第6話 報酬と新たな依頼

                    by Sakura-shougen


 ベンソンは請求書が届いたその日のうちにサムエルの事務所を訪れ、改めて礼を申し述べるとともに既定の請求額のほかに、10枚ほどの小切手を差し出した。

 受け取りを固辞するサムエルに対して、これは依頼に対する報酬ではなく、一人の父親としての感謝の気持ちだから是非にでも受け取ってもらいたいと受け取りを強要した。


 その上で、この金額は領収書が不要であり、一切公にしないよう念を押したのである。

 サムエルは戸惑いながらもしぶしぶ受け取った。


 裏面に白紙委任状の付いた小切手の額面は50万レムルであり、平均的なアフォリアのサラリーマンの4、5年分の収入に匹敵する。

 それが10枚もあるのだから優に生涯給与に匹敵する額となる。


 しかしながら危険を冒してまでキャシーとナディアを警備の固いハーレムから無事に連れ出し、キレインまで送り返してくれた功労は何物にも代えがたく1000万レムルの報酬でさえも見劣りするものだった。

 リン・サットン社がキャシーの失踪当時に3か月に渡って調査してくれた際の請求書が延べ人員で45000時間・人であり、一人1時間当たり200レムルの請求書であった。


 交通費及び諸経費を含めるとベンソンが支払った額は1200万レムルを超えている。

 それにもかかわらず何の手がかりも得られなかったのだが、サムエルは事件から10年が経過していたにもかかわらず、わずかに2週間でキャシーの消息を確認したのみならず、キャシーをベンソンのもとに連れ戻してくれたのである。


 しかも経費はその80分の1に満たないのである。

 今、仮にリン・サットン社がキャシーの行方を知ることができたにしても、この僅かな時間で無事にキャシーとナディアを連れ戻すことなど到底できなかったに違いないと思っているし、そうした仕事は探偵社が請け負うべき範疇を超えているから、普通の探偵社ならばいくら金を積まれても断るに違いないのである。


 消息や現状確認は請け負えても、アフォリアの仮想敵国の一つであるブラウダからの救出作戦など、傭兵でもない限りはまずできないであろう。

 ベンソンは、かつてアフォリアの隣国セイシアで起きたベンソンの出資している大手電機会社の支社長誘拐事件の際に、とある傭兵組織と関わったことがある。


 支社長の救出を依頼した場合の見積もりを出してもらったのだが、相手が武装ゲリラということもあって、1日当たりで10万レムルが必要とされ、成功報酬で更に100万レムルが提示された。

 支社長の身代金要求は100万レムルであったので結局は、傭兵組織を利用しなかった。


 結局のところ、金の受け渡し段階以前でゲリラ側に何らかの不都合があり、交渉が突然打ち切られ、後に支社長は死体で発見された。

 ブラウダの国内情勢については、ネット情報も少ないが、それでもキャシーからわずかに聞けたハーレムの状況では警備は非常に厳重であったらしい。


 少しずつ語るキャシーの話では、キャシーは大学での昼休みに人気のない場所で二人の男に襲われ、布のような物で口と鼻を覆われ意識を失った。

 次に目覚めた時は狭い部屋の中に別の女性と一緒に手足を縛られた状態で軟禁されていたようだ。


 だが更に何かを注射されて意識を失い、次に目覚めた時にはブラウダのハーレムの中だった。

 もっともキャシーがブラウダのハーレムに居るとわかったのはそれからずいぶん後のことである。


 キャシーはハーレムに容れられて三日後にはブラウダ国王の第一子であるアルマハザールに無理やり犯された。

 アルマハザールは少なくとも6人以上の妾を抱えており、キャシーが抱かれるのは1週間から10日おきのことであったという。


 それでも3年後には妊娠し、6年半前にナディアを出産した。

 生まれた子が女であればハーレムで育てられるが、男であった場合は、取り上げられてしまうという。


 幸いにして、出産後はキャシーがアルマハザールに抱かれる頻度は少なくなっていた。

 だからと言って一旦ハーレムに入った女が、ハーレムから出されることはない。


 死ぬまで女はハーレムに閉じ込められるのが掟であった。

 結局のところアルマハザールのハーレムには世界中から集められた女性数十人がいたという。


 その内の半数以上は既に寵愛から外されていたらしい。

 そうして、少なくとも、キャシーの囲われていたハーレムから生きて抜け出した女性はこれまで一人もいないと聞いている。


 アルマハザールのハーレムは、国王の住む宮殿の一角にあり、通常のルートでハーレムに入れるのはアルマハザールとその警護の者だけである。

 他に女性の商人が何人かハーレムに出入りできるほか、キャシー達妾姫に仕える侍女たちのうち幾人かが王宮外から通っているだけであった。


 サムエルがどのように手配したかはわからないが、キャシーの部屋にサムエルの手紙が届き、二度の文通の後で、キャシーとナディアがその通り動くことでハーレムを抜け出ることができたという。

