第2話:保護命令

「真波、そっち行った!」

「了解」


 こちらに投げ掛けられた声に振り返るついでに思いきり持っていた刀で薙ぎ払う。すると刃の先にいた狼のかたちをした生き物はギャッと一声漏らして真っ二つに割れた。一拍置いて飛びかかってきた他の三体も立て続けに斬り裂く。

 途端、勢いよく生暖かい液体がぶわりと宙に浮かぶ。咄嗟に顔を左腕で庇うと、すぐさま小さな衝撃がきて体がじんわりと熱くなった。

 いつの間にか縮めていた体勢を戻し、詰めていた息を一気に吐き出す。そして漂ってくる尋常じゃない臭いから逃げるべく、鼻を抑えてゆっくりと顔を背けた。

 何度嗅いでも慣れない、吐き気を催すような臭い。おれはこれが苦手だ。

 べっとりと濡れた部分が気持ち悪い。擦りつけるように袖口で拭って下を見下ろすと、身に纏っている詰襟はどこもかしこも赤黒く染まっている。ここまで汚れてしまっては、服を脱がないで臭いから逃れることができないだろう。

 もう一つ溜息をついて、やれやれと首を振らずにはいられなかった。


 再び目を向けるころには、四体中三体は既に形を留めていなかった。

 しぶとい事に、最後の一体は下半身を失ってもなお殺意を双眸に宿して牙を剥いている。グルグルともウーともつかない唸り声をあげて口の端からよだれを垂らしながらにじり寄ってくる様は、まさに化け物以外の何物でもないだろう。

 這い上がってくる嫌悪感から八つ当たりのように突き刺した太刀を引き抜く頃には、醜い唸り声も聞こえなくなっていた。

 体があったはずのそこにはひどい臭いを放つ血溜まりと、粒の細かい砂でできた山。埋もれるようにして、紫色の石が煌めく。

 一見ただの石のように見えるそれは陽光を受けてきらりと光を返す。初めて見たときはそれはそれは高価な宝石のように綺麗だとも思えたけれど、流石に見飽きて無感動になってしまった。

 腰をかがめて転がっているそれを全て拾い上げ、胸ポケットに仕舞い込む。

 単純に言ってしまえば、化け物を倒して石を拾う、それがおれたちの仕事だ。


「思ったより出てきたな。これで終わりか」


 離れたところで同じように石拾いをしていた真澄が問うた。おれは声に応えるべく辺りを窺う。

 昔は乱立していたのであろうビルはことごとく倒壊していて見渡せるほど良い視界ではないけれど、いくら耳を澄ませても足音や唸り声のようなものは一向に聞こえてこない。

 目を凝らしているうちにいつの間にか日は沈みかかって段々と暗くなってきていることに気づく。全くの暗闇ではないのは、建物の向こうから今にも消えそうな夕日が差し込んでいるせいだった。暦の上では春を迎えていても、まだまだ日が暮れるのは早いものだとしみじみ思う。


「ていうかさ」


 物思いから引き戻したのは苛立ったせらの一言だった。


「巣の点検する時に二歩入って目視は常識!」


 ごくたまに、こういった建物が多く倒れている場所には化け物たちが巣を作っていたりする。奥まった、日陰っぽくて一歩踏み込まないと分からないようなところは都合がいいからだろう。

 見つけた場合、排除できるならするし、対応が難しいほど大きくなっていれば上に報告しなくちゃいけない。早期発見、早期対処が望ましいから、今日のように折に触れて確かめるのだ。

 一日中こんなふうにビルに潜って何事もないか探っていたのだが、あと少しで終わりというところで真澄が巣を引き当ててしまった。全て終わった今だから気づいたが、丸一日かけて同じ作業ばかり、おれもすっかり油断しきっていた。ろくに確認せず踏み込んでしまった結果、あっという間に戦闘にずれ込んだのだった。


「ホント気をつけてよね。これで対処できないヤバいやつ出てきてたらぼくらここで消えてたんだよ」

「悪い悪い」


 “ 消える ”という単語を聞いた瞬間に目の端がぴくりと震えたように見えたがそれも一瞬のこと、無表情だった真澄はへらへらと笑いながら適当に謝罪の言葉を口にする。反省の色がちっとも見られないのでせらが食ってかかった。


