『Evildoer』

 ガディスたち七人は、彼らが後の世へ語り継ぐ銀狼伝説のひとつを、いま初めて目にすることになった。岩壁に必死で擦り逃げ、少しでも彼女らから離れるように、腰を抜かし、涙目で、いやいやと首をかすかに震えさせながら。


「さあ、お化粧をしましょう。肩の力を抜いて」


 銀狼姫将軍はふわりとほほ笑むと、サキュリスのほほに当てた両手をそのまま彼女の両肩にぽんと置くや、両肩の関節と鎖骨を粉微塵に握り砕く。まるで紙袋を潰すような気軽さだが、響き渡る鈍くも乾いた音と、地から響くような魔女の悲鳴がそうではないのだといっている。


「横になりましょうか」


 魔女の悲鳴の中、姫将軍の膝が大淫魔の股間に叩き込まれる。恥骨が圧し千切れ、骨盤が小砂利のように粉砕する。内臓が横隔膜へと蹴り上げられる苦悶に、サキュリスは息もできず、悲鳴も上げられず、気を失うこともできずに――それでも優しく横たえさせられた。

 耐え難い苦痛の中、それでも必死に魔力を総動員し回復を図るが、銀狼の退魔の力によって悉くが阻害される。

 両手両足どころか骨盤から脊椎と支骨も深刻な損害を受け、極めて単純な話として、魔女は仰向けになったまま身動きひとつできなくなっていた。


「よいしょっと」

「あがっ……ぐあああああ、ああ! はぁ……あぐッ!」


 そこに馬乗りになる。

 キャロラインの体温を感じながら、締め上げるのではなく優しく乗っかるだけの彼女を見上げ、魔女は「ひっ――」と、悲鳴すら上げられずに息を飲む。

 黄金の瞳が、見下ろしていた。

 銀狼は優しく笑っている。


「アクセサリーは施術の邪魔になるので取っちゃいましょうね」


 魔女の右耳に着けられた、大事な大事な大事なイヤリング。その琥珀を優しく撫でながら、彼女はサキュリスの左耳を根元から握りちぎった。


「あああああああっ!! ぐぁああぃぃぃっぁあああああひぁああッ!」


 悲鳴。いや、絶叫。

 キャロラインの右手の中で魔女の耳が蒸発して消え失せる。消滅させられたのだ。残ったのは、魔気のかけらも付着していない綺麗な綺麗なイヤリングだ。彼女はそれをそっと胸の谷間へとはさみ仕舞う。


「ああああ、私の、私の耳がッ! グぁああああ――ンぐッ!!」

「サキュリス」


 魔女の悲鳴が途絶える。

 彼女の名前を静かに呼んだ銀狼が、その頬を両手で挟み込み口を封じたのだ。荒い息しか出せない。ひしゃげた顔で唾を呼吸で吹き散らしながらサキュリスは見た。

 見てしまった。

 にやりと笑う憤怒の銀狼の顔を。

 呼吸が止まる。


「サキュリス、あなた……キレイな顔をしてるわね。それでお義父さまをたぶらかしたのね? たぶらかしたのよね? たぶらかしたんだな? よくもたぶらかしたな。そのキレイなキレイな魔眼で色目を使い、尊いお義父さまの意識に淫魔のメス臭い魔力を送り込んだのよね? いいかしら、あの男性はわたしのお義父さまなの」

「……ッ!!」


 憤怒が、掻き消える。

 そして、魔女の肉体に苦痛がぶり返してきた。なんということだろう、激痛を忘れさせるほどの恐怖の中にいたことを、そのときサキュリスは気が付いてしまったのだ。

 かの異次元魔神四天王が最強の一角、大淫魔サキュリス。彼女は今、自分が仕出かしたことの恐ろしさと、ありえないほどの譲歩を見せた銀狼姫将軍に、思わず耐え難い痛苦の中で、ほっと息をついてしまい、思わず謝罪の言葉の形に口を開いてしまう。


「ごめ――」


 ガゴン!!


