バブルヘルズ

宇多川 流

第1話 弾かれた者たちの旅立ち(1)

 〈保菌者〉――ミュータントキャリアーの先輩がバイトを辞めると聞いて、わたしは何も考えずに「わたしも辞めます」と申し出た。わたしよりもベテランで有能な先輩がリストラされてわたしが残るなど耐えられなかった。

「いや、本気? きみならその気になればもっと上へ行けると思うけど……」

 上司のおばさんは驚いていたけれど、わたしは意に介さない。

「その能力を使えば、もっといい働き口もあるだろうけどね」

 この能力を使う気はない。それに、働く意義も薄い。

 わたしはいわゆる試験管ベビーだ。シェルターの外で活動できる放射能への耐性を与えられ作られた、〈革命者〉とかミュータントガーディアンとか呼ばれる人工生命のひとつ。革命者は皆特殊な能力を持って生まれ、人道的な見地から批判を浴びたのもあって、人工生命の強化人間による調査計画は中止された。そしてわたしたち革命者は、一定の監視と引き換えに一生の生活を政府に保証されている。

 スーパーの品出しのバイトなどをしていたのも、義務教育が終わり〈社会〉を体験したいと思ったに過ぎない。稼ぎたいなら未だ北海道の地方になど残っていたりはしないし。

「さようなら、お世話になりました」

 ことばの上でだけ礼を言い、何年も通った部屋を出る。ああ、同僚たちとはいい距離感で過ごしやすい職場だったのにな――と思いながら、でもまったく後悔はなく、廊下を歩いて裏口から出る。

 リストラされた先輩とはそう親しかったわけじゃない。ただ、保菌者を追い込む風潮が大嫌いだ。能力的には革命者と変わらない彼らは、十年くらい前から現われ始めた。特にネット上の愚衆は、同時期にシェルターの外から来た〈外界人〉と取引した者に違いないと叩いた。ちゃんと調べれば時期は微妙にずれているのだが。

 スマホに代わって大きな腕時計型のウェアブル端末WITTが流行し増々ネット普及率は向上したが、その大半が物を調べることもできない情報弱者のままだという。

「……くだらない」

 苛立ち、思わず声に出しながら石ころをける。

 ――しかし、これからどうする?

 不意に頭に浮かぶ、建設的な問いかけ。なにしろ、わたしは暇なのだ。金に不自由はしないが、逆に言えば、金と命以外はほとんどないに等しい。家族、親戚、故郷、先祖もなければ墓もない。

 しがらみはあればうっとうしいものだろうけれど、まったくないのも退屈なものだ。

 アパートへの道を歩きながら、ふと見上げる。

 雲ひとつない青空に虹がかかっていた。

 ――旅に出よう。

 理由はないに等しい。ただ、そう思った。普通は女一人旅には危険もつきまとうものだが、わたしにはそれもないから。

 千夜藍、B1ランクの特殊能力者。

 ここから、わたしの旅日記は始まった。


 アパートの部屋を引き払ったわたしは鞄ひとつ抱えて駅に向かった。動きやすい服装にベージュのコートと、左手首にはWITT。この端末は政府に支給されたもので、発信機でも仕込まれていてもおかしくないが、便利過ぎるんだもの、手放せない。列車も改札口を素通りで乗れるし、コンビニでも読み取り装置にかざすだけで決済完了。いくらか現金も持ち歩いているけれど、ほとんどの町では端末さえあれば財布は不要だ。

 時刻は朝にしては遅い九時半。一応、駅の売店で昼食用にパンと飲み物、軽いおやつを買って列に並ぶ。列車待ちの待機列のひとつだ。

 旅行者や学生らしい姿が多いが、その中に主婦らしい一団がいて談笑していた。そのそばにあるベビーカーが少し気になる。楽しそうにキャッキャと笑いながら、ベビーカーの上で幼児が跳ねている。

 ――危ないなあ。

 思っているそばから、振動が近づいてくると同時に、ベビーカーが動き出した。

「あっ!」

 誰かが叫ぶ。悲鳴が聞こえる前にわたしは動き出していた。プラットホームから身を乗り出して、精一杯右手を伸ばす。

 指先に引っかかる固形物の感触。ほっと息が洩れる。

 目の前で列車が通過し停車するまで、周囲の人々は片手でベビーカーを掬い上げたわたしを凝視して動きを止めていた。

「あっありがとうございました」

 母親らしき女性が頭を下げ、ベビーカーを受け取ると逃げるように去っていく。彼女だけでなく、同じ列にいた者たちも皆、別の列に移る。

 わたしが片手で軽々とベビーカーを持ち上げたのを見て、保菌者だと思ったらしい。

 ――クソッタレ。

 心の中で毒づくものの、これはこれで乗りやすくて好都合だ、と思うことにした。

 降車組を待つ間、好奇や嫉妬、軽蔑の視線が背中を刺す。にらみ返してやろうか、と目をそちらにやると、少し驚いた。柱の向こう、こちらと同じようにポツンと一人、列車を待っている姿がある。

 理由は明白だった。黒い帽子とコートに身を包んだ、その、わたしより少し年上くらいに見える小柄な青年は、亜麻色の髪に青緑の目の美女と見まごう美男子だが、左耳の耳たぶに小さな銀色の球体を着けていた。