「全然悪いと思ってないでしょそれ!」


 もはや恒例となったこの構図。おれの役目は勿論、ふたりの仲裁になる。


「まあまあ、せら。落ち着いて」


 不穏な空気に割って入れば、案の定苛ついているせらが鋭く尖った視線をこちらに向けた。


「何、真波。こいつの肩持つの」

「持たないよ、明らかに最後まで用心しなかった真澄が悪い。でも撃退数の確認もせずにこんなところで長話していて背後からガブッ……なんて笑えないでしょう」


 正論を言えば、今にも掴みかかりそうだったせらははっと表情を引き締めて一歩後ろへ引いた。

 戦闘になった時に何体と対峙しているのかを把握し、終了後に帳尻が合っているか全員で確認する作業もまた基本中の基本。

 基本を欠いた真澄を叱っていた彼女もまた、基本を欠いていたのである。


「巣から出てきたのは十四体だったよね。おれが斬ったのは五」

「五」

「……四」

「うん、しっかり数が合ってよかったね」


 ふたりにそれぞれ笑いかければ、せらは手にしていた太刀をぶんと振るう。刀を濡らしていた血がぱっと飛び散った。


「ぼくが言えたことじゃないけれど、小さな油断が身を滅ぼす。組頭なんだから、締めるところは締めて」

「はぁい、気をつけまっす」


 また懲りずに間延びした返事をする相手にせらが拳を振り上げた。

 と、どこからか突然ぐうっと耳慣れない怪音が聞こえてくる。

 物凄い反射神経でお腹を抑えた約一名のおかげで自ずと犯人はわかってしまった。


「……ぶっ!はは、デケェ音」


 すぐに真澄が盛大に吹き出し笑い始める。


「う、うるさいなぁ!」

「締めるところは締めろだっけか。なあ、せら」

「んんんんんんんー!」


 顔を真っ赤にしたせらは張り上げたままふるふると震わせていた拳で真澄の胸やら腕やら手当たり次第に殴り始めた。かなり容赦なく拳を振るっているように見えるが、真澄はちっとも堪える様子もなくくすくすと笑っている。


「ね、ね、お腹すいたしさ、もう帰ろうよ」


 手応えのない相手を見てか、恥ずかしさの上限に達したのかはわからないが、叩くのをやめてせらはこちらに向かって懇願するように言った。真澄は相変わらずにやにやと底意地の悪い笑みを浮かべて黙っている。こんなところにいつまでも留まっているとろくなこともない、助け舟を出すべくおれは口を開いた。


「確かにもういい時間だね」


 左手首に巻いた時計を見やれば、午後五時を回っている。昼ご飯を食べてから暫く経つし、今日の運動量からしてもお腹が鳴るほど空くのは当たり前だろう。


「ま、確認も終わったし、周りに何もいないみたいだし。腹ペコちゃんのためにもそろそろ帰りますか」

「真澄は本当に一言多い!」

「っていうか、今日のお前相当臭いぞ」

「は!?そういう君も近くに居ないでほしいくらいクッサいから」


 帰ろうとなると話題も変わるが、またもや真澄が余計な一言を放つ。鼻をつまんで顔を顰めてみせれば、せらも負けじと変な顔をしてしっしっと追い払うように手をひらひらさせた。

 改めて見れば、二人ともかなり汚れている。巣がないか見て回っているうちに敵と遭遇もしたし、なかなか手強いとされているしらゆめとも闘った。

 面白いのは皆一様に顔だけ妙に綺麗なことだ。一度顔に浴びてしまえばよく拭ってもしつこく臭うから、慣れてくると死守するようになる。

 軽口を叩き合っていた二人は、真澄がポケットから通信機を取り出して操作を始めると大人しくなった。せらがすすっと近寄り、横から画面を覗き込む。「臭い、邪魔」と押し退けられるとせらはムッとしたように少し身を引いた。

 一度目のコール音の途中で、通信は繋がる。


『もしもし、こちら蓬莱』


 担当監視官の声が漏れ聞こえてくる。真澄は画面に向かって会釈した。つられてせらも頭を下げる。


「お疲れ様です。こちら茜組組長の真澄、本日の任務は完了しました」

『茜組さん、追加でお願いする仕事もありませんので帰投してください。いつも通り、詳細は報告書でお願いします。お疲れ様でした』

「了解です、失礼します」


 短い通信はすぐに終わった。

 画面を消した真澄が、地面に突き立てていた武器を抜き取った。


「んじゃ、とっとと帰りますよっと」


 その言葉が合図となって、各々西に向かって足を向ける。さっきまでは沈みかけの太陽が眩しかったのに、もうすっかり暗くなっていた。


「なんか今日はすごく疲れた気がするよ。早くお風呂に入りたい」


 歩き出してまもなく、せらは自分の体を見下ろして言った。その声には力がない。

 彼女の纏うセーラー服は詰襟と比べて白い部分が多いから、より一層汚れが酷く見える。洗濯機に入れる前に、一度揉み洗いしないと落ちてくれないだろう。そうしても、色がうっすら残ってしまいそうだ。


