有喜13年 春:真波
第1話:スマイルアゲイン
おれにとって大切なものは何かと考えた時に、ぱっと浮かんできたのは兄弟の笑顔だった。
なぜかはわからないけれど、見ていると心が安らぐ。双子なだけあって自分のものとよく似てはいるけれど、それと比べ物にならないくらいいいものなのだ。
彼は神経質で臆病だから、泣いていたり困ったように眉をひそめていることが多い。満開の笑顔なんてごくたまにしか見られないから、生まれてからずっとそばにいるおれが誰よりも多く見ることができているってことはちょっとした自慢だった。
でも、おれがすきなその笑顔は見られなくなってしまった。
自分の力を過信してしくじったから。傷ついたのは自分だけではなかったはずなのに、殻に閉じこもって見ないふりをしていたから。
そのせいで大切なひとを失った。帰るところがなくした。大きな大きな迷惑をかけることになった。彼の将来を狭めた。
おれがする事なす事、すべて彼から自由を奪い悩み苦しめる原因になった。
こころから笑わなくなった彼はおれが幸せに過ごせるように、少しだって困らないようにと眉間に深いしわを寄せて考えている。そのためには時々バカみたいな無茶をする。
そんな姿は見ていたくない。辛かったことなんかみんな忘れて、また笑顔を向けてほしい。
そのためには、もとのように歩けなくちゃいけないんだ。
おれが歩けば、きっと笑ってくれるはずなんだ。
だから。
それが、おれの願いだ。
◇
「ん……?」
目がさめると、白い天井が目に入る。
知らない場所だ。でも見覚えはある。
仕切りのついたベッドに、波形を刻むディスプレイ。何かはわからない薬をぶら下げた点滴スタンド。まるで病室にいるみたいだ。
すんと匂いを嗅いでみると、不思議と消毒の匂いはしなかった。代わりにめちゃくちゃ埃っぽい。病院ならこんなことありえないだろう。
耐えきれずにひとつくしゃみを零すと、カーテンの向こうから物音が聞こえた。
誰かいる。
反射的に体が固まった。
病院じゃないなら、ここはどこなんだろう。
途切れた記憶を辿る間も無く、布に手がかかったかと思うとシャッと勢いよく引かれた。
「やあ、お寝坊さん。そろそろ起きる気になってくれたようだね」
「……」
向こう側から現れたのは女の人だった。
長い髪を無造作に纏め、お世辞にも綺麗とは言い難い白衣を着ている。目の下はくっきりと浮かんだ隈に縁取られているし何だか顔色も悪い。不気味な雰囲気のひとだ。
半ば無意識に、胸元に下げられたネームカードを見やると小さな文字の下に整った字体で『安倍 霧依』と書かれていた。視線に気がついたのか、女の人はにやっと笑ってネームカードを手で隠す。
「最初にここをみる子は初めてだなぁ」
「?」
面白がるようなその言葉に、思わず首を捻った。
どうやらこの人はネームカードをすぐ確認したのがおかしかったらしい。
でも、おれにとってはいつものことだった。地味に長かった病院生活では、関わる看護師さんやお医者さんはたくさんいた。長く関わる人もいれば、一日のほんの少しだけ同じ時間を過ごす人もいた。だから、なんとなく一番最初に名前を聞いて覚えるようになっただけだ。
「せんせい、ここはどこですか?」
女の人は怪しい人だけれど、とにかく聞いてみる。
なんとなくここは病院じゃないとも思ったけれど、先生はお医者さんが着るような白衣を羽織っている。部屋の中に医療機器もあるみたいだ。
でも、カーテンの先には書類が散らばった床、起動したままのパソコン、食器が雑に積まれた流し台があることを加味すると、ただの病室とも思えなくなってくるんだけれど。
その答えは、この人が持っているに違いない。
「ここはね、日本防衛機関」
女の人はあっさりと答えてくれる。拍子抜けしながら、今さっき聞いたばかりの言葉を繰り返した。
「日本、防衛機関……?」
「君も一度くらい聞いたことあるだろう。一般には護国の砦と呼ばれている」
女の人はあっけらかんと言い放つ。
「あります、けど」
聞いたことはあるが、馴染みはない。
おれが生まれる前、日本や世界各地で度重なる天災が起きていた。地震やその二次被害としての火事で亡くなった人も多かったらしいが、それよりももっと最悪な “ アレ ” の出現によって、人間は優れた技術や穏やかな暮らしを放棄しなくてはならない事態へと追い込まれていった。
“ 厄鬼 ”
さまざまな動物の形をとりながらも、動物より遥かに身体能力が高く、凶暴なもの。
厄鬼の出現によって、人間はどんどん数を減らし壁の中に閉じこもらざるを得なくなったのだという。
人々に仇なす存在から守る為に作られたのが日本防衛機関。政府に組み込まれてはいるものの、その性質は極めて特殊であるという。
そこまでがおれの知っていることだ。国会議事堂とか最高裁判所とか、そういう国の重要機関を見てまわる遠足にも含まれていなかったし、行ったこともない。どこにあるのかもわからない。そもそも、生まれてから厄鬼の被害にあったことなんてない。
それはついこの間までは、の話になるのかもしれないけれど。
「なら、話は早いだろうさ。ようこそ、日本防衛機関中央庁へ。きみは栄えある防衛部隊の組員に選ばれた」
せんせいはにこっと笑う。
その顔面の怖さ、笑顔とはおおよそ言い難いけれど恐らく笑いたかったであろう表情を見て、おれはひゅっと息を呑んだ。
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