第12話 シンディの雇用

                    by Sakura-shougen


 サムエルに視線を向けられたクレイグは戸惑った。


「うん?

 何だ?

 わしも約束せねばならんのか?」


「ええ、ここに同席されて話を聞く以上は、秘密を守ることに同意していただかねばなりません。

 何しろ個人の重要情報ですから。」


「わかった。

 わかった。

 君の財産に興味はないが、聞いた秘密は守る。」


 サムエルは頷き、内懐のポケットからカード入れをだして、1枚のカードを取り出した。

 フォブレル銀行のマークの入ったカードであるが、真っ黒な地に金の縁取りがしてあり、サムエルの顔写真と名前の入ったものである。


 フォブレル銀行にはシンディも口座を持っているが、これまで全く見たことの無いカードである。

 だが隣にいたクレイグは息を飲んだ。

 

 フォブレル銀行の高額預金者だけに与えられるブラックカードである。

 アフォリアでの発行枚数は10枚に満たないと聞いている。

 

 クレイグも経済紙で写真を見たことは有るが、実物を見たのは初めてである。


「これは、ブラックカードなのか?」


 サムエルは小さく頷いた。


「お父様、ブラックカードって何?」


「うん、わしの持っているのはゴールドカードだが、それよりも上を行くのがプ

 ラチナカードだという話は以前シンディにもしたね。」


 シンディは軽く頷いた。


「プラチナカードは、ある意味で資産家であることの証明みたいなものになるだろうな。

 少なくとも銀行に1億レムル以上の預金があり、年間20万レムル以上の取引があることが条件となっている。

 だが、更に上を行くのがこのブラックカードだ。

 確か100億レムル以上の高額預金者に限って発給される特別なカードだ。

 アフォリアでもこのカードを持っている者は10人足らずと聞いている。

 使用限度額無制限のカードだよ。」


 目の端を若干釣りあげながらもシンディが不思議そうに言った。


「わぉ、凄いのねぇ。

 サムエルさん、そんなにお金持ちなのに探偵なんか何故するの?」


「働かざる者食うべからず。

 人は無為に生きるべきじゃないと僕は思っている。

 だから、人のためになれる仕事を選んだ。

 この仕事は気に食わない仕事は受けなくてもいいからね。

 少なくとも意にそわない仕事は避けることができる。

 会社などの組織に属すると会社の意に沿って仕事をしなければならないから不本意であっても会社の指示や命令に従わなければならないことも多いだろう。

 クレイグさんのように例え会社のトップであっても自分の意のままにならないことは多いんだ。」


「しかし、君の年齢でそんな資産を持っているなんて、・・・。

 遺産相続かね?」


「いいえ、そうではありません。

 希少金属のブラニウムって知っていますか?」


「ああ、確か2年ほど前に発見された新種の希少元素だな。

 それまでのタンタルに代わってセルフォンに多用されるようになった。

 そのお陰でセルフォンの死角がなくなったはずだ。」


「その通りです。

 で、僕はそのブラニウムの鉱床から凡そ100ボルツを抽出したんです。」


「何と、100ボルツとな・・・。

 1ボルツは1000セボルツ、1セボルツは1000セリボルツだな。

 一頃より随分と値は下がったが、確か、ブラニウム1セリボルツ当たりで1400レムルだから、14の下に0が、・・・10個付く・・・。

 何と、1400億レムル相当か?」


「ええ、当時はもう少し高かったですからね。

 売却時期で少しずつ値が変わりましたけれど、それでも総額で1800億レムルを超えていました。

 最も税金でその内の半分を持っていかれましたけれどね。」


「なるほど、半分としても900億、・・・。

 とても一個人が使いきれる額じゃないな。

 それだけの資産があればわしの会社でもそっくり買い取ってお釣りがくるだろう。」


「そうかもしれませんが、今のところそうした方面には興味はありません。」


「ふむ、君が金に執着心を持たない理由が漸く分ったよ。

 仮に1000万レムルの話しをしたところで君には端下金に過ぎないわけだ。」


「別に執着心が無いわけではありません。

 自分の労働に対して正当な報酬をいただければいいのであって、依頼者に無駄な経費を使っていただきたくないだけです。

 例えば、ゴアラ社が無駄遣いをすれば、その分どこかにしわ寄せが行きます。

 経済と言うのは消費と言うことも大事なのですが、価値の無いものに多額の経費を費やしても経済活動は活発にはなりません。

 そこには自ずと適正価値と適性消費がある筈なんです。」


「ふむう、・・・・。

 しかし、今回の君の一連の調査活動の結果については、規定報酬の数百倍の価値があってもおかしくはないだろう。

 実のところ、次期開発計画の目玉である研究テーマはこれまでに二千万レムルの金を投じておるんだ。

 この成果が盗難に遭えば、少なくとも二千万レムルの金を盗まれたと同じになるだうし、その後に続くであろう利益から考えればその数十倍、場合によっては数百倍の価値はある。

