『Moon Fight』
戦いの相性は殴り合いだった。
文字通りでもあり、互いの得意技が刺突であるだけにお互いが体に幾本もの対手の得物を突き刺しながらの消耗戦だった。
交差すること実に五度、互いの臓器には致命傷を得ぬまま護りに出した手足に重傷を負う。
だが今し方の交差で魔神は胸に、ジレインは腹部に、針と、爪を受けていた。
「汚い鼠め……!」
「ふふ。刺されちゃいましたね。ふふ……」
状況は最悪だった。
事ここに至っては、この場で倒されてしまう公算が高い。
致命傷すれすれの一撃を喰ったことで頭が冷静になった。
「痛い……けど、まだ大丈夫。痛くない。痛くない。でもあなたの方はそろそろ、つらいのではなくて?」
「ぬう」
毒。
ジレインの毛針から染み出す毒は、魔神の肉体をむしばんでいる。唯一残っていた基本の身体能力が摩耗しかけているのだ。
撤退する。
まだ逃げられるうちに、全力で逃げる。
「屈辱は必ず返すぞ」サキュリスの呪詛。
「では後ほど。必ず」とジレインの一礼。
大淫魔は跳躍した。魔力が影響できる岩肌に沿い、夜闇へと消えていく。
「……小細工」
ジレインは呟き、気を抜いたと思われる一瞬で放たれたサキュリスの爪の投擲を、己が毛針ではじき返す。狙われていたのは術士だった。二度目三度目がないか警戒したが、どうやら完全に逃走を果たしたらしい。
時間的に、フェイニとの挟撃も警戒したのだろう。
「さすがに、きついわね」
毛針のひとつを太く変化させると、中に特殊な毒物を混ぜ合わせ、化合させる。抜き放ち、大きく大きく空へと、直上に高く高く放り投げる。
バシュゥっ!
毛針が破裂し、赤、そして黄色の閃光が夜闇を切り裂く。
信号弾だった。
ゆっくりとゆっくりと落ちてくるそれを見つつ、ジレインは術士の元へと歩み寄る。
『おみごと』
「あら、まだ意識がございましたのね。その、あのですね」
『意識が戻ったのは、今し方ですよ』
さすがに表情が読めないのでジレインはあの体の熱に浮かされたような悦びの中で思わず口をついて出た妄言を聞かれたかと思うと頬を赤らめる。興奮は過ぎ去り、もとの冷静沈着な表情を取り戻す。
「では失礼して」
倒れる術士に寄り添うように座り込む。
さすがに疲れがでたのか、パタリと倒れ伏す。
「お怪我は大丈夫でしょうか」
『頭蓋がまだ砕けてますが』
「直せそうですか?」
『意識は最優先です。気を失えば術が途絶えますから』
頭蓋優先、身体の修復は後回しということだろう。
やはり、まだ動かせないかとジレインはうつ伏せに倒れたまま考える。だめだ、自分の意識が途絶える。
「はは。意識を途絶えさせてないということは、全部聞いてたんじゃないですか……」
侮りが足しは魔神の爪。
それを最後にジレインは意識を失った。
思いのほか、ダメージが積み重なっていたようだった。
***
「姫、信号が。赤、黄色。……これは急がねばなりませんね」
「しかしあの方向は谷底の方ではないか? 妙に低いが」
赤は救援求む、黄色は目的半ば。
急がねばならないだろう。
「フェイニ、急げ。翼あるお前の力と血が必要だ」
「承知!」
開けられた穴から飛び立つ。
深紅の翼が舞い、暗き空へと消えていく。
「……雪?」
そのとき、見上げる夜空に白いものがちらつき始める。
月は煌々、雲はない。
そのひとひらが銀狼の鼻先まではらはらと落ちてくるが、吐息ひとつで浄化される。
「魔神め、目くらましか。悪あがきを」
魔性を孕んだ雪だった。
時間稼ぎに過ぎないが、それほどの痛手を被ったのだろう。
「しかし、あのクソ魔神」
琥珀のイヤリング。
お義父さまから頂いた再会のプレゼント。
私もまだ着けたことがない、大事に大事にしていたプレゼント。
違う女が身につけてしまった。
お義父さまが十年ぶりに会う私に似合うと思って買ってくれた、大事な大事な大事な大事な大事なアクセサリー。私の宝物。命。
お義父さまに会う前に取り返さなくては。
「ふたりは任せた。あいつは私が追う」
雪でも隠せぬ魔性の臭いを嗅ぎ、キャロラインが外に出る。
地を駆ける。
臭いが道を作る。
あとは追うだけだった。
***
「自分の名前はいえるか?」
「大丈夫よ」
活力が戻ってきた。
