第5話 弾かれた者たちの旅立ち(5)

 普通列車は岩見沢を出ると、国道一二号線とほぼ並走しながら次の街に向かう。もちろん各駅停車なので、次に降りる街の前にもいくつかの駅に停車し、多少の客の入れ替わりもある。

 ただ、今回も客は少なめで、車内はどこかのんびりした雰囲気だ。

 そんな雰囲気に流されてか、向かいの席の青年は少しうとうとしていた。眠いとこの列車の震動というのはいい揺りかごに思えてくる。

 陽が傾き始める中、美唄市を抜け奈井江町、砂川市と入ってきたところでやっと彼は目を覚ます。

「ああ、途中を見逃しちゃった……石狩川、ずっと続いてるんだね」

 そう、近づいたり離れたりしながら、レールはしばらく石狩川と国道一二号線と並走していた。

「眠いし、ちょっと早めに休もうか。ま、歩いていたらいい時間になるだろうし」

 べつに終点の旭川まで行ってしまってもいいかもしれないが、次の街はぜひ彼に食べてほしい料理と縁がある。

 まだ夕焼けも空を染めないうちだが、わたしたちは滝川駅で降りた。近くにアーケード街が見える。あまり人の姿は多くないが、古本屋やリサイクルショップ、時計店、立ち食い蕎麦屋や甘味処など、それなりの種類の店が並ぶ。

 マルフィスは甘味処と、古本屋に興味を持つ。

「まだ夕食時間まであるし、軽いおやつくらい……いいよね?」

 食いしん坊め。

 そして古本屋。紙の本やそれを持つ者は減っている。紙と変わりない感触や簡単操作を実現した端末が出現して以降、書店もかなり減った。

 それでも、紙の匂いが好きとか、本という状態で所有したいという者も一定数はいる。

「おやつを食べ、古本を買って、ホテルで読む。うん、完璧だ」

 得意げな様子に笑いをこらえる。確かにそれがいいルートだろうけれど。

 〈甘味処〉と看板にあるだけに、目をつけた店は和のデザートが中心のようだ。暖簾をくぐると見えるテーブルや椅子、棚や装飾など、店の調度品もどれも和を感じさせるものになっていた。

「いらっしゃい」

 ほかに客はおらず、紺色の作務衣とエプロンの職人っぽい雰囲気の男性店主が声をかけてくる。

 空いているのだからべつにどこでもいいだろう。わたしとマルフィスは一番近いテーブルについた。

 割った竹を連ねたメニューに、あまり多くはない数の文字列が連なっている。お汁粉やぜんざいのセット、お団子のセット、あんみつや大福、カキ氷に羊かんのセットなど。緑茶と何かとのセットが多い。

 カキ氷というほどには今は暑くないし、お汁粉やぜんざいはさすがに暑くなりそうだし、お団子のセットを選ぶ。団子は写真によると串団子が三つに緑茶と薄切りのたくあんの漬物がついてくるようだ。団子は白、桃、よもぎ色で、中にあんが入っているらしい。

 マルフィスは少し悩んだあと、あんみつと緑茶のセットを選んだ。

「胃と口がひとつずつしかないのって、なかなか難しいねえ」

 メニューを眺めながら真剣な目で言う彼のことばに、思わず頬が緩む。

「人間は太らない身体も必要だね」

 旅先に滞在する時間は限られている。一泊としてせいぜい二、三食くらいしか食事はとらないわけで、名物がいくつもあっても口に入るものは限られる。厳選したうえで食べることが必要だ。おやつもいくらも食べられるわけじゃないし。

「しっかり選んで食べないとね」

 やってきたあんみつの色鮮やかさに、マルフィスは目を輝かせた。

 少しずつ夜のとばりが降りてくる窓の外を眺めながら甘味に舌鼓を打つ。串団子は四つずつついている団子の中身がひとつずつ違い、つぶあん、白あん、ごまだれ、みたらしになっている。甘さに飽きが来たらたくあんでお口直し、と計算されたセットだ。緑茶もほど良い苦みが団子の甘さに合っているし。

