最終話 銀狼姫将軍は――
話の結『誰かがあなたを愛してる』
二十年ぶりのプレシェス山だった。
かつて瘴気調査で赴いた面影がそこかしこに感じられるが、度重なる先兵と器用人の軍隊との戦いの果てに、様相は大きく変わっていた。
かつて結界の破壊を企んでいた魔神アスタロンは、眷属を使いこれを成し遂げようと祠に向けて様々な陰謀を働いたという。
「けっきょく生け贄の命を使った邪法も行使には至らず、アスタロンはプレシェス山を諦めました。もっとも、祠を壊したところで結界が消え去らないことを悟ったからでしょう」
頂付近の、あの祠だ。
入り口はとうの昔に倒壊しており見る影もない。瓦礫の山をポイポイとブラベアが撤去にかかり、ふたり並んで通れるほどの道が作られる。
「崩落はこの先少しまでですね。確かに岩盤が強固です。玄室も無事でしょう」
ジレインが先行して進む。灯りはそれぞれの腰に据えた小さい宝玉が担っている。
「お義父さま」
「大丈夫だよ、キャロライン」
不安なのは、腕にしがみつく娘と大差はない。彼はジレインに続き、その後をフェイニ、ティエンが護り、続くフェンリ三世を守るように殿をブラベアが務めている。
「青白い岩……」
「
親子の遣り取りの中、フェンリが問う。
「器用人はここをどう見ていましたか? 術士どの」
「単なるスイッチと見てました。結界のスイッチではなく、もともとは山野を活性化させる古代の遺産だったようです」
「地脈を使うものとは知っていたが、よもや古代の遺産とは」
「どちらにせよ、魔神の好きにさせてはいけない拠点です。――この先です」
果たして、岩壁が一行の前に現われた。
術士が手を翳すと、燐灰石の青い壁はさらさらと、さらさらと、音を立てて塩の粒子と変わり、果ては素材として虚無の空間へと還っていく。
見えたのは十メーター四方の玄室だ。
中央には石舞台のようなもの。
その上に横たわるのは、人の形をした石像のような塊だった。
「……お義父さん」
「待っていなさい」
入り口に佇むみんなを遺し、術士はひとりそこへ向かう。
徹底的に防塵した玄室故、埃が溜まっている様子もない。
「遅くなりました」
小さく呟き、彼は石像の表面をそっと右手で撫でながら瞑目。魔力を通わせると、すぐにその表面がパキパキと音を立てて剥がれ始める。
表面の層は保護を。
そのすぐ下の層は薄く皮膚を覆うように広がるものだった。
「みなさん、どうぞ。……ああ、あのころのままだ」
玄室に踏み入る六人。
彼らは横たわる石像を見た。比類なき技術で刻んだ彫刻のような、美しい女人像だった。流れる髪は綺麗に整えられ背に。手は緩やかに腹部の上で組まれている。表情も優しく、彼女を安置した術士の誠意が見て取れた。
「これが、先代」
四天王がフェイニの呟きに、「ああ、私の妹だ」と、フェンリ三世が涙する。もはや土に還ったものと、骨すらも大自然に還元されたものと諦めていた、愛する妹の姿だった。
「お母さん……?」
「陛下とキャロにそっくりだ。……ティエンさん、フェイニさん、準備を」
優しく術士は娘の頬を撫でる。耳の先は、くすぐらなかった。
「今夜は満月、蒼い月が満ちる。銀狼の生命力がもっとも活発になる夜が来る。その力を使い、戦友の身体を癒やして欲しい」
「はい、お義父さま」
しっかりと頷く娘に、彼は戦友の身体をそっと撫でる。
この石の下一枚に、かつて命を落とした肉体が時間を止められたように眠っている。綺麗な姿のまま娘と弔えるようにと彼が取った咄嗟の行動。その効果が、二十年経ったいま、不思議な縁の元で実を結ぼうとしている。
「手順の確認です。私が術を解いたら、彼女の心臓を直接動かし始めます。血液の動きが感じられたらすぐに鳳凰の血を乗せたティエンさんの呪力を血管に注ぎ込み、速やかに四肢正中指先に至るまで気を徹す」
フェイニとティエンは「心得ました」と頷く。
「同時に私が肉体の調子を整えます」
「治癒ではないのですよね」とキャロライン。
