‪ミステリィ・イズ・ノット・イナフ〜ミステリィとモード系好き低身長女子と、感情豊かな後輩くん〜‬

斉賀 朗数

古典推理小説愛好者の集いへの招待

二一一八年

「密室だったこの部屋で、どうやってサイガを銃で撃ち抜いたのか。またどうやってここから抜け出したのか。そんな事はできっこない、ありえないと思いました。だってですよ、どこの壁にも傷を付けずにサイガを撃つだけでも困難だというのに、それに加えてこの部屋から痕跡一つ残さず出ていくなんて……でも僕は気付いてしまったんですよ。逆転の発想です。犯人はこの密室から抜け出したんじゃなくて、最初からこの部屋の中にいなかっただけなんです。犯人は部屋の外からサイガを銃で撃ち抜いたんです」

「何だって? 外から銃を撃ったというなら、なぜ壁のどこにも傷が付いていないんだ?この部屋は密室だったんだから、銃でサイガを打ち抜こうとすれば必然的に壁に穴をあけてそこから狙いを定めるか、壁に向けて銃を撃ち弾を貫通させるしかないじゃないか。どちらにしろ壁のどこかに穴があいて当然だと思うがね。それならまだ中にいた私生活補助労働機ワーカーが、サイガを殺したと考えた方が可能性はあるように思えるがね……いや、そんな馬鹿な事を考えるのはよそう。あー、分からん!! この謎の答えを早く説明してくれないか、クリス君」

「はい。そう慌てないでください。当然ですが私生活補助労働機が人を殺すなんて事はありえません。ロボットに人は殺せない。これは当然の事実ですからね。当たり前ですが、犯人は人間です。犯人は最新技術の結集された、この思考認識型弾道変更式小型拳銃メンタリズムデリンジャー・チェンジザルートを使ったんです。そしてそれを使えるのは開発者のマツダさん、あなたしかいないんですよ」




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 ユイは三文小説チープ・レトリック記憶素子メイン・ブレインから即座に抹消アンインストールすると、溜息を吐いてあからさまに肩を落とした。

 その様子は子どものように愚直な素振りに見える。しかしユイは人一倍ミステリィに対して愛着を持っているからこそ、その愚直とも思える素直さが滲み出してしまうのだろう。

 白と黒のモノトーンで構成された部屋の中にありながら、その世界観を壊すことなくそれでいてレトロな雰囲気をさり気なく醸し出している一五〇年以上も前にデザインされた名作であるアルネ・ヤコブセンがデザインした茶色のレザー製エッグチェア。それはユイの体をすっぽりと優しく包んで、彼女を深窓の令嬢であるかのように錯覚させる。そこから流れるように優雅な仕草で床に足を付けた。

 そして部屋の隅に置かれたプラスチックで出来たなんの温もりも感じない安価な黒いスピーカーの下、そこで無粋な空気を放っている金庫の前にしゃがみ込むとそれに手をやる。

 三文小説のせいで落胆しきった気持ちを上書きするために、昔から愛読しているアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』の紙媒体に触れたくなったのだ。

 ハイテクとローテクを掛け合わせ厳重に施錠した金庫からそれを取り出すと、優しい手つきでページを捲って、誰に向けたわけでもない笑顔を顔に浮かべた。


 二一一八年現在において森林の伐採は禁止されているので、紙媒体での書籍はとても貴重なものである。ものがものであれば、それこそ博物館で保管されてもおかしくない代物と化していた。そんな代物を個人として所有しているのは、数少ない書籍蒐集家ビブリオフリークくらいのものである。

 ユイ自身は書籍蒐集家ではないのだが、ユイの母方の祖父が書籍蒐集家であった。

 祖父はユイを溺愛していて、入手した書籍の中でもミステリィ作品について、自分がもし死んだときにはユイに渡すようにと常々口にするほどだった。

 しかし実際に祖父が亡くなったときにユイに渡されたのは、アガサ・クリスティの【そして誰もいなくなった】ただ一冊だけ。書籍は博物館で保管されるような代物であるので、必然的に値段が高くなる。そしてそれを欲しがる人間たちは、その高い値段であろうと金を払うことを躊躇しない。

 ユイの愛した祖父と、祖父が愛したユイ。この二人を繋いでいたミステリィの書籍は、大人たちの汚い欲望によって表面的な価値しかない金に取って代わってしまったのだった。

 ユイは大人たちに騙されたことよりも、祖父の愛する書籍であり自らの愛したミステリィが手の届かない地点へいってしまったことを嘆いた。

 そしていつか、必ずその書籍を自らの手に取り戻そうと、幼いながらに決意の炎であり執念の炎を燃やした。それは今も変わることはなく燃え続けている。


 そして今日、その目標に一歩近付けるのだと、ユイは期待に胸を躍らせていた。いや、どちらかというと胸を焦がしているといった方が正確なのかもしれない。

 その気持ちをつまらない三文小説などで無下にしたくはないから、愛するミステリィに触れて祖父への愛を再認識したのだった。

 その愛を感じて、どうしても失敗するわけにはいかないと、どうにか彼らに気に入られなければならないと、彼らから祖父が残してくれた愛を取り返さなければならないと、強く意識して表情を険しくする。

 彼らにそれを悟られないように、年齢に相応な対応をしなければならないことも改めて心に刻み込んだ。

 ついに訪れた、数少ない書籍蒐集家たちの中でも更に奇特な人間たちの集まり。古典推理小説愛好者アナログ・ヘビー・ミステリアスの集いへの招待。

 元々ユイの祖父が所持していた、紙媒体の古典推理小説の書籍を持っているかもしれない人物たちがいる場所。

 ユイの心は次第に現代社会の歪んだ愛の集まりへと傾倒していき、祖父への愛を抱え込んだその小さな体は肩を上下させて小さな笑い声をぽろぽろと部屋に落とした。

 本を閉じると背表紙を一度撫でてから、元あった金庫に「そして誰もいなくなった」をそっと入れる。

 そしてローテクとハイテクを組み合わせて施錠をした。厳重で堅牢な金庫は物言わず、ただじっと再び鍵が開けられるのを待っている。

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