「このあんこ、美味しい」

 とあんみつを一口食べたマルフィスが言う。甘過ぎない上品な味のあんこだ。メニューを見直すと小豆は十勝産らしい。有名どころだ。

「いい味付けだよね。それにしても、マルフィスは和食も洋食もいけるんだね。嫌いな食べ物はないの?」

「今のところはないな。いや、まだわからないだけかも」

 わたしは苦みの強いものは得意じゃない。ゴーヤとか。辛いものもそれほど好きじゃなかったが、スープカレーに凝ってからはいけるようになった。

「僕が一番好きなのは、甘いものかも」

「確かにそう見えるね」

「パンフレットで見たけど、そのうち色々な果物もね、見てみたいと思って」

 果物なら仁木町の果物狩りが思い浮かぶが、今回のルートではかなり戻ることになる。まあ、機会はいずれあるだろう。

「果物って言うと東北の山形県辺りが有名だね。みかんなら愛媛。道内でも夕張メロンとからいでんスイカとか色々あるけれど」

 夕張くらいには寄れればいいな、と思いながら最後の一口のお茶を飲み干す。

 甘味処を出てもまだ、外は薄暗い程度。時刻は午後五時を過ぎたあたり。

 すぐ近くの古本屋に寄り、マルフィスは歴史の本を二冊、わたしはこの先の観光情報について特集した旅行情報誌を一冊買った。

 ホテルも駅周辺に多く、札幌のときと同じように安い無人ホテルを使う。しかし、札幌のものとは雰囲気が異なっていた。部屋は広めでベッドも高い位置ではないが、古いホテルを改装したものらしく、どこかうらぶれたような、退廃的な印象がある。

 六時になったら夕食に行こうと約束して、自室に入ったわたしは荷物を置くと、各部屋に備え付けのシャワーを浴びる。基本的に無人ホテルはシャワーのみのようだ。まあ、安いし。

 出かける用事があるので浴衣には着替えず服の着替えを着る。ここは洗濯も全自動で洗濯物を専用ケースに入れて洗濯機に入れておくと、数十分もすれば乾いた新品同然になったものが戻ってくる。

 髪を乾かしているうちに、もう時間が迫ってくる。わたしは急いで髪を束ねてコートを羽織った。

 向かいの部屋のドアを叩くと、いつものコートに帽子の青年が顔を見せる。

「行こうか。で、どこに行くの?」

 出てきてドアを閉め、期待の目を向けてくる。

「ジンギスカン鍋のお店だよ。一度は食べておいた方がいいと思うし」

 そう、道民食とも言われるジンギスカンだ。野菜や羊肉をジンギスカン鍋で焼いてタレにつけて食べるという至ってシンプルな料理。

 至ってシンプルと言っても食べ方やタレにこだわりがある人もいて、タレのメーカーにこだわるだけでなくタレにすりおろしたニンニクやリンゴなど、色々とブレンドして好みのタレを開発する人もいる。

 と、道民がそれなりのこだわりを持って語れるのがジンギスカンというものである。

「ああ、それも観光情報で見たな。いずれ食べたいと思ってたんだ。ここはアイガモ料理もあるって読んで、迷ってたけどね」

「確かにアイガモも……明日の朝ご飯か、昼の弁当にでも出来たらいいけどね」

 駅弁があったような気がしないでもない。

 それは後で考えることにして、ホテルを出て目当ての店へと向かった。歩いて三〇分もかからないくらいの距離だ。

 店内に入ると観光客らしい姿が何組かすでにいて、外国人観光客もの姿もある。この中ではマルフィスもあまり目立たないかもしれない。

 テーブル席と座敷があり、彼の希望で、座敷の方を選んだ。甘味処もテーブルに椅子だったし、食卓に座布団というのが珍しかったか。

 ジンギスカン鍋セット二人枚とウーロン茶二つを注文する。アルコールは飲めなくはないが、なんとなく連れがいるのでは注文しずらい。外見上は彼も成人済みには見えるが。

 間もなく、緩やかな山型のジンギスカン鍋と肉や料理ののった皿が運ばれてくる。

 脂身を溶かし油を行き渡らせ、山の上の方に肉を、下の方に野菜を。ジューッと音を立てて肉汁が野菜の方に流れ落ち、その旨味が染み込む。

 しかし、個人的にはジンギスカンと言うと、この鍋よりも野外で使うドラム缶を真っ二つに割って鉄板を載せたような大鍋でやる印象が強い。一人暮らしの家でジンギスカンパーティーはなかなかやらないし、わざわざ店に来て食べないし。

