第一話 お義父さんがやってきた

『ここで逢えるね』

 鮮やかな朝焼けが映える中、とつぜんその国を覆う薄虹色の結界がかき消えた。二十年あまりも隔離し続けてきた淀みや澱が、光りの中で解けていくように霧散していく。


「見ましたか、術士さん。ケモフルールが解放されましたよ」

「ああ、見ました。本当に戦争が終わったんですねえ」


 馬の足を緩めてそれを見せてきた御者に、馬車の幌から顔を出したひとりの錬金術師が、万感の思いを込めて見上げ答えるその空。薄茜に虹が溶け込むような、静かで美しい情景を飲み込み「さあ、これから忙しくなりますよ」と馬車を促す。


「軍属でもないのに、復興支援ですか?」


 馬足を速めながら、御者が術士に尋ねる。

 ケモフルール復興の第一陣として招集に応じたこの術士は、十日ほど前に招喚され、末席として名前を連ねている一般人だった。荷物は大きな鞄がふたつに、背負い袋がひとつ。旅慣れた格好だが、基本はどこぞの拠点で研究室を構え、都度移動を繰り返す流れの請負術士の様子だ。


「実はね、僕が世話をした子がケモフルールにいるんです。十年前に別れたきりで、もう会えないかと覚悟をしていましたが」

「そうか、戦争が終わって、結界もなくなって、会えるってわけですね。そいつは目出度い」


 馬足がやや速くなる。


「あの泣き虫だった子が、どんな大人になってるのかな」


 術士は、まだ空を見る。あの空の下にいるのだ。

 懐には別れる前に撮った写真が一枚。最新の軍用魔道機を私用で使わせてもらい撮影したそれには、白く見える銀髪の幼い獣人娘が微笑んでいる姿。


「この子ですよ、ほらほら。買ったばかりのワンピースが可愛いでしょう」

「こいつは別嬪さんだなァ、へえ、なるほどなあ」


 自慢げに見せてくる写真に御者が目を細めて感嘆する。十歳くらいの華奢な少女がモノトーンの中で笑いかけるそれを、術士は大事そうに胸にしまい直す。


「親戚の子ですか?」

「戦友から託された子でして」

「じゃあ元軍属ですか。ははあ、なるほどなあ」


 術士が「まあそういうとこです」と微笑むと、御者も「お土産いっぱい買いましたか?」と笑いかける。鞄のひとつは、その子へのプレゼントが入ってるのだろう。


「じゃあ頑張らなきゃいけませんなあ」

「ええ、頑張りますよ。あの子の国を、少しでもよくしないと」


 あの子――義理の娘、キャロラインの住む国を。

 あの子を託して世を去った戦友の忘れ形見が生きる国を。

 そのために自分の力を使う。そう決め、かつての伝手からきた話に乗り、志願したのだ。


「今何してるのか知ってるのかい?」

「ええ、軍から聞かされました。なんでも四天王が住まう離宮の使用人をしているとかで、この大戦中もつつがなく暮らしていけていたそうです」

「四天王! そっかそりゃあ一番安全かもしれないですねえ。なんてったって、魔神を退けたっていう、おっかねえ女傑ぞろいって話ですよ」

「彼女を引き取った彼女の伯母が、伝手を持っていたそうで。そうでなければ送り出したりはしませんでした」


 結界間際の基地で泣きじゃくるキャロラインとの別れを思い出し、鼻の奥がつんと痛む。それでも身内と暮らすのが、血の繋がった家族と暮らすのがいいと送り出したのは自分なのだ。

