第5話 キャシー親子の帰国
by Sakura-shougen
「了解しました。ただちにその手配を致します。」
「それと、これはサムエル氏からの申し出でございますが、お嬢さんが無事に戻られることは報道には出されないようにすることが望ましいということです。
ブラウダとしては、お嬢さんが人身売買で王宮のハーレムに存在したことを世間に公表されては困ることですし、それがもとで王宮に雇っている刺客などを送り付けられる恐れも十分に考えられます。
古来、王家に仇なすものを秘密裏に始末するブーリェンという暗殺団が王宮に存在しているという不確実情報もございます。
正直申し上げて、ブラウダ政府がどう出るかは私ども外交官でも予測できません。
特に王族は体面を重んじる風潮が極めて強うございます。
万が一にでもブラウダの王族の名が表面に出ますと、その反動はかなり大きいものと考えざるを得ません。
仮に表沙汰になったところで、ブラウダ王家も政府も一切を否定することになるでしょう。
外交的に申し上げれば、アフォリアが公表して得る利益はありません。
私見を申し上げるならば、微妙な話ではございますが、ベンソンさんにお嬢様とお孫さんが無事にお手元に戻るだけで受忍していただけるのであれば、本国政府としても後々の外交政策において有利に働くのではないかと存じます。」
「ふむ、少々腹に据えかねる部分もございますが、最終的には私自身はそれでも構わないと思ってはいます。
ただ、その件は娘が帰国した後で妻やキャシーを交えて慎重に検討することにしましょう。
仮に私どもが何らかの動きをするにしても、政府筋の了解を得て動くことにいたします。
少なくとも当面はマスコミには間違いなく伏せておくことをお約束します。
娘キャシーのためにもナディアのためにもマスコミには余り騒がれたくはありません。
ただ、ナディアの出生証明の問題が残りますなぁ。
まさか、ブラウダに出生の証明を要請するわけにも行きますまい。」
「その件についても、サムエル氏から予想外の提案がございました。
エラズム大使館でナディアさんの出生証明を行ってはどうかとのことです。
ナディアさんはすでに6歳、法的には種々問題もございますが、とりあえずキャシーさんからエラズム大使館に出生の届け出を出してもらい、大使館が特例としてそれを追認する形が取れるかもしれません。
この件は最終的に本国政府の正式見解を待たねばなりませんが、人道上、ナディアさんを無国籍にはできませんから、おそらくはそのようになるものと推測しております。
本国政府から指示があれば、明日の出国までには出生証明書を発出できるように準備は進めております。
最終的に出生証明書は外交郵便で本国に送達し、改めて、本国でその書類を元に登録の手続きを取るようになると思われます。」
「ファーガソン大使、いろいろとご配慮をありがとうございます。」
「いいえ、私は何も・・・。
それよりも、サムエル氏は、お若いのに中々に傑出した人物ですなぁ。
何が問題なのかをきちんと把握しているし、それに対する応用的な解決策も柔軟な考えで提案してくれました。
そうして何よりもあのブラウダの警備陣を掻い潜って王宮から二人を連れ出すことは、本職の秘密工作員にとっても至難の技です。
それも政府の支援を受けずに単独で行ったところが実に凄いと思います。
ベンソンさんも、良い探偵事務所を探し当てましたな。
ほかの探偵ではこれほど鮮やかに解決を図ることなど到底できなかったと思いますよ。
少なくとも1時間前の段階で、ブラウダにいる諜報員からの報告によれば、王宮内で起きた脱走事件についてブラウダは何の発表もしてはおりません。
裏でどのような組織が動いているかは掴めないのですが、少なくとも表面上は何事も起きていないかのように装っています。
もっとも王族へのテロ防止ということで空港でのチェックが非常に厳しくはなっているようで、ブラウダの空港を出発する全ての航空便に遅れが出ているようです。
いずれにせよ、空港を使用せずに夜の内に海へ逃れたのが最良の策だったと思います。」
「はい、サムエル氏の高い能力と判断力については、私もそう思います。
いずれにせよ最悪の事態は避けられました。大使及び大使館関係者の方々には厚くお礼を申し上げます。」
「度重なる丁重なお言葉ありがとうございます。
明日、お三方の乗る航空機が無事離陸いたしましたならまたご連絡を差し上げます。
夜分遅く失礼をいたしました。
では、これで通信を終えさせていただきます。」
ビジフォンが終わって、ギャラガー夫妻は本当に心からほほ笑み、そうして二人はしっかりと抱き合った。
◇◇◇◇
エラズム大使館から無事にキャシーとナディアが搭乗した航空機が離陸したという連絡が入ったのはそれからほぼ24時間後のことであり、ナディアには特例としてエラズム大使の署名入りで6年前に遡って出生証明が正式に発出され、ナディアは正式なアフォリア国民となる予定であり、仮のパスポートも交付された。