「点検とはいえ、当たるのも多かったからね」


 文句を垂れる彼女の言葉に、おれは頷いて同意する。ここ最近は化け物を探し歩いている時間の方が長かったのに、なぜか今日は探さずとも当たってしまう日だった。春先のまだ冷たい風に吹かれると、余計に疲労感が身に沁みる。


「そういえば、夕飯の当番は真澄だっけ?」


 ふと、今夜の夕食の献立を思い出そうとして気づく。すぐに真澄は頷いた。


「そう。俺」

「今日は何?」

「確か肉じゃがじゃないか。あとは適当に」 


 やった、とせらが腕を突き上げた。おれもついほかほかと湯気を立てるさまを想像して涎が出そうになった。真澄が作るものは何でもおいしいから、今から楽しみだ。


「風呂掃除はおれだったっけ」

「ぼく、洗濯」

「今日のはちょっと大変だね」

「掃除、洗濯なら任せてよ。それに揉み洗いなら二人に勝るとも劣らずの腕前だから!」


 得意げに言い切って、ぐっと力瘤を作るように腕をまくり上げて見せたせらはにこっと笑った。


「料理はひどいけどなぁ」


 へっと鼻で笑ったのは真澄。

 疲れているのに嫌味の応酬はやめない二人なので、すっかりうんざりしているおれは睨み合いが始まる前にさっさと受け流すことにする。


「いいんだよ、せらは。おいしそうに食べる担当だもんね」

「フォローしてくれるのは嬉しいけど、それ貶してない?」

「いや全く。褒めてるんだよ」


 微妙に嫌そうな顔をされてしまったので、すぐさま訂正する。

 せらは破壊的なまでに料理が下手くそなのだ。

 火を扱えば生焼けか焦がすかの両極端。包丁を握らせようものなら具材が空を舞うし、まな板がお釈迦になる。電子レンジすらまともに使えない有様。

 そんな苦労をかけてできた料理は、大きな声では言えないけれど二口目を運ぶことすら難しい逸品。

 ある点から見れば、ものすごく優れた才能であることは間違いないが、出会って一ヶ月もせずに彼女に料理当番をさせることは我が茜組の禁止事項になったのだった。

 当時に想いを馳せれば、この上なくしょっぱい気持ちになる。それほどまでの出来だったのだ、忘れたくても忘れようがない。


「うちは真澄と真波の二人とも料理が得意でよかったよ。毎日おいしいご飯が食べられるから、みんなから羨ましがられるんだ。知ってた?」


 おれが失礼なことを考えているとは露ほども思っていない可哀想なせらは純粋な目を向けてくる。申し訳なく思いつつ、且つ、人にはそれぞれ得意不得意があるから責めているわけでもないんだよ……と言い訳をしつつ、おれは首を傾げた。


「でも紺はあげは姉さんがよく作ってるって聞くし、秋実も負けじと頑張ってるって聞いたよ。山吹は当番制になってるんだって星知が」

「そりゃどこも普通にやってるだろうけどさ、二人のは作るレベルが桁違いっていうか。素人じゃないじゃん」

「何言ってんの、素人だよ」

「いやいや、真波たちならお店開けるよ!」


 なんて話をしている途中で、突然せらが立ち止まる。彼女にどうしたのかと問おうとすればバッと勢いよく顔を上げてこちらに迫ってきた。


「まって、今日金曜じゃない!?」

「んだよ、急に」


 大欠伸をこぼした真澄が怠そうに聞き返す。


「あれだよあれ、ミュージックタイムの日!」


 何事かと考えてみれば、今日は金曜日。世の中では休みに入る前日である。

 昔から金曜日には色々なアーティストが集まる歌番組がやっていて、それに彼女が応援するアイドルが出るということに思い当たった。

 そういえば、先週の夜は嬉しそうに騒いでいた気がする。


「ねっねっ、もし帰ってすぐ出番だったら洗濯物後回しにしてもいーい!?」

「まあ、うん。いいよ」

「やったあ! 真波さま大天使、だいすきっ」

「いいけど、くれぐれも忘れないでね。こびりついちゃうから……」

「はいはいはーい!」


 調子よく抱きつくせらを引き剥がす。

 全く、こういう時の甘え方は誰よりも上手なんだから。


「そっか、忘れてたけどもう金曜日かあ~!」


 急に活力という活力をフルに取り戻したらしいせらはにまにまと顔を緩めに緩めてとっても嬉しそうに言う。一日の疲れはどこへやら、今にも踊りだしそうなほどに足取りは軽い。

