっと……」
と、わたしは口を開く。
足止めされるのが嫌なのもあるが、能力について話さなければいけない可能性が高い。
「ああ、そうね。あなたたちに迷惑はかけないわ。このまま市街地まで送るから、そのまま好きな所へ行ってしまっていいわよ」
よかった、面倒なことにはならなそうだ。
タクシーは再び動き出す。今度はわたしとマルフィスは一緒だ。相変わらず雨は降り続けている。
「何も言われないってことは、道は通じてるんだね」
タクシーの外の景色を眺めながら、マルフィスはそう感想を洩らす。
「このまま何もなければ、今のところは、という話だけれど」
昨日より静かになっているとはいえ、降り続いているということは地上を濡らした雨の量、山や川に注いだ降雨量は増え続けているわけで、いつ土砂崩れや川の氾濫が起きてもおかしくない。
道路の車の流れは平常通りで、事故や災害の気配はない。バブルヘルズ再来の報せも、この辺りのドライバーたちにはあまり影響を与えなかったようだ。たまに川淵に土嚢を積んだり土手にブルーシートを被せるような作業員の姿を見かけたものの、タクシーの移動自体はスムーズに行えた。
それから何事もなく、無事に名寄市内に入り道路脇に降ろされる。すぐ近くにスーパーの看板が見える。便利そうな場所だ。
「ありがとうございました」
「こちらこそ、怖い思いをさせてごめんなさいね。これ、良かったら使ってちょうだい」
お婆さんがそう言って渡してくれたのは、有名レストランのフルコース無料券二枚。断る間もなくドアは閉ざされ、彼女は走りゆくタクシーの後ろから手を振ってくれた。
この辺りにはないレストランだが、何かの機会のために持っておこう。
「いやあ、びっくりしたねえ」
と、マルフィスは息を吐く。確かになかなかない体験だった。わたしは訓練で荒事のシミュレーションも何度もやって慣れてはいるが、さすがに銃火器を持ち出されるようなのは勘弁してもらいたい。
「早く日常に戻ろう。とりあえず買い物でも」
少し歩いて着いた先は名寄市内のスーパーの集まる辺りの駐車場。まだ天文台の開館時間には早く、ここで買い物と昼食を済ませてから再度移動する予定だ。
スーパーではいつものお菓子と飲み物のほかに、貼るカイロと三つ入りのクロワッサン、非常食になりそうなナッツとドライフルーツの詰め合わせやチョコレート菓子を買った。もう二度とあってほしくないけど、昨日みたいなことがあっても大丈夫なように。
マルフィスは普通のお菓子だけでなく、スーパーにやってきていたドーナツ店のドーナツが気になったらしい。どれも見た目にも綺麗で美味しそう。
「チョコのと、生クリームが入ったのと、チーズクリームのを二つずつ買ったよ」
「おやつの時間に色々楽しめそうだね」
ここのドーナツはひとつが小さめなので、三つ食べても夕食には問題ないはず。そして夕食は、稚内で遅めにとるつもりだ。
昼食はというと、近くの大型チェーンのファーストフード店で済ませることにする。
「あっちはずいぶん混んでるねー」
スーパーから駐車場を移動中、となりのホームセンターを見てマルフィスが言う。そちらに視線を向けると、駐車場もいっぱいだし、大きな買い物袋を手に車に向かう人が多い。荷物は、金庫に木材や鉄板、工具やスコップなどさまざま。
――ああ、そうか。
一見バラバラに見えたものにも意味がある。それらはどれも、自分や家族の命を、あるいは財産を守るためのものだ。万が一のために家を補強しようという人、防空壕を掘ろうという人、金庫に大事なものを補完しようという人。
逆にスーパーは人が少ない気がしていた。食料の買い溜めにはまだ早いのか。
「みんなシェルターをあまり信用していないのかな」
昔、バブルヘルが来たときも、シェルターの強度は証明されたわけではなかった。あのときには運良くすべて外れたため、シェルターの外が一部削れたくらいだ。実際に当たらなくても、放射能の濃度が高くなったりと壁の外では色々な害をもたらしはしたが。
