最高にツイてる一日の始まり

 そよぐ風爽やかな日、朝方。

 簡素な服に革エプロンを着けた青年、タクミは屋根の上から目を凝らし、嬉しそうに笑った。


「よし、見つけたっ! ……しかしあの子はこんな時間に何してるんだ?」


 タクミの視線の遥か先には八本足の黒い巨大な馬――スレイプニルが駆けていた。長いたてがみをなびかせ、一人の少女を追っていた。

 逃げる少女は同じ長い黒髪でも絹のように滑らかで、赤い大きな瞳はガーネットの宝玉のよう。歯を食い縛り苦悶の表情を浮かべながら、全速力で駆けていた。

 普通の人間ならスレイプニルから走って逃げられはしない。

 少女は騎士だ。

 銀の甲冑に身を包み、腰には剣を提げている。背にはゼルテニア王国騎士団の象徴たる青いマントをなびかせている。

 しかしゼルテニアの騎士ならばスレイプニル程度、苦戦こそすれど敗走はあり得ない。

 だからタクミはまずそれを尋ねる。近くで見るとかなりの巨乳だ。ぷるんぷるん揺れている。


「お嬢ちゃん何してんの? ひょっとして暇してる?」

「えっ!? いつからそこに!?」

「ついさっき。何してんのかなーと思ってさ。それでどう? 今空いてる?」

「暇そうに見えますか!? まさしく今モンスターに追われているのですが!」


 騎士の少女と並走しながらタクミは振り返った。いななきもせず、スレイプニルは黒い影のように追いかけてきている。

 二人して倒木をぽーんと飛び越えると、スレイプニルはその倒木を小枝のように踏み砕いた。


「そこが分かんないんだよな。ゼルテニア王国の騎士サマだろう? お得意の武具術でスパーッとやっちゃえばよくない? あっ、お嬢ちゃんもしかしてモンスターは初めて?」

「お嬢ちゃんじゃありませんっ! シャロン・フォーリードですっ!」

「シャロンちゃんか、いい名前だね。俺はタクミっていうんだ。近くで武具屋をやらせてもらってる」

「雑談してる場合ですか!? あなたは早く逃げてください、あのモンスターはずっと私を追ってきているようですので!」


 意外かもしれないが、モンスターは敵の力量を測るのが得意だ。

 強い人間の前に弱いモンスターは現れない。逆にいえば弱い人間の前にほど集まってくる。

 汗粒をいくつも浮かせ、荒く息を吐くシャロンをタクミは嬉しそうに眺めた。


「こういう状況いいよなぁ。俺ずっと憧れてたんだよ」

「ちょっと、何を――!?」


 軽く跳ねて半回転、タクミは腰を落とし迫りくるスレイプニルと向かい合った。こうして見るとかなり大きい。高さだけでも普通の馬の倍以上はある。重さとなればそれ以上だろう。


「モンスターからかわいい女の子を助ける……うん、最高だな。間違いなくフラグってやつだ。今日の俺は朝からツイてる」


 弓を引き絞るように半身、右の拳を隠してタクミはスレイプニルを待つ。

 スレイプニルの攻撃はいたってシンプルだ。その巨重を支える八本の足で蹴りつけ、踏み殺す。

 笑うタクミに、スレイプニルの強靭な前足が放たれる――


「引き立て役、おつかれーっ!!」


 前足が飛んでくる直前、タクミは跳ねて回避した。跳躍の勢いを乗せ、振り上げ気味の右フックをスレイプニルの側頭部に突き刺す。

 断末魔すら許されず、スレイプニルの巨重を跳ね上げられ、不自然に絡まった足が嫌な音を立てて折れた。

 陥没した側頭部から拳を抜き、黒い血を払う。宙に浮いたスレイプニルが落ちる前に、タクミは振り返った。

 そこにはシャロンが立っていた。震えながら、剣を抜いていた。その顔は困惑していた。

 ドスン、とスレイプニルが倒れたのを無視し、タクミは震えて動けない様子のシャロンの手から剣を抜き取り、しげしげと見つめた。


「俺のために剣を抜いてくれた勇気はいいね。さすが騎士サマだ。でも、この剣はいただけない」

「……スレイプニルを、素手で……!?」

「うん? ああ、スレイプニルってのは武具の素材としてなかなか優秀でね? あんまり傷付けたくないんだ」

「あなたは一体何者ですか!? 国のはずれにあなたのような番人がいるとは聞いていません!」

「だから武具屋だって。武具屋ツクモ屋、聞いた事ない? まあいいや、よかったらうちで武具買わない? 朝メシも出すよ」

「武具屋……? それは本当ですか?」

「そんなとこ嘘つくと思う? それより武器変えよう! そしたらあんな雑魚に手間取る事もないし!」

「その申し出は、非常にありがたいのですが」


 そう言ってシャロンはへなへなと腰を落とした。恥ずかしそうに目を逸らし、呟く。


「緊張し過ぎたせいか、動けなくなってしまって……」

「間違いない。これはかなり強力なフラグだ」

「ふらぐ……? って、ええっ!? いきなり何ですか!?」


 うずくまったシャロンをタクミは肩に担ぎ上げ、残念そうにため息をついた。


「お姫様抱っこがしたかったんだけど、素材も持って帰らないといけないし、それはまたの機会って事で」

「えっ。まさか……きゃああああああああ!?」

「いいね! 悲鳴もすごくかわいい!」


 右肩にシャロン、左肩にスレイプニルを担ぎ、そのままタクミは走り始めた。

 目指すは当然タクミの武具屋、ツクモ屋だ。

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