 キャシーには手紙の仲介をしてくれた者が誰なのかは最後までわからなかったという。


 自分の部屋にいつの間にか手紙が置いてあり、指定の場所に手紙を置いておくといつの間にか無くなっていたのである。

 キャシーとナディアはサムエルの指示に従って、夜半にハーレム内の指定された櫃の中に隠れ、その櫃が何者かによって運び出され、数時間後に蓋が開いた時には見知らぬ民家の一室であり、そこで初めてサムエルと会ったのである。


 それからすぐに衣装を変えて、車で砂浜に行き、漁船と思われるぼろ船に乗り移ってブラウダを脱出、海上でさらに別のぼろ船に乗り換え、エラズムの海岸に向かい、そこからエラズムの大使館まで半日ほども車に揺られたらしい。

 エラズムの大使館に入り込むまで一切官憲との接触はなかった。

 サムエルが如何に巧妙に立ちまわったかが伺い知れる逸話である。



 ベンソン・ギャラガーは資産家であり、経済界に名を知られているだけに当然顔も広い。

 折に触れ、機会がある度に、ベンソンは、シュレイダー探偵事務所なら仕事は早いし、信用できるよと吹聴して回った。


 その影響かどうかサムエルが事務所に復帰した5日後には、二組の依頼者が現れた。

 一組目は、クレイグ・ベイリーというゴアラ特殊製鋼の社主である。


 二組目は、大手保険会社の重役ダン・マクワーレンであった。

 クレイグは午前中に、ダンは午後からやってきた。


 クレイグの話は産業スパイに関わることであった。

 ゴアラ特殊製鋼は、冶金業界でアフォリア随一の技術を持っており、他の追随を許していなかったが、ここ2年ほどの間に2度も特殊合金の開発技術が盗まれたと思われる事件が起きた。


 ゴアラ特殊製鋼が巨費と時間をかけて開発した新たな合金技術を特許申請する直前になって別の会社が先に特許申請をするという事件が二度も続いたのである。

 合金自体は特許対象にはならないが、合金を製造するプロセスの技術は特許の対象になるのである。


 その技術が盗まれているのである。

 一度ならば偶然と言うことも有り得るかもしれないが、二度となると絶対に偶然は有り得ない。


 しかも設計図面の細部に至るまで同じものであり、唯一、設計者の氏名や所属会社名などが異なっているだけの特許申請であることが、お役所の役人に鼻薬を効かせて調べた極秘調査で判っている。

 内部の者の犯行である可能性も非常に高いし、あるいは会社のネット情報そのものが侵入されている可能性も否定できない。


 イントラネットについては、再三にわたり専門家の調査も行ってもらったが、何の異常も発見されていない。

 最初の情報漏洩により、内部犯行の可能性も否定できなかったので、機密情報にアクセスできる8名の幹部社員について、クレイグは、リン・サットン探偵事務所に依頼して、素行と金の流れについて調査を行ってもらっている。


 その調査継続中に二度目の情報漏洩が起きたのだが、リン・サットン探偵事務所の調査では今のところ疑惑がある人物は浮かんでこないのである。

 そうして今一つの合金技術開発の完成が間近に迫っており、前二回のものに比べると百倍程度の価値ある技術であることから、今度、同じことが起きれば、クレイグ以下会社幹部は株主から総退陣を迫られる可能性すらあるのである。


 今のところ新たな合金製造技術開発の目途は半年後であり、それまでがゴアラ特殊金属にとっての正念場ともなる。

 リン・サットン社への依頼が競合し、仕事がやりにくいならば、リン・サットン社への依頼は取り下げても良いとまでクレイグは言った。


 サムエルは少し考えてから言った。


「複数の探偵事務所に依頼することが支障になるとすれば、お互いに功を争って

 相手の活動を邪魔したり、拙速にはやることで調査活動自体を対象者に知られてしまうことが考えられます。

 ですから、当探偵事務所へ依頼したことをリン・サットン探偵事務所には知られないようにして下さい。

 その様にすれば、むしろ今までと変わらない状況ですので、仮に犯人がいるとしても警戒心を抱かせず、気付かれないで済むでしょう。」


「では受けていただけるかな?」


「はい、御受けしますが、・・・。

 犯人をあぶり出すには、ちょっとクレイグさんにはお芝居をしていただかねばなりません。」


「ほう、芝居を・・・。

 言っておくがわしは役者じゃない。

 上手い演技を期待しているのなら無駄だぞ。」


「さほど上手い演技をしていただく必要はないと思います。

 むしろ、地で行っていただければ十分かもしれません。」


「ふむ、何をすればいいのかな?」


 サムエルが授けた芝居の役どころは特段の準備も必要のないものだったが、ある意味で破天荒な提案でもあった。


「そんなことが本当に実現可能なのか?」


 そう疑念を表明するクレイグにサムエルは自信たっぷりに答えた。


「お任せ下さい。

 では三日後午前10時半に社の方に参りますのでスケジュール調整の方を宜しくお願いします。

 それと念のために申し上げておきますと、多分、私とは思われない姿で参ります。

 ショーン・ベラクルスと名乗りますのでよろしく。」


 クレイグは、この若い探偵にそれほどの能力が本当にあるのだろうかと疑問を抱きながら、事務所を出て行った。

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