『赫き刺客』

 到着当夜のことだ。

 ひりひりとした神気を感じながらサキュリスはケモフルール水龍山基地のそばに姿を現した。近くであれば気がつかれるため、遠間から次元の隙間を出、徒歩で接近したのだ。


「口惜しいが、先だって力を奪われたのが功を奏したわ。普段なればこの段階で察知されていただろう」


 自ら出る。

 そう宣言したサキュリスは、飛龍到達を物見の者から聞くや、「やはり水龍山に来たか」と覚悟を決めた。

 蒼い月が満ちるとき、残りの魔力と七人の人柱を以てしてこの水脈を魔人のものへと汚染する。コストを考えれば足が出る一策だが、そうせねばならぬほどに追い詰められているのだ。


「おのれ犬っころめ。……まあいい、件の術士をたぶらかし、まずは逆転の一手を封じてくれようではないか」


 探るのは簡単だった。

 力失い、いまは魔神としての格も落ちに落ちたサキュリスだが、肉体のスキルそのものは衰えてはいない。大淫魔としての隠身接近の術は冴を失ってはいなかった。


「ふふ、犬と鳥、そして鼠は風呂か。都合がいい。――どれ、ひとつ用心しつつ乗り込んでやろう」


 犬はキャロライン、鳥はフェイニ、鼠はジレインのことだ。

 彼女らは術士に一番風呂を譲ったあと、作戦会議と称して三人で入浴を楽しんでいる。

 易々と侵入し、「不用心にも程がある。力にあぐらを掻いた馬鹿共め」とサキュリスはオトコの匂いと命を察知し、悠々と術士の部屋へと歩いて行く。

 だが途中、ふと鼻を鳴らすと手前の部屋のドアを開ける。


「ほう」


 キャロラインの部屋だった。

 荷物が解かれ、その準備も途中なうちに温泉に向かったのだろう。


「このような輩に敗北を喫するとは。しかし、女は女、小娘には変わりなしか。……ん?」


 そこでサキュリスは一計を案じた。

 その小箱を手に取り、中を開ける。メッセージカードに目を落とし、喉の奥で笑い声を上げる。


「キャロラインへ、おとうさんより――か」


 琥珀のイヤリング。

 そうか、異国で育った銀狼姫将軍のキャロラインの父親か。やはり人間であったか。ふふふ、意趣返しをしてくれる。

 そう思うや、サキュリスはその羽根で自らを覆うと、黒霧を纏わせその身を別の者へと変化させる。


「さて、似合うかしら? お義父さま」


 メイド服姿のキャロラインだった。その耳に琥珀のイヤリングを着けるその姿は紛れもなく銀狼姫将軍であり、そう呟く声もキャロラインの声音そのものだった。

 恐るべし大淫魔。男を落とす手練手管邪知暴略については二枚も三枚も上手だ。


「となれば、やはり術士は籠絡し、その秘術を余すところなく吸い取らねばなるまい。うむ、初手で魅了し、連れ帰るほかあるまい」


 殺すつもりであったが、やめた。


 そのままキャロラインの顔で、器用に尻尾まで振りながら、術士の部屋へと向かう。

 ドアをノックする。

 返事はすぐにあった。


「キャロラインです、お義父さま。入ってもよろしいでしょうか」


 応える声にサキュリスはほくそ笑んだ。

 ああ、今度は貴様から奪ってやるのだと。

 ドアを開ける。そこには果たして、器用人の錬金術士が気の抜けた顔で荷ほどきをしているではないか。


「お風呂に入ってたんじゃなかったのかい?」

「そんなことよりお義父さま」


 大淫魔の目は、オトコの精神こころが隙に晒されているのを見て取った。余程この娘に気を許しているのだろう。初手で決めるため、サキュリスは屈み込んで術士の瞳を覗き込む。


「お義父さま」

「なんだい? ――!?」


 気がついたときにはもう遅い。

 視線から流れた呪いは術士の脳髄に深く浸透している。

 まずは意識を奪い、持ち帰る。

 倒れそうになる術士の体を椅子からひょいと持ち上げ、担ぎ上げる。

 その瞬間だった。


「そこまでだ、犬っころ」


 担ぎ上げた術士の首元に手刀を突きつけるサキュリス。術士の部屋のドアが静かに開き、そこには下着姿のキャロラインが怒りに燃えて仁王立ちしていた。


「お義父さまを離せ。そうすれば命だけは助けてやる」

「こちらのセリフだ。この男を助けたくば、そこになおれ。一撃で心臓を貫いてくれる。……ん? そこの隠し通路にひとり、床下にひとり。はは、鳥と鼠らしい隠れ場所よな!」


 気付かれている。

 動きようがなかった。


「どこで気がついた? やはり変化へんげのときか?」


 サキュリスは問うが、返事はなかった。期待したわけでもなかった。しかし、サキュリスの狙い通りあの無慈悲な銀狼が一歩たりとも動けないでいるのだ。これは思わぬ拾いものだ。


「この男の命か、自分の命か、いま選べ」

「――くっ、殺せ!」


 キャロラインはその場にあぐらで座り込んだ。考える問題ではなかった。


「姫!」

「将軍!」


 隠し通路に潜むジレインとフェイニの悲鳴が聞こえてくる。

 総ての防御を捨てたキャロラインの心臓に、左手の手刀を静かに向ける。


「あっけない幕引きだったな。さようならだ、姫将軍」


 言い終わらぬうちに、その爪が太き杭となってキャロラインの胸板を貫いた。心臓と肺が存分に穿たれ、彼女の体は大きく跳ねるように後ろに倒れ伏した。


「……お、おとう……」

「はははは、仕留めたぞ! ふふ、いまその首も叩き切ってくれる!」


 だがその一歩が踏み出せなかった。

 術士が娘の声に意識を取り戻し、サキュリスの首もとに歯を立てたのだ。渾身の嵌合、しかし薄く血が滲む程度の痛み。


「驚いたぞ、意識が戻ったのか」

「――キャロ、ライン」

「もうしばし寝ておれ」


 術士に一撃を加えると、意識を刈り取る。

 その一瞬を待っていたかのように、左右からジレインとフェイニが飛び出してきた。ともに下着姿だが、殺気は充分。体勢に不利とみたサキュリスは変化を解きながら大きく跳躍、壁を突き破り基地の外へと降り立つ。


「術士どの!」


 フェイニは倒れ伏すキャロラインと彼を交互に見やりながら、く、と歯噛みする。


「ふふ、さらばだ」


 興味を失ったサキュリスが翼を広げ羽ばたく。

 その体が虚空へと舞い、術士がまさに連れ去られようとする中、ジレインは「フェイニ、姫を」と言い残し、下着姿のまま冬の夜山に駆けだしたのであった。

 追うつもりだった。

 取り返すつもりだった。

 そしていまそれが可能なのは彼女だけだった。


「ジレイン」


 走りゆく彼女の背を見送りながら、フェイニは仰向けで心肺停止するキャロラインの元へと屈み込む。

 そう。

 彼女には彼女にしかできないことがあるのだ。

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