『静寂の郷』

 夜、蠢く者がいた。

 盗賊というより、裏家業の中堅どころといったていの男たちだった。それなりの服と、それなりの武器と、それなりの面構え。二人一組が、あわせてみっつ。それを束ねるのは、やや年嵩の武張った巨漢だ。


「サキュリスの姉さんが言ってたのは、このあたりだな」


 巨漢が言うと、他の六人は周囲を見回しながら「へい」と低く頷く。

 場所は魔神門が開いた大熊の土地、北の山間から地獄の釜といわれるそれが開いた盆地を見下ろせる場所だ。

 彼らは見る限りは器用人にんげんだが、この魔素漂う汚染の大地で活動できるのは、ひとえに魔神に魂を支配された眷属だからに他ならない。生命の裏切り者として、彼らは『魔人』と呼ばれている。

 魔人は今もなお、再び魔神門を開かんと暗躍する、剣呑な残党として追われる身である。相当数が狩り出されその数は減ったが、こうして今もなお信者を増やし、根深く活動する者が少なくない。

 巨漢が口にする『サキュリス』のように、多くはこのような魔神残党が魔人を従えているのが通例だった。彼らも例に漏れず、サキュリスなる魔人の配下として動いている様子だった。


「本当に来るんですかね、大熊ブラベア。死の大地となったこの山に」

「来る。……腕っ節でどうこうなる場所じゃねえが、結界が消えてこっち、外国からの復興支援の手が伸びてきている。まずは汚染の火元、ここに来るのは当然だろう。魔法王国か、はたまた東の国か。見張り、待ち伏せ、これを邪魔する。この土地ほど適した招喚地はないからな」


 巨漢は指示を出す。簡単なものだが、部下は弁えている。これまでのように、これからも訥々とこなしていくだろう。

 六人の部下が姿を消すと、巨漢は大きく手を天に掲げ、跪き、瞑目する。


「おお、我が主、偉大なる魔神サキュリスさま。どうかおいでください」


 祈りは天に、願いは地の底に通じる。

 ビシリと空間が割け、魔神サキュリスがその姿を現す。黒きコウモリの羽根を持つ、半裸の美女だ。胸と股間こそレザーのような布地で覆われているが、見る男を魅了する大淫魔がサキュリスの正体だった。


「銀狼姫将軍に動きがございます」

「忌々しい犬め、魔神王を退けたからといって、いい気になりおって。この地はもはや我らのもの。取り替えされてなるものか」

「我に力を。さすれば、この瘴気渦巻く大地、おいそれと復興などさせませぬ。休戦派のアスタロンどのに目に物見せてくれましょう」


 巨漢の言葉にサキュリスは頷く。


「よし、瘴気獣を五体授けよう」

「五体! もはや魔神軍の残存総てでは」

「よい。初手でこれを封殺し、時間を稼ぐ。なに、瘴気だけはあの犬も手を焼くだろう。見物だ、鳴き声くらいは聞いてやりたいわ」


 ははは、と笑い、サキュリスは瘴気獣を封じた水晶を五つ、巨漢に授ける。恭しく受け取った巨漢は、「確かに」と懐へそれをしまう。


「ガディスよ」


 巨漢の名前をサキュリスは呼ぶ。彼は「ははッ」と平伏すると、言葉を待つ。


「貴様の望みを叶えられるのはもはや私だけだ。ゆめゆめ忘れるなよ」

「御意」


 釘を刺すと、サキュリスは霧散するが如く姿を解け消す。辺りには静寂。月明かりのみの夜だ。巨漢、ガディスはふぅとため息をつくと、ペッと魔素混じりの唾を吐き捨てる。


「くそくらえだ」


 忠誠は見える形のものではない様子だった。面従腹背ではないが、なにかが彼をサキュリスに服従させているのが伺える。


「ともあれ、仕事はする。……休戦派か。くだらねえ」


 魔人の住まう異次元。魔人王は退き、門は閉じた。向こう側には休戦派のアスタロンという魔神と、好戦派の魔神サキュリスが派閥争いをしているらしいが、そんなことはガディスにはどうでもよかった。

