第8話 災害、再来(3)

 自問していても仕方がない。

 列車が去って五分もすると、迎えの車が来て去っていく姿が増え始める。

「ちょっと外の様子を見てこようか」

 雨が少しだけ弱くなってきたとき、マルフィスが長居さんに買ってもらった傘を開いた。

「そうだね。何かあるかもしれないし」

 移動につながるものがなかったとしても、お店でも見つかれば幸い。

 駅舎を出て、迎えの車に乗り込む姿を横目に、道路脇に出て周囲を見渡す。

「あ、タクシーだ!」

 マルフィスがやってくる無人タクシーに気づいた。彼が手を上げると、〈空車〉のランプをつけた無人タクシーは端に車体を寄せ、ゆっくりとドアを開く。

 彼がそちらに向け、足を踏み出したとき。

 ドン。

 あまりのことに、一瞬、何が起きたのかわからなかった。

 バランスを崩し水溜まりに頭から倒れそうなマルフィスと、その手から飛んだ傘。その向こう、タクシーに向かう男の背中。

 理解が追いつく。男が背後からマルフィスを突き飛ばし、タクシーに駆け寄ったのだ。

 わたしは腕をのばし、マルフィスに手のひらを向けた。空気を急激に圧縮して相手の身体をこちらに引き寄せ、体勢を戻してやる。傘を放したことでどうしても濡れるが、水溜まりにダイブよりマシだろう。

 わたしの能力では、直接相手に触れることもなく相手を殴ることもできる。一発殴ってやろうか、と突き飛ばした男を見るが、もうタクシーに乗り込んでドアが閉まり発車するところだ。

 残念。見送りながら心の中で、とても旅日記には書けないような呪いのことばをぶつけておく。

「濡れちゃった。……きっと家族が危篤かなにかで病院に急いでいたんだ、と思っておこう」

 傘を拾い、袖で顔を拭きながら異星人は寛大なことを言う。

「あんなの、途中で事故にでも遭うのがオチさ……一旦、駅舎に戻ろう」

 事故にでも遭えばいいんだ、と一瞬言いかけたのをどうにかこらえ言い換える。

 駅舎に戻ると、もうそこに残るのは数人。待合室の椅子にも余裕で座れる。

 わたしはマルフィスに乾いたタオルハンカチを貸してやった。コートが吸った水分はともかく、髪や肌の濡れた分はだいぶ乾かせる。

 駅舎内にストーブがあるが、冬用なのか、今は点火できないように封がされていた。

「そりゃ、火事も怖いしそうなるか」

「仕方ないね……ちょっと寒いけれど」

 カイロでも持っていればマシだったんだろうが、さすがにこの時季には持ち歩かない。できることと言えば、身を寄せ合い、膝掛を毛布代わりに掛けるくらいだ。

 列車が行ってから一時間程度。それくらい経つとついに、ここにいるのはわたしたちだけになった。

「寒いな……身体があるっていうのも不便なことがあるものだ」

 手を擦り合わせ、マルフィスは少し震えていた。冷たい雨に濡れて乾ききらないままだし、寒いに決まっている。

「身体がないと、食べ物も味わえないけれどね」

 言いながら、わたしは少し彼に近づいた。頬が当たりそうなくらいに。

「ちょっと……恥ずかしい、ような気が」

「こ、こっちだって。でも仕方ないじゃないか、ほかに暖を取れるものがないんだもの」

 わたしだって、他人との距離、パーソナルスペースは広い方だ。でも、こうして彼と頬を寄せ合っているのは不思議と悪い気はしない。

 それにしても、彼にも恥ずかしいという感情があるんだな、と思うのは失礼だろうか。

「確かに、こうしていると温かいな。人肌の三六度くらいって、考えてみればなかなか高いものね」

 少し恥ずかしそうにしていたマルフィスも、〈暖かさ〉には勝てず身を寄せる。

「三六度まではさすがにないけれど、まだ気温は暖かい方だからね。今が一月とかじゃなくてよかった」

 冬に暖房のない無人駅に二人きりだったりしたら凍えてしまう。実際は、冬になったらここの暖房も点いてはいるだろうけれども、もしかしたら夜中は人がいることを想定せずに止まっているかもしれない。

