第六章 君のこれからの家 1

 赤石山脈・上空一万メートル。

 新紀元29年・十一月三日。

 通常時間軸・日本標準時03:10。


 血霧に赤く染められた空で、探索庁の軍用輸送機が何機か徘徊している。

 防性理論の式が機体に記入されており、血霧に腐食されるのを防ぐのだが、視界の悪さは成層圏にいても一向に直ることはない。

 雲の上に位置するはずのこの高度の世界も、血霧に侵食されている。見渡すと、そこには血のような色の赤が水平に流れているのだ。そのせいで、竜種の探測は、目視ではなくレーダーや次元を観測する機械を頼らなければならない。

 その輸送機の中で、今回の竜種退治に参加する○○六小隊を含む複数の小隊隊員が、圏外専用の黒制服を着用しており、今も竜種の出現に備えて待機している。

 しかし、ただ徘徊するだけの泥と違って、竜種は意識を持ち、普通の動物と同じように活動するものだ。だから、居場所の特定が難しく、捕まるためには今のように、巣と推定された赤石山脈の上空で待つしか方法がない。

 一応、深夜一時からすでにここで徘徊を続けてきたのだが、二時間以上が過ぎた今でも、竜種が現れる気配がなかった。

「というかさ」

 退屈しのぎのためか、千紗が頬杖を突きながら、つまらなさそうに吐息とともに言葉をこぼす。いつも爛々と光る金色の隻眼も、今やいつもの鋭さを失いダラダラとした感じで透矢に向けられる。

 合成金属で構成する調波官が控える輸送機の内部では、いろんな機械が壁に張り付くように配置されていて、鉄の長椅子が向かい合うように設置されている。中央の空間は、ギリギリ二人が並んで座れるぐらいの広さだ。

 夜間飛行の中、光に敏感な災変に気づかれないように、照明がついておらず、外からも、血霧に遮られたせいで、月や星の光が入ってこない。

 そんな暗闇の中で、黒い制服を身に纏い、金属アクセサリーを大量につけて、金色の目を光らせる千紗の様子は、どこか退廃的に見える。

「アンタさ、凪乃と同じ部屋だろう? 夜で何をしてるのか、教えてくんない?」

「俺は加苗からもらった本を読んでるか、寝てるだけだ。凪乃は知らない」

「なにそれ、んなわけないだろう」

「なぜだ……?」

「なぜって、だって、アンタと凪乃、うふふじゃない。うふふの男と女を、二人っきりで同じ部屋に放り込むと、なんかいろいろしでかして同種の生き物の子供を量産するのが普通だろう」

「前から思ったけど、凪乃は俺を勧誘しただけだ。なんか特別なところがありゃ、せいぜいメンターってことだけだが、それは探索庁の長官も同じだろう。一体どうやったらそう見える」

 佑弦はメンターといっても、あれ以来顔を見せていないからちゃんとやっているとは言えないが、少なくとも、千紗に二人の関係を言われる筋合いがないと思う。

 けど、真面目に言い返すと、千紗はただなんでもなさそうに肩をすくめて見せた。

「別に、面白いだけ。小説で読んだけど、西暦時代の高校生って、色恋沙汰の話題をよくしてるらしいよね。アタシたちには、歳が近いのに、そんな話、マジで楽しそうにできないじゃない? せめて、形だけしてみようかなって思っただけよ」

「………そうか」

「なに難しい顔してんの? 別にアンタが悲しく思う必要ないけど? 言っとくけど、してみようって思っても、憧れてないからな」

 急に重くなった話題に、思わず俯いた透矢に、千紗がさも侵害と言った様子で、背を輸送機の壁に預かり、やや見下ろすような感じで、赤い前髪の下で、目を真っ直ぐに向けてくる。

「アタシはアタシの時代を生きて、アタシの周りの人を守る。そして、世界を正すために戦って、くたばる。それがこの時代の幸せよ。幸せだって思えるなら、恋のことでギャアギャア騒ぐのと、戦場で戦ってくたばるのと、そんなに違いないでしょう」

