第3話 弾かれた者たちの旅立ち(3)
ツインタワーに挟まれた大きな駅舎を出た時点で、時刻は午後三時前。忘れかけていたけれど、ケーキがあるんだった。先にホテルを取るか。
選んだのは、最近駅前にできた安い無人ホテル。部屋は狭いが用事には充分足りる。向かい合った部屋を取り、マルフィスの部屋でケーキとセルフサービスの紅茶で一服。
「美味しいねえ。また機会があったら食べられるといいな」
チーズケーキは適度に溶けており、濃厚なチーズの甘さと酸味が紅茶の渋みともよく合う。
「通販があるから、ここのはけっこうどこでも食べられるけれどね」
「なんだ。お店限定じゃないのか」
『地元限定』よりも特別感は薄れるけれど、美味しいものは美味しい。わたしも何度か食べているけれど、たまに通販で購入していたし。
食べながら、わたしはコンビニで買った地図を取り出した。わたしの旅はのんびりでいいが、マルフィスに残された時間は三ヶ月。その間に日本を見て回るとなると、ちょっとは計算が必要だ。
「どうせすべての町を回るのは無理だし、日本を一周すれば充分なデータは取れるんじゃないかな」
では、鉄道でできるだけ日本の外周を一周するという目標で計画を立てることにする。とりあえずこの先は旭川を目指し、さらに北上するということにした。鉄道でという目標のせいであまり外周になっていなかったり、さらには鉄道だけではどうしても行けない地区があるため、どうしても別の交通手段が必要な区間もあったりするが。
「そう厳密にやることもないからね」
スプーンにこびりついたチーズを舐めとりながらマルフィスが言う。彼がそう言うならそれでいいのだろう。
この無人ホテルには食事はついていない。しばらく休憩すると、夕食探しの旅に出ることにした。すぐ近くのJRタワーなどにも飲食店は多数あるが、せっかくなので少し足を延ばし、大通に向かうことにする。
地下道が充実している都市だが、地上を歩くのも色々なものが見られる。地上より地下の方が人目が多いのも、地上を選んだ大きな理由だが。
やや古さが目立ってきた時計台を横目に大通公園に到着する。テレビ塔は最近改修を終えたばかりで、新しい時計に〈一七:〇二〉の時間を表示していた。
「焼きとうきびのワゴンがあるな」
と、マルフィスが周囲に立つのぼりを指さす。
「夕食を食べられなくなるかもよ」
わたしは何度も札幌市を訪れていて、あのとうきびワゴンの焼きとうきびもも食べたことがあるが、とうきびは南米かどこかでは主食になっているだけあって、おやつにしては胃にたまるのだ。
「ああ……じゃあ、一本買って半分にしようよ」
それは名案、と思った。一人ではない二人旅は、こういうときに便利だな。
ワゴンの女性はマルフィスにもにこやかに焼きとうきびを渡してくれた。接客業の人はあまり気にしないか、気にしても表に出さないことが多いようだ。
公園のベンチに並んで座り、半分に折ったとうきびを食べる。おいしいけれど、歯に挟まるのが若干面倒臭い。
あまり人通りもなく、落ち着いた時間だ。日は沈みかけ、辺りも薄暗くなりつつある。
「さっき仲間から通信が来たんだけども」
そんな素振りは見えなかったけど、彼ならテレパシーのような通信ができたとしても驚かない。
「次のバブルヘルが近いんだってさ。一ヶ月後くらい」
――唐突だなあ。
バブルヘル、という天災は三〇年以上前に確認された。それは宇宙という海に入った泡のようなものだけれど、ものに当たって弾けるほど弱くない。ようは隕石のようなものだ。
その泡は昔から存在したのか、最近になって生まれたのかは不明だが、とにかく人類はシェルターで生活圏を覆って泡が過ぎ去るのを待つしかなかった。
でも、地球全体を覆わなければ危険では、という学者も多い。地球の深いところをえぐられればバラバラになってしまうかもしれないし、致命的な天変地異が起きるかもしれない。
「わたしたちからすれば、祈るしかないね。あなたは逃げられるんだろう?」
「いざとなればね。その前にバブルを壊す方法が見つかればいいけれど」
しゃぼん玉のようにポンと消えればいいけれど、しゃぼん玉のように膜があるわけではないらしい。水中の泡のような存在だとか。水中の泡を消す、というのもなかなか難しそうだ。
