第2話 弾かれた者たちの旅立ち(2)
移動中の列車はただでさえエンジン音や振動がうるさく、席を離れていると少し大きな声で話さなければならなくて周囲の耳がうざったいため、わたしが彼の向かいの席に移動する。
わたしに借りた観光誌を手にしながらも、マルフィスは窓の外を流れる緑の多い風景を、飽きもせず眺めていた。
「あなたの惑星に列車はないんですか?」
違う惑星からやってきた者を目の前にすれば、さすがに好奇心が湧く。でも、あまり問い詰めるような真似をしても嫌がられるだろう。できるだけ何気ない風を装って問うた。
「あるけど、景色なんて見ていられないし……チューブの中を乗員を乗せたカプセルがビューンと飛んでいく感じかな」
なるほど。
あくまで〈目的地に着く〉を重視するなら、景色が見える必要はないし速いだけでいい。移動そのものを楽しみたいから、わたしは新幹線や特急列車ではなく各駅停車にしたのだけれども。
ふむ。もしかしたらわたしは旅暮らしに向いているかもしれない。
「そういえば、藍はどうして旅暮らしを? 普通なら働いている年頃に見える。お金持ち? あ、〈普通じゃない人〉だからかな」
出発駅でのプラットホームでの出来事を思い出したらしい。
「そう。わたしはそう作られたから」
あっさりと肯定する。
一般人相手なら、自分の出自についてなど話さない。でも彼は一般人ではないし、わたしが普通ではないこともすでに知っている。無意識のうちに、彼に仲間意識が芽生えていたのかもしれない。
そうでなくても、一般人よりはだいぶ話しやすい相手には違いない。
「それで、どうして旅に出ようと思ったんだ?」
彼は話を聞き、疑問を口にする。そう、それがわたしの中でもつながらない。
「うーん……昔読んだ本の影響とか? 他に好きなものもないし……そもそも、誰かの下で働くっていうのも性に合わなくて」
「監視生活の反動かな」
うむ、言われてみれば。
小学・中学・高校と、政府指定の学校へ通った。学費をタダにする都合上、と聞いていたけれど、たぶん監視も理由としてあっただろう。もうすぐAランクに届く、B1ランクの能力者だし。
わたしが無茶な能力の使い方をしないことを確認して、政府は一応表向き監視を解いた。定期検査はずっと必要だけれど。
だから、そう。わたしは自由を求めていたのかもしれない。
「わたしの人生、わたしの命はわたしのもの。家族もその他の血縁者もいないし、わたしはわたしのためだけに生きる、そう思っていた。そのわたしのため、が旅暮らしだったのかもしれない」
そう、自分で納得した。
「好きなことを見つけられたなら、それは悪いことじゃない。確かに旅は楽しいし」
と、窓の外の流れゆく景色を見ながらマルフィスは屈託なく笑う。その笑顔を見るとなぜか開放的な気分になる。
内心お礼のつもりで、売店で買ったチョコレートのかかったビスケットを振舞ってみる。すると、彼はそれを一枚手に取ってまじまじと見つめた後で口に運ぶ。結果、どうやらお気に召したらしい。
しかし、改めて見ると彼はどう旅をするんだ? 異星の方が科学は進んでいるそうなので余計な心配かもしれないが、彼は当然、地球では流行しているWITTのようなウェアブル端末も身に着けていない。
「お金はカードがあるよ。あとは何が要るのかわからないから、その都度買おうと思って」
彼が持っているのは、ポケットにカードが一枚と、駅でもらったらしい簡易的な鉄道地図。
いや、いくらなんでも軽装過ぎないか……?
