道化師の後悔

「はぁ――――――っ!? 何してくれちゃってんの!?」


 ツクモ屋に戻ったタクミはシャロンの姿を見るなり頭を抱えて叫び、膝から崩れ落ちた。

 シャロンは薄緑の貫頭衣姿だった。頭が出るよう穴を空けて、脇の下から大体で縫っただけの簡素な服だ。

 崩れ落ちたタクミにシャロンは狼狽えて謝る。


「ごっ、ごめんなさいごめんなさいっ!」

「いやシャロンちゃんはいいんだ! おいロロ、どういうつもりだ!? 陽炎鳥捕まえんのにどんだけ苦労したか、お前知ってるよなぁ!?」

「何も問題はない。私なら簡単に捕まえられる」


 あたふたするシャロンに対し、ロロはまったく平常運転だった。

 前述の通り、陽炎鳥はタクミの攻撃をすべて躱すほど物理回避に特化した魔物だ。故に魔法を使えないタクミだけでは捕まえられないが、時空術を操るロロがいればそう難しくはない。

 しかし。


「お前これ……あるだけほとんど使ってるよなぁ……? 俺の一二〇日分……! 使ってるよなぁ……ッ!」

「あの、タクミ、さん……?」


 シャロンを――正しくはシャロンの貫頭衣を見つめるタクミの声は震え、それでいて不気味な笑みを浮かべていた。どうやら頭のネジが二つ三つ飛んだらしい。顔を強張らせたシャロンは少しずつ後退っていく。

 タクミがおかしくなるのも仕方ない。陽炎鳥は捕まえるのも厄介だが、そもそも遭遇率が極めて低いのだ。

 しかも出没地は岩の転がる砂漠地帯。一二〇日間干からびながらお呼びでない魔物を倒しつつ、結果タクミが捕まえたのは僅か六羽だった。

 そんな超レア素材を勝手に使ってしまった訳だが、もちろんロロは揺るがない。ネコ耳っぽいくせ毛をピンと立て、相変わらずの無表情で言う。


「全部使った。これでシャロンの物理回避能力は完璧」

「あぁそうかよ!!」

「えっ、ちょ、タクミさん!?」


 獣の如き素早さでタクミはシャロンをお姫様抱っこした。

 物理回避が本当に完璧なら触れる事もできないはずである。


「お前はなぁ――――――んにも分かってねえ!! 今まで俺の仕事の何を見てきたんだ!? 意匠もなけりゃ縫製もでたらめ、挙句何だこりゃ!? 膝まで縫って可動域下げて何が回避特化だバカヤローッ!!」


 驚きのあまりシャロンは顔を真っ赤にしたまま固まってしまったがタクミは気にする様子もない。鬼の形相でロロに怒鳴り付け、何であればちょっと泣いてしまっている。それだけ大事に大事に取っておいた素材だったのだ。

 対し、絶賛怒られ中のロロはやはりどこ吹く風、もはや無風。


「そこまで言うならタクミが作り直せばいいだけの事」

「その! 素材を! お前が! ぜぇーんぶ使っちまったんだろうがッ!!」

「素材がないからできない。ならこの話はこれで終わり。では予定通りアクアリステに――」

「待て待て待てぇーいッ!!」


 叫び、タクミはシャロンを床に降ろした。固まったままのシャロンはもはや顔の赤いマネキンである。マネキンの周りをぐるりと回って横に立ち、顎に手を当ててタクミは唸る。


「シャロンちゃん、まっすぐ腕上げてくれる?」


 お願いしても目がぐるぐるしたシャロンには届かない。タクミはマネキンシャロンの腕を持ち上げ、縫い目を見つめて言う。


「いけなくはない、か……?」

「タクミならリメイクできると」

「リメイクどころじゃねえけどな。とりあえず分解だ」


 と。

 何気なくごく自然に当たり前のように、タクミは手刀でもって縫い目を切断した。

 念には念を入れて念のため、もう一度説明しておこう。

 シャロンの着ている貫頭衣とは頭が出るよう穴を空け、脇の下から大体で縫っただけの簡素な服だ。

 その縫い目を切断したら、どうなる?

 答えは簡単、「はらり」である。

 しかも誰の入れ知恵か、シャロンは下着を着けていなかった。


「きゃああああッ!!」

「うぉぶっ!?」


 突然の緊急事態に自我を取り戻したマネキンことシャロンが最短最速のビンタをぶちかました。完全に武具職人モードになっていたタクミはもろに全力ビンタを顔面に頂戴し、半回転してうつ伏せにぶっ倒れた。


