『Miss Blueに微笑みを』

 魔神門最寄りの砦には数十人の屈強な獣人兵士が駐留していた。かつては最前線のひとつであったそこに四天王が顔を出すのは、実に二年ぶりのことだった。


「大熊族が多いんですね」


 馬を預けた術士がブラベアに問うと、彼女は懐かしき同胞を見つめながら「故郷ですから」と、短く頷く。

 体つきもたくましい戦う女たちの中に、ブラベアはズカズカと入り込み、「変わりはないか」「動きはどうだ」「魔素の流れを教えてくれ」と、報告で上がる事柄をひとつひとつ確かめていく。


「伺うに、余程の名門なんだろうな」


 人望は周囲に集まる部下を見れば明らかだ。ただ腕っ節だけの力量では四天王は名乗れまい。術士がそう思わず呟くと、ティエンと目が合った。彼女もまた、四天王の一角。


「故あって家名は名乗れない……か」

「ええ」


 微笑むティエンが術士の調子を伺うと、やや呼吸に難が出始めている。酸素補助の薬包をマスクとして使用するだけでは、肺を病む可能性が出てきた。


「キャロラインさん」


 ティエンは銀狼を呼ぶ。彼女の正体は、まだこの最前線の部下には明らかにされていないのか、その姿を見ても特に何の反応も伺えない。そんなキャロラインが荷物の中から新しいマスクを携えて義父のもとに来ると、術士はやや辛そうに木箱に腰を下ろす。


「お義父さま、無理をしてはいないですか?」

「さすがは最前線、これは器用人には、さすがにきついな。呼吸だけじゃない、魔素を濃し取る作りも考えねば成るまいな」

「あの『白杭』の応用ですか? 布状のあれが作れたらいいように思えますが」


 術士は「そうなんだが、空気は通し魔素を通さぬという作りが難しい。そこは錬金術というより、他の技術職のかたの領域になるだろうな」と苦笑する。「何でもはできないよ、悔しいけどね」と頭を撫でてあげる。


「ともあれ」


 新しいマスクと薬包を補充し、術士の呼吸は案外楽になる。体調自体は自分の中の魔素を分解すれば快癒するが、魔力は無尽蔵ではない。未だ研究途中の毒素の体内分解は、コストがかかりすぎる。

 ここは開発した品物や、獣人四天王の技術秘術に頼るのが正解だろう。


「出発はすぐに?」

「ええ。やはり部下の情報ではこの先の谷を下ると、魔素の濃度が跳ね上がるそうです。濃度は獣人、大熊の猛者でも薬包なしでは行動困難とのこと。器用人である術士どのが行動するにはティエンの術式が必須でしょう」

「ぷくーっ」


 義父のマスクを取り替えたキャロラインの頬がぷくーっと膨れる。ついに義父の体液が親しい女に寝取られることになるのだという憤りが漏れるが、毛を逆立てるように反応したのは近くにいた大熊族の猛者が数人のみであった。一瞬のことだったが、目を丸くして周囲を見回している。


「あの、神気はほどほどに」

「おっと、すまん」


 小声でティエンは釘を刺すと、「では術士どの、お手を」と、木箱に座る術士に跪く――それだけで目を見張る大熊族の戦士たち。この術士は、やはりそれなりの敬意が払われているのだと、無意識に位を引き上げる。


「私の浄化術は、術式を纏った流し込むものとなります。このティエンの名にかけて、決して失敗は致しません。が、やや乱暴で危険な術式であることを承知しておいて頂きたいと思います」

「わかりました。やってください」


 術士は即答した。

 左手を出し彼女に取らせると、ティエンの指先が術士の内肘のあたりを探り始める。


「ああ、健康な血管ですね。ここから私の血液を流し込みます。……あと、いくつか注意事項がございます」

「なんでしょう」


 構わずやってくれという勢いの術士だが、ティエンはつまらなさそうにする銀狼の視線からついと目をそらすと、やや恥ずかしそうに補足し始める。


「私の血液は、私の分身に他なりません。私との意思疎通が、念じるだけで行えてしまうのです」

「ね、念じるだけで? 考えていることが筒抜けになってしまうのですか?」

「いえいえ、そこまでのものは。ただ、強く念じて、『言葉にしているつもりで』伝えようとすれば……ということです。大丈夫です大丈夫です! はい!」


 ほとんど術士の後ろでこめかみがひくついている銀狼に対しての弁明だったが、「いやまあ、そのくらいなら便利で有難い」と術士は快諾した。


「いくつか、ということはまだ何か?」

「体調管理が主な術式なので、体調という情報そのものが私に十全に伝わってしまいます」

「健康診断、精密検査の類いと同じという?」

「もっと深いところまでです。おそらく器用人の検査では窺い知れぬ肉体の深奥まで」

「なるほど、それも興味深い」


 破顔一笑、「やってください」と頷く術士。


「己が肉体は解明すべき最初の神秘。何か分かりましたら、こっそり教えてください、ティエンどの」

「承知いたしました。……その、はおやめください。この先は仲間なのですから」


 そう微笑み返し、「では――」と術士の腕に指先、その爪の先をするりと潜り込ませる。違和感が走るが、不快感はなかった。思いのほか温かい彼女の血潮が、自分に溶け込んでいくのが分かる。