術士は確認のため、「治癒ではない」と言い置いた上で自身を鼓舞するようににっこりと笑う。恐らく、彼女は後産もまだだろう。そのあたりの調子を見ながら出なければ、蘇生に伴う急速な活性化と治癒がどのように影響するか知れたものではないからだ。
「キャロは促されるままに、お母さんの身体に語りかけて。大丈夫、きっとうまくいく。優しくしっかり、癒やすんだ。いいね?」
「はい」
不安はなかった。この義父が言うのだ。無論成功させるし、成功するだろう。
「六〇秒以内に片を付けましょう」
最後の確認だった。
ジレインとブラベアは周囲の警戒。
フェンリ三世は跪いて祈りの体勢に入る。
「ああどうか、妹の命をお助けください」
沈黙が降りた。覚悟は決まったのだ。
「……三人とも、配置に。呼吸は私に合わせて」
「承知」
「フェイニ、血を――」
「――――」
三人が配置についた。
術士が左手を心臓の上に、右手を下腹部は臍下丹田に向けて当てる。
大きく深く吸気。
そして、呼気。
五度繰り返すうちに、四人は意識の同調を開始する。
「帰ってこい」
静かに術士が呟く。
いま、蘇生反魂の呪法が始まりを告げたのだ。
***
意識が、白くなだらかな空間に飛ぶ。
ここはどこだろうと、キャロラインは考えた。
すぐに考えるのをやめた。
きっとここは、どこでもない意識の断層なんだと分かったからだ。同調する術式にまれにあるという、どこでもない境地。ティエン辺りはこの無限の一瞬で悦楽を味わったのだろうと思うと苦笑せざるを得ない。
「先代、かぁ」
呟く。
そのとき、トクンと、確かな鼓動が空間を震わせる。
「本当に会いたいかと言われたら、実はそうでもないのよね。初めからいなかったし、初めからお父ちゃんが一緒にいてくれたから。寂しくなかった。……まあ、物足りないなとはみんなを見て思ってたけど」
今更だなというのが本音だが、身内の情が全くないわけではなかった。結局は自分の力をあてにしケモフルールに呼び戻した伯母だったが、優しいことは優しかった。そんな彼女を嫌いではなかったし、母がいたらこんな感じだったのかなと思わなくもなかった。
そんな彼女が妹――母の生存、いや、蘇生の希望にその身を震わせてむせび泣いたのを見たとき、キャロラインは素直に「助けてあげたいな」と思った。
「しょうがないなあ」
トクン。
トクン。
「しかし、ひどい有様。よくこんな状態で私を産んで、守って、戦って、あの大結界を発動させたわね。さすが先代銀狼姫将軍てことかしら」
促す月の魔力に治癒の奇跡を込め、流れに、義父の香りに促されるまま宙を撫でる。
周囲が、赤く染まっていく。
不安を誘うような赤ではなかった。
まるで朝焼けのような、青と赤が入り混じるような不思議な赤だった。
命の火だ。
「……ほらね? お父ちゃんはなんだってできるんだから」
自慢げに微笑むと、彼女はいっそう力強く力を注ぎ込む。
「死んでる場合じゃないわよ――お母さん」
赤は蒼空へと変わる。
意識が、ふっと吸い込まれるように天へと昇華した。
***
ああ、これでいい。
後悔はない。
魔神の侵攻を阻む結界は作動した。あとはケモフルールの勇者たちが『陰謀』を食い止めるだろう。自分の懐妊出産時期を狙ったかのような事件の勃発、まったく腹立たしい。
でも。
しかし。
娘は――名付けられなかったが、新しい命は信用できそうな器用人の勇者に託せた。
こうして自分の命が消えていくのを、安らぎと感じられるのは、とても幸せなことなんだろう。
もう何も見えない。
聞こえない。
……でも、まだなんか死なない。
下手に銀狼の力が働いているのか、我ながらしぶとい。呼吸だって止まってるはずだし、心臓だって動いてない。苦しくないけど……なんだろう、死ぬタイミングというかなんというか。
……喉渇いたな。
死に水ってほんとあるんだなあ。
お腹も空いてきた。
シチューたべたいなあ。鶏肉の入ったやつ。
あれ? お腹が空いてきた?
おかしいな。
「…………?」
そこで、彼女は目が覚めた。
大きなどよめきと、ため息が聞こえてきた。
「声――」
なぜか何年ぶりかのように、声が出しにくい。
それもそうだろう、自分はもう死んでるのだ。
死んでる?
