『La Valse Pour XANADU』

 「東の秘湯、うむ。確かにこれは素晴らしい」


 銀狼姫将軍キャロラインはブラベアが「地形が変わる前はここにありました」と記憶を頼りに案内した場所で満足の一言を発したのだった。


「半日歩くとは思わなかったが、クソ忌々しい魔神の先兵……魔人? 瘴気獣? あんなものはどうでもいい。基本は温泉だ! イチャイチャだ! 旅のホコリを秘湯でじっくり洗い流す! そのためにここに来た! そうできるように魔神と戦ってきたのだ」

「わかりましたから、宣言しながら全裸になるのははしたないかと思います姫将軍~!」

「ブラベア、たたんどいて」

「えー」


 がおー、しょうがないなー、と大熊は疲れていたので摘まみ上げるとひとかたまりにして岩のそばにぽいっと投げ置く。

 そしてかつての『秘湯』を伺う。

 以前までは――それでも二十年以上も前、ここが魔神に冒される前の記憶だが、ここには岩肌の隙間から染み出たちょうどよい塩梅の湯が染みだし、ほどよい自然の湯船を形作っていた。大熊族が五人も入ればキツキツな大きさだったが、これはどうだ。

 岩場だった場所は、今はもはや小池となっている。浅瀬の部分なら足も立つ深さで、湯温も少し熱い程度だった。


「お義父さま、準備できましたか?」

「あ、ちょ、待った。もう少し。……あのさキャロ」


 木々に差し渡した細手の紐にかけられた布、仕切りの向こうから、術士の慌てた声が聞こえてくる。男故に、着衣を脱ぐ場所を分けたのだ。魔人の件もあるので、完全に離れることはしない。誰しも疲弊しているが、まとまっていればこの面子に手を出そうとは思うまいとブラベアは判断した。

 そのあたりの判断はティエンか姫将軍が行うものだったが――。


「洗濯物はひとまとめにしておいてくださいね。新しいものはなるたけ湯を拭ってから身につけられるように、タオルのそばに置いておいてください」

「ほんとに一緒に入るの?」

「入浴ではなく、『洗浄』ですから。恥ずかしがらずに。か、かかか、か。か、家族なんですし!」

「あ、うん。だよねえ」


 ――姫将軍はもはや色に目がくらんで盛っているのでナシとして。

 ブラベアは岩場に横に転がされたティエンに目を向ける。


「ふへへ……ふひ……あひひ……」


 だらしなく半開きになった口元からヨダレが垂れまくっている。術士にいいように扱われた快感がいまだその体を駆け巡っているのだろう。夢見心地で不覚のままだ。これはもう転がしておこう。


「お、お義父さま、まだですか? 脱がしましょうか? いや、お手伝いしましょうか? 親子なんですしこんな布一枚要りませんよね? そっち行ってもいいですか? いいですよね? 返事がないなら行きますよ?」

「だめだって、だめだめ。他のふたりだっているんだよキャロ」

「むかしは一緒に入ってたじゃないですか、今更恥ずかしがらなくとも!」

「そうじゃなく、他のふたりも入るなら、その、着衣を外してるんだろう?」

「大丈夫です! お義父さまの貞操は私が奪――守ります!」

「え、なんて?」


 はなはだ知性が欠けてきている。


「たすけてー、ティエーン」

「ふひ……」


 だめだった。

 ブラベアは仕方がなかったので着衣を脱ぎ、面倒くさいのでティエンの衣服も脱ぎ脱ぎさせた。まとめてキャロラインのものと一緒くたに置く。どのみち、まとめて浄化洗浄するしかないのだ。もっとも、それを行うティエンは肉体の端々をだらしなくさせてビクンビクンとしている。女にはよくある法悦境に入ったまま帰ってこれないのは、いまだ術士と繋がっているからだろう。難儀なことだった。