「まだ一ヶ月あるなら、その間に科学者が壊す方法を見つけてくれるのを願おう」
わたしは他人事のように言う。わたしが悩んでも仕方ないし。
それから、夕食にスープカレーを食べ、路面電車や旧道庁を見ながらホテルに戻る。大した観光はしていないけれど、明日にもう少しゆっくり見て回ればいい。どこへ行こうか、と考えるだけで気分が浮き浮きする。
こんな楽しい日々にもいつか終わりは来るけれどな。バブルヘルを乗り切っても、そうでなくても。
でも今から最後を考えても仕方がない。目の前のことを考えよう。
書いてそのままだった旅日記を閉じて鞄にしまい、寝間着代わりの浴衣から着替え、テレビをつけて朝のニュースを流しながらベッドの上を軽く整える。
札幌駅の近くにある小さな無人ホテルの一室。ここは場所の節約のため、ベッドはテーブルとソファーのある空間の上にある。二階建てベッドのようだ。部屋にほかの地域の無人ホテルも紹介したパンフレットがあるが、これが無人ホテルの基本的な部屋の構造らしい。
時刻は朝の七時過ぎ。正直、何時に起きるか聞いておけばよかったな、と後悔していた。起床時間というのも個人差が激しいもののひとつだ。
――さて、どうするか。
もう起きているなら声をかけたいものだけれど、まだ寝ているなら起こしちゃ悪いし。
などと迷っているうちに、控えめにドアがノックされる。
「おはよう」
ドアを開けるなり、わたしは反射的に声をかけながらも目を見張る。
「あ、起きてたか。おはよう、藍。朝ご飯はどうする?」
マルフィスは浴衣姿のままだ。少し大き過ぎる白い浴衣で身を包んだその姿は、神話に出てくる天使のよう。
――彼をアイドルとして売り出せば、外界人のイメージも一気に変わるんじゃなかろうか。
「あ、うん、近くの……JRタワーかどこかで食べよう。本当はラーメンにしようかと思ったけど、朝からラーメンは重そうだし」
「ああ、ラーメンか。日本人はラーメンが好きってネットの観光案内にあったね。昼に食べて、ゆっくり出発でもいいかな」
食のリサーチを欠かさないマルフィス。もしや、食べ歩きが好きなのかもしれない。
結局のところ、朝食は九時開店のJRタワーの小さなカフェで、サンドイッチとコーヒーのセットで軽く済ませた。これも長らく地球上で暮らしているわたしたち地球人にはともかく、マルフィスには珍しいものには違いないらしく、楽しく味わっていた。
それから昼過ぎまで観光と買い物をする。本当は一日あっても到底見切れない大都市だ。何度も来ているのに、クラーク像とか見たことないものなあ。
目ざしたのはサッポロファクトリー。到着するとマルフィスが施設内の店や展示などを見物している間に、わたしは銀行口座の残金をチェックしてみたりする。いくら一生を政府に保証されているとはいえ、お金は無限に湧いて出てくるものではない――が、現実感がないくらいの金額を目にする。今まで、一人暮らしに必要な最低限くらいしか使ってなかったしな。
マルフィスは帽子につける銀色の飾りを買った。遠目だとクールなシルバーアクセサリーにも見えるが……間近で見るとキャラクターものらしい。デフォルメされた熊の顔がついている。まあ、本人が気に入っているならいいか。
「これからも荷物が増えることを考えると、やっぱり鞄かリュックが必要だと思うよ」
というわたしのアドバイスを素直に聞き入れて、彼は鞄を買うことにしたようだ。駅方面へ戻りがてら、デパートの梯子をする。
最初のデパートに入っていた衣料品店で、彼は黒いショルダーバッグを買った。旅行鞄としてはやや小ぶりだが軽そうだし丈夫そう。その鞄に、マルフィスは嬉しそうに北一硝子で買ったキーホルダーを着け、中にオルゴールを仕舞う。
「それにしても、色々と種類があるものだね。鞄も服も」
と、彼はこの衣料品店を見渡す。ここは若者向けのカジュアルな商品が多く、今季に流行しているファッション物が服から靴、鞄、帽子、アクセサリーと取りそろえられている。
「藍はああいうのは着ないのかい?」
振り返ったところにあるのは、流行の女性向けファッションの展示。