 窓の外を見ているといまいち時間はわからないが、壁掛け時計を見ると、いつの間にか午後三時を過ぎている。

 小腹も空いてきたことだし、何か食べながら考えよう。鞄の中の食料はチョコレート菓子に小魚とナッツのおつまみ、それに、小さなクリームチーズのパンもある。

 マルフィスは袋入りのポテトチップスを取り出した。

「おやつを食べたら、やっぱり少し、周りを見てみる?」

「川が氾濫してここまで沈みそうだ、とかあったら嫌だね。あと、タクシーがまた通りかかるかもしれないし」

 バスが駄目ならタクシーも駄目な気はするけれど、上手い迂回路を探してくれるかもしれない。

 タクシーは呼ぶこともできるのだが、WITTで見たところ、この辺のは皆出払っているらしかった。

「少し歩くとバス停があるらしいけれど……」

 ポテトチップスとチョコレート菓子でおやつの時間を過ごした後、降り続く雨の下に出る。ここしばらくはやや小降りになっていて、少なくとも、列車に乗っていたときのような壁のような雨ではなくなっている。

 駅舎を出て木々を横目に道路を渡り、線路の行き先を見ると、川は水かさが増え、線路は一部がレールだけ宙に浮いた状態になっている。確かにあれじゃ列車の通過は無理だ。

「車通りの多い道路に出れば、タクシーを拾える可能性も増えるかな」

 左へ行けば大きめの一般道が、右に行けば国道があるらしい。国道の方が車は多そうだけれど、若干遠い。少し迷ったものの、国道を選ぶ。それほどの距離の差はないだろうという判断。

 ――雨が強くなってきてタクシーをとらえることもできずに戻るとき、帰り道が長いと嫌だな、なんて一瞬想像してしまったけれど、そんなことを考えていたら何もできない。

 水溜まりを避けながら狭い道路の歩道を歩く。国道が見えてきたところで、こちらの道路は小さな橋を渡る。その橋の下まで水面に使っていた。

「このまま降り続いたらあふれそうだね……」

「さっさとタクシーを見つけた方が良さそうだ」

 と、わたしは国道を見る。幸い、ここの道路の車の流れには今のところ大雨の影響がなさそうだ。

 雨の影響でタクシーが出払っていたのなら、その回送車が通ってもよさそうなもの。できれば無人タクシーだとありがたい。タクシーじゃなくてヒッチハイクでもいいかもしれないが、外界人嫌いが複数いる車とかなら困る。わからないで乗せた、みたいな場合、どっちも嫌な気分になるだけ。

 最終手段は、歩いて宿泊施設まで行くこと。かなり冷えるだろうし疲れるけれども、温かい宿で過ごす後のことを考えると耐えられる……かもしれない。

「なかなかいないねえ」

 北に向かって歩きながらタクシーが通りかかるのを待つが、なかなか来ない。自動車が水しぶきを上げて通過するのを注意しつつ見送るばかり。

 さすがに、無人駅で野宿というのは避けたい。いくらトラブルも旅の醍醐味と言ったって、食事も満足にない寒い中で一夜を過ごしては、病気にもなりかねない。

 歩き出して十分くらい経ち、『いっそこのまま歩いて行こうか』と切り出すべきか迷い始めたとき、一台の黒いミニバンが目の前の路肩に停止した。

 ――大丈夫かな、外界人に偏見のない人なら嬉しいけど。

 そう思いながら目をやると、開いた窓から顔を出したのは金髪のお姉さん。

「ハーイ、どこまで行くの、二人とも?」

「近くのホテルか旅館に行きたいんです。でも、その……地球人じゃない人が乗っても平気ですか?」

 後で嫌な思いをするくらいなら先に言ってしまえ。思い切ってきいてみる。

「ああ、わたしたちそんなの気にしないよ!」

 そう言って、女性は陽気に笑った。

 運転手が日本人女性一人、アメリカ人女性が三人。この四人の旅行者はもともと、この先の士別市の旅館に泊まる予定だったらしく、わたしたちも空き室を確認して宿泊を予約した。

