『これを見よ!』

 自分で行える、秘中の秘。

 逃走用の探知妨害片チャフを生成し、サキュリスは住処へと帰り着く。


「姐さん!」

狼狽うろたえるな。……急ぐぞ。月が満ちる前に、事を為す」


 遠い昔、かつて霊穴になりかけて崩落した洞窟の中である。ぽっかりと空いた虚無の空間は、今は彼らの隠れ家となっている。拠点でもあるのか、明らかに人の手が入った石床と、さらなる洞を利用した広間が設けられている。

 水龍山の隠れ家に逃げ帰ったサキュリスの無残な姿に、ガディスは「四天王に気づかれたか」と戸惑いを見せる。


「月が満ちねば、人柱も十全な効果を出せませんぜ」

「充分でなくともこの霊峰は毒される。それが今後の橋頭保になろう」


 サキュリスの思惑はこうだ。

 水龍山への呪術的汚染もさることながら、この霊峰の力を利用した、異次元からこちら側への目印として、ガディスら七人を用いることへと目的をシフトさせたのだ。

 異次元にもどり、再起を図る。

 魔人をビーコンとして、他のどの異世界でもなく、再びケモフルールへと侵攻を謀るためだ。

 このままでは済まさぬという決意が見て取れる。


「……サキュリスさま、家族のことはおまかせします」

「わかっている」


 急かすような――実際急かすその態度に、やはり多少の戸惑いは出る。どの道死ぬのは構わぬが、無駄に捨てられては残す家族が見殺しになるだけなのだ。


「ふむ、家族が心配とみえる。この私が異次元に帰還すれば、残される者の命がどうなるか保証がない。そういいたいのだな?」

「――」


 ガディスら七人は無言である。それは肯定を意味している。

 保証が欲しいと思う眷属に、サキュリスは「ふむ」と嘲笑を投げかける。


 魔女は控えるガディスの前で、ツ――と、空間に裂け目を生じさせると、「どのみち、貴様に拒否はできん。これを見よ!」と、その中からひとりのぐったりと意識を失った少女の体を抱えあげる。


「サラーラ! ……姐さん、ああ、サキュリスさま! いったいなんで娘を!」


 悲鳴。

 ガディスは頭を抱え、来るであろう魔女の脅迫に首を振るようにうなだれる。彼の部下も他人ごとではない。あの裂け目に、まだ自分の家族がいたのかもしれぬと分かるからだ。

 人質はひとりで充分。


 魔女はサラーラの懐に件の薬包を見る。「ぎりぎりまで我慢する腹積もりだったか」と、今度は苦笑に替える。


「やれ。でなければ契約の不履行と見做し、娘は殺す。そして私は退去し、お前の部下の家族は見殺しとなる」

「ああ、ああ、なんてこった……。サ、サラーラ!」


 逃げ場もなく、逃げ道もない。

 もはや、是非もなかった。

 ガディスは部下を振り返ると、六人もまた、頷いている。


「霊穴の場所は、七つ。広大な山脈に数限りなく点在する霊穴のなかから、その七つを関連だって見つけ出せるものは少ないでしょう。筋道立てて正解を見出すにも、何年も何年もかかるでしょう。そのうちに、大水源水龍山は魔に汚染され、異次元魔神軍再侵攻の足掛かりとなりましょう」

「うむ」


 魔神は頷く。彼女の魔気に汚染された魔人には、拒否など到底かなわぬことなのだ。しかし眷属とはいえ命ある強き男。程よく吸い取って己が鋭気に宛てようかとも思ったが、この分ではそれも要らぬだろう。

 サキュリスは棚から薬瓶を引っ掴むと、栓を口で開け、中身を一気に飲み干した。体の中に魔力が満ちてくる。急場しのぎの回復薬だった。

 サラーラの体は長椅子に乱暴に寝かせ置き、魔女は「さて、どうしたものか」と薬の空き瓶を投げ捨てる。

 追っ手は撒いた。妨害する雪も降らせた。ここが露見することはなかろう。そう思ったときだった。


「――!」

「――!」


 そんな魔女を含め、ガディスや数人の部下が急に表情を厳しく改める。

 この肌が弾け飛ばんばかりの神気!


「逃げも逃げたり、巣穴の中。……ほう、眷属も揃っているようだな」

「犬か!!」


 サキュリスはずいとばかりに魔気を放出する。


「何故ここが。貴様の鼻も役に立たんはずだ!」

「さてさて」


 ひたひたと、軽妙な足音。

 やがて姿を現したのは、下着姿であったが――「あのときのメイドだ」と誰かが呟いたように、キャロラインであった。

 神気あふれる銀の体毛、そして金の瞳。

 魔人は立ち上がる気力すら奪われ、へたり込んだまま岩壁際まで後ずさってしまう。


「なるほど大淫魔。よくもお義父さまをたぶらかしてくれたな」

「ハハッ、いうたな小娘。あの男ならもう死んでるだろぅ――グヌっ!」


 挑発的な軽口を叩こうとする魔人の肌が、ピシャリと神気に引っ叩かれる。予想を超えた苦痛にサキュリスは一歩後ずさる。


「お義父さまは死んではいない。あのかたが命を失えば、私にはわかる。娘の私にはわかる。……それに、ジレインとフェイニがいる」

「ほほう、あの子ネズミとヒヨコになにができると?」

「それは知らん。が、なんとでもするだろうよ」


 何をしたか知ったらとてもこう冷静には返せなかっただろう。キャロラインはとにかく四天王を信用信頼していたし、義父については信用とか信頼とかの次元ではなく、本能的なものを越えた素晴らしい何かで確信していたのだ。とうぜん串刺しプレイや産みたて玉子ちゅうちゅうプレイまでは想像がつくわけもなく。


「ひとつ、ジレインが何をしたのかだけは教えてやろう。あいつの毒な、貴様の肉体をむしばむのが目的ではない。私に分かる強烈なにおいを染み込ませるのが目的だったのだ」

「何!?」

「貴様には臭わんだろうよ。ただ、魔気ではないから魔性の雪でも攪乱できん。原始的で確実なもので、私は貴様の足取りを追ったんだ」


 鼻をすんすんさせる。

 そしてキャロラインはサキュリスの左耳に琥珀のイヤリングを見つけると、こめかみに太い血管を浮き上がらせるほど歯を食いしばった。

 牙が覗く。


「元気そうで何より。大淫魔サキュリス、貴様にはいろいろお礼をせんとな」

「ほざけ犬っころ」


 しかし、ことが露呈。それどころか規格外の戦力を招き入れてしまい、サキュリスに勝ちの目はない。

 ここは命を絞ってでも、異次元に逃げるしかない。

 魔人や娘は捨て駒だ。助かるまい。

 そう決意した瞬間だった。


「では」

「ひっ……」


 十数メートルの間合いを無音で詰めた銀狼姫将軍が、息を飲む大淫魔の頬に手を添えて、にやりと笑う。


「お化粧をしましょうか」

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