「いいい、いきなり何するんですかっ!? タクミさんの変態! 最低です!!」

「いやいや俺が悪いのか!? あっ、俺が悪い!! ごめん許してシャロンちゃーん!!」



 と言う訳で。

 シャロンが工房で着替えているあいだ、タクミは外で待っていた。

 ようやくお呼ばれが掛かり工房に入ると、特に挨拶もなく入れ違うようにシャロンが出ていった。

 今の今までシャロンが素肌に着けていた貫頭衣だったものを受け取り、ロロと二人だけ。

 とりあえず貫頭衣だったものに顔をうずめ、深く息を吸い込みタクミは叫ぶ。


「おいしい空気――――――ッ!!」

「最低。最低のタクミ」


 顔を上げ、すっと冷静な顔をしたタクミは問う。

 締め切った工房は日があまり入らず薄暗い。


「じゃあ改めて教えてもらおうか。どうしたこんな事をした?」


 タクミは決してバカではない。

 だからロロがバカではない事もよく知っている。

 もちろんロロだってタクミがバカではない事ぐらいよく分かっている。

 だからこそ悪びれる事もなく正直に言う。


「『赤い翼』と戦ってほしくない」

「それは前にも聞いた。覚悟がないなら逃げろとも言った」

「タクミの考えは甘過ぎる」

「そんな事は分かってる!」


 布束を床に叩き付け、タクミは叫んだ。

 武具屋にしては武骨過ぎる両手を見つめ、静かに吐き出す。


「……分かってんだよ、そんな事は。民間人を戦争に巻き込みたくないなんて綺麗事だ。命は平等だ、何人殺してきたかも覚えてねえ俺なんかが、口にしちゃいけねえ事だってのも分かってる」


 それでも、と。

 タクミは固く拳を握る。


「アルフだって俺が何で抜けたか、本当の理由だって分かってたはずだ。その上であいつはあえて民間人に被害が及ぶ戦略を選んだんだ。……だったらもう、逃げられねえだろ」

「そんな事はない。今ならまだ防衛。だけどアクアリステに踏み込んだら、もう後戻りはできない」

「あいつがどう考えてんのかなんて関係ねえ」


 ガァン! と鋼と鋼がぶつかり合うような音。

 タクミが両の拳をぶつけた音。


「……あの時、俺はあいつを止められなかった。殺してでも止めるだけの覚悟がなかった」


 今でもはっきりと覚えている。怒り狂うアレフの蹂躙を、炎に包まれた街の阿鼻叫喚を。

 アルフは優しい男だ。そして賢明な男だ。

 だからこそ豹変したその姿に、当時のタクミが恐れを抱いたのは紛れもない事実だ。


「あの時のあいつがそうだったみたいに、俺だって譲れねえもんがあるんだ。それに真っ向から殺し合おうって訳じゃねえ、俺もそこまでバカじゃねえよ。『赤い翼』の戦略を片っ端から潰すとか、他にも方法はあるはずだ」

「……本当に? 『赤い翼』とは戦わない?」


 笑顔を浮かべ、タクミはネコ耳っぽいくせ毛の垂れたロロの頭を優しくぽんぽんと叩いた。


「それは約束できねえ。かち合ったら全力で逃げたいとこだけどな。何にせよ、戦争を止めるにはアクアリステに行かなきゃどうにもならねえ。分かるだろ」

「……タクミが行かなくても」

「召喚獣の陽動は俺がこの国にいたせいだ」


 しゃがみ込み、ロロと目線の高さを合わせてタクミは言う。


「少なくとも、その借りだけは返しときゃな。違うか?」

「……分かった。だけど、シャロンも連れていく」

「そう言うと思ってたよ。まったく、お前はめんどさいぐらい俺の事分かってるよなぁ」


 無駄に貴重な素材を浪費するためだけなら、わざわざ手にいくつも怪我してまでシャロンの武具を作る必要はない。

 タクミは立ち上がり、床に散らばった布を拾い上げていく。

 時間が惜しいが、ロロの時空術を借りなければ守りを固めているであろうアクアリステに正面から殴り込む事になる。そうなればもっと時間が掛かる。


「いいか、今度こそちゃんと見てろよ。陽炎鳥の薄羽の正しい使い方ってのを教えてやる。お前も手伝え」

「分かった」


 こうして、タクミは回避特化の武具を作り始めた。



 一方、その頃。

 一騎打ちの舞台があった辺り――ゼルテニアとアクアリステのちょうど中間から、もう少し登ったところ。

 道を真横に断ち切るように、黒い炎が広がっていた。


「業炎竜のブレス、か。面倒だな」


 今もじわじわと燃え広がる黒炎、業炎竜のブレスの前で、黒いパンツスーツ姿をした妙齢の女性が立ち止まり腕を組んでいた。

 その手には、古代遺産級の武具、異形の鞭ウロボロス。

 その後ろには、百人ほどのゼルテニアの騎士。


「私なら超えられるが、さて」

「絶対におやめくださいッ!!」


 騎士達が声を揃えて叫んだ。


「分かってる分かってる。言ってみただけだ」


 手をひらひらと振り、妙齢の女性は言う。

 もとい、指示する。


「足に自信のある者、二手に分かれてブレスの効果範囲を確認してこい。三時間以内に戻らなかったら死亡と見なす。残りはここで迎撃準備。以上だ」

「応ッ!!」

「じゃ、私は東から周るから」

「…………は?」


 戸惑う騎士達を置いて、妙齢の女性は消えた。

 正しくは、自らが足に自信のある者として駆け出していた。

 武具術において、最速のフィードバックを得られる武器は鞭に他ならない。

 古代遺産級の鞭がウロボロスしか確認されていない事から考えれば、妙齢の女性は世界最速の騎士と言えよう。


「就任して間もないのに戦争か。まったく、面倒臭い」


 時折に前方へ鞭を打ち、道なき森を切り拓きながら亜音速で駆ける彼女こそ。

 世界最速の騎士にして、ゼルテニア騎士団の長。

 騎士団長。

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