「助かりました、本当に」

「いえいえ。ゆっくり休もうね」

 旅館のロビーで、それぞれの部屋へと別れる。ナイスバディーなお姉さんでぎゅうぎゅうのところに乗ったのは少し狭かったけれど、心から助かったのが本当のところ。

 女性旅行者たちを見送り、部屋に向かう。取った部屋はひとつ。それが最後の空き室だった。

 旅館だけに和室で、障子を開けると食卓に座布団。食卓の上にはお茶の入ったポットと湯飲みにお煎餅、テレビのリモコン。奥にもう一部屋、ふすまのある場所。寝室だろう。

 とりあえずテレビをつけて熱いお茶を飲むと、ほっと一息。

「本当に良かった。野宿にはならなくて」

 今まで何気なく泊まっていた宿泊施設のありがたみをひしひしと感じる。

「うん。僕たちは運が良い方かもしれない」

 と応じるマルフィスの目はテレビのニュースに向いている。『記録的豪雨、三〇〇〇人に影響』、『空港で二〇〇〇人足止め』、『終日運休』などのテロップが躍る。空港で寝泊まりする羽目になる人もいることを思えば、こうして温泉旅館にありつけたわたしたちはだいぶマシと言える。

 問題は明日以降の話。明日以降は晴れてくれるならいいけれど、ずっとこの調子なら困る。

「列車はしばらく動かないかもしれないし、何か考えないとなあ」

 とりあえず、今は冷えた身体を温めよう。温泉が待っている。

 いくら傘をさしていたところで、いくらかは濡れたし身体は冷えていた。雨なので窓からの景色は少し残念だったけれど、それをすっかり温泉で芯から温めることができた。

 夕食は決まった時刻に部屋に用意される形式のようだ。夕食には少し早い。

「どうしようかな明日……」

「ん……鉄道が早く復旧するといいんだけれど、どうなるかわからないし。鉄道にこだわらないで、タクシーを予約しておくのが確実かな」

 もう見慣れた浴衣姿でお煎餅を食べながらマルフィスは提案した。やっぱりそうなるか。

 わたしは今からWITTで無人タクシーの予約を入れようと、予約ページを見る。当日では空きがない可能性がある。しかし、予約が空かないのか今もまだ予約は不能だった。列車の運行情報を調べてみたところ、名寄駅まで行ければその先は鉄道で大丈夫そうだけれども。ただ、もともと列車の本数がないのが難点。

「ま、名寄には天文台があるし時間はいくらでも潰せるかな」

 声に出してつぶやくと、マルフィスは、はっとしたようにこちらを振り向く。

「天文台……? いいね、行きたい。この惑星からどんな星空が見えるか知りたい」

 ここはシェルターの中である。しかし、シェルターは外の景色を透過する。晴れていれば今も夜空に外界で見るのと同じ星空を見ることはできる――晴れていれば。

「明日、晴れていればいいね」

 まあ、曇っていたとしても一般人には大した関係ないし、プラネタリウムがあるが。

「予報だと、今日よりはマシになるみたいだけど……」

「どんな星空が見えてどんな星座があるかとかは、プラネタリウムで紹介されるんじゃないかな。実物で見るのとはまた違うだろうけれどね、予習にはなる」

 予習して、晴れた日の夜に復習すればいい。

「そうだね。晴れてるうちに、もう少しちゃんと夜空を見ておくんだったなあ」

 そんな風に話しているうちに、中居さんが夕食を運んでくる。お刺身もついているけれど肉と野菜が中心で、その場で固形燃料に火をつけて焼く小さな鍋が一人一人の前に置かれ、鍋にはジンギスカン肉にアスパラやもやし、カボチャといった野菜が煮込まれていた。味は味付けジンギスカンに近い。