「へえ……昼食はこの先の駅で降りて食べる予定で?」
この各駅停車の中では車内販売はない。
「あまり空腹では……でも、コレは食べてみたいな」
そう言って、彼は観光誌のとあるページを開いて見せる。もうすぐ訪れる終点の都市に、スイーツの有名な店があるのだ。
どうせ旅暮らしをするなら、各地の名物や名所を巡るのもいいかもしれない――いや、むしろそれが旅の醍醐味なのでは。
目的地も期限もないんだ。お金もある。ゆっくりしたっていいだろう。
『間もなく、終点の小樽になります』
アナウンスが流れ、列車は的確に減速を始める。今の時代、各駅停車はほぼ自動運転の無人車両になっている。
ダイヤに少しの遅れもなく、わたしたちは無事、終点の駅に降り立った。
わたしは何もしなければ普通の日本人に見えるが、マルフィスは近くで見るとかなり異質な外見をしている。それでも帽子を深くかぶり目を伏せて歩けば、遠目には外国人だろうということくらいしかわからない。そうやってほかの客の目を逃れて駅舎を出た。
今は観光シーズンではないが、それでも旅行者が多い。いくら避けようとしても何人かは染めたのではないあざやかな髪色と色付きコンタクトレンズより自然な色の目に気づく。しかし、反応は予想と違い皆逃げようとはしなかった。
ただ驚き、見つめるだけ。
――外界人だろうが何だろうが綺麗なものは綺麗、ということか。
「すぐに昼食にする? それとも、観光が先かい?」
観光誌を片手にすっかり観光気分らしいマルフィスは、宝石のような目を輝かせて案内用看板を見上げる。
「いや、お昼にはまだ早いし。どこか行きたいところは?」
「おススメ情報を見たけど、オルゴール堂とか北一硝子とか、芸術的なところが多いんだね。あと、スイーツ店の前に昼食がいい」
スイーツはデザートに、という魂胆らしい。
「では、それで」
タクシーを使うことも考えたが、運転手が外界人嫌いだったときに密室状態ではいたたまれない。無人タクシーというのもあるけれど、今は出払っているのか見当たらない。決して遠くはないし、駅から歩くことにした。
それにしても、さすがに車通りが多い。わたしが住んでいた町も道内ではそれほど小さくはない方だと思うけれど、比べ物にはならない。
歩道を歩きながら、マルフィスは店の並びをきょろきょろと見物していた。
「珍しいですか?」
「ああ、貨幣経済というものに慣れていなくてね。そういうの、僕らは使わないから」
「へえ……と言っても、この惑星でも貨幣自体の利用はだいぶ減っていますけれどね」
AIによる管理システムが普及し、大半の事務処理や単純作業は完全オートメーション化されている。対人やどうしても人の判断が必要な仕事以外は、『やりたいからやっている』時代になりつつある。
ベーシックインカムが導入され、慎ましい生活なら働くことなく送れる時代になっていた。労働力はロボットで補える。
「わたしは形あるお金の感触というのも好きだけれど」
コートのポケットに入れた財布に触れる。硬貨の感触が好きだ。これがお金だ、という実感があって。
そうして歩いているうちに見えてくる、趣のある建物。オルゴール堂だ。
ここには前にも来たことがある。さまざまなオルゴールが展示販売されているが、ここも職人の手によるものとオートメーション化された工場製の大量生産の物がある。もちろん前者の方がお高い。
「おお」
多数のオルゴールを見たマルフィスは感嘆した。
オルゴールは色も形も様々。曲が流れるだけでなくメリーゴーランドの模型が動くとか小さなステージで人形が踊るとか、仕掛け付きの物も多い。
一品物は細工も美しく宝石をあしらったものもある。当然かなり高価だが。
どんな曲が流れるかは、大抵、曲名が提示されているのでわかる。
「あ、この曲はネットで聞いたよ。いい曲だよね」
と青年が指さしたのは小さな宝箱を模したオルゴールで、曲は誰もが幼いころには耳にする童謡だ。
――うむ、三六〇〇円か。高い方ではない。もっと安いものもあるかもしれないが、手近なところには同じ曲の物はない。
わたしはそれを買って、彼にプレゼントした。べつに、彼も買おうと思えば買える値段なのだろうけれど。
「くれるの? へえ……ど、どうも」
