第六章 君のこれからの家 4

「てめぇ――ッ!」

「はっはっは、まだ戦えるって言ったのはそっちじゃないか」

 愉快そうな笑い声を上げるのとともに、佑弦は縛り付けられた透矢に式の記入された紙片をばらまくと、靴板の起動をいったん解除し、重力に身を任せて落ちていく。

「熱量式だよ。爆発するから、早く離脱することがお勧めだね。言っておくけど、瀕死状態で生命現象安定の式を使われ、肉体回復の式で回復するとき、痛いほど痒いんだよ」

「―――ッ!」

 佑弦の話がまだ終わっていないうちに、すでに紙片が光り出した。

 透矢が慌てて日本刀を作り出してはさっき佑弦が作った炭素と防性理論の障壁を壊したように、体の周りの空間に日本刀を刺し込むように振り下ろす。

 すると、刃に触れてもいないのに、文字の鎖に斬撃が走り、瞬く間に全部断ち切られた。

 間一髪で離脱すると、もといたところに、小規模の爆発が無数に轟音を立てた。

「く……」

 まだ使い慣れていないのに加えて、慌てて使ったのだから、うっかり自分の体にも切り傷をいくつか残してしまったが、この程度なら、どうということはない。

 問題は、体勢を立て直して、少し離れたところで悠然と立っている佑弦だ。

「………」

 無言で佑弦に憎たらしげな視線を投げながら、頭を巡らす。

 小手先は通じない。スピード勝負も技の差で補われてしまう。攻性理論の扱いも佑弦のほうが上。調波器と攻性理論の使い分けも負けている。

 まともにやり合うと、万が一でも勝てるはずがないと、数回手を合わせるだけで思い知らされた。

 それでも、一撃を入れるという目標を達成するのなら、方法は一つしかない。

 攻性理論の差で、無理矢理に押し通す。それだけだ。

「おい」

 負けず嫌いなところもあって、透矢は体の重心を低くしながら、佑弦を乱暴な口調で呼ぶ。

「なんだい」

「今から一直線斬りに行く。そこで突っ立ってろ」

「透矢くん、敵に次の動きを教えるのは不合格だよ」

「さて、それはどうだろうか」

 空間を蹴って上に上り、佑弦に高度差をつけると、透矢が手に日本刀を作り出した。

 血霧に赤く染められた赤石山脈の上空で、月も星もない夜の中、その刃だけが落ち着いた輝きを静かに湛えている。

 銀色の輝きが穏やかな海面のように……しかし、そこに秘められた切断の攻性理論は、暴れる海流のように、凄まじい勢いでその理論純度を上昇させている。

 津波は陸地にくる前に、海のど真ん中では、ただの波に認識されるということがある。

 それは、この刀についても同じだ。振るわれる前には、その凶暴さを見せない暴威が平静な見た目の裏側で、激しく滾っている。

 順手で日本刀を軽く握った手を後ろに引き――空間を蹴る。

 刹那、透矢の姿が消えた。

 靴板を最大稼働にして、出力を最大限に維持したまま加速を続けているのだ。

 靴板の連続稼働によって生じる運動エネルギーに、高所から落ちる重力の加速。通常、人間には耐えられないスピードで、耐えられたとしても、あまりの高速で視界がぼやけるから、実戦にはまず出さないスピードだ。

 それを、透矢が圏外での経験やセンスでカバーし――佑弦が射程に入った一瞬を逃さず、日本刀を体の後ろから突き出す。

 銀色の光が水平に飛ぶ流星のように、佑弦の懐に入っていき――その間に、ふと、文字の鎖を何本も使って描き出された式が出現する。

 見るのはこれが初めてだけど、ずっと昔、加苗から聞いたことがある。

 式の科学的な部分があまり見えない、どちらかというと、魔法陣寄りの文字式だ。

 作り方が困難で、計算でもどうにもならず、感じで作らなければならないところが多いから、あまり使われていない。しかし、成功した文字式の効果が、ただの線で描いた式よりも遥かに強力だ。