 さらに旬の魚介の刺身と漬物、茶わん蒸しにお吸い物に天ぷら。白飯とデザートに紅白の大福。

 マルフィスは一人用鍋を気に入ったらしい。

「固形燃料とライターさえあればいいし、旅暮らしにも使えそうだよね」

 とはいえ、少しかさばりそうだ。というか、わたしは小さな鍋を持っているのだから、固形燃料さえあればいいのか。じゃあ、便利なのは固形燃料かもしれない。

 ともかく、おかげで熱々のジンギスカンを食べることができた。肉は普段食べるようなものより高級なものを使っているらしく、とても柔らかくて美味しい。ここはサフォークという種類の羊が有名だ。

 デザートの大福は白の方はつぶあん、赤の方はこしあんとイチゴが入っている。このいちご大福というのは、あんこの甘さとイチゴの酸味が絶妙にマッチしているものだと本当に美味しい。その加減が丁度良かった。

「ああ、美味しかった」

 食後のお茶をすすりながら言う青年の顔には、いかにも満足げな笑顔。

 食器は一時間後に中居さんが片付けに来ると言われていたので、そのままにしておく。天気予報が変わっていないか確認しようと、わたしは再びテレビのスイッチを入れた。

『我々としましては、国民全体が一丸となってこの困難に立ち向かい、さらには海外、そして外界の方々の技術協力もいただきつつ対処していく予定です』

 国旗を前に壇上に立つのは、ときの首相。テロップには〈バブルヘルズ、地球に再来へ〉と書かれている。

「一般公表したんだ」

 画面の中には緊張感が漂っているが、マルフィスは大したことでもないように言う。

 昔、バブルヘルズがあったときのことは本や映像で見たことがあるが、そのときも、少なくとも日本では大きな混乱はなかったそうだ。今回もそこまで荒々しいことにはならないだろうが、たまたま自暴自棄になった犯罪者の凶行に巻き込まれないとは限らない。

 それに、外界人や保菌者の存在は昔とは違う。バブルヘルズを前にして、外界人の力を貸してもらおうという方向に行けばいいけれども、たぶん一定数は『これも外界人の仕業だ、ヤツらを追い出せ!』みたいなのがいるはず。そういう連中が行動力を持ってしまった場合が恐ろしい。

 前も大丈夫だったし今回も大丈夫だろう、と楽観的になってくれた方が平和だ。どうせ滅ぶんだから好きなことをやってやろう、と自棄になられるのがやはり厄介。

『当面は国民の皆様方には今まで通り、落ち着いて日常を過ごしていただくのが最善です』

 ニュースでは最後にそう呼びかける。

「いきなり、今日で旅館も開館です、と放り出されたら嫌だし」

 と、おやつをあさる彼は軽い調子のまま。

 わたしは少し迷ってから、一度聞いてみたいと思っていたことを口に出してみることにした。

「それで……どうなの? バブルヘルズ対策の方は」

 相手はそれに対し、こちらに目も向けずに返事をする。

「大丈夫、研究も進んでいるしみんな頑張っているから……と言っても、僕は詳しい進行状況までは知らないけれどね」

 鞄から菓子袋を見つけて取り出し、やっとこちらを振り向く。

「気になるなら、研究所へ行ってみようか? 僕も行きたい。バブルヘルズ自体もそうだけれど、黒神さんのことが気になる」

 そうだった。黒神さんがバブルヘルズを無事に過ごすには、シェルター内か研究所にいた方がいい。

 それにしても。

「研究所って、一般人が行ってもいいものなの?」

 シェルターの外には興味があった。わたしを作った人たちの狙いに乗るようなのは、少し複雑な気分ではあるけれども。

「全然かまわないよ。行くまでの経路は考えないといけないけれども。ここからなら、一番北から船に乗って海上に出て、そこから飛ぶのが目立たないかな」

 一番北というと、稚内か。

「それじゃあ、ここから予定通り北上して稚内から船に乗ればいいわけね」

「うん、船は手配しておくよ。いつ着くかわからないから、今すぐにではないけれど」

 そう、いつ稚内に着くのかも天候次第。順調に行けば明日なのだけれど。

 こうして、日本一周のはずの旅は思いがけない寄り道をすることになった。

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