今度もバブルヘルが外れてくれるとは限らない。シェルターにヒビひとつ入っただけでも、内側全体に大きな被害が出る。
「通用するかどうかわからないから、念のため、ってところかな」
「放射能から身を守るのは、一般人では難しいだろうけれどねえ」
確かに、それはその通りなのだけれど。
物騒な話をしながら、ファーストフード店に入る。空いてはいないけれど混んでいるとも言えない程度の様子。
わたしはチーズバーガーとポテトとジュースのセット、マルフィスはベジタブルバーガーとポテトとジュースのセットを選んだ。
「口が小さい人には向かない食べ物だね」
向かいの席で、彼は苦労してベジタブルバーガーに齧りついていた。
腹ごしらえも済んだところで、時計を見ると正午過ぎ。店を出るとそろそろ、無人タクシーを拾い天文台に向かう。
到着したときにはまだ開いていなかった。とはいえ、あと十分くらいか。
「ちょっと散歩でも……」
タクシーを見送り連れを振り向きかけたとき、わたしは空気の奇妙な感覚に気づく。空気を操るせいか、こういう周囲の空気の異変にも敏感なのだ。
反射的に身がまえる。目は異変を感じる方向へ。
「藍?」
こちらの様子に気づいたマルフィスが動きを止め、やや不安げな声を上げた。
その、背後。
脇に並ぶ木のうちの一本から、男が飛び出してくる。顔には黒いマスク、黒いコートにズボン、手には黒いバット。そのまだ若そうな男が声もなく目の前の青年の頭めがけ跳びかかる。
わたしは男が振り下ろしかけたバットに当たるよう、大きな空気の塊を弾き出した。男は押し戻される格好になり、アスファルトの上に尻もちをつく。
それだけで安心はできない。相手に突進しながら先ほどより強く空気の塊を弾く。すると、男の手からバットが飛んで回転しながらアスファルトに転がる。
バットを追いかけようと手を伸ばすその手を、空気の輪で固定する。これでその場から動くことはできない。
「あなた、何者? 外界人を襲う理由でもあるの?」
自分でも少し驚くくらいに冷たい声が出た。男は顔の大部分をマスクに覆われているが、目があきらかに怯え、泳いでいる。何かしらのプロの犯行ではないらしい。
「藍……その人、たぶん終末教の人だと思うよ」
マルフィスが男の姿を眺め、口を開く。
「終末教?」
聞いたことのない固有名詞だ。
「ここでは別の名前で活動しているかもしれないね……バブルヘルズこそ神の意志であり、滅亡が神の意志なら人類は滅べるべきだ、抵抗はやめるべき、という考え方の人たち。シェルターの外にも信者がいるんだ」
そんな教団が……まあ、あってもおかしくはないか。教義は少しも理解できないけれども。抵抗が成功するならそれが神の意志だという理解にならないものか。
「普通の警察は対応できないから、僕が通報しておくよ」
この状況、一般人には説明しにくい。わたしが能力を使って一般人の男を犯罪者に仕立て上げた、とか言われても反論が難しいし、ある程度事情を酌んでくれるようなところが対応してくれた方がありがたい。
やがて、五分もしないくらいの異様な早さで黒いスーツの男たち四人がパトカーに乗って現われた。彼らは無言のまま、ただこちらに軽く頭を下げて襲撃者を回収していく。公安警察みたいなものか?
あんまり深入りしてもいい気はしないし、詮索しないでおこう。
「ありがとう、藍。彼らがシェルター内でも積極的に活動しているとは……助かったよ。それにしても、普通なら怖気づきそうなところだけど、藍は冷静だね」
「そりゃ、訓練時代にさんざんやったからね」
能力をどう有効活用するか、も革命者の訓練の重要な部分だった。わたしの場合、対人の格闘訓練もかなり多かった。
あれはたぶん、わたしに何ができるかという、わたし自身の危険性を測る意味も兼ねていたんだろうな。
「あ、天文台が開館したみたいだよ」
わたしが冷静だと言うが、襲われた直後に笑顔でそう言える彼も相当だと思った。
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