『蒼い月の詩』

 翌日夕刻、一行は無事に飛龍を乗り継いで霊峰水龍山の基地へと到着する。最後のひと飛びは到着後にもとの厩舎に返すため、前の飛龍厩舎から乗り手をひとり加えての旅となった。


「では、火急の用事か緊急補給のときに。通常の連絡や補給などは陸路を使い、ふもとの水龍の村を中継してください」


 復路担当の翼人少女はそういうと騎乗敬礼をしてそのまま飛龍に乗って帰っていく。この基地に飛龍を滞在させておくには、備蓄の食料や餌、寝床などがないからだ。それにあまり飛龍の種類は寒さに強いわけではなかったからということもある。


「見事に操るものですね、あの少女も」

「生粋の乗り手ですから、我ら翼人は」


 ここに来るまではずっとフェイニの手綱だった。その腕前も当然認めた上での評価に、彼女も姫将軍の手前、誇らしい表情だ。


「もっと自慢していいんだぞフェイニ」

「いえいえ、そこまでは。いえいえ、あ、いえいえ、自慢します! 自慢します! 誇りに思います! おしりやめて!」


 義父が認めたものをキャロラインも鼻をフンフン鳴らして評価する。そういう所は可愛いが、なんか面倒くさいな~という正直な感想をジレインは漏らす。


「積雪もなし。風が冷たいですが、天候も良さそうですね。星が綺麗……」

「月が蒼い」


 ジレインがそう見上げると、自分の荷物を運び込む途中の術士も隣でつられるように見上げ、「これは、空気が澄んでいますね」と追従する。


「光はいつもかわらぬもの――」

「殊更秋の、月影よ――ですか」と術士が繋げる。

「もう冬ですけどね。ふふ」


 蒼い月の詩だ。


「空気も水も澄んでますわ」

「まだ、ですね」


 続いて「問題はそこでしょうね」と術士が呟くが、その言葉の意味を彼女はだいたい理解している。


「魔素汚染が見当たらないことを仰ってるんでしょう?」

「これだけの霊峰ですから、十年二十年前の魔素汚染の影響が出るのは、そろそろ……という話になるでしょうね」

「それだけ地表山肌からは手が出せない深い場所に根が張ってるということでしょう。空気だって澄んでるはずです」

「魔神門周辺のように、濃く多く根深く汚染されてはいない。しかし――この脚の下で、近い未来に湧き出す魔素の塊がある」

「左様にございます」


 規模や植生にもよるが、山野が水を蓄え清水として湧くのは二十年ほどの時を置いてだということが研究で分かってきている。魔神軍の初手が大熊の大地であったこと、その高山山脈郡のせいで戦略上に於いて二の次にされたことなどから、この霊峰水龍山の魔素汚染はそこそこに軽いものだった。しかし、無視はできない。

 裾野総ての人などが口にする貴重な魔素汚染前の清水が流れていることで、ケモフルールはどうにかやっていけている歴史があったのだ。


「霊峰に蓄えられた清水が、汚染後の水に書き換わる前になんとかする。大熊の大地の功績から、術士どのの力で打開策が見いだせるものと判断いたしました」

「今回ばかりは、人員確保が必須かもしれないですね。これは長い滞在になりそうだ」


 いうほど悲観した顔ではない。やる気に満ちた顔だ。

 経歴を伺えば、このくらいならば困難とはまだいえないのだろう。


「ともあれ本日は休養を。基地には私たちだけです。ひと月はともに行動できますが、それを過ぎたり、我らに火急の召集あるときは……」

「ええ、ひとりでも大丈夫です。見ればこの基地、一通りのものが揃っている。冬に孤立無援となっても、春まではひとりで乗り切れるでしょう。ご安心ください」

「――まあ、キャロラインさんもいますから」

「ああ、キャロ。そういえば治癒の力を持っていましたね。我が娘ながら、成長具合がものすごい。さすがは四天王の館詰めということでしょうか」

「ええと、まあ、そういう感じです」


 ジレインも荷物を持って基地へと向かう。

 中はすでにキャロラインの手によって火が入れられていた。火を入れたばかりであっても中が温かいのは、配管に源泉の湯が通されているからだろう。床下と方々には、おそらく貴重な錆止め鋳鉄管が配管されているはずだった。


「いつまでも子供じゃないんだなあ」


 しみじみと呟く術士だったが、キャロラインの「ああ、枕わすれた!」という悲痛な叫びに思わず吹き出してしまう。


「とおもったら、まだ子供だな」

「枕の中身を知ると大人へんたいだなってなりますけどね」

「フェイニさん、なんて?」

「いえ、術士どのの部屋はこちらに。事前に研究室のとなりにお部屋を用意させておきました」

「これはありがたい」


 ちなみにすぐとなりはキャロラインの部屋である。

 荷物を降ろし、準備を整えたあとは、基地全体に火が入ったのを見計らい、厨房脇の食堂へと集まった。

 暖炉に薪をくべるフェイニが排気口を明けつつ「さてさて」と、暖炉につるした鍋に水を入れて湯を沸かし始める。


「すぐでしょうが、湯が沸くまでゆっくりしましょう」

「というか、お腹が空きましたね」と術士。

「空の旅の途中は、飲食は軽めでしたものね」


 ジレインがなんかそわそわしているキャロラインを牽制しながら、厨房へと目を向ける。一通りの料理は可能な設備だ。初日ということもあり、備蓄も充分。さて、夕食は何を食べようか。