いまいち喜んでいるのかわからない反応だが、かすかに頬を染め大事そうに懐にしまうところを見ると、悪くは思っていないらしい。
「こうして会ったのも何かの縁だから、その記念」
そんな彼の前で、わたしは自分への言い訳のようにつぶやく。
旅は道連れというが、なぜかこうして一緒に歩くことになっていた、そんな仲。まあいい、なにしろわたしは暇なのだ。つまり、わたしは彼で暇潰しをしているというわけだ。
店員は客が外界人だと気づいたはずだが、態度は変えることなく、笑顔で見送ってくれた。
優しいメロディーに満ちた建物を出ると、太陽が高く昇り少し暑いくらいになってきた。わたしはコートのボタンを外し、できるだけ日影をつたい歩く。
観光地図を見るとマルフィスの行きたがっている店はすぐ近くで、そこから駅寄りに少し歩くと北一硝子。では、その前に手近なところで昼食を取ろう。
やはり海鮮かな? と思うものの、マルフィスはもちろんわたしも大して詳しくないので、そこそこ観光局の入ってる適当な店に入った。海鮮丼やラーメンがお勧めらしいが、オムライスやハンバーグセットといった、よくある洋食もメニューにある。
「へえぇ……よくわからないな」
そりゃそうか。とりあえず写真の掲載されている料理から、彼は海鮮三色丼を選んだ。わたしはライスとカニの鉄砲汁や漬物のついてくる旬の刺身定食を。
「そういえば、食べられない物はないんですか?」
内臓の構造や味覚が違って、毒だったり消化できなかったりまずかったりしないのだろうか。
「人間が食べられるものなら何でも食べられるよ。味覚も平均と変わらないはず」
答えて彼は、割り箸を手に日本人と変わらぬ箸さばきを見せて、笑顔で三色丼に舌鼓を打っていた。
例のスイーツ店で冷凍のチーズケーキと軽めのチョコレート菓子を買い、北一硝子に向かう。ケーキは列車で食べることになるかもしれないが、どうにしろ丁度おやつの時間にはいい感じに溶けているんじゃないだろうか。
ケーキ入りの紙袋を手に提げているマルフィスは、スキップでもしそうな軽い足取りだ。スイーツというものは見るだけでも気分が良くなるものらしい。
もっと普通の女性としての人生を過ごしてたら、今頃わたしもスイーツに目の色を変えたりオシャレを楽しんだりしていたかもしれない。現実には存在しない、架空の人生をたまに空想する。現実には荷物が増えるので今オシャレに目覚めても困るが。着替えは鞄に入っている二組だけだ。
それにしても、もう少し薄手のものも持ってくればよかったな。これからさらに気温が上がりそうなので、早めに列車に戻りたい。
「あれがそう?」
間もなく目的地が見える。北一硝子三号館。
中に入ると既視感を覚える。ここもオルゴール堂同様、来た記憶があった。たぶん、中学校の修学旅行か何かできたのだろう。
オルゴールの展示も綺麗だったけれど、こちらはさらに美術品的な物も多い。美しい細工がされた物入、動物の形をした箸置き、天使を模した彫像、色ガラスを効果的に使ったステンドグラス。
「実用にはガラスのコップより、金属やプラスチックのカップの方が向いているでしょうね。なぜ未だにコップはガラスが重宝されているのか少し不思議かも」
わたしはガラスのコップは愛用しないが、昼食を食べた店でもコップはやはりガラスだった。
「脆いからこそ価値がある、ということかな。それに少なくとも、夏には涼しそうに見えそうだよ。あとは……感触?」
「プラスチックは軽くて安っぽく見えそうではあるかな」
「実用性だけを求めるなら、オルゴールだって必要なくなるだろう。同じ曲のオルゴールの音色だって簡単にダウンロードして聴けるんだろう? それで」
と、彼はわたしの手首の端末を示す。そう、WITTはいつでも好きな音楽を聴ける機能も付いている。
言われてみればその通り。わたしが硬貨の感触が好きなのも同じこと。移動にわざわざ遅い各駅停車を使うこととも。
――しかし、ガラスが割れやすいのは確かなので……。
「壊れにくい物があれば、記念にひとつ、と買えるのだけど」
キーホルダーやストラップなども売っているのだけど、どこかにぶつけて欠けたりしたら嫌だな。
「これなら簡単に壊れないんじゃない?」
