『クレプシドラ』

 飛龍がゆるりと翼をはためかせ、柔らかく着地する。

 すぐに飛龍騎士たちが手綱を預かり、伏せさせる。背中の籠には六人が乗っており、かけられたハシゴで順番に降り立つ。そのあいだ、飛龍は大人しいものだった。緊張しているような様子が見て取れるほどだ。


「いやあ、空を飛んだのは初めてだ。よく怖くなかったなあキャロ」

「え?」


 馬車で小一時間、そのあとは王都クレプシドラまで騎士の飛龍でひとっ飛びだった。馬車も飛龍も、手綱を持ったのは空将フェイニ。危なげのない操作で快適な旅だったが、いかんせん地に足のつかぬ虚空の旅路は術士には未体験のものだった。心許ない蒼空の、しかも飛龍の背。緊張で声もなかなか出せなかった。

 しかし四天王は慣れたもので、さすがだなあと唸ったものだ。しかし娘のキャロラインまで平気な顔で隣に座ってニコニコしてるものだから、つい地に足がつくや零してしまったのだ。

 まさかあのくらい平気であるとは口に出せない。


「キャロラインさ――んは、神経が図太いんです」


 荷台の方から術士の荷物を担ぎ降ろしたブラベアが、手伝おうとした飛龍騎士を手で制しながらそう告げてハハハと笑う。フォローのつもりだったのだろうが銀狼のこめかみがピクッと震える。


「お義父さまと一緒だから怖くなかっただけですよね、キャロラインさん。ほらブラベア、はやく離宮に行きますよ。……術士どの、お疲れでしょう。お部屋に案内したら、すぐに旅の埃を落として頂き、軽いお食事などをご用意いたしますわ」


 大熊娘の脛を蹴りながら、フェイニがそう取りなす。


「なお、こちらでの逗留の際は離宮の者がお世話をいたします。せっかくですので、キャロラインさんに親孝行をしてもらうことにしますね」


 と、こちらはジレイン。ポロポロと毛針が二三本抜けるのは大丈夫なのだろうかと心配するも、術士は「ご配慮痛み入ります」と述べ、娘の頭を撫でる。


「お義父さんが使う部屋は、むかし宮廷術士がいたころに研究室として使われていた離れになります。離宮の、そのまた離れです。私がお掃除したんですよ。私の部屋もそこの一室です」

「そっか、じゃあ一緒に暮らすようなものだな」

「えへへ~」


 不幸にも事情を知る飛龍騎士のひとりがそのあり得ない光景を目の当たりにして絶句するが、すぐにジレインの極小の毛針を遠間から打ち込まれ我に返る。気付かれてはいない。大丈夫。


「ではご案内をして差し上げて。私どもは登城してから戻ります」

「うむ。――あ、いや、分かりました」


 ティエンは小声で「しっかり」と言い含め、ブラベアの持つ荷物をキャロラインの前に置く。鞄がふたつ。小さいものは術士が背負ったままだ。


「では術士どの、我らはいったんここで。後ほど……晩餐になりましょうか。そこで皆に顔合わせを兼ねてご紹介いたします。それまではどうぞごゆっくり」

「わかりました。……ああ、キャロ、重いから私が持つよ」


 鞄を軽々と掴み上げるキャロに、無理をしてると思っている術士がそう言うが、キャロラインは「大丈夫、私ももう大人ですよ」と取り合わない。

 四天王はこの空気を壊したら何を言われるか分からぬとばかりにジレイン筆頭にそそくさと何もいわずに風の如く去ってしまう。さすがだ。


「ああそうだお義父さん」

「なんだい?」


 鞄を諦めた術士が聞き返すと、両手に鞄をもっているが、合わせ踵で膝の一礼を可愛く決め、キャロラインは微笑む。


「ようこそ、王都クレプシドラに。歓迎いたします」

「これは……ご丁寧にお嬢さん。礼に則って手の甲にキスといきたいから、鞄をひとつ持たせてくれないかな?」


 そう言われ鞄に手を伸ばす義父の手を振り払うこともできず、しょうがなしと軽い方を差し出す。その手をとって鞄を受け取りがてら触れるかどうかのキスの仕草。手を繋いだまま、歩き出すよう促す。


