第四章 凪いだ君の心の奥底 4
探索庁の調波官はほとんどの仕事は圏外で行われるため、任務がないときはちゃんと休めるようにと、仕事の時間を減らしている。
とはいえ、中央都市の防衛を務める防衛庁と、論外次元の研究や調波器製作を任されている研究庁はそうはいかなかった。
仕事の時間が長く、内容も複雑で大量だ。人類が一刻も早く亜終末の影響を軽減し、この世界から脱出したいという思いが、膨大な仕事の量に反応されたのだ。
それでも、人間にとって必要な休憩時間は与えられるので、出勤時間の早い管理庁職員たちは、夕食前に家に帰ることが許されるのだが、時間が十一時を回った今も、研究庁の中に明かりのついたオフィスが一室ある。
探索庁が任務実行時、作戦本部として使われている別棟の指揮官執務室だ。
「これ……こんなの、なんでこんな作戦を立てられるんですか……ッ!」
手の震えをなんとか抑えられたとしても、声に糾弾や怒りは隠せなかった。
いつもの様子からは想像できない、驚愕や憤怒、恐怖が入り混じった表情で、加苗が見せられたパソコンの画面を指さし、隣でのんびりと画面を覗き込む小牧に声を荒げた。
「えー、だって、こうするしかないでしょう。敵の資料も読んだんだから、厄介だと分かってくれるはずなのに」
「でも――ッ! それでも、こんなのは指揮官がすることじゃない……ッ!」
「加苗さんは素敵な指揮官だね。きっと部下たちに愛されてたのね。お姉ちゃん、今ちょっと寂しい気持ちになっちゃったの」
「誤魔化さないで! こんなの、この作戦だけじゃないでしょう! これからも、こうやって指揮を取り続けるつもりなの⁉」
「そうだね……うーん、じゃあこうしようよ! もし、加苗さんがもっと素敵な作戦を思いついてくれたら、加苗さんの作戦で行こう! あ、でもね、素敵って意味はね、任務の目標を遂行できる可能性をできるだけ高める、ということだよ。――間違っても、任務の遂行隊員の生存率を高めるなんて、変な勘違いをしないでね」
「―――っ!」
にこりと微笑んで見せた小牧に、加苗が思わず黙り込んだ。
言っていることはあながち間違っていない。間違っていないが……
今小牧が見せた、最近の大規模作戦の先行作戦は、あまりにも残酷すぎた。
実際に読む前に思ってもいなかった。――まさか、作戦立案の段階で、すでに誰がどこでなんのためにどうやって死ぬか、を決めてあるなんて。
自分たちを勧誘するための部隊も、今日帰ってきたはずの探索庁の先遣部隊も、意外で死んだじゃないのだ。
着任式の前に、晴斗と照葉と中央区を回ったとき、晴斗が言った。墓守を狙っていたのは管理省だけじゃない、その証拠は、自分たちが勧誘に行く道中で、何者かに襲われた、と。
だが、今小牧の作戦を読んで、加苗は知ってしまった。
あれは、何者かによる予想外の襲撃じゃない。
小牧が事前に敵対者の存在を仮定し、作戦遂行時に、この仮説を検証するいくつかの行動を入れた。仮説の確証を得るために、わざと襲いやすい状況を作り出し、少しでも敵の能力の情報を引き出すように、あえて部隊を捨て駒にしたのだ。
それも、凪乃、晴斗、照葉という、まだ使えるコマが生き残れる範囲で、敵の襲撃の強度を計算し、ギリギリ手を出せる状況を作ったのだ。
今日帰ってきたはずの、加苗が一度も名前を聞いたことのない先遣隊の隊員たちも、本来の任務目標以外にいくつかの仮説を立証、あるいは情報取得のために、犠牲にされた。
確かに、最初に決めた犠牲者以外に死者はいないし、いくつの任務を通じて得た情報から分析したデータは、これからの大規模作戦に、確実性を提供している。もしこれらの情報がなければ、近いうちにもっと大きな損害を負うことになるだろう。そして、それらの情報は小牧のような非常識なやり方じゃないと取得できないのだ。
しかし、最初から隊員を死なせるつもりでいるなんて、加苗にとってはあまりにも非常識で、恐ろしい考えだ。
「もう、そう怖がらることじゃないのに。加苗さんのお兄ちゃんが参加する任務には、必ずあなたが作戦に参加するって、約束したじゃない」
「それは……」
「だからね、加苗さんも、約束、ちゃんと守ってね」
「………」
小牧の優しい声に答えられず、加苗が目を小牧や画面から逸らした。
昨日、小牧の性格や考えを分かると、加苗がすぐに小牧に、自分に何があろうと透矢の身の安全だけは保障してほしいと言った。
それを、小牧は案外簡単に了承してくれたのだが、その代わりに、条件を提示した。
いわく、加苗が早く一人前の指揮官になる、と。
一見合理的な条件だが、それはつまり、透矢が任務に参加するときに、加苗を指揮官か、指揮官補佐にし、作戦立案や指揮を任せるということ。
もっと分かりやすく言えば、任務の内容ではなく、やり方しか決められないのだ。過酷な任務に執行することになれば、加苗が作戦か指揮を少しでも間違えると、それは直接的に透矢の死に関係してしまう。
「どう? まだやれそう? お茶を淹れてきたけど、飲む?」
「………大丈夫。ちゃんと、続けられますから」
「まあ、さすが私の見込んだ指揮官の玉!」
落ち込んだ様子で、疲れの色の濃い目を画面に向き直る加苗を見て、小牧は両手の指先を胸元の前に軽く合わせ、嬉しそうに笑った。
「じゃあ、次の作戦の目標も理解したでしょう? 関係部隊がとっても多いから、ややこしいかもしれないけど、私がちゃんと役割を書いてあるから、心配いらないよ。それと、これは今の作戦だけど、加苗さんのお兄ちゃんは小隊行動で、こことここを遂行してもらうことになってるの」
「これ――こんな……。………。いいえ、分かりました。あの、神宮寺さん」
「えー、小牧で呼んでって頼んだのにぃ」
「小牧さん」
落ち込むのを自分で強引に止めて、加苗が一つ深呼吸をしてから、オレンジ色の目に、確固たる意志を込め小牧を正面から見つめる。
この人は、やり方も考え方も、自分とはかけ離れている。とはいえ、原則というものはしっかり持っている。
ならば、ここで透矢の力になるためには、自分のすべてを尽くすのが一番早い。
「これ、あたしがもっと効率的に目標を達成できる作戦を思いついたら、あたしの案で行ってもいいですよね」
「はーい、もちろんだよ。私、言ったことは絶対守るいい人なの!」
「分かりました。じゃ、まずはここなんですけど」
怖くないと言ったら嘘になる。しかし、それでも、透矢のためなら、怖くないと自分に嘘をつくことぐらい、加苗にはできる。
加苗は所持者じゃない。調波刀も使えない。圏外の世界を生きるには、あまりにも非力な少女だ。しかし、一時とはいえ、彼女は同時に墓守を圏外で築き上げ、人々に生きる場所を与えたものだ。
だから、圏外でも中央都市でも同じことだ。やることは一つだけだ。
(絶対、お兄ちゃんを死なせない)
もう完全にスイッチを切り替えた加苗が心の底で密かにそう決意した。
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