 あのとき自分はまだ軍属。

 送還のに従っていた部分もある。


「向こうのご配慮で、僕の宿泊先がとうぶん娘の職場になるんですよ。しばらく一緒に暮らせます」

「四天王の離宮ってことですか? そらぁ……」


 どうにも居心地がと言葉を濁す御者だが、そこは術士も苦笑して同意する。なんといっても勇者たちの邸宅に間借りするのだ。


「中途半端な仕事はできませんよ」

「その子のためにも?」

「そういうことです」


 結界間際の街が見えてきた。

 轍の刻まれた道を馬車は進む。


「あとはケモフの案内人の指示で動いてください。あたしゃここまでのようです」

「十日あまりありがとう。助かったよ」

「いえいえ。――ご武運を」


 御者の言葉にはははと笑う。「武運もなにも」――見上げるのは青さが増してきた空。「戦争はもう終わったんですから」と目を細めると、風の薫りも、強い。


「頑張ります」


 そう答えて、術士は荷物をまとめ始める。

 あの国境の街に、キャロが迎えに来てくれているはずだった。

 許してくれるだろうか。

 自分のことを分かるだろうか。

 元気だろうか。

 恨まれていないだろうか。

 嫌われていないだろうか。

 不安の中、術士は静かに祈るのであった。




***




「東よりの馬車確認、葦毛の二頭だて、茶幌の車番七〇七。繰り返す、東よりの馬車確認、葦毛の二頭だて、茶幌の車番七〇七。錬金術師どのを送迎中の馬車です」


 国境の街、その物見の塔にて遠眼鏡越しにそれを確認した狐耳の黒服女性が階下に報告するや、その情報は瞬く間に駅舎に待機するキャロラインたちのもとにもたらされた。


「ぬはあああああああああああああ!! きちゃったー!! どどど、どうしよう、もうだめ!!」

「落ち着いてください」


 メイド服姿で興奮して顔を両手で覆いながら仰け反る影の大勇者――キャロラインの姿に、軍服姿のブラベアが声を詰まらせて取りなしている。

 ケモフルールに物資を輸送するために設けられていた駅の中は軍人も一般人も多くごった返していたが、九分九厘が術士を迎えるために用意した護衛の者たちだった。

 その護衛の者たち数十人は、キャロラインのそんな姿を見て目を丸くするや、唖然とするや、すぐに睨み返されて尻尾を丸めるやで一瞬騒然となる。


「ああああああああ、クソ伯母女王陛下の命令で別れたこと許してくれるかしら。私のこと分かるかしら。お義父さまは元気だったかしら。こ、こうして一緒に暮らそうと思って呼んだりして、ご迷惑じゃなかったかしら。…………嫌われていないかしら」

「きっと喜んでくれますよ」

「そうよね!!」


 ブラベアの胸ぐらをむんずと引き寄せてキャロラインは同意する。そのもの凄い膂力と目力に熊娘は冷や汗。


「あの優しいお義父さまが私を嫌うはずなんてないわよね!!」

「で、ですよねー……。く、苦し……」

「ティエン!」


 胸ぐらを放してやるや、キャロラインは水将ティエンを呼びつける。


「は、ここに!」


 いつもの水干姿ではなく軍服で身を固めたティエンがその巫術で姿見大の水鏡を作り出すと、それを前にキャロラインは姿を整える。


「使用人制服は乱れていないか!」

「は!」

「髪は梳かれているか!」

「は!」

「化粧は自然に整っているか!」

「は!」

「か、かわいらしくみえるか!」

「……はぁ」


 そこは自信を持ちましょうとティエンはキャロラインの袖や襟元を直しながら頷くと、自分の目で確かめ、うむとひとつ頷いた。


「総員傾聴!」


 キャロラインの言葉に、駅員含めた群衆が皆直立不動で正対する。


「貴様らの任務は東国からの錬金術師どのを悟られず、安全にお守りすることだ! なお、私のことは秘中の秘とすることは変わらぬ。私ことキャロラインは、四天王の住む離宮のいち使用人に過ぎず、ただのキャロラインとして生き別れの義父を迎えにきたということになっている」


 そこまで一気に言うと、じっくりと見回す。

 先ほどまでの唖然とした空気は形を潜め、触れれば斬れる緊張が満ち満ちている。


「なお、総てが露見するようなことになれば、貴様らひとりひとり無事でいられると思うな。四天王とて、それ相応の報いは受けてもらう」


 殺気すら込められたその宣言に、ぐびりと喉が鳴る音が重く轟く。


「フェイニ」

「は!」


 呼ばれ、フェイニが皆の前に出る。


「ひとつ、総ては姫将軍の恋の成就のために!」


 そう高らかにいうや、特殊部隊による「ひとつ、総ては姫将軍の恋の成就のために!」との復唱が響き渡る。


「ひとつ、祖国復興のために!」

「ひとつ、祖国復興のために!」

「錬金術師どのの命は我らの命と心得よ!」

「は!」

「全か、無か! この作戦に祖国の総てがかかってると思え!」

「は!」

「任務完遂の暁には途方もない褒美栄誉が与えられる! あ~くだらないなどと思わずに誠心誠意尽くすことを期待する! 以上だ!」


 フェイニの声にあわせ、総員が踵を揃え直す。

 続くジレインが毛針を二三本落としながらおずおずと前に出る。


「ということで、各自自然な装いで。いいですか? こんな軍人然とした雰囲気、歴戦の錬金術師どのは容易に察しますよ。みなさん、猫を被ってみましょう。にゃーん、です。にゃーん」


 ジレインは硬い表情の総員を見回し柔らかくそう言うと、キャロラインのもとに歩み寄り、「にゃーんです」と微笑む。


「む。こ、これは遊びではないのだぞ陸将」

「将軍? こちらも遊びではありません。なにせ命がかかってますからね。それはそれとして、そんな硬い表情でお義父さまをお迎えするのですか? ぎくしゃくとお迎えしたいのですか? ちがいますよね?」

「む」

「はい、にゃーん」

「え?」

「にゃーん、です」


 微笑むジレイン。


「にゃ、にゃーん?」

「にゃーん」

「にゃ……」


 観念し、キャロラインはゆっくり深呼吸。


「にゃーん」

「ん、可愛いですよ、将軍」

「……む」


 そう肩の力を抜く彼女を確認するや、ジレインは総員に通達する。


「作戦開始。お迎えの準備を」

「は!」

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