 表面は肩につかないあたりで短くし、中は長く伸ばして三つ編みにしたかなり風変わりな髪をゆらゆらさせて、せらは一足先に進んでいく。好きな歌なのだろう、鼻歌まで歌いだした。

 戦闘中は驚くほど冷静で豪胆な彼女も、普段は年相応、いや、それ以下のようなはしゃぎ方をする。昔はもっとじめじめしているというか、陰気なところがあったからよくもまあこんなに明るくなったものだ。

 重力すら感じていないのではないかと思わせるほど軽い身のこなしに羨ましささえ湧く。


「ったく、よくあんなに元気でいられるよな」

「本当に」


 おれと同じく疲れているらしい真澄はしきりに漏らす欠伸を噛み殺してぼそりと呟いた。うっすらと涙の浮かんだ目は眠そうにぼんやりとしている。

 同意をして大きく伸びをしていると、だいぶ遠くまで先を進んでいたせらがくるりと振り返った。


「当たり前じゃん!だってカルルネだよ、今一番勢いのあるアイドルだよ!?」


 おれたちにとってはこの程度の距離の呟きなら問題なくきこえるものだが、しっかりとキャッチしたらしい。ずんずんと戻ってきて、おれの目の前で止まる。


「ヒカルちゃんもハルネちゃんもかっわいいし、歌うまいし、ダンスキレッキレだし!好きにならないわけないよ」

「そう?」

「そうなの!」


 今度は真澄の方ににじり寄って、怒涛の勢いで語り出した。


「今回の新曲はハルネちゃんが作詞でね!作曲はヒカルちゃんなの、二人で作った最高の曲なの!先行で一分ちょいの動画が上がってるけど、いろんなアーティストからも評判で____」

「俺にはどれも同じに見える」

「ばか、まだファンじゃないからそんなことが言えるんだよ。一度でいいから聞いてみて、なんて言ったってサビの歌詞が特に良すぎてっ!……駄目だ、この素晴らしさを上手く言い表せる言葉が思いつかない!」


 両拳を握り締めて熱弁を振るうせらに対して、疲れ切った様子の真澄は面倒くさそうに顔を逸らす。

 本は読んでもテレビは積極的に見るようなたちでもない彼からしたら、アイドルは遥か遠い、興味の範疇外のものだ。


「今日の放送、一緒に見よっ?きっと疲れもふっとんじゃうから!」

「疲れた。飯食って風呂入ってさっさと寝る」

「ええ~、そこをなんとか!」


 そんな話をしているうちに、慣れ親しんだ廃墟が見えてきた。高層ビルであったものが倒壊して苔むしたそれは、勿論、今は人っ子一人いない。人がいたなら、それは多分人に見える人ではないモノである可能性が大だ。


「ほら、二人とも。周りには十分気を付けて」


 未だに音楽番組を見る見ないで言い合っている二人に促す。慣れている場所ではあるが、気を抜いていいわけじゃない。先程せらが言った通り“ 締めるべきところは締めないと ”思わぬ怪我や事件に繋がる。

 一度足を踏み入れればガラリと空気は変わった。いつの間にか誰もが黙り込んでいる。


「ここを拠点にして長いけど、いつまでも苦手。おばけとか妖怪とか出ないよね?」


 せらは腕をさすりながら恐々と呟いた。

 いつものことだが、そういういるのかいないのかわからないもの達が苦手な彼女はここで尻込みをする。未だ嘗て出たことはないけれど、やっぱり恐怖というものは抑えられないんだろう。

 おれたちが各々履いたブーツが、硬い床をコツコツと鳴らした。がらんどうの空間に虚ろに響く音は確かにちょっと不気味だ。


「出ない出ない」


 安心させるように繰り返すが、せらはきょろきょろと落ち着かない。

 先頭から真澄、せら、おれの順番で進むのはかなり前からだけど、そうなったのは前からも後ろからもおばけがきたらどうしようと泣き出した昔のせらが原因である。頑なに拠点に戻りたがらないから苦肉の策で編み出した。今となっては懐かしい思い出だ。

