第2話 依頼
by Sakura-shougen
サムエルが言う特別な部屋は、フロアよりも床が一段高くなっており、それに加えて天井も低いのだが、頭上30セリムのところにガラスの天井があり、身長の高いベンソンであっても天井が低いと感ずるほどではない
丸いテーブルを中心に6脚の椅子が置かれている。テーブル上にはノートパソコンが一台置かれているだけである。
但し、室内の天井近くの左右の壁面には、それぞれモニターがついており、事務所の中が映っていた。
仮にこの奥まった部屋に居ても来客があればわかるようになっているようだ。
三人が入って引き戸式の二重ドアを閉め、ギャラガー夫妻に椅子を勧めると若い男が言った。
「この部屋は外部からの盗聴を完全に防止する特別仕様の部屋になっています。
従ってどのようなお話をされても他人に知られることはありません。私は、サムエル・シュレイダーと申します。
私がお聞きしたお話の内容は、貴方がたの了承が得られない限り、間違いなく秘密にいたしますのでご安心ください。」
おずおずとベンソンが話し始めた。
それによると、およそ10年前に行方不明になった娘キャシーを探してほしいという。
キャシーは、当時21歳の大学生であり、いつものように大学に行った後、消息を絶ってしまった。
失踪の直前まで何の異常も認められず、少なくとも大学での午前中の授業には通常通り出席していることがすでに確認されている。
ギャラガー夫妻は、失踪当日の夜半の段階で、何の連絡もせずに戻って来ないキャシーに何らかの異常があったものと判断し、警察に捜索願を出した。
その後全国的な探偵事務所として有名を馳せているリン・サットン探偵事務所に消息調査依頼を行っている。
警察は犯罪であるという明確な疑いがなければ積極的には動かない。
捜索願を受けても身元不明死体や収監者に当該人物がいないかどうかということを確認するにとどまる。
それでも、ベンソンが経済界では高名な資産家であったことから、誘拐の線も有り得るものと考え、警察は念のためにDNAや指紋採取だけは行っていったが、その後も警察からは何の情報も得られなかった。
リン・サットン探偵事務所はおよそ三ヶ月にわたってかなり広範囲な調査を行ったが、キャシーの手掛かりは全く得られなかったのである。
その調査報告書がサムエルに手渡され、その上で、何とかキャシーの行方を突き止めてほしいと言うのである。
サムエルはその書類を一通り読んだ後で静かに言った。
「失踪当時に大手の探偵事務所が探してみつからなかったようですね。
大変失礼ながら、ほとんど手掛かりらしい物もありませんから、これから改めて調査するのは非常に難しいのですが、今になって何か新たな手掛かりでも見つかったのでしょうか?」
ベンソンは悲しそうに首を振った。
「いいえ、新たな手掛かりは全くありません。娘のキャシーが失踪して以来、毎年、探偵事務所に調査の継続をお願いしているのですが、リン・サットン探偵事務所には、調査をしても経費と時間の無駄だからと数年前からは依頼を受けて貰えないのです。
やむを得ずほかの探偵事務所にそれ以後お願いしているのですが、それも一度限りです。
キレイン周辺の探偵事務所ではもう調査を受け付けてはもらえんのです。
彼らは皆口にはしませんが、キャシーは亡くなっているものとみなしているようです。
お宅の探偵事務所の存在はこれまで気づきませんでした。
昨日たまたま通りすがりに、このビルに探偵事務所があることに気づき、妻と二人でお願いに上がった次第です。」
「なるほど。
当探偵事務所は3日前に開業したばかりでして、お二人がある意味で初めてのお客様でございます。
ご事情は分かりました。
仮にキャシーさんが犯罪に巻き込まれていたりすると、最悪亡くなられていたり、あるいは仮に生存されていたとしても以前の記憶を失っている可能性もございます。
その場合はどうされますか?」
沈鬱な表情でベンソンが言った。
「仮に、・・・。
仮に、娘が既に死んでいるならその遺体を探していただきたい。
娘が生きているなら、たとえ浮浪者に成り果てていようと、何としても娘を引き取ります。
回復の見込みのない植物状態であっても構いません。
私たち夫婦にとってはたった一人の子供なんです。
生きていて、なおかつ、何らかの事情で娘が私たち親の元に帰ることができないのであればせめてその事情を知りたいのです。」
「わかりました。
当事務所で娘さんを発見できるという保証は何もありませんが、それでも良ければお受けいたします。」
ベンソンはほっとしたように言った。
「ありがとうございます。
経費の方は言い値でお支払いします。」
「あ、調査費用は失踪の場合、1件1000レムル、それに実働1時間当たり100レムルと交通費などの実費だけです。
それ以上の請求はいたしません。」
「しかし、10年以上も前の事件です。通常の失踪とは違うのでは?」
「確かに通常の失踪事件とは異なりますね。
でも仮に1時間前の失踪であっても料金に変わりはありません。」
「しかし、・・。
いや、わかりました。
では、あなたが言うとおり、1000レムルの規定費用と実働費用として100時間分1万レムルを前払いしておきます。」
「いえ、とりあえず1000レムルだけで結構です。実働費用と必要経費は、後に請求いたします。
仮に3000レムル以上の経費が掛かる場合は、事前にご連絡を差し上げて了解を得てから動きます。」
ベンソンは呆気にとられた表情を見せた。
「あなたは欲のない方のようだが、仮に無駄とわかっていても、・・・。
いや、ほとんど調査をせずに1万レムルの金を手に入れ、何もわからなかったと報告しても私どもにはわからないのに・・。」
「そうかもしれませんね。
でも依頼を受ける以上は相応の調査はいたします。
但し、その結果としてお申し出の金額の10倍以上の金がかかるかもしれませんよ。」
「それは構いません。娘の行方がわかるなら、たとえそれが娘の死亡であったにしても、100万レムルを出しても惜しくはありません。」
若い男は苦笑した。
「先ほども申し上げたとおり、今の段階では、調査結果について何の保証もできません。
ただし、調査期間として当面1か月だけに限定いたしましょう。
それまでに何の手がかりも得られない場合には、大変失礼ながら、それ以上の時間をかけてもお嬢さんの消息はつかめないでしょう。
そうして仮に見つかるとしたならば1週間以内に何らかの手掛かりが得られると存じます。」
「あの・・・。
逆に、1週間以内に手掛かりがなければ、その後の調査は難しいと?」
「そうですね。端的に申し上げれば、そうなります。
ですから、調査期間を一ヶ月に限らせていただくのです。」
「しかし、無駄でもよろしいから1か月は調査を続けていただきたいのです。
お宅以外には今のところ頼る当てがないのです。」
「はい、誠心誠意調査は行います。
それだけは、信じていただいて結構です。」
サムエルという若い男は、明確に言い切った。
ギャラガー夫妻は、その男の真摯な態度に淡い期待を抱きながら事務所を去って行った。
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