第4話 翼を洗うのは主の仕事。

「へぇ、お前の浴室よりかは立派じゃないかー……?」


風呂の中でゆったりと寛いでいれば、アザルが入ってきては同時にさっそく煽るように喋ってくる。だが、今回は何も聞かなかったふうに装い、少し遅れて彼女が入ってきたのを確認する振りをする。


「さっさと済ませるぞ、俺は寝たいし眠い」


「まぁまぁ、せっかく私と一緒に入れるんだから。少しくらい満喫しても罰は当たらんぞ~?と言っても、別にいつものことだし、ね」


彼女の言うことは事実。実際にほぼ毎日、やや強引だが一緒に入っている。彼女が言うには「翼を洗いづらいから」との事。…他人から見られたら勘違いされると思うが、邪な気持ちはない。確かに、初日こそ戸惑ったものの二ヶ月、一緒に入っていれば嫌でもなれる。


「じゃ、何時も通り……洗いやすいように広げろ」


「はぁーい」


翼をコートみたいにさせたまま入ってきた彼女も、洗う際はちゃんとそれを脱ぐ……いや、脱ぐ、という表現は違う。翼を広げるのか正しい。

こういう時はちゃんと使い魔らしく、言うことを聞いてくれるのか黙々と背を見せてくれれば、四つの真っ黒な翼を大きく広げてくれる。広げてくれた際は『服』としての機能を失うのか、一般的な龍と同じ形になる。左右共に二本、計四つの翼だ。


「何度見ても……ほんと、変な形してるよな。お前の翼」


「ほう、それは私を褒めてるのか、貶してるのか……」


「お前の好きな方に解釈しとけ」


手で触った感じでは……とにかく硬い、この一言に尽きる。それもゴツゴツと硬くなく、どちらかといえば剣のような、滑らかで強度のある硬さ、だ。本当に中に鉄が入ってるんじゃないかと思えるくらいにはだ。

さて、そんなことより早く翼を洗ってやろう。浴槽に入ったままでも、遠ければこいつに近づくようにいえばいいだけ。わざわざ気持ちの良い湯の中から出ては洗うのは面倒だから。


「はぁー……お前が主でよかったって、今は思えるよ」


適当に水をかけたり、石鹸で洗っていれば珍しい言葉が、彼女の方から聞こえてくる。一瞬幻聴か、と思ったが……心底リラックスしているのか、彼女の頬がほんのりと紅潮してるのが見える。瞼も重たそうに閉じそうになるも、手で直接触れるたびに刺激が与えられるのか身体が小さく跳ねるように反応していき。

そのまま手を翼の付け根に触れれば、彼女の身体がより強く反応する。表情を見れば少し困っているような、どう反応すればいいのかが分からなさそうになんとも言い難い表情をしていて。


「何だ、不満でもあるのか?」


「いや、ただ……翼、に触れられるのは大丈夫なんだけど……素肌に触れられると、さすがの私も驚くっていうのか…」


「いきなり感触が変わる、俺のほうが驚いているけどな……」


こいつも例えどんなに性格が悪くても、煽ってくるような奴でも、使い魔だとしても一応は『女の子』だ。素肌はすべすべしてるし、身体も柔らかい。例え鋼鉄の様に硬い翼が合ったとしても、一応は女の子だ。こういう時だけは多少邪な気持ちを抱いてしまいそうになるも……いつもの行いを考えると、やっぱり無い。


「はぁ……それで、まだ洗い終えないのか……?」


毎回同じタイミング、同じ翼を洗っているときにだけ急かすような真似をしてくる。後は水をかけ、泡を流すだけで終わりなのだが…うん、煽り目的だけでこいつはこのような真似をしてきている。わざわざ表情を見ようにも、右下の翼だから顔も見れない。

とりあえず泡を流し終え、きれいになったのかは自分で確認する。

……うん、今日も綺麗になっている。元から汚れすらないから、洗う必要も無いとはいえ心なしか綺麗になっているような気がする。うん、これで良い。


「急かすのはいい加減やめろって。ほら、洗い終わったから……」


小さく翼を羽ばたかせば、残っていた水を落とすようにし始める。もちろん、全部俺の方に飛んでくるのだが……。


「どうせ風呂に入るのに、なんで毎回それするんだよ……」


「なんでって、私は龍の一族、だからだぞ?たまには翼を使わないと……そのうち筋力低下、なんて起きていざというときに飛行出来なかったら、駄目でしょ?」


もっともらしい事を言ってはきているが、それでも納得できるほどの物ではない。……とはいえ、もし本当に必要なときに飛行できなくなることを考えれば…余り文句を言わないでおくか。どうせこいつの翼についていた水滴とはいえ、ちゃんと綺麗に洗っているのだから、問題はない。