 魔神サキュリスがもたらす異次元の奇跡のみが目当てだった。


「恨むなよ。いや、大いに俺らを恨め。俺を恨め。命を裏切るのも私利私欲のためよ。人の力ではどうにもできねえんだよ。くそ。面白くねえ」


 彼もまた闇に消える。

 この地に炎将ブラベアと水将ティエン、そして希代の錬金術師と、ただのメイドとしての銀狼姫将軍が来る――その三日前のことだった。




***




「どうしたことだ、銀狼館でお義父さまと仲良くアッハンウッフンする予定だったはずなのに、なぜブラベアとティエンと大熊の地に赴くことになったのだ!」

「仕事だからです」

「仕事だからですわ」


 馬車の中でドッタンバッタンだだをこねるメイド姿の上司に、四天王の衣装を身に纏った炎将ブラベアと水将ティエンは、ひどく冷静に突っ込むと銀狼の手足の間合いからそっと外れながら身を寄せ合って頷いている。


「お義父さまの手を煩わせる仕事なぞ、ほっとけばいいのだ」

「あ、術士どのにいっちゃいますよ? あの方のお仕事を否定してしまったら、あの方の生き方そのものを――」

「うっそピョーん! んなこと思うはずなかろう? ティエン、冗談も解さぬとは、お堅すぎると嫁のもらい手もなくなるというものだぞ」


 てのひらがクルックルしてる。


「その、姫」


 ブラベアがツッコミも面倒くさいとばかりにひとこと差し出る。キャロラインは「なんだ?」と座り直して伺う。嫁のもらい手云々いわれたティエンはこめかみを引きつらせながらもなんとか落ち着いた表情だ。


「術士どのの技術、魔素にどのくらい効果を及ぼせましょう」

「尽くだろうな」


 ブラベアの言葉に、贔屓目なしで、本当に贔屓目なしの純粋な評価として、キャロラインは義父……いや、錬金術士の『白杭』に対する見解を一言で述べる。


「力で吹き飛ばす、反対の力を当てることで差し引きゼロにする、汚染土壌を掘り返して隔離する。このみっつの方法は考えられるが、術士どのが仰る通り、見えるところのみが汚染土壌ではない」


 あえて術士と義父を呼ぶ以上、血を吐きそうな顔をしてそう呼ぶ以上、必死に公私混同しない意見を言おうとしてる以上、真っ当な彼女の見解なのだろう。


「五十数万という数すら、夥しい土砂の総量を慮れば、焼け石に水と見るのが妥当だ。薬剤の類いならばな。しかし、さにあらず。術式――つまり、あれは魔素そのものに作用して結晶化させるきっかけに過ぎない。恐ろしい見地だ。器用人の技術はだからこそ侮れない。すごい。ものすごい。さすがはお義父さまだ。全身舐めたい」

「最後最後」


 ブラベアのツッコミはかき消えるように呟かれる。


「毒素の中を行くわけだが、ティエンの援護なくしては保つまい。悔しいことに、薬包による呼吸の確保だけでは、魔神門が開いたあの場所で生きることは能わぬだろう」


 キャロラインは犬歯をむき出しにすると「ぐぬぬぬぬぬ」と涙をにじませる。


「お義父さまの!! け、血液中の毒素を取り除けるのは!! す、す、す、水将たるティエンの力なくしては!! くっ! 私にその力があれば! 傷の癒やしならば得意なのだが!!」

「ここ最近はうれしょんの後始末くらいしか出番がありませんでしたが、ようやくお役に立てるときが来た様子です。愛しい愛しいお義父さまの体液は、どうぞこの水将ティエンにお任せください。獣人ではない器用人の体調管理ですので、万全を期して挑ませて頂く所存ですオホホホホホホ」

「嫁のもらい手の話恨んでたなお前」


 ぐぬぬと歯噛みするキャロライン。

 件の錬金術士は荷物と共に男性用の馬車に乗っている。


「ともあれ、馬車で行けるうちはいいが、決戦の地付近に来たら馬が保たぬ。そうなればくやしいがほんとにくやしいが業腹だがもったいないがティエンの力に頼らざるを得ない。他の四天王じゃまものが別働隊として国の守護に回っているのはまあいいことだが、いいか、基本はお義父さまと私の恋路をなんとかするのが大目的だからな? わすれてはいかんぞ?」

「ああ、そうでした」

「まあ、流れで」


 ポンと手を打つふたりにキャロラインはグヌヌと唸る。

 ともあれ、この国の毒矢を抜き去ってみせると微笑んだお義父さんの姿はかっこよかった。ぜひ、この一件を成功に導きたい。それはキャロラインも強く思うところだった。

 邪魔をする物があれば、噛み砕くだろう。

 その上で、お義父さんとムフフになればいいのだ。

 それも強く思うところなのであった。

 そして徒歩に切り替わる三日目の昼、ついにブラベアは故郷に、みなは大熊の地にたどり着いたのでありました。

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