『a Still Time』

 術士がこの駅に来たのは、十年ぶりだった。

 馬車を下り付添いのケモフルール係官――狐耳の黒服女性に案内されつつ見上げる駅舎は、かつて彼が義理の娘と別れた当時の姿のままだ。ただ年経て古びたはずなのに、なぜか瑞々しく綺麗に映るのは、あのときとの気持ちの落差があるからだろうか。


「術士どの、どうされましたか?」

「人が多い。やっぱり、正式に国交回復、門戸が開かれる前の交流とはいえ、これだけの人がいらっしゃるものなんですね」

「みなさん、ケモフルールゆかりの者たちなのでしょう」


 まさか全員が部隊の者とは彼女も言えないし、彼も思ってすらいない。


「一時期退役されていたとか」

「いまもですよ。伝手つては軍ですが、応じたのは一般技師としてです。急な申し出でしたが」

「疲弊した耕作地を復旧する旅を続けていらっしゃったとか」


 術士は「ええ」と頷く。

 鉄壁の結界だが、魔神の余波は周囲にも災いをもたらしていた。ケモフルールほどではないが、魔物の被害が出たのだ。彼は自分の術を使い、戦火で荒れた土地を回復する旅をするため、軍をやめたのだった。

 おそらくそれはこの狐耳の女性も知っているだろう。しかし本当の理由は、義理の娘キャロラインと別れた寂しさを癒す旅路だった。


「こちらも、そこかしこが荒れてましたからね。軍をやめてから、かれこれ十年ですか」

「十年――」


 そう繰り返し、黒服は押し黙る。

 こうして肩を並べて歩いてはいるが、経歴を伺うにこの術士は英傑なのは間違いがない。しかし、見た目が若い。多く見ても三十半ばではないかと彼女は唸る。だがしかし、資料の年齢はさらに十は上となる。

 そこで彼女は分を越えて「お若いのに、すごい経歴ですね」と、カマをかけてみる。言われた術士は「見た目だけですよ。中身はもうおじさんもいいとこで。あの子には親としても男としても、なんにもしてやれなかったものなあ」と、しみじみつぶやく始末だ。ああ、これは失言だったと黒服は焦るも、ふと『錬金術師は歳を取らない』という俗説を思い出す。


「すみません、器用人にんげんの年齢は見分けが難しくて」

「僕からは、獣人の皆さんは若く見えますよ。……活動期間というか、青年の期間がものすごく長いと聞き及んでいます」


 歳までは踏み込まないあたり、紳士な術士だった。

 なるほど、と黒服は納得する。彼女もそこそこの経歴ねんれいだったからだ。


「四天王付きの部隊は、これからも御顔を合わせると思いますよ」

「とうぜん獣人の皆さまですよね。高名な四天王もいらっしゃるなんて、どきどきしますよ。うちの…………キャロラインはしっかりやってますか?」

「え?」


 話の流れから当然この自分も四天王付きの部隊という認識をしたのだろうと思い至り、そのとおりなのだが、彼女は一瞬声を詰まらせる。


「ええ、しっかりやっていらっしゃいますよ」


 と、あいまいな丁寧さで答えてしまう。

 それを術士は「うちのキャロライン」を言い淀んでしまったために気を使わせたのではと勘ぐって、かえって恐縮してしまう。


「あとはほら、ご自分でお聞きになるのがよろしいかと」


 駅舎の階段を上がると、狐耳の黒服がそういって術士を促した。

 人がごった返している。

 近隣から集まった、第一陣の交流を待つ人々だ。朝一の空気の中、それでも熱気が渦巻いている。ひと、ひと、ひと。獣人も多い。老若男女、一般の者も、軍属の者も、施設の者も、誰も、彼も。

 だがしかし、ひと目でわかった。

 目が、合った。

 驚きが、交わった。


「…………ああ」


 懐かしさと悔恨に背中を押されるように、術士が進む。顔も、視線も、懐かしい面影を残すひとりの少女ともいえる女性に向けられたままだ。彼女は使用人の服を着て、姿勢ただしく、ちょこんと立っている。