 昔に想いを馳せていると、せらが突然立ち止まった。


「ちょっ、何だよ!」


 正確にはせらではなく先頭が立ち止まったらしい。背中にぶつかった文句を口にした彼女には目もくれず、真澄は黙って胸ポケットに手を突っ込んでいるようだった。


「どうしたの、電話?」


 事態がつかめずに口を出すと、振り返った彼は人差し指を当てるジェスチャーで黙らせた。


「こちら茜、真澄」

『ああすみません、蓬莱です。ちょっと困ったことが起こりまして、そちらに向かってもらえますか』

「困ったこと?」


 漏れてくる声を聞き取ろうと、せらとおれは近くににじり寄って耳を澄ませた。


『第二の、萩組の新人がはぐれてしまったそうです。一番近い場所にいる茜組さんには保護命令が出ています』

「はぁ?はぐれたって、何で」

『詳しい詳細は回ってきていませんので、私にもわかりかねるのですが、対象は旧徳丸付近を彷徨っているとのこと』

「行方がわかってるならまだマシだけど」


 せらがぼそりと囁いた。

 おれたちの体のどこかには、位置を特定するための発信機が埋め込まれている。

 任務中道に迷った時や周囲の情報を知りたい時に監視官へ連絡すればナビゲートしてもらえるが、同時に、大まかな行動は逐一監視されているということだ。この組織に嫌気が差して逃げ出そうものなら、地の果てまでも追いかけられて消される。いわば枷のようなもの。それがあれば行方不明になることはない。

 今回のように、はぐれるようなことがあっても、居場所はすぐわかる。


『対象は十六歳で女、黒くて長____』


 ざわざわと人の声や雑音が入り混じり、眉をひそめた真澄は通信機を耳から離した。


「聞こえてたよな。俺たちは帰れないらしいぞ」

「はぐれたって何!?もう、萩ってばちゃんと新人の面倒みてよね」

「まあ、そのことについて文句のひとつやふたつは言いたいけど、命令なら……仕方ないね」


 家に帰ってゆっくりと疲れを癒そうと思っていた矢先のこと。皆一様に、テンションが下がっている。

 真澄はガサガサと耳障りの悪い音が漏れ出している通信機を見遣った。


「感度が悪い。俺は先に外に出て指示を仰ぐから、お前たちは上がって支度を整えてくれ」

「了解」


 かけていた鞄を受け取り、真澄を残しておれたちはひび割れた階段で三階まで上がることにした。

 日が落ちて暗い廊下を取り出した懐中電灯で照らしながら直進し、突き当たりの部屋に入る。

 光に照らされた先には、ここを後にした時と変わらずに黒い塊があるのが見て取れた。

 ここに置いてあるものは使用頻度の高い救急箱から、万が一帰投できずに壁の外で過ごさなくてはならなくなった時の野営道具まで多岐に渡る。当然ながら戦闘には必要ないものの方が多いので、日中活動する間はこうしてひと所に集めて保管しているのだった。


「荷物は置きっ放しでもいいから、足りないものを足すだけにしよう」


 目隠しとばかりにかけられた布を取り払いながら言うと、頷いたせらはテキパキと動き出した。汚れたタオルを新しいものに変え、暗視装置を人数分揃える。鞄の中身を整理していると、せらが俯いたまま「ミュージックタイム……」と零すのが聞こえた。悔しさの滲んだ声に、哀れみの気持ちが湧き上がる。

 今から任務に出向けば、恐らく番組開始には間に合わない。


「せら、なるべく早く見つけ出して帰ろう?」


 下手に慰めるようなことは言わずに、暗い雰囲気を吹き飛ばすべく明るい声を上げた。顔を上げたせらは今にも泣き出しそうに見えたけれど、片手を差し伸べれば素直に手をとって立ち上がった。そのまま体を引き寄せ、弾みをつけて横抱きにする。


「ど、どうしたの?突然」

「しっかり掴まって、くっついてて」


 突飛で難解なおれの行動にせらは焦って暴れるが、構わずにガラスの外れた窓から身を乗り出す。下を覗けば、入り口で待つ真澄の姿があった。

 よいしょ、と手足を窓枠にかけてしゃがむような体勢になれば、大人しく抱かれていたせらにも察しがついたらしい。


「え、飛び降りるとか言わないよね」

「そうだよ?その方が手っ取り早いでしょ」

「待って待って、自分で飛べる____」

「えい」


 足元を強く蹴って手を離せば、容赦なく風がぶつかってくる。両腕の中からは言葉にならない叫びが聞こえてきて、つい笑ってしまった。

 と、悲鳴を聞きつけた真澄が上を見上げて目が合う。

 ごろんごろんと転がりながら着地し、身体は静止しても止まらない大笑いに息も絶え絶えになっていると、顔を真っ赤にしたせらが目を尖らせながら這い出していった。


「何してんの」

「ショートカット兼気分転換」


 面白いよと微笑めば、眼光鋭く睨みつけられる。これ以上ふざけているのも時間の無駄なので、埃を払いながら立ち上がった。


「これから旧西徳通りに移動する。対象の特徴は長い黒髪に、赤い瞳。性別、女。身長は百五十ほど。名前は蜜だ」

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