 それを、佑弦が五枚も重ねたのだ。防性理論の式に違いないだろう。いくら切断の攻性理論をもってしても、理論を防ぐ防性理論を貫くのはそうたやすいことではない。

 ――しかし、別に衝突しなければ防ぐもクソもない。

 読まれた斬撃軌道に置かれた障壁に、日本刀が超高速で突き刺していく。――文字式にぶつかる寸前に、透矢が日本刀を握る手を放す。

 代わりに、手を前に突き出す勢いを斜め上にやる。柄を斜め下から、掌底で押し上げるのだ。

 前への運動エネルギーを失い、代わりに斜め上へと押された日本刀の切っ先が文字式にぶつかる寸前に停まる。そこを支点にするかのように百八十度回されると、ちょうど、曲線を描くように、文字式を躱し、刃ごと佑弦の上空に来た。

 日本刀の柄がしっかりと握られる短い音がする。

 柄を押していた手が半円の軌跡を描き、刃を佑弦の上空にすると、すかさず逆手持ちで刃を握り直したのだ。

「喰らえ!」

 逆手持ちで振り下ろされた日本刀が線を通り越して、一瞬、銀色の面を描いた錯覚すら覚えさせる高速で、佑弦の肩に切り込んで――

「ほら」

 黒制服を微かに切り裂くに止まり、ふと、何の前触れもなく――霧散した。

「………ッ!」

「言っただろう。敵に次の行動を教えてはダメだって。このように、簡単に対策を立てられるからね」

 悠然と何やら説明しているようだが、透矢はそれに構う暇があまりなかった。

 攻性理論の日本刀だけじゃなく、さっきまでちゃんと機能していた靴板も、急に沈黙したのだ。

「僕、防御のために防性理論でも組んだと思っただろう? はは、分かりやすい分かりやすい。まあ、若さとはこういうものだ」

 炭素の線で透矢の落下を止めながら、佑弦が愉快そうな顔で指を振りながら説明する。

「けど、残念だね。あれは防性理論じゃなくて調波の式だよ。見事に騙されてくれたね。にしても、さっきのは速かったよ。そのまま式を貫かれたら負けたところだった。ま、何事も経験というし、また今度うまくやればそれでいい。なに、心配いらないとも。下には一三五小隊がちゃんとキャッチしてくれるよ。では、また探索庁でね」