 だから、学校の遠足や何かのイベントで野外でジンギスカン、というのがわたしの記憶の中での主なイメージになる。

「赤い部分がなくなったら食べられるんだよね?」

 右手に箸、左手にタレの入った器と、マルフィスは準備万端。

「うん、その辺は良さそうだね」

 肉を裏返しながら言う。味付け肉もあるが、まずは典型的な丸いラム肉から。

「ご飯が欲しくなるね」

 向かいの彼はタレをからませ、肉を一口咀嚼して飲み込んでそう一言。そう、このタレが白飯とよく合うのだ。ごま塩をかけたおにぎりや赤飯のおにぎりを一緒に食べたりもする。

「ライスを一皿頼もうか。あまりご飯ばかり食べても、肉が食べられなくなったりするけれどね」

 焼けたものを次々食べる料理というのは、食べるペースをよく考えて焼く必要がある。

 キャベツやもやし、ニンジンなどの野菜を織り交ぜつつ、肉にたまにライス、と口に運ぶ。少し経つといよいよ味付け肉を開放する。昔は、味付け肉は邪道だという人もいたらしい。

「美味しいね。ほかの生き物を食べるというのは、申し訳ないけど味にバラエティーがあって面白いものだ」

 カボチャの甘さを味わいながらのことばにわたしは驚く。そこまで食生活が違うのか。

 それならば、彼らは普段どうやってエネルギーを得ているのだろう。霞でも食べているのか、そもそも光合成とか地球人とはまったく異なる方法なのか。

「〈食事〉は、あなたたちには珍しいことなの?」

「食事はするけど、直接エネルギーを吸収するというか。実演もできないし説明しづらいな」

 想像したところによると、霞を食べるに近いのかしら。

「それって、どういう味がするの?」

「味かあ……味を感じるのは味覚があるからで、僕の本来の身体には味覚はないんだよ。たぶん、必要ないから進化しなかったんだね」

 本来の身体ということは、今目の前に見えている外観の彼の身体は、本来は彼のものではないのか。年齢性別もあてにならないのでは。

 と、疑問をぶつけてみると。

「この身体は作りものだよ。素材は人間の身体と変わりないけれど。本来は物質的な身体は持たない。ただ、僕の精神性をできるだけ反映しているはずだ。ここまで若くないつもりだったけれどね」

「本当はわたしよりずっと年上?」

 ときいてみると、彼は笑った。

「聞かない方がいいと思うよ。寿命が違うから、単純に比較はできないだろうけれどね」

 肉体に縛られないなら、人間よりやっぱり寿命は長くなるんじゃないかな。

 しかしまあ、聞かない方がいいというなら聞かないでおく。

 わたしたちは充分に肉を堪能し店を出た。

 最後に野菜とともにうどんを焼いたり焼きそばを焼いたりすることもあるが、この店はそこまではフォローしていないようだ。というか、もうお腹いっぱいだし。やっぱり大人数じゃないと、色々な物を少しずつ食べる料理には向かないかも。

「いやー、この身体ももう少したくさん食べられるように作ってもらうんだったな」

「胃が四つあるくらいに?」

「そう……四つはなくてもいいけれど、せめて倍くらい入ると嬉しかった」

 彼は大真面目に言う。彼が食いしん坊なのは、〈食べる〉ことや〈味〉そのものが珍しいのも一因なのだろう。

 しかし、さすがに今日はわたしも彼もこれ以上入らない。

「なんだか食べ疲れたし、今日はもう帰ろうか」

「そうだね、本も読みたいし」

 と、マルフィスが足を向けたのは、ホテルとは逆の方向。

「どこへ行くのさ。そっちは逆だよ」

 袖を引かれ、彼はつんのめる。

「え、えーと、わかってるわかってる。ちょっと暗かったから……どっち向かったかわからなくて」

 ――もしかして、方向オンチなのだろうか。そうなら、それでよく一人旅に出たな。

 わたしはしっかり彼がついてくるのを確認しながら、ホテルへ足を向ける。

 そのままホテルに帰り、本を読んだりニュースなどをチェックしたりして過ごした後、日記を書いてからベッドに入ったのだった。

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