ジレインは起き上がると、魔女の爪を引き抜く。傷は癒え始めている。唇に感じるのは鳳凰の血液だろう。呪力が感じられる。
「術士どのは?」
「器用人には鳳凰の血液は強すぎる。拒絶反応が出たわ」
『もうしわけない』
起き上がるジレインに疲れは残っていない。
「なんであなたまで下着姿なの?」
「姫――その、キャロラインさんを介抱していたら時間がなくて」
呻きが上がる。術士が唇を動かそうとして、しかし咳き込みながらも、「やはりキャロも被害に」と、しっかり口にした。
意識があったのかとも思ったが、あの状況、おかしくはない。見ていたのだろう。聞いていたのだろう。
「術士どの、動けますか?」
ジレインの問いに、ゆっくり苦笑する。
まだ脊髄が粉々だった。
「この雪は魔性の雪です。魔神の気配を反射し、拡販し、惑わす。ジレイン、あなたは魔神を追って」
「あなたは?」
「術士どのを放っては置けません」
フェイニは岩場の洞を見る。
「体を冷やしたら大変だ。あの場へ移す。休息をとり……術士どのの自己修復が終わり次第、私も追う」
「承知した。まかせたわよ、フェイニ」
ジレインは谷間を駆ける。
あの銀狼姫将軍ならば、必ず道筋を遺していくだろう。
それを追うまでだった。
まずは基地へと戻るため岸壁を駆け上がる同僚を見送り、フェイニは術士の元に屈み込む。
「動かせますか?」
頭部の傷は直したのだろう。ひとつ頷きが返ってくる。
フェイニはすぐさま術士を抱え、洞へと身を移す。体が冷えているのは活力がつきかけているからだ。体重が軽く感じるのは彼が自分自身を媒体に損壊した臓器などを復元したからだ。
フェイニは暗がりの中、己が翼で術士の体を包み込む。ジレインの棘が突き刺さっているのを見ると、術士はだまって頷き返す。
抜き去ってくれという合図だ。
「痛覚は切ってます」
「器用なお方ですね。ではいきますよ――」
立て続けに三本抜き去った。
流血はない。抜き去った跡はピンク色の肉が見える。心臓や肺のあるべき場所もだった。
「場所はずらしました。あとで直します」
「ほんと、器用なお方」
そのとき、フェイニはふらりと倒れかける。その体重を感じながら、術士は「……体調が悪そうだ」と声を出す。「それも、今朝方から」と重ねていわれると、フェイニは観念したかのようにため息をつく。
「娘さんにも心配されましたが、大丈夫。翼人の周期的なものです」
「……これは失礼」
術士は察して口をつぐむ。
しかし、動けない。
先ほど口にした鳳凰の血とやらは、器用人の身には効果が強すぎる。分析して薬効を合成するには、特殊な呪力――鳳凰の巫女のものだろう、それが欠けていては画竜点睛をなんとやらだった。
「こいつは参ったな」
「回復までかかりますか?」
「だいぶ。熱が足りない、栄養があれば。チョコレートか何かは……持っていませんね」
下着姿だ。携行するものはないのは見て分かる。
「申し訳ありません。食料を取りに行くなら、このまま飛んでお運びできれば早いのですが」
「人間ひとり抱えて飛ぶのは無理でしょう。魔神とは違い、翼人は空に愛され空を友とし羽ばたく者ですし」
「申し訳――」
「大丈夫。砕けた脚を分解すれば、臓器は修復できます。まあ右足がなくとも、再合成すればあまり変わらぬものが仕上がります」
だが再びもとの動きをこなすには長いリハビリテーションが必要になるだろう。それを覚悟するならばという決意だが、術士はフェイニの様子がおかしいことに気がつき、思考を止める。
「はぁ……はぁ……」
「どうしました」
「いえ……」
応える余裕もないのだろう。
しきりに下腹部を押えては、「だめ」と知れず呟いてしまっている。
「ダメ……術士どの、見ないでください」
「フェイニさ……」
「んぁああッ!」
動けぬままフェイニは彼の肩に爪を立てるように仰け反ると、ひときわ大きい声を上げて痙攣を繰り返す。
そのとき、ぽとりとした温かいものをお腹の上に感じ、錬金術士は思考を中断される。おへその上辺りだ。見ようにも、首はまだ動かせない。
フェイニが大きく息をつき、抱きつくように脱力する。
「申し訳……ありません……。はぁ……はぁ……」
「フェイニどの」