派手過ぎない色合いの淡い黄色のシャツに水色のスカートという、トロピカルな色合わせ。その上に新作デザインの原色のジャケット、スカーフに大きめ花柄イヤリング――というあたりが最近の流行らしい。
わたしはというと、ベージュのコートに履きやすい黒のショートブーツに帽子。我ながら地味。
「ああいうのは、服をたくさん持てる人が着るものだよ。それに、マルフィスの方がよっぽどでしょ」
マルフィスは目立つ髪と目の明るい色に反して、服は黒のコートの帽子に靴という単色。それが返って肌の白さと髪と目の色を際立たせる。
「服にこだわる文化がないもので。何が自分に似合うかもわからないよ」
「じゃ、試してみたら?」
提案するわたしの目には、試着室が映っている。
「なら、藍も何か試着してみなよ。ファッションセンスというものが試されるのが僕だけじゃ不公平だ」
制服があるところは制服。それ以外はほぼシャツとジーパン。ファッションセンスとは無縁の生活を送ってきたからなあ。それを言えば彼もだろうけれど。
しかし、スーパーでバイトをしていたころはよく、同年代のオシャレな若者も目にしていたはず。それを思い出して参考にできればなんとか。
さて、何を試着するか。マネキンそのままの流行ファッションじゃ芸もないし、それはわたしのファッションセンスとは言えない。秋らしい服装がいいかな、となんとなく。
秋らしい、で秋色のコートに足が向きかけて踏みとどまる。それでは今と一緒だ。
――結局上着は短めのデニムのジャケットにして、ベージュのワンピースのスカートに長いスパッツと茶色のロングブーツ、橙色のスカーフにワンピースに合わせた色のつばの広い帽子という組み合わせにした。
「それでもまだ地味じゃないか。アクセサリーもないし」
「アクセサリーを着けるという習慣がなくてね」
木の葉型のイヤリングや木の実を模したペンダントなど、秋っぽいアクセサリーがいくつかあって目をつけていたのだけれど、すっかり忘れていた。
マルフィスは紺のベレー帽と英語プリントの黒の長シャツにジーパン、紺のベレー帽と同じフリース素材のあまりかっちりしていないコート。都会のオシャレな若者とか雑誌モデルにいそう。
「似合ってなくはないけど、色に派手さがないのはお互い様じゃないか」
「白も考えたけど、汚れたときを考えるとね……旅装基準になるね」
「それは確かに」
動きやすさや丈夫さ。そういう実用性重視になるのは仕方がない。
再び試着室に入り私服に戻る。しかし、試着して何も買わないのは少し気が引ける。わたしは試着したスカーフを買った。これなら真冬ほどじゃないが少し寒いくらいなら、マフラー代わりにもできるし。
しかし、買うものがあるのはわたしだけじゃない。
「鞄だけじゃなくて、旅にはほかにも色々と必要じゃないかな」
ティッシュにハンカチ。着替え。紙とペン。歯ブラシにクシ。地図と時刻表はすでにあるとして、水筒代わりのペットボトル。それくらいだろうか。いざというときの救急箱や薬はわたしが持っている。
彼は迷いながら下着とシャツを二組ずつ買った。服にこだわる文化がない、ということはもしかしたら着替えという習慣にも慣れていないのか。汚れることのない服がとっくに開発されている文明の人間なのかもしれない。
ポケットサイズのメモ帳とペンを買ってコートのポケットに入れ、ティッシュとハンカチも逆のポケットへ。ペットボトルを鞄に入れると結構膨らむ。でも、結果的には丁度よかったのでは。
これが夏になるとコートの収納に困ったりするが、わたしはともかく、彼の旅は次の夏にはかからない。
「これでしっかり旅人、かな」
青年は胸を張ってポーズをとる。
「似合ってるよ」
旅人にしては綺麗過ぎるくらいだが、綺麗な旅人というのも風情があるものだ。一人旅では少し危険かもしれないが。
準備を終えると、駅の近くへ。ラーメン店が集まっているデパートがあるのだけれど、昼食にはちょっと早い。
わたしたちは時間を潰そうと、適当な方向に足を踏み出した。
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