「……目を開けた! こ、声も! 術士どの」
なんか、聞き覚えがある声だ。
ここは、天国?
体も楽だし。……でも寒い。冥界は寒いと聞いたけど、もしかして地獄? 確かにいろいろやったからなあ。でもなんで姉さまの声が? まあ地獄の悪魔みたいな姉だったし、地獄にいてもおかしくはない。
「目が覚めましたか?」
「はぇ?」
なぜ勇者が? 娘を託して、逃げたのではなかったのか。いけない、活路を開いてあげなければ。死んでいる場合ではないッ!
「敵は!?」
がばりと起き上がる。
そっとその体が支えられる。
「ええと、あなた、娘を…………。あれ?」
「自分の名前がいえますか?」
見覚えのある勇者だ。しかし、少し疲れてる様子だ。
「名前? あれ?」
不思議だが、混乱は少なかった。心拍は落ち着いている。
それが水将の力による者だとは気がついていない。
「ええと、アセナ――」
「アセナあああああああああああ!!」
彼女が自分の名を呟いた瞬間、フェンリは妹の体に飛びつくようにしがみついた。
「あ、姉さま!? なぜ!? やっぱり地獄!?」
「アセナああああああああああああああああ……!!」
「どうどう。伯母上、どうどう」
それでも引き剥がせない。力が弱くとも、銀狼は銀狼なのだ。
「ともあれうまくいったか」と術士。
「いやあ、ほんとにできるとは」
やり遂げた顔でキャロラインはアセナ――母の顔を覗き込む。
「うん、元気そう。もう、大丈夫ね」
「あなた…………」
アセナは目の前で覗き込む銀狼をまじまじと見ながら、「え、銀狼?」と瞳を震わせる。見覚えがあるが、銀狼はもはや自分と姉しかいないはず。ではこの子は? ん?
そこでアセナは泣きじゃくる姉をぐいと押し返しながら周囲を見回す。
「あれ?」
炎将、水将、空将、地将の気配。なぜ消え失せたといわれる伝説の四天王の気配が? 生気に溢れた勇者然たる四人、どれしも確かにその血筋を感じる。いたか? こんな子らが。いればまだ戦いようもあっただろうに。
「ん?」
そこでやっと、もういちど目の前の見覚えのある見覚えのない銀狼に目を向け直す。
「もしかして、私の子?」
「と、聞いてるわ」
「嘘!」
「嘘じゃないですよ」と、言葉を引き継いだのは術士の方だった。
彼はキャロの頭を撫でながらアセナに笑いかける。
「あなたの子ですよ。ええと、アセナさん。あのとき、二十年前にあなたに託された命です」
「え!?」
パシーン!
勢いよくアセナはキャロラインの頬を挟み込む。「ぁ痛」と悲鳴を上げかけるも、ムニムニと我が子の顔を揉み倒している。フェイニあたりは「お化粧だ」と顔を真っ青にしてるが、件のキャロラインはそれでも黙って耐えている。
「にじゅうねんんんん!?」
「ええ。死んでましたが、石化で保存してました」
こともなげに言う術士だが、その技術たるや。
徐々に、頭が働いてくる。
「アセナぁぁああああああああああ!!」
「ああもう、うるさい姉さま!」
一喝し、彼女は娘をじっと見つめる。
「……おおきくなったのね」
きょとんとした顔でキャロラインも「あ、はい」と頷く。
「ええと――」
「キャロラインです、アセナさん。彼女の名前は、キャロラインです」
「キャロライン」
アセナは呟く。
しっかりと胸に落ちる名前だった。
そうか、キャロライン。
「いい名前ね、キャロライン」
「はい。……あの」
キャロラインはポイっとフェンリを放り剥がすと、アセナの前で畏まる。
「は、初めまして……じゃないけど。キャロラインです、お、お、お」
すーっと深呼吸。
「お、お母さん――」
「ああああああああああああんもおおおおおおおおおお可愛いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
「むぎゅーっ」
絞め技だった。
ただの抱きつきだったが、あの銀狼姫将軍も先代銀狼姫将軍の前ではただの親子だった。
「さすが私の子さすが私の子さすが私の子さすが私の子さすが私の子さすが私の子さすが私の子さすが私の子さすが私の子さすが私の子さすが私の子さすが私の子さすが私の子さすが私の子さすが私の子ォ!!」
「んだぁああああ!! 放さんかい!!」
振りほどく。ただそれだけだったが、人知を越えた恐ろしい力が働いたに違いない。