 ――これが秘術。


 その強い瞠目がすでにティエンには伝わってしまっているらしく、彼女は声に出して「その一端ですわ」ところころと笑う。彼女の素だろうか。

 効果は即座に現われた。

 気怠さの除去が発端で、呼吸も楽になる。


「マスクはもう要らないでしょう。かえって呼吸の邪魔になります」

「……ほんとうですね、これは凄い」

「離れていても効果は持続いたします」

「時間は?」

「私が死ぬか、術を解除するまで」

「充分すぎますね」


 文字通り命を預けているのに術士は泰然としていて、銀狼の義父の命を預かったティエンのほうがかえって恐縮する始末だった。


「よし、では僕はいくつかこの砦で実験をしてから北門に向かいます。――ブラベアどの、お付き合いください。まずは水を浄化したいと思います」

「心得ました」


 そういって大熊と歩き出す義父をニコニコと手を振って見送りながら、キャロラインは義父の付けていたマスクを自分に装着する。はぁはぁと目を細めるが、その目は笑っていない。じっとティエンを見据えている。


「呼び名を親しくして、色目を使おうと思ってるのか? ティエン」

「いえいえいえいえいえいえ、その、仲間ですし! その、……正味の話、姫将軍のお義父さまに畏まられすぎると心苦しいというこの気持ちも察してください。さらにそのうえ敬意に値する技術をお持ちですのよ?」

「む。そ、それもそうなのか。いや、そうだな。ううむしかし。まあいいか」

「ところでなんでマスクを? 平気の平左でしょう」

「か弱いメイドが魔素の中歩けると思うか? 貴重な水将の術式をメイド如きに形だけでも使うわけにもいかんだろう。怪しまれたらか弱い娘を演じきれないだろう。あとマスクいい匂いすぎてたまらんのでつけたかったんだが、自分の匂いがつくのが曲者だな。何かしら考えねば……」


 まあそれはそれとして、とキャロラインの頭は温泉に向けて羽ばたいている。尻尾はぶんぶんと、足取りは軽く、「お義父さんとこにいってくる、後は任せるぞ」と、ててててと術士のあとを追って行く。

 ひとり残されたティエンは一安心する。どうせ準備自体は気を回した大熊の精鋭たちが整えている。四天王たる自分は鷹揚に待っていればいいのだ。


「さて、と」


 そこでティエンはひとつ瞑目し、意識を術式に注ぎ込む。


「はぅん」


 熱い吐息が漏れた。

 その心拍が錬金術士に伝わっていないことを願いながら、彼の体を縦横無尽に流れゆく自分自身の感覚に内股を震わせながら己が体を抱きしめる。

 誰にも見られてはいない。

 そんな下手を彼女は打たない。


「なんて素晴らしい体なんでしょう……」


 ティエンは涙目になりながら、感極まりつつ、銀狼姫将軍の義父である錬金術士の肉体の隅々にまで意識を這わせ、精査し、その個人も知り得ぬ情報の数々を己がモノとして分析することで途方もない快楽を得ていた。

 男の熱量を感じながら、ともすれば生殺与奪を握り、自分がいなければこの男は何もできずに死んでいくのだという危うさを充分に楽しんでいる。


「整いすぎている肉体。。そう、そういうことだったんですね……。なんて綺麗な腎臓、澱が少しもない。ふふ、でも老廃物はこぉいのがいっぱい……。濃し濃ししてもだめでちゅよね。いまキレイキレイしてあげますからねぇ~」


 節約するあまりお水をあまり飲まなかったのがいけないのだろうと思いつつ、その老廃物を綺麗に浄化する。血中の毒素も、肝臓の中の魔素も、肺の魔素も、ひとつひとつ、舐め上げるように浄化していく。

 夥しい快楽だった。

 とても見せられない彼女の愉しみだった。


 ああ、この術士は必ず私が守ってあげる。

 疲れた彼の筋肉を癒やしながら、ティエンは「おっと」と己が頬をパシンと叩く。仕事は仕事。趣味は趣味。

 身悶えしたので、ささっと自分自身の浄化を施しながら、何気ない顔で北門に向かう。


「いやあ、水将の力ほんと最高……ッ」


 まだ少しの間、いろいろ楽しめそうだった。

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