 ブラベアは「姫、じゃあ先にお湯を頂きますね」と、全裸のティエンを担ぎ上げる。しかし見事な肢体だった。強靱な肉体、割れた腹筋も実にしなやか。生傷と、古傷。歴戦の勲章が刻み込まれている。

 担ぎ上げられたティエンの体は、見えるところは綺麗だった。が、見えないところには、古傷。そして、いくつか致命傷であるようにも見える、戦いの歴史が。

 普段ならば敬意を以て扱う姫将軍だが、「あぁん?」とふたりを振り返る。


「貴様ら、裸でお父さまを待ち構える気か? 色目か? ん? あぁん? ん? というか女臭いなティエン。大丈夫なのか?」

「目が覚めたら綺麗になるでしょう。どのみちお湯に投げ込めば意識もはっきりするかと」

「向こうでな、向こうで。こっちは、家族湯だ」

「はいはい」


 ペッペと手を振るうキャロラインに配慮して全裸でしばし、ティエンを担ぎ直す。今度はブラベアの肩で仰向けに反るようにしたティエンがピクピクしている。なかなか体が柔らかい。

 周囲を見回せば相変わらずの空模様、日もそろそろ落ちきる。曇天の下は、荒廃した山野。多くは崩れ、多くは残り、多くは混ぜ返されている。

 見慣れた故郷は、様相を変えていた。

 荒廃した故郷ではなく、新しい山野に。

 ここが、新しく故郷になるように。


「魔素が消えている」


 小さく呟き鼻をスンスンと鳴らす。

 大地には魔毒の気配はなく、おそらく、目の届かぬ山野にもあの『白杭』の結晶が今もなお根を伸ばしているのだろう。あの社を中心に、放射状とはいかぬが、どんどん広がり、大地を改良していっている。

 こうなったときは、地脈がズタズタになるかと思われた。

 しかしここに来る途中、術士はこうブラベアにいったのだ。


「地脈は、気の遠くなる年月をかけて構成された道。どんなに地下が混ぜっ返されても、それに順じた地脈が出来上がる。この大地の上辺に張り付いたイキモノの考えだけでは、この世界の生命力は測れないものです。ご安心を」


 大熊の女は「そんなものなのでしょうか」と不安だが、術士が重ねていった一言が気に入っている。


、か」


 ふふ、と笑う。

 様変わりしたのは、大地が寝返りを打ったのだ。今まで少し寝苦しかったのか。またこの大地が大地として根付くまで、大熊族が見守ろう。そう決意した。

 錬金術士か。

 ブラベアは、かつて感じた希望の熱を思い出す。

 毒矢は抜き去られた。

 長い年月かけるだろう案件が、魔神、魔人の介入によって悪化しようとしたところを、まさに皮一枚の所まで待ちに待ち、ただの一撃で逆転させたのだ。


「銀狼姫将軍の、育ての親……か」


 ふと、件の姫将軍に目を向けると、慌てたようにタオルと石けんと洗浄液を手に取っているところだった。おそらくあの術士はそそくさと温泉へと浸かりに行ったのだろう。あわてて布の向こうへと消えていく。


「よし、私たちも入っちゃおうか」


 両肩に担ぎ渡すように持ち直した相棒ティエンへそう告げると、やや離れた浅瀬へと向かう。湯の温度は、やはりちょうどいい。


「命名、寝返りの湯」


 ブラベアは肩まで一気に浸かる。

 ティエンの頭が湯に沈む。

 ふたりは染み入る表情となった。

 ん、いい湯だ……。




***




 艶めかしい指先がその背を撫でる。

 傷が多い。

 錬金術士は、文官の類いだ。彼のように戦場に顔を出す軍人とはいえ、この傷跡の多くは刀槍の類い含め、獣のもの、火傷のあとなど、器用人同士の闘争のものだけではない。


「体の前は、見てせるんだけどね。見えないところは、なかなか上手く直せない。どうせ見えないし、見せないから、直し方もぞんざいになっちゃってね」

「痛かったですか?」

「死にかけたことも一度じゃなかったからね」


 十前までの軍属時代。

 その後十年の、流れの時代。

 この錬金術士が乗り越えてきた戦いもまた、キャロラインの知らぬ苛烈さに満ちていたのだろう。経歴は読んだ。それは、彼女も知る彼と、彼女が知っていた彼がこなしてきた歴史だ。流れの時代は、研究成果のみの記述だ。功績を支えた修羅場は書かれてはいなかった。