此処まですれば、彼女も落ち着く様に浴槽に入ってくれる。それでも口うるさいのは変わらないのだが、湯の気持ちよさに負けたように途端に体の方は静かになってくれる。


「じゃ、私もお邪魔して……っと……」


いつもの浴槽ではないから、思ったよりも広い。別に自分の家にある浴室が狭い、と言う訳ではない。ただ、この宿の貸し切り風呂は思っていたよりも広いからだ。普通に大の大人が二人くらい余裕に入れる大きさだ。

彼女が浴槽に入ろうと、正面を向くと同時に目を閉じる。一応裸を見ないように、と俺なりの配慮だ。

しばらくすれば彼女が浴槽に入ったのを感じる。湯も少し溢れてる辺り、身体全体が入り終わっただろう。


「はぁー……広い風呂だから、いつもみたいにくっつかなくても大丈夫なのはいいんだけど……」


「お前の言いたいことは何となく、何となくだが分かる」


慣れというのは怖い。二ヶ月も一緒に入っていればそれが当たり前、になってしまう。いつもは背中を此方に向けては、足の間に入ってくるのだが……やっぱり物足りない何かがある。それも、決して邪な気持ちではない。どう例えれば良いのだろうか。……いつも使っている枕が変わると、が良い例えだろう。

風呂自体は気持ちいいし、こうやってリラックス出来るのは確かに良い。だが、それはそれでやっぱり何かが足りないと思ってしまう。……かと言って自分から「来い」なんて言おうとするのなら変態扱いされるだろうし、今日くらいはいいやと諦めることにする。それに最悪、彼女の方から動いてくれるだろう。


「……んー……」


片目を開けては、此方をチラ見してくるのが見える。もしかすると此方からお願いするのを待っているのか。だが、それは断る。物足りないとはいえ、疲れている以上別に俺にとっては問題は無いのだから。


「…おーい、レウィス!」


待つのが嫌いな事もあり、思ったよりも数倍早く、彼女の方から声をかけられる。熱さで顔が少し赤くなった状態で、無言の圧力とやらをかけてくる。それも、無視。


「……あー、るー、じー……さー、まー?」


滅多に言わない主様呼びも無視。反応したら相手の勝ちになってしまうから。


「……あるじー……さまー?」


相手から近づいてこようが無視。まず変態とは絶対に思われたくないからだ。


「あるじさまー?まさかですけど、主様の使い魔を無視する、と……?」


ゆっくりとはいえ、確実に彼女は近づいてくる。此方をジト目風に見ながら、反応してくれるのを待つかのように。

数センチ動いては止まり、ジト目で見る。反応が無いのを見れば、また数センチ……と、それを何回も繰り返せばいつの間に足の方にいる。


「……ま、無視しようが、しなくても……どうでもいいんだけどね」


「痛ったっ」


勢いよく背中を再度向けられれば足の間に入ってきては、いつものように肌を密着させてくる。相変わらず、翼のせいで少しゴツゴツしているが…これのほうがやはり良い。慣れているものだから、安心感がすごい。


「それで、なんでお前は無視してて……」


「お前みたいのは反応したら負け、だから。俺は別に慣れてるから、平気だけどな……」


「私にとっては、こうやって入るのが『普通』になってるから。……例え同じ浴槽に入っていようが、離れていると……うーん、落ち着かない」


彼女が珍しく素直のようで、何も聞いていないのに自分からどんどん話してくる。再度彼女がただの使い魔、じゃなくて少女、でもあるのを感じれるとこだ。


「そう……だなぁ。……それで、お前の古い友人についてだけど……なんか見つけたか?」


忘れていた本題を思い出させる為に、この街にやってきた理由を再度彼女に言う。最後に「近くにいる」……と言っていたのだが、結局あの魔術師以外にはなんにも見つけれなかったからだ。


「そうだね。……ほぼ見つかってる。……って言ったら、お前は驚く?」


彼女から帰ってきた答えは想定していたのと違っていた。


「ああ、驚く。だったら俺たちはなんでこんな宿屋を借りたんだよ……」


見つかっているのならこの街に滞在する理由なんてもう存在しない。つまり変に宿屋に金を使う必要性すら無かったハズだ。それなのになぜか此処にゆったりと、旅行気分で浴槽に居るのだ。……とんだ金の無駄遣い、だと思うが……。


