『Heart of Fire』

 大熊族の砦から旅立ち、すでに二日と少し。旅の足は悪くない。徒歩とはいえ、器用人の術士の足に合わせた行軍はそれなりに早い。彼が疲れ知らずなところもあるが、いちばんの要因は水将による魔素浄化の術だろう。


「顔が赤いぞ、大丈夫かティエン」

「大丈夫。ふふふ。大丈夫すぎて。ふふ」


 なんか紅潮したまま頷くティエンにブラベアの言葉は「お、おう」と続かない。ティエンがなぜ興奮してるのかと言えば、それはずばり術士の体内操作に自分の血液が引っ張られているからだった。

 術士にその気はなくても、彼が体内の調子を錬金術で整えるならば、媒体となる血液に混じっているティエンの分身けつえきが影響しないはずはなかった。


「だってすごいのよ? ほとんど無意識に、自分にとって調子が良かった瞬間の体調を再構成してるんですよ? 魔力と体内に蓄えた栄養が続く限り、彼は死ぬまで健康なままなんですわ」


 と、思わず誰かに話したくなるほどだった。

 こっそり毛細血管の隅々まで伸ばした分身を術士の分析に総動員していたが、思わぬ見つけものだった。頭の中身までもちろん血液ぶんしんは循環しているが、思考そのものが覗けないのが悔しい限りだった。言わないけど。

 魔素の浄化は自分が、疲労などを含めた体調回復そのものは術士本人が担っている。足並みに影響が出ないのもなるほどというべきか。


「ふんふふんふふ~ん」


 鼻歌だ。

 銀狼姫将軍はマスクをつけているものの、特に演技をする気はないらしい。「さすが薬包マスクです」と義父と腕をからめながら仲良く歩いている。この二日変わらない。寝るときも一緒だった。


「元気だなあ、キャロは」

「狼族はもともと強いんです。マスクだって、要らないんですよ」

「うわ、大丈夫なのか? ……大丈夫そうだね」

「はい~」


 もうマスクするのも飽きたらしい。たぶん、直接くんくんしたいだけだろうとふたりは思ったが、ナイショだ。


「もし危ないようだったら、ティエンさんにお願いすれば大丈夫ですよお義父さま」

「こらキャロ、そういう考え方はいけないぞ。そうなってから迷惑を掛けないようにするためのマスクなんだから」


 怒られて耳がたれるキャロを見て、ブラベアが「もっと言ってやってください」、ティエンが「無理ばっかりするんですから」と乗ろうとするが、口だけパクパクしている。


「しかし、ブラベアもキャロラインさんも、気分が悪くなったらすぐに申し出てくださいね。敵もいない死の大地、気を付けなければいけないのは残留魔素そのものなんですから」

「うん、いつもすまんなあ」とブラベア。

「そのときは、では遠慮なく」と銀狼キャロライン。

「尻拭いは得意ですのよ。ふふふ」と、ティエン。これは銀狼に向けて駅舎のトイレでのことを示唆してるのは明白だった。


「ほう」


 小さく目を細めて呟くキャロ。おっといけない、ここが死線だ。術士の体に酔いしれて調子に乗ってしまった気持ちを引き締める。


「ほらほら、あそこですわ」


 話を替えようと、ブラベアに代わって北を指さすティエン。そこは件の地、炎の社間近の裾野だった。


「この参道を登り、風穴の奥へ進めば炎の社です」


 ブラベアは遠く望みながら、もう一度つぶやく。


「我らの故郷、聖域のひとつ。炎の社です」




***




「四天王がふたりもだと!?」


 物見の者からその一報を聞いたガディスは目をむく。

 よもや『動き有』と察知した四天王が、こうも早く炎の社を目指してこようとは思わなかったのだ。彼がこの地を汚染しようと目論んでいるのはさらに三日後、瘴気獣の配置を割り出した後としていたのだ。


「魔神門の跡地ではなく、ここに向かっているのだな?」

「麓の間欠泉を越えようとしているのを確認いたしました。間違いはないかと」

「龍脈の何たるかを心得ているな。他には?」

「器用人の男がひとりと、狼族のメイドが一匹で」

「器用人だと!?」


 ばかなと、ガディスは一笑する。器用人ならばこの瘴気渦巻く魔素の大地では生きていられまい。おおかた耳か尻尾を見落としたのだろう。獣人であるはずだ。――メイドはその使用人だろう。