「こうして歩くの、久しぶりな気がします」

「そりゃ十年ぶりだもの。ああ、子供扱いはしない方がよかったかな?」

「ふたりのときは子供扱いしてください」

「甘えん坊だなあ」


 笑い返すが、当の銀狼本人は「もういっかい穿いておくべきだったか」と、必死に我慢している。何かを。

 繋いだ手が汗ばまないか、かえって冷や汗を掻く始末。

 しかし、厩舎を抜け、飛龍の基地を通り、通用門を抜ける辺りで術士はふと娘に尋ねることにした。


「馬車の道すがら、そして空から見た地上なんだがな」

「はい」

「男手が少ないように見えたんだが、戦いのせいかな」

「ああ――」


 器用人の世界と獣人の世界、両方で暮らした経験のあるキャロラインは、すぐにその疑問に思い至った。


「獣人の多くは、女系なんですよ。男よりも、女のほうが多いんです。社会進出の差はありませんが、絶対数が違います。それに、戦う場合は女のほうが適していますから」

「そうなのかい? ううん、不勉強だったよ」

「もう、謝らないで。分からないことは何でも私に聞いてくださいね? 何でも知ってることは答えますから」


 聞かれたら、国の秘密もペラペラしゃべるだろう。たぶん。

 が、健気な親孝行にしか見えないのが微笑ましい。たぶん。


「――空気の浄化は、木々や大森林だけでは補えなかったはずだ。キャロ、街の人間は白と青の小さいつぶつぶが入った袋を使っていたかい? そう、ええっと、こんなやつ」


 術士が軽い方の鞄からそれを出そうと……繋いだ手をいっかい離そうとしたが思いのほか柔らかく強固に繋がれていたそれを目で頼んで離してもらうと、件の包みを取り出す。


「ええ、これ。よく知ってますよ。空気を作る粒ですね。瘴気が強い地域にはこれを携帯して良く赴きました」

「キャロが? そんな危険なところに?」

「あ、いいえ、部――兵隊さんたちが……です」


 ボロがでそうになった。あわてて手を繋ぎなおす。少し強く。歩みもやや、やや、速く。


「そうかよかった。あれを作ったの、実はお父さんなんだよ」

「え!?」


 顔を見合わせる。誇らしげな義父の顔を、驚いて見つめ返す。


「少しでもケモフルールの人の命が助かったのなら……よかった。他にも土壌の浄化や、水源の浄化なんかも色々考えてる。――見ただろう? 空から」

「はい」


 それは、荒れた土地だった。

 毒された地ともいえる。

 魔神の侵攻地から零れゆく砂時計クレプシドラの砂のように、東へ東へと遷都をくりかえしてきた王都の付近でさえあの有様なのだ。


「四天王が集い、魔神を倒してくれて本当によかった。そうでなければ今頃は……」

「正直、ぎりぎりの状況でした。瘴気の毒は、魔神や先兵共の脅威とは別に、染み入るように国土を汚染してました。……そうでしたか、この薬包、お義父さんの作ったものだったんですね」

「軍属時代の研究成果だね。術士でなくとも使えるのが、発明品の素晴らしいところだと思う。そうか、役に立ってたのならよかった」


 今はもうありふれたそれ。

 二束三文で賄えるその薬剤。

 誰が作ったかなど、気にするものはこの国にはいなかった。ただただ、有難いと使うのみだった。供給は、あの駅舎から。東から、器用人の国からの支援で戦えたのだ。


「我らは、ずっと支えられていたのだな――」

「ん?」

「あ、いえ。さすがですお義父さん」

「これで開発特許持ってたら今頃は左うちわなんだが、安く作るため放棄しちゃって。一個だけじゃなかったからなあ。もったいないことしたなあって。キャロと暮らせるとわかってたら、ちょっとは儲けようと思ったんだけどね」


 そう笑う父に「思っててもしないですよ、お義父さんは」と心の中で答える。そういう人なのだ。不思議なことに、錬金術師の多くはいくらでも儲けられるが、儲けようとするものが少ない。


「とにかくこの十年、復興のための試行錯誤を繰り返してきた。必ず立て直す。お前の住むこの国をね。やることは見えてきた」


 砂時計をひっくり返すときが来たのだ。

 戻らぬ時間のために、これからの時間のために。


「とりあえず、疲れたから明日からね」


 そう笑う父に「お手伝いいたします」と誓い、キャロラインは繋ぐ手に力を込める。

 並木道を抜けると、すぐにきた乗合馬車を拾った。

 離宮まで、もうすぐだった。

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