改めて問うと、彼女は脱力し体を彼に預けたまま己が下腹部に――術士の下腹部の上辺りに落ちたそれを優しく掴み上げると、胸元までもってくる。
「排卵日でございまして」とフェイニ。
「これは、その、気が利かず。失礼しました」
見事な玉子だった。
獣人、とりわけ翼人は半卵生の生殖をする。
無精卵は胎から排出され、有精卵は胎内に残り胎児となり赤ちゃんを産むことになる。
彼女らの生理現象として、一定周期に玉子は産み落とされるのだろうと術士は納得した。
「なにぶん男所帯なもので、その手の話は」
「キャロラインさんも、ケモフルールに来てからですものね」
疲弊したまま、フェイニは苦笑する。
とりわけ、この排卵は疲弊しすぎるのが悩みだ。
「お互いこれでは、魔神を追えませんわね」
「ですね。ここは体力が戻るまで……」
と、ハタと術士は玉子を手にじっとそれを見つめるフェイニの瞳が熱を帯びたような気がした。
「あの」
「なんでしょう」
「術士どの。熱と、栄養と仰いましたよね」
「左様です」
ちょっとだけ、やな予感がした。
「提案があります」
フェイニは彼の体の上でフリフリと腰を動かしながら己が産んだ玉子を男の目の前でふるふると振る。
「好事家の間では、高値で取引されるそうです。長寿の秘訣だとかで。いえいえ、ケモフでは比較的ふつうのことなのですが、器用人の方にはそういう習慣がなかったらまったくもって戸惑うかもしれませんが」
「はい」
フェイニは覚悟して呟き、術士は観念して聞いた。
「たまご、食べてみますか?」
「そ、そのままですかッ」
「いやでございますか? そうですよね、どこぞの女が産んだ玉子なんて……」
「いやいや、そうでなく」
「ではッ」
ずい。
口元に、玉子の殻が。意外と乳白色で綺麗なものだった。
術士は一考した。白身と黄身の構成なら、確かに即、栄養と熱に変換し回復に繋げられる。魔神も追えるし、フェイニの体調も調整してあげられるだろう。
ずいずい。
差し出されるそれに、観念する。
背徳感と恥ずかしさ、それを任務感で押し隠す。
「……手が動きません。少し割って、口に」
「よろしいのですか!? わ、わたしが産みたての玉子を……食べて頂けるんですの!? 今まで誰も、好きになったかたでも愛し合ったかたでも食べては頂けなかったのに、産みたてを……はぁ……はぁ……食べ、食べて頂けるのですね」
妄言の中、据わった目で玉子の細いところを羽根の刃で穴を開け、術士の口元へと差し出し、軽く開いた口元に少しずつ、とろりとしたものを流し込む。大きさは掌サイズのもの、白身を飲み込めば黄身はひとくちだろう。
ゆっくりと唇を殻につけ、白身を啜る。生暖かいそれは彼女の胎内のぬくもりだろうか。またフェイニもそれを術士が感じてるのをまじまじと覗き込みながら尾羽を震わせている。
(術士どの、唇を付けるその殻は、私のどこを通ってきたのかご存じですよね。それを……私の体の一部であった中身を音を立てて、す、すす、啜り上げて、飲んで、お腹の中に……)
ブツブツと呟きながらフェイニは総てを流し込んだ。
玉子の殻の中に先端の殻を入れ、そっと横に置く。
「助かります」
やっとのことで術士はそういうと、恥ずかしさからか彼女から目をそらして胎内の術式に集中しようとする。
「気付きました」
フェイニは小さく呟く。
ひな鳥は生まれたとき、初めに動くものを親とすり込まれる。
それに気付いてしまった。
「ああっ!」
「ど、どうしました」
突然悶え始めたフェイニを体の上で感じ、術士が集中を思わず中断してしまう。彼女はかなり体を熱くしている。興奮しているのか、羽根がぶわっと膨らみ始める。
「も、申し訳ありません」
謝ってばかりだな、と思った。
しかしフェイニは正直に告白する。
「もう一個、産んじゃいそうです」
熱い視線を注がれ、彼はひとつため息をつく。
熱と、栄養。そのためだ。
ひとつ頷く。
「では――んふぅッ」
爪を肩に立てられる。
お腹の上で玉子を産まれるなどと、ついぞ思わぬ
鳳凰の血は器用人には強すぎたが、鳳凰の玉子は恐ろしいほど効いたのだ。
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