「ということは、そう、魔神の侵入は阻止したのね」
「理解が早くて助かります。脳も無事なようですね」と術士。
「そうですか? お義父さま、この人だいぶやられてるような感じですよ?」
「もう、お母さんに向かってなんですか。でも可愛いいい!! さすが私!!」
放り投げられたフェンリが我を取り戻したのか、ゆっくりと起き上がる。
「ああ、元からそんな感じの性格だぞアセナは。しかし、歳取らんなあ……って、死んでたんだものな。いいなあ、若い、ピチピチじゃないか。経産婦だが術のせいでピチピチ? すごくない? ずるくない?」
「そういう姉さまはすこし老けましたね」
「いったな?」
そんな銀狼たちと術士を傍目に、四天王は肩をすくめる。
「しかしいま、変なこといってましたね」とジレイン。
「確かに、さすが私だと」ティエン。
そこでアセナは四天王を振り返る。
「そうよ? だってこの子、私だもの」
「え?」
「はい?」
「あん?」
「は?」
「えっと……」
「へ?」
「やっぱりそうか」
最後は術士の呟きだった。
彼はティエンに「術式が残っているなら、彼女の構造を確かめてみなさい」と促す。水将はざっと、先代の体を走査する。するや、「あっ」とばかりに驚いた。蘇生の最中は極度の集中故に気がつかなかったが、確かにこれは――。
「この子は私。この銀狼姫将軍が想像妊娠で作った娘だもの」
みな、言葉がなかった。
キャロラインなどはパクパクと口を開けては意味不明な呻きを漏らす。
「想像妊娠で子供だぁ!? 何言ってるんですかお母さん、この私が想像上の命だとでもいうのですか!?」
「く、くるしいって、ちょ、まって」
「しっかり説明しろぉぉお!!」
咳き込みつつもアセナは絞り出すようにいう。
「しゅ、しゅのほぞん……種の保存のために、銀狼一族には『理想の男性を想像して悶々としてるとその人との間に子供ができる』という機能があってね。もちろん、自分の複製になるんだけど」
「初耳だ」
「初耳だ」
「しかたがないでしょ! 姉は結婚できるような性格じゃないし長女で女王だし! 退魔の任を担う私が子供作るしかなかったのよ。それで青春の総てを理想の旦那さまを妄想して悶々とすることに捧げたのよ」
「聞きたくない……」
キャロラインげっそり。
「り、理想の男性ですか」
ようやくジレインが呟くと、「そうなのよ~」と手を叩く。
「でもさすが我が子、私の子、男の好みって似るのね~」
「は?」
あんぐりと口を開ける。
「一目見たとき痺れたもの。『ああ、理想の王子様が助けに来てくれた』って」
遠い目は、きっと術士が彼女を助けに入ったあのときのことを言っているのだろう。
「だだだだだ、ダメ! お義父さまは私のお義父さまだもの!!」
「あら、私と結ばれたら名実共にあなたのお父さんになるのよ?」
「血の繋がらない実の娘だから都合がいいんじゃないの! だめよ、お母さんには渡さないわよ!?」
「え~。いいじゃない。じゃあふたりでいっしょにというのは?」
「ダメ!!」
そこでブラベアが手を上げる。
「じゃあ四人で冬眠とか」
ティエンもポンと手を打つ。
「五人で温泉とか行きます? 親睦を兼ねて」
フェイニがウーンと唸る。
「私は排卵日に少し手伝って頂ければそれで」
ジレインは肩をすくめる。
「最後に一緒になれれば、それで」
フェンリ三世はあきれ顔だ。
「おまえら、お見合いの話は良いのか? 実はけっこういいとこのが引っかかりそうなんだが」
「けっこうです」
拒否される。
じゃあしかたがないとばかりに女王陛下は諸手を上げる。
「ケモフルール復興の邪魔にならねば、好きにせよ。私が認める」
「そんな無責任な」
控えめな抗議が術士の口から漏れるが、聞く耳は持たれなかった。
「お、お義父さんは私のものなのぉお!!」
そんな彼をキャロラインがぎゅっと抱きしめる。
そんな娘を、今度は耳の先を撫でながら優しく抱き留める。
まだまだ、親離れはできそうにないなと彼は苦笑する。
この物語は、若き銀狼姫将軍が幸せになる物語。
しかしその銀狼がひとりであるとは、実はどこにも書いてはいないのである。
<ひとまずの終わり>
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