「キャロ」


 名前が、口をついて出る。

 歩み寄るにつれ、彼女の緊張した表情が、ホロリとほころび始める。


「キャロ――」

「はい」


 そして彼女は、ひとこと応えて頷く。ひとつだけ、ちいさく。

 彼女のもとに歩み寄った彼は、自分と同じくらいまで伸びた彼女の姿を、じっと、見つめる。見つめて、またもういちど、名前を呼ぶ。


「キャロライン」

「はい、お義父さま――」


 よく顔を見ようと、やや屈み込みながら両手のカバンを下す。

 すると、ふわりと彼の頭を懐かしくも良い香りが包み込む。


「お会いしたく思っていました。ずっと、ずっと」


 彼女の胸元に優しく抱きとめられたと、そのとき分かった。

 軽く、優しく、しかし離れがたい温かみに、術士は声を詰まらせる。


「あまりにも胸がいっぱいで、何から話したらいいのか。言いたいことよりも、聞きたいこと……。ちがうな、謝りたいことがいっぱいあったんだ」

「……ッ。私もです」


 義父の顔を離すと、やっと、間近でふたりは向かい合う。瞳は薄く塗れ光り、口を開けば嗚咽が出そうになるのをこらえる。

 あいた手で娘の顔に手を伸ばしかけるが、彼女の方からその手に頬を寄せる。温かかった。そして、柔らかかった。あのときのままだった。


「おおきくなったね」

「十年、ですから。もう、お義父さまと同じくらいまで背が伸びました。お義父さまは、おかわりなく。……いえ、少したくましくなられましたか」

「ははは。また会えてうれしいよ。そして、まだ僕をお義父さんと呼んでくれて、ありがとう」

「悲しいことをおっしゃらないでください。この世に、私がお父さまと呼ぶのは、ただひとりです」

「悲しいことを言うな。キャロにも、ほんとうのお父さんもお母さんもいたのだからね――っと」


 両手で撫でていた頬が滑るように、キャロが術士の胸に飛び込む。優しく抱き留め、そして優しく抱きしめあう。


「すぐわかった?」


 一目見たとき、すぐにあの頃ちいさかったキャロラインが大きくなった姿だということはわかった。「ああ、すぐにわかったよ。おおきくなって、泣き虫のままだけど、可愛くなったね」と、彼女の銀髪と耳の先をくすぐるように撫でる。

 十年経っても変わらない、いつもの撫でかた。

 尻尾がぱたぱたと揺れる。


「綺麗になったとは言ってくれないんですね」

「かしこまった言葉遣いのままだからね。ははは、くすぐるなって」


 抱擁は静かに解かれ、お互いが向き合い、一息ついて見つめ合う。


「綺麗になったね」

「……お義父さん」


 術士は頷き、娘ははにかむように頬を染め、四天王は遠目からそれを見て胃がひっくり返るような衝撃を受けていた。

 あの銀狼姫将軍がかわいい……だと……?

 なんてことは、当然顔には出さない。

 親子の対面が一段落ついた頃合いに、四人揃ってふたりのもとにやってくる。


「ようこそおいでくださいました、キャロラインのお義父さま」


 一声かけたのは、今回の作戦の責任者である、総指揮たるブラベアだ。制服姿で礼に則った一礼。後ろには三人が控えている。表情は硬いが、柔和そのものだ。


 術士は「これは――。挨拶が遅れまして、キャロラインの……」と、一瞬だけ娘を見ると、すんなりと「キャロラインの義父です」と一礼し、名を名乗った。「娘がお世話になっております」と頭を下げると、あの四天王の方が恐縮する始末だった。