「子供の頃は広い背中だと思っていましたが」

「ちっちゃく見えるようになった?」

「大きく見えるようになりました。えい」

「おいおい……く、くすぐったいって、なにするんだキャロ」


 背中から抱きつき、その舌を術士の傷、ひとつひとつに這わせ、丁寧に舐め上げる。初めは嫌がっていた術士だが、必死な娘の熱に打たれ、静かに体から力を抜く。


「……戦っていたんですね?」

「残ってる傷は最近のものさ。上辺だけ。体の中は、背中よりもよく見える。大丈夫、健康だよ」

「自分自身の再構成、ですね」

「ああ。錬金術士も歳は取る。しかし、熟達者は己という神秘を解析する段階で、必ず気がつく。……まあつまり、術者ぼくらは死ぬまで健康ってことさ」

「無茶ができるということじゃないでしょう、もう」


 肩が甘噛みされる。

 お堅い話はここまでとばかりに胸を押しつけるが、術士の背中は湯熱で火照るのみだった。ぐりぐりするが、歴戦の術士はハハハとくすぐったがるだけだった。

 お、おもしろくない!

 姫将軍はフンスと鼻を鳴らす。

 こうなったら実力行使だ。

 さあ体の前部分に手を伸ばそうとしたとき、ざぶざぶとブラベアがやってきた。


「それ、どっぽーん!」


 彼女はティエンの体を術士の横に投げ込む。ぶくぶく沈んでいるが、水将なら平気だろう。たぶん。


「あれ? まだ洗浄してなかったんです?」

「ちょ、ブラベアさん、前! 前隠してください!」

「え? 気にします?」


 それほど気にしないおおらかな大熊娘は、術士の正面でがおーと両手を広げ、えへへと笑う。


「もう洗浄したと思ってこっち来ちゃいました。改めてお礼もしたいですし」

「そそ、それはまあ、その、とりあえず前をですね痛ぁー!! キャロ、噛みすぎ! 噛みすぎ!」

「デ、デレデレしない! 炎将どの、はやく湯に肩まで浸かりなさい!」

「あ、はーい」


 どぷんと腰を降ろすが、水深が巨体に合わないのか、そのまた巨大な胸がぷかりと湯に浮かんでたゆんたゆんと小さく揺れている。


「こ、これは桃源郷かッ。しかし見事な……いたたたたたたた」

「お、お義父さま!?」

「こ、これは違うんだ」

「違わない! そんなに巨乳がいいんですか!? お、おと、おとおと、男の人はみんな、アレに!」ズビシと浮かぶ巨乳に指を差し「アレに引き寄せられるのですか!?」と、こんどはぽかぽかと背を叩き始める。