マルフィスが手に取ったのは、木の枠にガラスの球体が入ったキーホルダー。ガラスの中には花を模した彫りが入っている。これなら木枠がガラスを守ってくれそうだ。
「僕が買うよ。オルゴールのお礼。だってさ、何か買ってもらったままだと借りがあるみたいで嫌だし……ただそれだけ」
と、彼は花の種類が違う物を二つ買った。桜とヒマワリがあって、選ばせてくれたのでわたしは桜を選んだ。
――こうして、誰かにプレゼントをもらった経験なんてほとんどない。少し気恥しい。
「ありがとう。鞄に着けますよ」
平静を装ったつもりで礼を言う。
〈ガラス製作体験〉なんて看板も目に入ったが、素通りして北一硝子を出る。そこまで時間はかけられないだろうし、出来た物をやはり持ち歩けない。
「駅はあっちだっけ?」
と、少し不安そうにマルフィスが見回す。
「いや、あっち。運河沿いから戻ろう」
その方が景色を楽しめるだろう。わたしたちは来たときとは違うルートで駅へ戻り始める。
小樽運河を横目に見つつ、時折通り過ぎる人力車に、あれこそ、〈移動〉そのものを楽しむ最たるものかもしれないと思う。どんなにオートメーション化の波が来ても完全になくなりはしないだろうし。
それにしても暑い。もう暦の上では秋なのに、残暑がなかなか消えないらしい。となりを歩くマルフィスは熱そうな格好でも涼しい顔をしている。体感温度が地球人と違うのだろうか。
「ああいうのもいいもんだねえ」
ふと、彼が目にするのは運河を行く観光船だ。
「日本を出るときにさんざん船を利用することになるんじゃないですか」
「いや、僕は日本だけ担当なんだ。視察役は僕以外にも何十人もいるから」
そうか、ひとりで三ヶ月で地球全体を、はさすがに広過ぎるか。こうして一般人に混じって旅するってことは、そこそこ細かく見るんだろうし。
「まあ、どこかで船に乗る機会もあるでしょう」
「キミはここから三ヶ月も、その先も目的のない旅をするんだろう? ついでに三ヶ月だけでも一緒に来てくれると……僕は楽で嬉しいんだけれど」
と、彼は少し口ごもる。
「でも僕と一緒にいると、キミも嫌な思いをするかもしれない。ネットも見たけど、外界人はかなり嫌われているようだからね。だからまあ、キミが無理なら全然かまわない。僕は一人で旅を続けて、普通に仕事をこなすだけ」
目をそらし、そうなんでもないことのように言う。
嫌いな有名人が要れば『あいつは外界人のスパイだろう』と言う。政府が何か交渉すれば『騙されるな、侵略のために油断させる気だ』などということばが飛び交う。科学力に差があり過ぎるので、その気があればとうの昔に侵略を完了しているというに。
いや、そういうことばで嫌な思いをするだけならまだしも、世の中には強硬手段に出る者もいるかもしれない。実際、保菌者が標的になった暴力事件はすでにいくつか存在した。
「別にいいですよ。暇だし」
嫌な思いは慣れている。強硬手段はわたしには通用しない。わたしなら、彼のいいボディーガードになるだろう。
「そう? それは助かる……いや、一人旅は僕も暇だろうと思ってさ。移動時間にずっと景色を見ているのもそのうち飽きるかもしれないし」
彼は嬉しそうな表情を隠しきれない中、後半は早口で言う。
いくら隠そうとしても、見知らぬ土地を一人で、それも自分を嫌っている人間が大勢いる場所を。それは不安になっても無理のない話。
「それと、僕に敬語はいらないよ。年齢とか、僕の種族じゃあまり年齢も意味をなさないから」
それはわたしには願ってもない話だ。正直、敬語はあまり得意ではない。だからアルバイトでも、できるだけ接客から遠い場所を選んだのだ。
「それはありがたい。とりあえずこの先の札幌で一泊して、そこで旅の準備をしようと思っているけれど、それでいい?」
今までより気楽に話せるようになったわたしに、彼は満足したようにほほ笑んだ。
「かまわないよ」
冬になる前に道内を一周しようというのが、今漠然と考えている計画だった。冬の北国の厳しさは十分身に染みている。スキーを楽しもうという旅でもないもんな。
コンビニに立ち寄ってから、駅に戻って快速列車に乗る。札幌市はすぐだ。
やがてわたしたちは、今までで一番大きな駅に降り立った。
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