「あらら?」

「んんんんんんんんんん~ッ!!」


 サキュリスが「ごめんなさい」と言いかけた瞬間、魔女の顎は銀狼の手によって結合を破壊された。言葉は発せられなくなった。意味不明な呻きが響き渡り、「こまったわねえ」と眉根を寄せるキャロラインは、外れた淫魔の下顎を気道に指先で軽く押し込む。

 ただそれだけで息もできなくなれば、呻きも止まる。


「謝る気がないなら仕方がないわ。……じゃあ、お化粧をしましょう」


 キャロラインは、ゆっくりと、ゆっくりと、押し込んだ顎から指を離す。呼吸が戻る。ただそれだけで魔女は涙した。

 温かい銀狼の手が、涙と鼻水まみれになったサキュリスの頬に再び添えられる。


「……ンゴィいいいいぁああ!!」


 魔女の悲鳴。歪んだ絶叫。魂からの慟哭だった。

 キャロラインは無言だ。

 敵意すら浮かべられなくなった魔女はその虚無な銀狼の表情を見上げることすらできなくなっていた。

 だが、その横で震えるガディスら七人は見てしまった。


「むぎゅッ…………んんッ………………」


 銀狼の優しい手が、魔女の顔の皮膚を筋肉の層から剥がすように、丁寧に丁寧に、時間をかけて、ずらしていたのだ。

 当然、筋肉と皮膚の間には血が流れ込み、腫れ上がり、地獄の苦痛を味わうことになる。

 まるで果実の皮と果肉をほぐしわけるような手つきが、じっくりと、じっくりと。

 押さえつけられた魔女の肉体が、粉砕された骨もなんのそのとばかりにビクン! ビクン! と、強烈に跳ね上がる。しかし、馬乗りのキャロラインの体は微塵もぶれないのだ。

 満貫の大山が乗っているかのようなものだった。

 ビクン! ビクン!

 バタン! バタン!

 強烈な抵抗の中、魔女のが広がる中、キャロラインはひとつ、「ふふ」と笑うや――。


 ベリ。


「アギィィイイイイイイイ!!」


 魔女の顔の皮を瞼や鼻、そして唇ごと軽々と剥がした。

 血が吹き上がり、狂ったように頭を振り激痛に中で絶叫する魔女。むき出しの歯と眼球の白さが難度も助けを求めるようにガディスに向くが、彼は、彼らは何も動けなかった。彼らも、知れず、粗相をしていた。


「あら、ほんとにキレイよ、あなた。大きなお目目もパッチリ。歯並びも健康的。すこぉし鼻は低くなっちゃったけどね」


 べちゃり。

 と、湿った音がした。

 剥いだ顔の皮を、魔女の顔に張り付けたのだ。

 そして良く揉み込むように、魔女が逃げぬように、ぎゅーっと押し付ける。

 そして、あろうことか銀狼の回復魔術でその顔の皮を、剥ぎたての顔の皮を、無造作に張り付けた皺の寄ったまま癒着させる。


「まあ!」


 銀狼はうれしそうにポンと手を叩いて笑う。


「もっとキレイになったわ。すごい。すごいわ!」

「うぐう……うううう、うううううう! おえんああああい、うぉめんぁあい……!」


 魔女のすすり泣きと、意味を成さぬ明白な謝罪の言葉。

 ガディスはしわくちゃで瞼も開けられぬ歪んだ口から発せられるその呻きを聞きながら、もはや絶対的だった自分の主人が言語道断な存在に蹂躙されているのを思い知った。


「ご、ごぉえんあはああああい……ぃ――」

「あらそんなに嬉しかった? いいのよ、でもね、


 八つの喉が息を飲む。

 都合、何度目だっただろうか。

 彼女の『お化粧』は、ジレインとフェイニが駆けつけてくるまで何度も何度も何度も何度も続いた。

 そして到底、魔女の顔がかつて顔であっただろう物体に覆われたあたりで、銀狼は何も言えずにガディスらの反対側で震えて首を振り振りする部下を振り返る。


「ちょっとまっててね。……さあ、仕上げよ」


 もはや精根尽きた魔女は、やっと死ねるのかと喜んだ。

 しかしその地獄の痛苦の中で彼女を包んだのは、銀狼が持つ最大最強の治癒の光だった。月の支援を受け、その優しい光は魔神サキュリスであろうとも、吹き飛んだ右腕も、粉砕された骨も含め、顔面も、耳も、すべてを綺麗に修復してのける。