 外界人だ。保菌者と同じくらい毛嫌いされている。本物の外界人に会ったことのある一般人は極少数だろうが。

 向こうもこちらを見ていて、一瞬目が合った。しかしすぐに彼は目をそらし、何も気がついていない風に列車がやってくる方向を見る。

 彼には地球人に忌み嫌われる地球人はどう見えているんだろう、と少し興味が湧いたが、話しかけられそうにないな。

 外界人とは、シェルターの外から来た者――というだけの意味ではない。彼らは地球の外から来た、いわゆる異星人だ。

 バブルヘルズという天災から逃れるため、数十年も前に、地球の各国は巨大なシェルターと呼ばれる隔壁で人類の生活圏の大部分を覆った。いつの間にかシェルターの外に飛来していたのが外界人で、大半の人々は彼らを恐れ、地球のシェルター外を好きにされるのでは、と排除したがっている。

 しかし、外界人の多くはバブルヘルズ対策を共に確立しようと協力を求める友好種、というのが実際のところだ。

 見える範囲にわたしと外界人だけ一人、という状況のまま列車がプラットホームに入る。降車する客を待って乗り込むと、だいぶ後ろからほかの乗客たちは乗ってきた。

 向かい合った二人掛けの椅子が並ぶ、昔ながらの座席だ。わたしと外界人は通路を挟んだ横隣りの椅子に座る。わたしたちだけ先に乗ったので、前に詰めるとこうなった。

 アナウンスが流れ、ドアが閉まり列車は動き出す。

 長い長い旅の始まりの瞬間なのに、それよりわたしは、外界人が気になって出発に意識が行かなかった。チラチラ横目で眺めてみると、彼は窓の外の景色が流れ始めてしばらくは、その景色を興味深そうに眺めていた。

 だがやがて、コートのポケットから折り畳まれた地図を取り出して広げ、しばらくそれとにらめっこをした後、うーん、とうなり始める。

「これ……どうやったら一周できるんだ?」

 控えめな澄んだ声が耳に届く。

 彼が持っていたのはどうやら、鉄道網の描かれた北海道地図のようだ。しかし、鉄道だけでは道内はきちんと一周はできないのである。

 困った様子で地図を窓からの陽の光に透かしたりするが、そんなことをしても隠し通路が浮かび上がってきたりはしない。

 放っておけばいつまでたってもこの状態だろうし、わたしは声をかけた。

「あの……なにかお困りですか?」

 そう尋ねると、彼は少し驚いた表情を見せる。

「え……いやべつに、地球人の手を借りるようなことは、なにも」

 少し焦っているような調子だが、それよりその言い分に少しイラっとした。

「すみませんね、地球人のお節介で」

 イラっとしただけでなく、一抹のむなしさのようなものも感じていた。地球人からも異星人からも拒絶されるわたしってなんなんだと。

 その声の棘に気づいたか、少し目を見開いて彼は首を振る。

「いや、べつにキミがお節介したいって言うなら、僕は止めないけど。僕が困っていてもそうでなくても、お節介はできるものなんだろう?」

 なんだか、凄い屁理屈を言われているような。とりあえず、彼は困っていると思われるのが嫌らしい。

 話を聞く気はあるようだけれど。

「ちゃんと一周したいなら、鉄道だけでは無理だと思いますよ。自動車が一番向いていると思う。まずは別の地図を手に入れた方がいいんじゃないかな」

「ちゃんと一周でなくてもいいけれど、できるだけ一周した方が仕事にはなるかな。でも、どこで降りればいいのかもわからないという問題があって」

「目的地は……?」

 まさか、書いてある駅名の文字が読めないなどということは……。

「目的地はないよ。三ヶ月の間に地球を旅して視察する任務で、風土や観光情報のデータを取るのが僕の仕事なんだ。だから、その土地の特色や名所がわかりやすいところで降りればいいと思うんだけれど」

 さすがに、これだけ流暢に話せるのに文字が読めないはないか。言語の通じない外界人というのも聞いたことがない。

「なら、観光情報の雑誌でも買えばいいのでは」

 わたしは自分の鞄から、ちょっと古めの観光誌を出して見せた。彼はそれに対しかなり興味を引かれた様子。

「じゃあ、キミも観光旅行を?」

「観光目的というわけじゃないけど、目的地のない旅を。旅暮らしを始めようと思って」

 わたしのことばを聞くと、彼はいたずらを思いついたような笑みを浮かべる。

「じゃあ、大体キミについていけば仕事果たせるかな」

 わたしは一瞬拒否する理由を考えるが、そもそも拒否する理由もなかった。もともと気ままな一人旅だ。それに、基本的に他人に興味がないわたしだが、異星や異星人にはとても興味がある。できれば、こちらから同行を頼みたいくらいに。

「まあ、わたしはかまわないけれど……どうせ、暇だし」

 面倒な地球人と思われるのも嫌で、あまり興味ない風を装う。相手はここは素直に嬉しそうな笑顔を浮かべた。

「僕はマルフィス。よろしく」

「わたしは藍。千夜藍。よろしく」

 こうして出発して一駅も越えないうちに、同行者ができた。

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