但しパスポートの名前は、あくまで偽名である。
その通報を受けて、ギャラガー夫妻は関係先に連絡を取るとともに厳重な箝口令を敷いた。
◇◇◇◇
待ちに待ったその日の午前11時頃、AM航空124便はキレイン国際空港に着陸した。
その様子をギャラガー夫妻は手を取り合ってVIP室のモニターテーブルで見ていた。
キャシーとナディアは簡単な入国審査のあと特別な計らいで、すぐにVIP室に送り届けられることになっている。
ギャラガー夫妻はある意味で顔が売れている。
そのために空港の到着ゲートの前で待つのは具合が悪かったのである。
特に、この日はエラズムで撮影を終えた国内でも有名な映画俳優が帰国するため到着ゲートには大勢のマスコミが訪れていた。
ギャラガー夫妻はじりじりとしながらひたすら耐えていた。
午前11時半過ぎ、ついに私服警察官などとともに、キャシーとナディアが連れ立ってVIP室に姿を現した。
必死に抑えていた激情がせきを切って流れ始めた。
ギャラガー夫妻は、先を争ってキャシーに駆け寄った。
親子三人が抱き合い、互いに涙を流しあった。
ナディアがその間ずっと澄んだ瞳でその光景を見ていた。
幼いナディアを放っておいたことにライラがはっと気づいた。
ライラが微笑みをナディアに向け、しゃがみこんで子供の目線で言った。
「ようこそいらっしゃいました。
私はライラ。
貴方のおばあ様よ。」
ナディアがたどたどしい言葉で言った。
「初めまして、おばあ様、私はナディアです。
お会いできて大変うれしいです。」
ライラはその言葉を聞いて、心からの笑みを返して小さなナディアを抱きしめた。
一方、ベンソンは、部屋の片隅にひっそりと佇むサムエルを見つけた。
家族の再会に邪魔にならないようにしているのだろう。
どこまでも控えめで律儀な男である。
サムエルに向かって手を差し出し、握手を求めた。
「ありがとう。
君には何とお礼を言えばいいかわからない。
娘の行方を突き止め、不可能と思われた救出作業をやり遂げてくれた。
君が望むならば私の資産全てを君に譲ろう。」
サムエルは静かに首を振った。
「そのお気持ちだけで十分です。
後日請求書と報告書を提出しますが、ブラウダからエラズムに移動する際に少し余分に工作資金を使わざるを得ませんでした。
当初の見込みでは10万レムル以内で十分収まると思っていたのですが、見込み違いでした。
ほんのわずかながらオーバーしてしまいました。10万1千レムルほどになると存じます。」
それを聞いて、ベンソンは愉快そうに笑った。
「サムエル君。
謝る必要など何もない。
確かに君の思惑が外れたかもしれないが、私の予想していた期間も経費も大幅に下回っているよ。
で、君も警察から事情を聴かれるのかな?」
「はい、そのように聞いています。
但し、警察にもお話しできない部分はいくつかございますので、雇い主であるベンソンさんにもあらかじめ申し上げておきます。」
「ほう、警察にも言えないとは、どうしてかね。」
「はい、ブラウダからエラズムへの移動に際しては、何人かのブラウダ人、エラズム人やその他のグループの方々の内々の援助を受けていますが、正義のためとは言え、ある意味ではブラウダ、エラズム双方の法に触れる行為です。
従って彼らの名前や素性がわかるような話は一切できません。
その詳細は知らせていませんので知りようもないはずなのですが、キャシーにも同様に援助してくれた者たちの情報に関しては口止めをしてあります。
たとえ、ご両親であっても話をしないようにと。
その点はどうかお許しを願います。」
ベンソンは大きくうなずいた。
「君の言うことなら無条件で何でも信用しよう。
娘の救出に関してはすべてを君の判断に委ねた。
従って、それに関する件ならばすべて君の判断でやってもらって構わない。
その結果として何らかの尻拭いが必要なら私がやろう。
せめてもの私の気持ちだ。」
昼食を挟んで、その日夕刻まで各関係先から事情聴取を受け、キャシーとナディアはベンソンの屋敷へと戻って行った。
全ての手続きが終わるまでには、まだ2週間ほどもかかる見込みである。
その翌日にはサムエルから詳細な費目が記載された請求書と報告書が届いた。
但し、領収書の類はエラズムからアフォリアへの航空機代以外はほとんどない。
領収書を取れるような状況ではなかったのだろうと推測はつく。
これまでに要した経費と支払い済みの経費の総額は12万8600レムルであった。
キャシーとナディアの旅費は別費用であり、二人分で6000レムルを少し超えていたが、その分を含めても14万レムルを超えることはない額である。
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