 と、ここで彼は間違いをふたつないし、みっつしたことになる。


「今宵、大地脈龍穴の社を魔素に染め上げるのも一興。……瘴気獣の用意をせよ、炎将ブラベアに水将ティエン、相性というものがあるが、これは好機。大熊の一撃は瘴気獣を四散せしめ、水龍の一撃はこれを大地の深みに染み落とすだろう」


 浄化もかなわぬ魔性の獣、ゆえに瘴気獣。

 魔神軍の秘奥の生きた魔素だった。

 かつて三匹の獣が暴れまわり、この大熊の地はここまでの汚地と成り果てた。今度は五匹。四天王と姫将軍が揃ったとて、負けはないのだ。

 そう、負けはないのだ。


「サキュリスの姐さんも、どうやらそこそこ、後がない様子。ここらで功績をあげぬと、アチラでの立場もなかろうよ。乾坤一擲の大勝負といったところだ。さあ、者ども、ぬかるんじゃねえぞ!?」

「へい!」


 回復の要所、汚染にかかわる急所、いま炎の社でお互い予期せぬ戦いが始まろうとしていたのである。




***




「温泉だわ」


 ブシューっと吹き上がる熱湯から遠ざかりながら、キャロがそうつぶやく。かつて姫将軍として赴いたのはもう少し外れた魔神門。この社の参道には初めて来たのだ。


「吹き上がる湯には、魔素が臭う。……ここに白杭を投じても、吸い込まれる前に噴出されてしまうかな。やはり、龍脈に打ち込むのが正解か」

「術士どの、さらに東には秘湯がございます。この周辺だけでも浄化できさえすれば、骨休めと洗浄が叶いますよ」


 ブラベアの申し出に術士が破顔した。


「この三日四日、水の節制で体が洗えませんでしたが、これは助かる」


 男の術士がことさらに喜んでみせるのは、女性に気を使ってのことだろう。獣人の習性は分からぬが、女性であるなら気にする部分であると思ったからだ。


「では急いで社に向かいましょう。なあに、この身の魔力だけでも付近の改良に足る杭は構成できるでしょう。まずは一息つきたいところですね」


 参道を進みながら、湯の香りを嗅ぐ。かすかな硫黄の香りも、いまはおどろおどろしい毒気を増している。そのように感じるだけだが、肉体の反応はかすかな警戒を見せる。


「水の浄化も、ある程度の実績を見込めます。この毒矢を抜く算段が付いたら、西のくにに向かうのもいいですね」

「あらあら、西のくにですか」


 そこはティエンの故郷だった。

 西のくに、水のくに、大氷壁と謳われる水龍山のそびえるくにだ。そこもまた、魔素の浸食が迫る要所だった。

 次はそこですね、と、彼の願いが血の術式伝いにティエンに流れ込む。


「あひぃ」


 思わず身悶えた。

 まさか念話がこうも強く響くとは思わなかったのだ。内股が震える。


「こら」

「痛ぁひゃああいッ」


 見えぬところでキャロラインがティエンの脇腹に手刀を突き入れる。


「すすすすすすすみません姫、他意はなく」

「後でお仕置き」

「ひい」


 術士が振り返り、「なんかありましたか?」と聞いてくるが、ティエンは「いえいえ」と首を振り、キャロは「歩くの早いですわお義父さまぁん」とトテトテ寄って腕をからめる。

 ただひとりブラベアは、ふと、参道へ、そう、さらにその下へと目を伺う。


「……みんな、気を付けて」


 三人が彼女を振り返る。


「強い魔性の気配。それも、五つ。この先の社付近から感じる」


 彼女が息を飲み気配を切り替える。

 それは、文字通りの強敵を意味する。

 ティエンも、キャロラインも、意識を切り替える。


「お義父さま、後ろに。ブラベア、ティエン……両四天王に、先に行ってもらいましょう」

「キャロ。……僕らはどうしますか」

「待ち伏せと挟撃が見込まれます。迂闊、こうなれば、やや離れてついてきてください。キャロラインさ……ん、おまかせしてもいいですね?」

「承知」


 彼女は強く頷き、「……しましたわ」と付け加える。

 なんにせよ、邪魔者は噛み砕くまでだった。

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