「…………………………」


 嘘のように、痛みや苦痛が消え去った。

 仰ぎ見る視界の片隅に、サキュリスは銀狼の髪が揺れるのを見た。

 体中に活力が戻る。

 魔神としての最盛期に勝る魔力の漲り。サキュリスはひとつ強くなった肉体で復活を果たしたのだ。今なら公然と異次元で最強を名乗れるだろう。

 しかし、その心は粉々だった。


「もうお帰りの時間よ。残念だけど、異次元にはあなたが必要でしょうし。そうそう、覚えておいて?」


 キャロラインの人差し指が、水に沈み込むかのようにサキュリスの胸に吸い込まれる。その爪先が心臓――魔核に触れる。


「あなたと私は永遠の主従おともだち。あなたの眷属はみんな解放して私のものに。いいわね?」

「――はい」


 即答だった。

 魔女はガディスら七人の契約を無条件で破棄した。それに加え、こんこんと準備してきた他の陰謀、他の三十人余りの魔人たちの契約まで聞かれずとも、悟られずとも自ずから破棄した。

 ガディスは部下ともども、つながりが確かに切られたことを感じる。魔素を求めていた肺がとたんにただの空気を求めるようになるも、咳き込む反射すら恐怖で麻痺してしまっていて気が付かない。


「よろしい」


 魔女の核に解除できぬ契約とトラウマを刻み込み、キャロラインはゆっくりと馬乗りになった大淫魔の上から立ち上がる。「ああ、もうその温もりが帰ってきませんように」……魔女は切実に思い、そして少女のように泣き始める。


「向こうに帰っても元気でね。正直、魔神がどうしようと、私とお義父さまが幸せに暮らすための世界をどうこうしない限り、戦争責任とか追及するつもりはないの」


 そんな姫将軍に、さんざん拷問を見せつけられたジレインもフェイニも「あっはい」と頷くほかはなかった。


「でも、こちらに来る場合は必ず私に連絡してね? もし黙ってひとりで来たり、あまつさえお友達を連れてこっそり遊びに来たりしないでね? 私悲しくなっちゃうから」

「ひっ」


 抜けた腰のまま、サキュリスは這うように退く。


「まあそうなったら、次は――全身エステなんてどうかしら」

「イヤ! イヤ! イヤよ! いいえ、嫌です、もう来ません! 来ませんから!!」

「そう? 残念。……ああそうだわ」


 キャロラインは人差し指を立てる。魔核に刻んだあの爪をひと舐め。


「もしあなたを抜きにして、誰かがこっそりこっちに来たら、私から逢いに行くからね」

「だ、だれも! だれもッ……!」


 言葉にできずとも言いたいことは分かったようだった。

 と、何もない空間を縦にスゥーっと切れ目を入れる。その爪は空間を斬り裂き、縦に割れた次元のクレヴァスの向こうに、魔素あふれる異次元の世界が見える。

 銀狼は、あろうことか指先ひとつで次元を超える門を作ってしまったのだ。勝てる相手ではない。

 ここから自分の世界にお帰り、と言っているのだ。


「…………あら?」


 銀狼の耳がピクリと。


「お義父さまの声。もう、来ないと思ってたのに」


 嬉しそうに尻尾が揺れる。


「あらあら、下着姿のまま。どうしようジレイン、フェイニ!」

「そ……そのままでいいんじゃないですか?」

「ええ、私らもそんな感じですし」

「ええ~」


 やっと四天王は手に手を取って立ち上がる。

 大丈夫、粗相はしていなかった。


「――キャロ~!」


 遠く聞こえ始める術士の声。

 パタパタと揺れる尻尾だが、ピタリと止まり、肩ごしにやや魔女に目を向ける。


「お義父さまがいらっしゃる。あなた、また色目を使うつもりかしら」


 明らかな殺意が向けられる中、「ひぃ」と呻き、魔女はその身体能力をいかんなく発揮し、一瞬で次元の門を潜り抜けていく。

 一目散とはこのことだろう。

 次元の切れ目は、キャロラインのひと撫でですぐに閉じる。


「じゃあとはお義父さまにお任せしましょう。……ちょうど、事情聴取に必要な命が七つもあることですし」


 そこでやっと、銀狼姫将軍はガディスらに向き直る。

 感謝されるかな? と彼女は思ったが、発せられた言葉は単純な一言の七つの唱和だった。


「ごめんなさい!!」


 それはそれは、後世に残るであろう見事な土下座であったという。

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