揺るがぬ覚悟
戦火に包まれるゼルテニアの街。立ち上る黒煙、あちこちから上がる悲鳴。
元凶は次々と召喚されて現れる地獄の猟犬ヘルハウンド。
吐き出す炎は即座に凍り、騎士や魔法使いによって駆逐こそできているが、それを上回る速度でヘルハウンドは次々と現れている。
俯いたタクミは拳を固く握り締め、震わせていた。
「……ロロ。支度しなきゃいけねえ。ツクモ屋まで戻るぞ」
「それはだめ。タクミはもう、戦いから身を引いた」
ロロの言う通り、タクミは『赤い翼』から抜けた身だ。揉めた訳でもしくじった訳でもない、傭兵生活に疲れた、そう言って武具屋を始めた。
ここで『赤い翼』を雇ったアクアリステに弓をひけば、タクミと『赤い翼』は完全に敵対する。ある程度深いところまで内情を知っているタクミを、アルフは放っておくだろうか。
「ロロは俺が抜ける前の仕事、覚えてるか」
「……覚えてる」
それは二年ほど前の事。
雇い主の言葉も聞かず、『赤い翼』が一国を焦土に変えた時の事。
あの凄惨なる光景を、タクミは忘れた事がない。
「戦争に綺麗も汚ねえもねえが、何の罪もねえ民間人が襲われてんだ。見捨てられる訳ねえだろ」
「だけどだめ。それだけは、絶対に」
「なら俺から離れて『赤い翼』に戻れ。そうすりゃお前は無関係でいられる」
「違う。そうじゃない。私はタクミと一緒にいたい」
タクミの袖を掴み、ロロは付け足す。
「……『赤い翼』のみんなとも喧嘩しないでほしい」
「わがまま言うな。選べよ、どっちかだ。俺は選んだ。お前はどうする」
「タクミのばか」
そう言ってロロはタクミと手を繋いだ。
「だけど、私はタクミのそんなところも愛してる。忘れないで」
タクミが返す前に、二人は騎士団寮から姿を消した。
ツクモ屋の前に現れてすぐロロを自分の後ろに隠し、タクミは唇に人差し指を当てた。
誰かいる。お前は隠れていろ。
ジェスチャーでそう示したタクミにロロはこくんと頷き、やがて姿を消した。
壁を背に中を伺うような真似はしない。手練れなら木造の家など軽くぶち抜く。故にタクミは堂々と正面から扉を開け中へ入っていく。
中にいたのは――
「……タクミ、さん?」
「シャロンちゃん? どうしてここに?」
騎士甲冑を身に纏ったシャロンだった。心なしか目が赤い気がする。視線をさまよわせるばかりで答えないシャロンに拘泥せず、タクミは陳列された武器の中から漆黒の槍を手に取った。
「すみません、私のせいで……」
「謝るのか? 意外だな。怒られるもんとばかり思ってたよ」
あのタイミングでタクミがかつて『赤い翼』にいたと気付かれたのなら、原因はシャロンしか考えられない。
スレイプニルを素手で屠り、伝説級の武具を狙って作れるような人物は誰か。戦争に詳しく、『赤い翼』を知る者なら誰だってタクミに辿り着いただろう。
「別に気にしなくていい。俺は密偵じゃないし拷問を受けた訳でもない。いつかはバレると思ってた。タイミングが悪かっただけだ。そんな事よりどうしてここに?」
「……ロロさんに謝ろうと思ったのですが、ロロさんもいなくて。誰もいないままだったら、火事場泥棒が入るのではないかと」
「そうか、ありがとな。でも戦わなくていいのか? 街はヘルハウンドでいっぱいだぞ」
「それは、その……。一騎打ち直後という事で、暇を出されておりまして」
「ああ、確かにシャロンちゃんがいると逆に足手まといだな」
「うぐっ!」
シャロンの心を無自覚にぶっ刺し、タクミは踵を返した。
「じゃあ留守番よろしく頼む。お茶とか勝手に飲んでいいからね。まずいけど」
「ヘルハウンドを倒しに行かれるのですか?」
「んー、と言うより」
シャロンに背を向けたまま、タクミはあくまで軽い調子で。
「この戦争を終わらせてくるよ。帰ってきたらシャロンちゃんの手料理が待ってたりすると嬉しいな」
シャロンは慄然とした。目を見開き、言葉を失った。
いくらタクミが強くとも所詮は一人の人間だ。国家間の戦争を終わらせるなど、できるはずがない。
それでもタクミは断言し、武器を手に戦場へ向かおうとしている。
「待ってください!!」
思わず声を上げたシャロンにタクミは足を止め、しかし振り返らない。
「私に、何かできる事はありませんか……?」
その切実な声にも、タクミはあくまで軽い調子で笑った。
決して、振り返る事なく。
「肉が食べたい。安い肉でいい。だけど隠し味にシャロンちゃんの愛情を、必ず」
そう言ってタクミは出ていった。
残されたシャロンは閉ざされた扉を見つめ続けていた。その身体は震えていた。
打ちひしがれたその顔に、一筋の涙が伝う。
「私は弱い……!」
崩れるように膝をつき、両手で顔を覆う。嗚咽を漏らす。
かつて騎士に救われた。そんな、命を救える騎士になりたくて、努力を重ねてきた。武具術を覚え、騎士にはなれた。
しかし戦力には程遠く。足手まといにしかならない未熟。
今まさに、街が襲撃されている事は知っている。
今の自分がしゃしゃり出れば、救えるはずの命さえ散らしてしまいかねない事も、胸が痛むほど。
己が無力、不甲斐なく。
流れる涙、止めどなく。
しかしシャロンは一つ涙を零す度に思い出す。
跡形もなく滅ぼされた故国、泣いていた自分に手を差し伸べ、命を救ってくれた騎士の事を。
だからシャロンは諦めない。
今の無力が何だと言うのだ。
ヒロイックな自分に酔って、一体何が得られる。
「……強く、ならなければ」
シャロンは再びに立ち上がる。
幸いにもここには伝説級の武具が山ほどある。
強くなろう。明日のために。
いつか救える命のために。
タクミが帰ってくる前から見定めていた白銀の剣を手に、シャロンは表に出た。
「え……?」
――そこから見えたものは。
「こんなところにまで!?」
ツクモ屋よりも大きな巨体に炎を纏い。
その口から灼熱の炎を撒き散らす召喚獣。
地獄の猟犬、ヘルハウンド。
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