幕間5『負けるわけにはいかねえんだ』
「なんたることだ。このような失態、命を以て贖うほかはないではないか」
かつての拠点となった大熊の大地が、全くの
「秘蔵の瘴気獣五体がただの一戦で使い物にならなくなるだけならまだしも、今までの成果も含めひっくり返されるとはどういうことだ!」
「サキュリスさま、これは一筋縄ではいかぬ問題です」
殴られた額から血を滴らせつつも、ガディスは平伏し、言葉を続ける。
「獣人には希有な職ですが、器用人の中には錬金術を使う者がいてございます。此度の痛恨事、総てはその錬金術士のせいとみて間違いはございませぬ」
ガディスがしたふたつ、ないしはみっつの間違い。
最後のそれは同行していたのがかの術士だったことだろう。
「錬金術……士、とな?」
「物質の理を解き明かし、分解再構成することを得意とする魔術師の一派です。此度の浄化、魔素瘴気の反転、ひとりの術士がただの一撃を以て成した成果にございます」
「信じられぬ。たかだかひとりの魔術師にだと? 器用人ならばあの場所で生命を保ってられるはずはないだろう」
だが、起こったことは事実だ。
腕を組み指先を噛みしめるサキュリスに、ガディスは「器用人の国に、とある
「都市伝説? 器用人の? ……申せ」
「魔神門の時空振が引き起こした、結界外の先兵降臨。その影響による魔素汚染の除染研究を一気に推し進めた男がいます。
「軍部のものか」
「いいえ」
ガディスは、一瞬怖気を振るい、うなじを逆立てかぶりを振る。
「かつては軍に。しかし、魔神に対する復讐鬼となり、野にくだり、いち術士として技術を練り上げていったのです」
「……その口ぶり、顔見知りか」
「向こうは私を知らないでしょう。しかし、私は知っております。かつてこの身がただの器用人であった頃、かの国の、ただのチンピラだったときのことです」
七八年前のことだったか。
思い出すあの頃は、惨めな時代だった。
「今の我が身と同じく、魔人となっていたとある組織のボスがいました。悪事は何でもこなし、結界の外から魔素の浸食を広げようとしておりました。殺しもたくさん。しかし、子供を好んで殺していたのがいけなかった」
いけなかったというのは、倫理的なことではない。魔人としての常識ではなく、悪手であったという意味を込めての呟き。
「あっしは、そのボスとは敵対してましてね。殺す隙を伺っていたところ、来たんですよ。その本拠地に。錬金術士が」
己が身を抱えるように身震いする。明らかな恐怖だ。
「五十人はいたでしょう。あの頃の魔人は、そりゃあ鬼のように強かった。でもね、その術士にみんな、生きたまま塩の塊に変えられたんですよ」
「塩の固まりだと――?」
ガディスは、「へい」と、ひとつ頷く。
「術士は表情を一切変えず、淡々と、手を翳すだけで魔人をみいんな、塩に変えていきました。襲撃を仕掛けようとしていたあっしらは、一部始終を見ていました。一方的で、即時的でした。人外の悪鬼が、ただの器用人に処理されたんです」
「……馬鹿な」
サキュリスはしかし、休戦派のアスタロンが力を失った一件の、とある噂を思い出す。あの魔神も、確か器用人の国に己が魔人の一派を送り込んでいたはずだ。
「サキュリスさま、あっしは聞いたんです」
「なにをだ?」
「魔人ならばこのようなものか。魔神なら、さてどのように分解するものか、と」
息をのむ。
異次元魔神は、この世界の法則から逸脱する力を持っている。
しかし、逃れられぬ法則もある。
「断言します。炎の社に現われた男――四天王のふたりでも、妖しい銀狼のメイドでもない、あの男。かつて見た、あの術士でございます」
「それよ、そのメイドだ。よもや――」
「は。あり得ない話ではありますが、銀狼姫将軍キャロラインであったと思われます。合体した魔獣の首をただの一撃。それしか考えられません」
そこでガディスはひとつ、「これは推測なのですが」と付け加える。
「銀狼姫将軍は、かの錬金術士に仕えているのではないかと思われます」
「ありえん話だ! あの犬っころが、器用人に仕える? いかな術士といえども、銀狼を従えられると思うか? 魔神王すら手を焼くあの犬だぞ」
「はッ」
だが、サキュリスの顔は渋い。
「ガディスよ」
「はッ」
どんな命令が下ろうと、サキュリスとは一蓮托生なのだ。
魔人となったガディスとその手下には、それしか道はないのだ。
「この霊峰、第二の魔神門開通の拠点とする。かくなる上は、霊脈を組み替え、立体魔方陣を組み、霊峰そのものを門とする」
ここで彼女はミスを犯した。
まだ戦おうとしたのだ。
「恐らくその錬金術士もやってくるだろう。犬っころも、四天王も。ふふ、その術士がどのような存在であれ、私自らが籠絡してやろう。男ならば、容易く堕落させてくれる。魔眼で魅了し、その術理を総て奪い去ってくれようぞ!」
ここで彼女は致命的なミスを犯した。
「おお、御自ら!」
感嘆するガディスだが、内心、そうしなければ最早あとがないのだろうということを知っていた。サキュリスはもとより、魔神に命を握られている自分も、部下も、そして大切な人も。
「負けるわけにはいかねえんだ」
口の中で呟き、彼は立ち上がり部下に号令を放つ。
「命の楔を打ち、この身を以て霊峰を魔界へと変える。お前らの命、もらい受けるぞ」
「へい」
六つの唱和。
彼らが死に、自分が死んでも、生き残る者がいる。
契約である以上、魔神は魔人の願いを無視はできないのだ。
事成れば、死した後も魔物として蘇ることができるだろう。
「ではサキュリスさま、さっそく時を見計らい、霊峰を――魔界へ」
「霊峰を魔界へ」
頷き返すサキュリスが次元の狭間へと消えていく。
力の消耗が激しいのだろう。
この作戦が、本当に乾坤一擲、最後の勝負となるだろう。
「負けるわけにはいかねえんだ、俺たちはよ」
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