「と言っても確信はない。……あくまでも、ほぼ見つかっている状態だけだから。……あの女……確か……カトリネ・ロドリゲス……って言ったっけ?」


どこかで聞き覚えのある名を言ってくる。


「そいつがどうしたんだ?」


「お前、絶対誰なのか覚えてないでしょ。……あの……みなみたいりく?なんちゃら騎士団?の……低級魔術師、だっけ?」


確か高等魔術師の覚えがあるが、如何せん疲れのせいでその辺りは覚えていない。低級魔術師でもどうせ変わりは無いだろ。


「あいつから懐かしい匂いがした。私の友人と同じ匂いが、ね」


「へぇ、じゃさっきの魔術師とやらがお前の友人って事か?」


「何バカな事を言っている。どうせあいつの使い魔になったはずだ、私と同じ様に」


そういえばだ、こいつの古い友人とやらも同じ龍の一族らしい。それだったら、使い魔になってるのも頷けるが……。

その使い魔になった相手が、アザルの軽い脅かしに怖気づいては、涙目で震え始めるような奴だ、どういう手を使いアザルの友人を使い魔に出来たのかは気になるところだ。


「何はともあれ、さっさとその友人を見つけるぞ。……俺はさっさと家に帰りたいし、これ以上無駄な金は使いたくない……」


さっきの魔術師が関係しているのなら、なぜあの場で話さなかったのかと軽く後悔している。そうすれば、こんな無駄にバカ高い金を払わずに住んでいたはずだ。精々、帰るために使う馬車の料金程度だったはずなのに……。


「ま、ちょっとしたお出かけ用のお金だと思えばいいのに。こーやって、私が楽しんでるから」


「お前が楽しんでるねぇ……。……ま、今回は割り切ってやるよ」


『不幸の龍』なんて呼ばれてた彼女が、楽しくしているのなら……多少の出費は痛くはない。それに、最悪金を取り戻す方法だってある。

何の情報も無いこの人攫い事件、うまく行けば宿屋の料金分をプラスした分も取れる可能性がある。


「そ、私が楽しんでる。……」


今日は珍しく風呂場でも余りうるさくはない。いつもならこいつの話を聞いたりしているのだが、今日は背中を向けたまま疲れを取っているようにも見える。表情こそ見えないが…こんな日も良いかもしれない。せっかくだし頭も撫でてやることにする。……いつもは許してくれないどころか思いっきり怒るのだが、今日くらいは良いだろう。

髪の毛は硬くない、ただ少し傷んでいるように見える。いくら毎日風呂に入ろうが、手入れが出来る人がいないんじゃ仕方ないとはいえ。俺も髪の毛についてはよくわからないから、下手にいじろうともしない。


「……おい、レウィス。邪魔だ、その手」


やはり許してくれないようで、相当不機嫌な顔で此方を向いては、敵意丸出しのように八重歯に見える小さな牙を見せてくる。どうせ噛んでくることは無いだろうし、無視して撫でるだけだ。


「……大体な、私の頭を触って、何が楽しいんだが……」


「猫を撫でるのって楽しいだろ?それと同じもんだよ」


つまり、ペットを撫でるような物だ。地味に楽しいし、触ってて反応が面白い。…こいつは敵意丸出しにするが、それでも反応が面白いことに変わりはない。


「ほぉ?つまり私をペット扱いしていると……つまり、と……」


「……?」


強制的に手を退かされれば、目の前で彼女は立ち上がる。此方を向くようにそのまま座れれば、なんとも言い難い……ニヤニヤとした表情で、小馬鹿にしたそうに見つめながら細い腕を俺の頭に伸ばしてくる。

そのままポンッ、と手を置けば、俺が撫でていたときと同じような感じで撫で初めて……。


「……なぁ、何が楽しいんだそれ?」


「猫を撫でるのって楽しいだろ?……ばーか」


雑に髪の毛を乱暴に扱われる、つまり俺がペットと。


「私は先に戻っておくから……湯当たりするなよ、ペット?」


最後に煽りセリフを吐いては、一足先にあいつは浴室から出ていく。下着も、他の服も一切着ずに出ていったが……まぁ、あの翼があれば確かにその必要性も無い。

……それだったら、今は自分の時間を楽しむだけだ。

文句だけは一人前の上主に洗ってくるように頼んでくるような使い魔もいない。おかげで静かな空間になってくれた。


「……はぁ」


そんな静かな時間も、やっぱり物足りない。

数ヶ月前までは一人で風呂に入り、寝て、そして起きる。一日の大半を一人で過ごすのが当たり前だったのに、今ではあいつがいないと非常に静かだと感じてしまう。

……もう出ることにしよう。十分湯に浸かったし、これ以上いたら湯当たりしてしまうかもしれないから。

明日こそは早くこいつの友人を見つけ出して、帰ることにしよう……。

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