「とはいえ、磨りつぶした乾燥豆を戻して野菜と煮こんだものくらいしかありませんが」

「山の主食ですね。干し肉の類いは?」

「四人ならひと月分。水は三日――これは源泉のそばの小川を利用します。薪もたっぷり、油も充分、嗜好品も酒以外は揃ってますよ」とフェイニが受ける。もちろん嗜好品のなかには携行食のチョコレートもそれなりに用意されているのを三人は確認し合う。


 湯が沸くとさっそくお茶を喫して体を中から温める。一息つくや、キャロラインが「さて、では私が手料理を――」と立ち上がりかけるのを、四天王の二人はガッとばかりに肩を押える。


「はて、おふたりとも、これはなんでしょう?」

「おまちくだ――おまちなさいキャロラインさん、ここはこのフェイニが」

「フェイニにお任せください、キャロラインさん。彼女が食事の支度をしている間に、これからのことについてお話ししましょう」


 含みを持たせても頬を膨らませる銀狼姫将軍に、陸将は「お部屋の抜け道とのぞき穴について早急にご報告が」と耳打ちする。尻尾がパタパタ振られ、キャロラインは「それは重要」と、術士を振り返り「お義父さま、ではあとで!」と名残惜しそうにジレインと戻っていく。


「仲が良さそうだなあ」

「いやはや術士どのもなかなか図太い」


 フェイニが乾いた笑いを漏らす。

 厨房を使うか暖炉の火を使うか迷いつつ、フェイニは乾燥豆を鍋に投入、具材の皮を剥き切り分けながら、手際よく投入していく。じっと眺めていた術士だが、手伝いは無用の様子だった。

 なので、話を振ってみる。


「水龍山が攻撃侵攻を受けたときのことを話してもらってもいいですか?」

「三度の魔神襲来がありましたが、相当初期の段階ですね。結界が張られたあとの二年のうちです。空から三度、ともに雲の高さです」


 当然、翼人たちが飛龍を伴い駆逐したのだが、魔神の呪いを伴った死体が山肌に染み込んだという。その総数は少なくなく、魔素汚染の深刻性が問われ始めるや、いずれ片付けねばならぬ懸念として、ケモフルールの深奥に刺さる棘として残ったままなのだ。


「そのときは、フェイニさんは?」

「四天王が結束されたのは、銀――陛下が好機とみた巻き返しの大戦おおいくさが始まる少し前でしたから」

「十年前か。各国がケモフルールと密に連携が取れるようになってからですね」


 そして、キャロラインが自分の手から親族の元に巣立ったときのことだ。


「初めの水龍山防衛戦には、私の母が。そこで戦死しましたが」

「今回の任務に志願したのはそれが?」

「それもあります。しかし、魔人が陸ではなく空から攻めてきたことと、今回の除染任務の方向性は無視できぬものと思いまして」

「……なるほど」


 冷めた茶を喫しながら、術士はひとつ唸る。


「水龍山を水源とする大地は、水の脈。彼の地、大熊の山野は火の脈。魔神はやはり、大地の力そのものを利用し、いくつも魔神門を開こうとしたのは間違いなさそうですね」

「そのような考察をできるのも、戦争が終わったからだというのが悔しい限りです。予想を裏付ける調査ができたのは、この二三年ですもの」


 器用人や魔法国の人員が出入りすることができるようになった昨今、それは飛躍的に進むだろう。


「フェイニさん、ジレインさんはどのように見立ててますか?」

「魔神のことは魔神に、もしくはその眷属に聞くのが一番だろうと」


 なるほど、と術士はもう一度唸る。


「狙ってくると思いますか? 水龍山ここ

「巻き返す気があるなら、ですが。ただ気になるのは――」


 鍋を暖炉にかけながら、フェイニはそばにしゃがみ込む術士にため息交じりにこぼす。


「どうしました?」

「ああ、いいえ――。気になるのは、魔人です。眷属がいたということは、魔神が次元の狭間で伺っているということです。あれほどの大敗、あれほどの損失を受けてなお、まだそこにいるならば、仕掛けずには済みますまい」

「ああ、なるほど」


 ふたりは火を見つめながら頷く。

 あとがない、ということだろう。

 キャロラインが言うようにすんなりと事が運ぶ見通しは、やや暗かった。


「なりふり構わず来るか。だとしたら、それはそれで打つ手はあるな」


 そう呟く術士の横顔に、フェイニは空寒いものを感じて羽を逆立てる。気のせいだろう。ひどく機械的なものに見えたからだ。

 当然それは見間違いだ。

 彼は彼として、術士として、単純にそれだけで呟いたのだ。

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