 言い終わると、佑弦がシャープペンを軽く回す。すると、透矢を引き留めた炭素の線があっさりと緩め、透矢の体を重力に任せてしまった。

 しかし、それでも、透矢の目からは闘志は失われていなかった。

「俺も言ったはずだ」

「ん?」

「喰らえ、ってな」

 口の端を吊り上げ言い放った透矢の言葉に、佑弦がきょとんと目を瞬く。その佑弦の疑問に答えるかのように、。上方から、凄まじい爆音が響いた。

 爆発……ではない。あれは、砲撃の音だ。

 佑弦の上に、砲台の砲身が空間から突き出し、真下へ向けて砲撃を放ったのだ。

 爆発を指定事象とした式が記入された爆弾が佑弦に迫り、爆炎を容赦なく周囲にばらまいていっては、あたりの空間を呑み込む勢いで炸裂した。

 二〇六兵器庫。

 千紗が持つ調波器によって、遠くの兵器庫から、砲身だけこちらに出したものだ。

「これは、千紗くんの……」

「正ッッ……解!」

 咄嗟に爆発を防いだものの、衝撃波で下へと飛ばされた佑弦の服を、透矢が容赦なく掴む。その顔には獰猛な笑みが浮かんでいる。

「そして、これがお前がほしかった一撃。喰らえ!」

 それから、佑弦に反応する暇を与えず、体を自分のほうに引き寄せて、その頭に――容赦なく自分の頭をぶつけた。

 凄まじい痛みや目眩に襲われたが、これは佑弦も同じだろう。

 これで佑弦が言った合格条件、自分に一発を入れることはクリアした。

 その事実に安堵すると、脱力した手が自然と佑弦の服から離れてしまう。体が重力に捕まえ、下へと落ちていく。

 しかし、調波された今では、攻性理論も調波器も使えない。そのまま、吹きすさぶ風の中で、落下の勢いを感じることしかできない。

 と、そこで、

「えい、ちょっと待ったんか。なに人の頭をぶつけておいて、一人で逃げようとしてる」

 ふと、体がふわりと浮かんだ感じがした。気づくと、変な式を腹のあたりに記入された状態で、周囲にもいくつか式が炭素の線で描かれている。

 防性理論と、落下防止の式だろう。

「下に一三五小隊がキャッチしてくれるじゃなかったのか」

「別に僕がキャッチしても構わないだろう。それより、さっきのはなんだ。千紗くんは、今は輸送機の中で温かいお茶を飲んでるはずだが」

「はっ、さすがに気づかなかったのか」

 わざわざ自分を捕まえて聞いてきた佑弦の問題に、透矢が思わず笑いを漏らした。

 やられっぱなしの中、ようやく一矢報いてやったのだ。

「お前、千紗を調波する前に、やつが悪あがきしてお前にナイフ投げただろうが」

「ほう、なるほど、あのときか」

「ああ」

 たった一言ですべてを分かった佑弦に、透矢が短く答えた。

 千紗が佑弦に調波される寸前に、兵器を呼び出すための座標式の記入されたサバイバルナイフを、何本も佑弦のほうに投げたのだ。

 しかし、本当に悪あがきだったら、そこはサバイバルナイフを攻撃に使うではなく、体の周囲に砲身を出し、全方位に砲弾をぶち込むべきだった。

 そうしなかったのは、千紗は最初からあがきなどしていなかったからだ。

 投げ出されたサバイバルナイフは、佑弦を牽制するためのものではなく、遠くにいる透矢に渡すためのものだ。

 そして、千紗が使っているように、サバイバルナイフの座標式は手に持っていても起動しない。彼女に投げ出され、あるスピードを超えると初めて起動される。

 その特性を利用して、透矢は佑弦に最後の突撃を仕掛けるのと同時に、サバイバルナイフをギリギリ起動しないスピードで上に投げたのだ。

 そして、佑弦よりも高いところから、上に投げられたサバイバルナイフは弧を描いて、ちょうど佑弦の上空で起動するように調整したのだ。

 もともと、上に投げ出されたものは、頂点に達するとスピードがゼロになり、落下していく中でまた加速していくものだが、いくら加速といってもスピードは投げ出された瞬間のものを超えられない。

 位置エネルギーと運動エネルギーの総合はいつも一定値に維持する、エネルギー保存の法則だ。

 だから、透矢がわざわざ高度差をつけてから、サバイバルナイフを投げた。

 投げ出されたところよりも下に落ちると、重力に引かれて、投げ出された瞬間のスピードを超える。ついでに、一秒も足らずに佑弦に斬りかかった自分の攻撃と時間差を作れる。

 予想通り、自分を倒して完全に油断した佑弦に、サバイバルナイフがちゃんと働いてくれて、砲弾をぶち込んできたのだ。

 でも、この戦術を成功させるには、千紗のサバイバルナイフが、どの速度で起動するかを予め知る必要がある。それを、透矢がいとも自然に使った。

 その事実が意味するところに気づいて、佑弦は思わず微笑みを漏らす。

「まったく、口で言うわりに、結構見てるじゃあないか、君は。調波器の細かい設定なんて、使ってる本人じゃないと、なかなか覚えられるものじゃないのに」

「戦友の能力を把握するのは常識だ」

「はは、まったく、楽しいほどふざけたやつだね、君は」

「そりゃどうも」

「ま、新しい戦力のレベルが高いのは喜ばしいことだ。僕の仕事も楽になるからね。改めて、言わせてもらうよ」

 さっきまでやり合っていた相手とは思えない、外見よりも少し年上に見える穏やかな笑顔を浮かべ、佑弦が子供を見るかのような目で、口を開いた。

「探索庁へようこそ。今日から、ここが、君の家だよ」

「………ッ! あ、ああ」

 予想外の歓迎の言葉にきょとんとしていて、辛うじて声を絞り出す。

 すると、佑弦が満足げに頷くとにこにこした笑顔で、シャープペンを軽く振る。

「それと、お礼と言ってもなんだが、本当の意味で探索庁に入ってくれたプレゼントだ。受け取るといい」

 そのペン先が、流れるように空中に軌跡を残し……こちらに向けてきた。

「探索庁通過儀式、疑似自由落下体験、よろしくね」

 今まで見た中一番嬉しそうな笑顔を見せ、佑弦が、描いた式を完成する。

「は?」

 反応する暇さえなく、記入された落下防止の式のいくつか砕け散り、透矢の体が再び重力に引きずり下ろされたのだった。

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