 視線を外しながら術士が「いやはや」と天を仰ぐ。少しよこしまな感情が鎌首をもたげかけたが、そこは自分の体。調整して平静を取り戻す。


「おっと、反応しましたね!?」


 ザパーンとティエンが立ち上がる。今まで沈んでいたが、平気な様子だった。思わず見上げてしまう術士だが、その真白い肌に、これも健康的な姿態に言葉を失ってしまう。


「あ、また反応しました。正直!」

「いやいや、なにを――」


 ぶんしんか、と術士は察した。

 己の状態は、彼女には筒抜けなのだ。意識して、平静を取り戻す。


「お、お義父さま? 私の胸はくすぐったいだけで、ふたりの裸には興奮するんですか!?」

「ふふふ、親子なんですものねえ」


 と、ティエンは座り直して笑みを浮かべる。

 ブラベアもティエンも、距離が近い。キャロラインとの三角の間に術士がいるほど、近い。どちらを向いても、健康的な姿だ。


「しからば」


 と、術士は諦めて座り直す。正面には、キャロラインの体。


「にゃー! なぜこちらを向くんですかッ!」

「いやまあ、この状況、向くなら娘の方かなと」

「こここ、心の準備が」

「いやあ、大きくなったなあキャロ」


 さしもの術士も混乱してるのだろう。思わず娘の肢体を見て口をついて出た言葉は、なぜか胸に注がれているような気がして姫将軍は前屈みで湯に沈む。


「いやああああ、恥ずかしいいいいいい!」

「いまさらですか?」

「いまさらですねえ」


 と、ブラベアがちょうど背を向けた術士を自分の方に引き寄せると、ぎゅっとばかりに抱きしめる。豊満な胸元に頭が埋まりかける。相当な威力に術士も息をのむ。


「ブ、ブラベア……さん!?」

「ねえ、術士どの」


 ギュ……と力がこもる。あぐらを掻いた彼女の中に、グムっと抱き込まれていく。離れがたい。いろんな意味で。


「あの、その、術士どの。あ、秋も深まってきましたし、一緒に冬眠しませんか?」

「え?」


 術士は言葉を失い、キャロは目をかっと見開き、ティエンは「反応してる~」とニヤニヤ顔だ。


「冬眠?」

「その! ……キャ、キャロラインさんのお義父さまですし、器用人にんげんですし、わ、わたしももう大人です。ひと冬動かずずっととはいきませんが……てへへ」


 姫将軍が恥ずかしさで体を丸めてるのとは対照的に、ブラベアは完全に獲物を仕留めるように術士を抱き込み円くなっていく。


「説明しますと、大熊族の子供は成長のために冬眠します。大人は繁殖のために『冬眠』します。器用人の男女が、もう寝ようか、と誘うようなものです」


 ティエンがそういうと、術士は「ええーっ」と単純に驚く。気持ちのよい監獄に抱き込まれながら、その誘いも実に魅力的だと息をのむ。


「だめっすか?」

「いやその、ダメとかそういう問題ではなく!」

「駄目に決まってるだろうがあああ!!」


 キャロラインが仁王立ちになる。

 ああ、大きくなったな。

 何故か漠然と術士はそう思った。謎。


「説明しますと、獣人族は女社会です。男性の数は少なく、そのせいか、やや乱暴な話、男性体は共有物のような感じにあることが多いです。あるでしょう? 一夫多妻とか。多夫一妻なんてのもたまーにありますが」

「ええ~っ」

「もちろん妻同士の了解あってですが」

「僕は独身です!」

「断ってくださいお義父さま! あああ、あなたも離れなさい!」

「ダメっすか?」

「駄目です!」

「えー。……添い寝だけでも」

「うぐっ」


 術士はもがいて、なんとか這い出す。


「す、すみません、洗浄は自分でやります。み、みなさんはごゆっくり! 僕は少しのぼせました!」


 と、そそくさと幕の内に引っ込んでしまった。


「あ……」


 銀狼のさみしそうな手が伸びる。その手が、ぎゅっと拳を作る。


「ぶ、ぶらべああああああ」

「ひぃ、すみません、なんかつい。でも、だめなんです?」

「だめ!」


 熊は独占欲が強いというが、狼も負けてはいないのだ。


「恋する乙女は強いから」


 ふと呟くティエン。

 月夜が照らす姿態はみっつ。どれしも美しく、どれしも熱い情に体を火照らしていた。

 まだまだ、姫将軍の野望が叶うことは先となりそうなのでした。


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