 少なくとも君はそれを未然に防止してくれた。我が社にとっては命の恩人に等しいよ。」


「うーん、僕にできることをしたまでのことです。

 それに僕がしなくてもあるいはクレイグさんか別の方が気付いた可能性もあります。」


「いや、そいつはどうかな。

 私は保安部長と常務の線は殆ど外していた。

 まさか組織的に動いているとはおもわなかったからねぇ。

 警察から聞いたところでは、彼らは入手した金を国外に預けていたらしい。

 リン・サットン探偵社も国外にまでは手が及ばないからね。

 あっちの線からの犯人探しは先ず無理だったろう。

 彼らも我が社の次期計画を狙っていたらしい。

 その上でどうも国外に逃亡する手立てを考えていたようだ。」


「そうですか・・・。

 何はともあれ、お役に立てて何よりです。」


 クレイグは話題を変えた。


「ところで、シンディの勤務は何時からがいいのかな?」


「私の方はいつでも構いませんが、ゴアラ社の引き継ぎ等が済んでからの方が宜しいのではないでしょうか。」


「シンディ、お前はどうなんだ。」


「はい、一応正式に人事部に辞表を提出して後片付けを済ましてからこちらに来るつもりです。

 多分、明日、1日あれば済むと思います。」


「そうか・・・。

 では、明後日からということでお願いする。」


 クレイグはそう言った。

 頷きながらサムエルが言った。


「わかりました。

 明日中には契約書を作成しておきます。

 社会保険の申請等種々の役所手続きもありますから、明後日はそちらを片付けましょう。

 ですから、実際の勤務は多分週明けということになりますね。

 シンディさんは、明後日の9時過ぎに事務所に来て下さい。

 事務所の鍵等もそれまでには準備しておきますから。」


「色々世話になった上に、娘まで厄介になるが一つ宜しく頼む。

 調査費用の方は今日中に指定口座に振り込むことになっているよ。

 では、これで私らは失礼するよ。」


 シンディがにこやかに別れの挨拶を言った。


「では、所長。

 明後日から宜しくお願いします。」


 父娘は共に事務所を去って行った。


 ◇◇◇◇


 二日後、シンディは午前9時丁度にシュレイダー探偵事務所にやってきた。

 事務所は開いていた。


「お早うございます。」


 そう言って事務所に入って行くと、サムエルがわざわざ椅子から立ち上がって言った。


「お早うございます。

 時間ぴったりだね。

 最初に契約書を読んで、内容に納得できたら、署名してもらえるかな。

 一部は君に、一部は事務所に保管することになる。

 それが最初の仕事だ。

 君は、僕の隣の机を使ってもらえればいい。

 それと着替えなんかが必要なら、入口近くの部屋にロッカーを置いてあるから、自由に使ってくれたらいい。

 机とロッカーの鍵、それに事務所の鍵は、これ。

 無くさないようにね。」


 サムエルは、そう言って契約書の束とキーホルダーごとシンディに手渡した。

 契約書は驚くほど枚数の多いものだった。


 先日、サムエルが言った概略の内容の外に詳細な勤務条件が記載されていた。

 ゴアラ社では無論これほど詳細なものは作成されていない。


 もっとも執務提要なるものがあって、その中に社員としての心構えがかなり詳細に記載してあるし、福利厚生ノートなるものには会社が提供する様々な厚生制度が書かれている。

 シンディは、ゴアラ社に入社して以来、余り詳しくは読んではいないが、どうやらそれに類することが契約書に全て記載してあるようだ。


 シンディは、読むだけで1時間ほどかかった。

 その間、サムエルはパソコンに向かって、何かの入力をしているようだ。


 漸く読み終えて、二つの契約書に署名を終え、サムエルに言うと、サムエルも二つの契約書に署名をした。


「それじゃぁ、これから二人で役所廻りに行こうか。

 最初は、市役所だよ。

 シンディさんは、車の運転ができる?」


「はい、できます。

 あの、・・・そのシンディさんというのは止めていただけませんか?

 私は使用人ですし、サムエルさんは雇用主じゃないですか。

 それに所長の方が私よりも年上ですから、呼び捨てが当たり前です。

 何となく『さん』づけをされると余所余所しいわ。」


「わかったよ。

 シンディ。

 これでいいかな。」


 シンディはにっこりとほほ笑んだ。


「はい、所長。

 それで結構です。」


「じゃ、君が運転してくれるかな。

 車は地下の車庫に入っている。

 置き場所は今から案内する。」


 二人は、事務所の鍵を閉めて、外出不在中の札を掲げ、エレベーターで地下車庫に向かった。

 車庫は地下二階にあった。


 広い車庫の端にシュレイダー探偵事務所の駐車場が6区画割り振られていた。

 駐車している車は三台あり、ワゴン車、クルーザー、それにセダンである。


 いずれもサムエルが使用している事務所の車であるらしいが、全て真新しいものである。

 サムエルはワゴン車を使うように言った。


 正直なところシンディはワゴン車の運転は初めてである。

 それでも運転を始めるとすぐに慣れた。


 カーナビで市役所を表示して、案内させているので道を間違う恐れも無い。

 市役所では三つの窓口を順番に回った。

 

 社会保険カードを提示して、旧勤め先や新たな雇用先の住所、その他を所定の申請用紙に記入する。

 大きな会社では人事課や厚生課などの職員が代理で済ますのであるが、所長とシンディしかいない事務所では全ての手続きを自分達でしなければならない。


 事務処理の待ち合わせ時間が結構長かったが、午前中には無事に市役所への手続きは終了した。

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