「あ、ああ……」

「けどさ、初めは暇つぶしだと思って言ってたけど、アンタ、いつから凪乃のこと凪乃って呼ぶようになったんだ?」

「………」

 一瞬、さっきまで愛想笑いこそ浮かべたものの、話題に参加してこない晴斗も、深夜だからウトウトしていた照葉も、微かに目を見開いてこちらを見てきた。

「昨日だ。お前らのことを名前で呼んでるから、自分のこともそう呼べって言われたから」

「それなら、羽月でいいはずなんだけど、なに下の名前で呼んでんの?」

「苗字だと納得しねぇからだ。文句があるならこいつに聞け」

 もうこの話題を終わらせたいので、隣に座っている凪乃の頭を指さす。

 すると、凪乃が静かに顔を上げ……音を立てずに立ち上がった。

 その奇妙な行動を、小隊員たちが黙ってみていると、凪乃は何も言わずに輸送機の扉のほうへと歩いていく。

 と、そこで、おそらく凪乃が気づいたであろうものに、透矢も気づいてしまった。

「出たな」

「は? 出たってまだ何も――」


【○○六小隊の皆さん! 映りましたよ! 竜種です!】


 機内アナウンスから、研究庁から来たサポーターの声が聞こえてくる。

 それに呼応するように、機体後部に設置された扉もプスーと音を立てて開き始めた。


【今から、着陸準備を始めてください! 防性理論には生命現象の活性化式も追加しておりますので、最初の動きは軽くなりますが、効果切れのあとも慌てずに!】


「………」

「何見てんだ……? 別に今更、よほどのことがねぇと慌てねぇよ」

 アナウンスを聞いて、視線で圧力をかけてきた凪乃を睨み返すと、安心させるように言う。

 後ろで、晴斗が照葉の頬っぺたを引っ張りながら、何とかして照葉の眠気を飛ばそうとしている。

「照葉、任務開始だよ」

「うぃー……、だいじょうぶだぞ……。照葉にお任せあれ――」

「困ったね。やっぱり深夜の任務じゃ子供にはきついか」

「こ、子供じゃないぞ! 頼りになる大人の女だぞ!」

「そうかな。大人の女は、羽月のように、待機中でも張り切ってるものじゃないかな」

「―――ッ!」

 痛いところを突かれたのか、照葉が犬歯を覗かせるように口を大きく開き、何かを言おうと口を動かしている。そして、仕切り直すつもりか、一度両手で顔を覆ってはごしごしやると、桜色のお目々を大きく開いて、すっと立ち上がった。

 その華奢の腰では、ベルトで提げた二本の小太刀型調波刀が照葉の動きにつられて少しだけ揺れる。

「大丈夫だぞ。作戦はちゃんと覚えてる!」

「そうか。偉いね」

 晴斗に褒められ、照葉がうふんっといった感じで胸を反らす。

 相変わらず、照葉の扱いを心得ている熟練ぶりだ。


【また、竜種のせいで、ここの次元が乱されています。ワイパーンなどの亜種竜種も大量に生成されてますので、ご注意を! では、カウントダウンを開始します!】


 と、そこで、ようやく後部扉が全開され、防性理論に阻まれ、機内に侵入してこない血霧の激流が視界に入る。

 黒制服の性能で、体の周囲には防性理論が常時張られているから、血霧の中に突っ込んでもダメージがないのだが、こうして間近で見ると、やはり気持ち悪い感じがする。

 世界そのものが流した血のような、禍々しい赤だ。


【十、九、八、七――】


「手筈通りね」

 カウントダウンの中で、ぽつりと呟かれた凪乃の声。

 それに、小隊隊員の皆が無言に頷く。


【六、五、四――】


 と、そのとき、血霧が一瞬晴れた。

 その先に見下ろせる赤石山脈や、輸送機の下に漂う雲の景色が視界に入る。

 雲の中を泳ぐように飛んでいるのは、竜種の影響で生まれたワイパーンだろう。あれも一種の災変だ。研究庁……というか加苗からの説明によると、竜種のような代表格の災変が現れると、周囲の三次元空間は、幻想種や伝説の伝承などの影響で、ある特定の次元様式に変えられる。

 竜種の場合、それは、竜に関係のある幻想種の出現。もっとひどいケースでは、ある代表格の大悪魔の出現によって、あたり一帯が地獄化したこともあるらしい。


【三、二――】


 カウントダウンが終了に近づいたそのとき、先にほかの輸送機から降下した小隊たちが定位置に着いたのか、眼下に広がる赤石山脈に数個の光が閃いたと思えば、そこには急に、こちらでも辛うじて視認できるほどの式が展開された。

 一拍遅れて、空間を囲むように半透明の壁が展開された式を繋ぐように張られて、赤石山脈の一部を完璧に囲んだ。

 対大型災変用汎用式絶界。

 詳しくは知らないが、今回の模擬戦において、竜種を逃がさないために張られた、陰陽術を基礎理論として作り出した現代の結界だそうだ。


【一――】


 その結界の上空に達した輸送機から、○○六小隊の隊員たちがそれぞれの戦闘準備を済ませ――


【――ゼロ!】


 ――上空一万メートルから、飛び降りた。

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