「いえいえ、キャロラインさ――んには、こちらも邸宅の運営でお世話になっております。非常によく気がつくお嬢さまですね」


 さっそくティエンがしずしずと術士に微笑む。「あら、ほんとにお若く見えますね」と、お世辞交じりにブラベアを促す。


「改めまして、ブラベアと申します。故あって家からは外れておりますので、炎将とお呼びください」

「ティエンと申します。故あって私も家からは外れておりますので、水将とお呼びくださいませ」

「私たちふたりも、家名は名乗っておりません。ご容赦を。空将フェイニと申します。以後お見知りおきを」

「陸将ジレインです。術士どのの身分を預かる直属が私になります。その、術士どのは軍属ではなく一般の技師ですので、かしこまらずに――」


 しかし、元軍人。そこは礼に適った挨拶を返しつつ、なおると微笑んで「四天王にお目にかかれるとは、良い娘を持ったと幸せに思います」と娘を立てて柔らかく笑う。

 う~ん、卒がない。そうフェイニなどは評価したが、もちろん口には出さない。術士の後ろで銀狼が目を光らせているからだ。


「同じ邸宅で暮らす仲ですから。面接なようなものです」

「なるほど。では私の経歴などはすでに?」

「ええ、頂戴しております」


 ジレインが微笑み返す。

 そこで鼻息をひとつ、ブラベアが一歩出て「馬車を用意しました」と促す。


「長旅だったでしょうが、ケモフルール王都まではまだあります。道すがら国の様子を見つつ、これからの活動を

「承知いたしました」


 当然、支援に立つ錬金術師として、プランそのものは自分で立てねばならない。必要に応じて招かれただけではない。自ずから動き、尻を持ってもらいながら、できることを何でもするのが彼らなのだ。


「よし。じゃあ、入国手続きに行ってくるよ。キャロ、あのときとは立場が逆になったな」


 頭を撫でると、銀狼は目を細めて尻尾を振る。


「いいえ、今度は一緒に行けますから」

「そうだったな」


 くしゃくしゃになるまで撫でると、荷物を持ち直し――何故か荷物を運ぼうとする四天王に恐縮し断りながら――術士はジレインと共に駅構内へと歩いて行く。


「………………んふ~。――さて」


 背中が見えなくなるまで見送りながら、キャロラインは踵をカツっと揃えて残った三人に振り返る。


「聞いたな? 『キャロラインの父』だと仰っていたな?」

「は」


 三人は身をただし首肯する。


「心臓が破裂するかと思った。ドキドキした。こっちからはもう匂いと顔でもうあれだ、お義父さまだってことは言わずもがなッ、だったんだが、だが、だがしかしだ、お義父さまのほうが私のことを分からないかもと思ったが。ふふふ、見てたな? 見たよな?」

「は。すぐに姫将軍の姿に気がつかれた様子でございました」

「さすがは親子」

「十年の重みですね」


 と、ヨイショを忘れない。


「お義父さまが手続きをしている間に、私は少しお手洗いに行く」


 そう言ってキャロラインはオホンと咳払い。


「お見かけしたときや、言葉を交わしたときはまだ耐えた。む、む、む、胸元にかき抱いたときは死ぬかと思った。だがな、ほっぺをムニュっとしてもらったときにダムが決壊した。お義父さまの胸に飛び込んだときにはもうすでにアレがああなってすごいことになっていた」

「え?」


 ブラベアは言っている意味が分かりかねて一瞬首をかしげるが、ふと思い至ってポンと手を叩く。


「ああ、ウレショ――……ッ!!」


 ふたりが「言うな」と思った瞬間には、ブラベアはその単語を口にしかけ、さらに言い終わる前に銀狼姫将軍の見事な拳が獣人族随一の武将の腹筋を容易く射貫いていた。


「ウッ――…………っ」

「とまあ、備えあれば憂いなし。大人用の使い捨てオムツという便利なものを装備しておいた」


 悶絶するブラベアを尻目に、キャロラインはシンと恐怖で静まりかえる構内の面々をゆっくり見回す。それだけで、もう総てが完了していた。彼らは、何も聞かなかったことになったのだ。


「お義父さまに悟られるなよ? みな、続けよ。あ、お義父さまの案内役のお前、良くやった。狐族の誇りとせよ。あとで褒美だ。ブラベアは馬車に一緒に乗れ、余計なことは言うなよ聞くなよ探るなよ? フェイニは少しお義父さまに色目を使ったから御者な。ティエンはちょっと一緒に来て身だしなみを手伝え。以上だ」


 と、キャロラインはそそくさとトイレに向かう。


「水将の力を洗浄水代わりに使えってことでしょうか。さすが姫将軍」

「大丈夫か? ブラベア」

「……――うう、うれしょんなんて恥ずかしいことじゃないのに……うう。いたいよぅ」


 獣人にとっては、狼や犬族にはたまにある感情表現でも、人にとってはそうでもないのだと言うことを、彼女はあとで知ることになったのであるが、それはまた別のお話。


「ともあれ、よかったじゃないか。肩貸そうか?」

「うう、かたじけない」


 フェイニは苦笑する。

 もしかしてこんなに素直に助け合ったのは初めてのことだったからだ。

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