『いっときの夢』
ガディス一家には、二十人ばかりの者が身を寄せている。ケモフルールの片田舎にかまえた拠点で、表向きは療養所。魔人の面々、ガディスとその部下六人を除くと、入院患者は皆その家族だ。
「サラーラ、いま帰ったよ」
「お父さん」
西の邦の計画に目処が付いたとき、彼らはいったん、この『家』に戻ってきた。
ガディスが病室に戻ると、白髪の命の気配薄い少女がベッドに身を起こす。そのままでという父親の制止に苦笑しつつ、「ずいぶん久しぶりなんだもの」と頬を膨らませる。
「また悪いことをしてきたの?」
「ああ、また悪いことをしてきたんだ」
そういうと父が困った顔をするのを知っていたが、この数年は――魔神門が閉じられてからは吹っ切れた様子で、彼もまた苦笑しつつ肯定する。そんな遣り取りが繰り返されている。
「薬だ」
紙に小分けされた粉薬がふたつ。
白いものと、やや青みがかったもの。
そのふたつをサラーラという少女は、父が差し出す水でゆっくりと飲んでいく。少し多めの水で飲むのは、飲み慣れている証拠だろう。
「サラーラ、いっておかなくてはならないことがある」
「……薬、これが最後なんでしょう?」
わかっているわ、と少女は微笑む。ガディスは「――すまん」と、言葉にできずに顔を伏せる。顔向けできないわけではない。涙を堪えるなら天を仰ぐ。後悔するならもろとも命を絶つことも考えるだろう。しかし彼はただ娘に頭を下げた。
「十四年、もう充分に生きました。いろんなものを犠牲にしてきたけれど、恨む人も多いとは思うけれど、お父さんがいて楽しかった。黒服のおじさんたちも優しくて、お土産もいっぱい買ってきてくれたし」
「まだ十四年だ」
絞り出すガディスの言葉に、サラーラは窓の外に目を向ける。聞こえてくるのは幼い子供たちの声だ。
「おじさんたちも、帰ってきてるの?」
「……最後になるかもしれないからな」
「危ないお仕事なの?」
「ああ。運がよく生き返ったとしても、もうお父さんはお前のお父さんじゃなくなってるかもしれない」
「ううん、お父さんだよ。私には優しい、たったひとりのお父さん。――んッ」
軽い呻きを上げる娘の手からコップを預かる。薬が効いてきたのだろう、呼吸と顔色がよくなってくる。
ガディスは開けられた紙包みに目を落とす。
「何日、保つかな」
「ひと月くらいかも。そのあとは、もう動けなくなるし」
「そうか」
「大丈夫、死ぬときは自分で死ねるわ」
娘が枕元に短刀を忍ばせているのはガディスも知っている。彼女がいま自ら命を絶たないのは、総ては父親のためだった。
「お父さんが魔人になったのって、元はといえば私のせいだし」
「それはいわねえ約束だ。ぜんぶ俺が決めたことだ」
「私が助けてっていったからでもあるわ。こうなると分かってたら、いいえ、小さい私は苦しくなくなりたかっただけだったから」
かつて、彼がただの器用人で、ただのチンピラだった頃。
敵対する組織のボスが、子供を好んで殺し生け贄にしていた頃。
獲物に選ばれたのがサラーラだった。そして部下の家族と子供たちだった。見せしめも兼ねていたのだろう。魔人相手とはいえ、黙って殺されるわけにはいかなかった。
だから、奇襲をかけようと潜んでいた。
しかし魔人組織を壊滅させたのは、ひとりの狂った錬金術士だった。
「人柱になるか、塩になるか、魔物となるか。――あのあと、サキュリスの姐さんに魔人の後釜にと誘われなきゃ、また運命も変わってたかもしれねえな」
「薬をくれる人、だったっけ」
「くそ魔神さ。魔素中毒の後遺症に悩む器用人の俺らに目を付けた。弱みにつけ込んできた。あの魔性でたぶらかしてきた。手下になれば、家族の命を保つ薬物を提供するからってな」
「やっぱり、魔神だったんだ」
「これが最後になる。何でも話すよ」
外からの子供の声。大人の声――黒服のおじさんの声も混ざってくる。楽しそうな声。笑い声。
「でも、うまくいけばその魔神さんが薬を続けてくれるの?」
「そういう約束だ」
「難しいお仕事なのね」
「ああ」
聞きたいことはいくつもあった。人をやめたガディスの、たったひとつ残った良心。サラーラは、大体の事情は知っていた。
「お父さん」
「なんだ?」
「ぎゅってしてくれる?」
「いくらでもするさ」
娘の体を優しく抱きしめる。その折れそうな体を感じ、まだ温かいそれをどんなにか愛しく思う。涙を流すわけにはいかなかった。
「お母さんそっくりになったな。……もう少しすれば、男もほっとかないだろうよ」
「お父さんみたいな人がいいな。何があっても、必ず帰ってきてくれる人」
抱く腕に力がこもる。
魔人としての力がつけば、この中毒後遺症も治せると聞く。鼻先のニンジンではと思うも、その手の話に関して魔神は嘘はつかない。
「私も魔人になれば元気になれるかな」
「だめだ。自由もなく、未来もなくなる。お前は人類でいておくれ。死した後も無様に冒涜される存在であっては駄目だ」
家族皆がそう思う、その事実。
ガディスは耳に届く笑い声に確信する。俺たちは、遺す家族のために命としての尊厳をかける。
「負けるわけにはいかねえんだ」
西の邦に旅立つ前日。
最後の晩餐をみんなで済ませ、最後の夜を家族で過ごし、魔神たちは早暁に死地へと赴く。文字通り、死ぬために。
見送る者はいない。
目が覚めたとき、帰らぬであろう家族を思い、それでも変わらぬ毎日を生きるのだろう。
――それが終わるまで、ひと月。
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