第三章 探索庁庁直属第〇〇六小隊 2

 ガシャ――ン!


 集会場の天井にぶら下がっていた明かりが、同時に割れて砕けた。照明が一斉に切れ集会所は一瞬で暗闇に包まれた。

 しかし、この惨劇を起こした衝撃波を放った主が、外から差し込んだ微かな日差しだけでも、十分に視認できた。

 集会場のど真ん中、何もなかった空間に、いきなりその巨体を出現させ集会場の床を凹ませてしまった、黒い触手が束ねてなったような怪物だ。

 黒屍こくし――泥と呼ばれる変異生命体の一種で、論外次元の乱れにより生命現象を司る次元が影響されることで、生み出されたいびつな生命現象だ。

 巨大な四足歩行の肉食獣が体のあっちこっちに触手を生えたという異形の外観をした泥が、その前足を大きく振り上げて、最も間近にいる透矢たち目掛けて振り下ろす。

 なぜこんなところに、と考えない。圏外ではいつでも起こりうる日常茶飯事だ。

「これはまたずいぶんと大きな」

 悠然と感想を呟いた嵐司に、凄まじい勢いを秘めた前足が容赦なくその大質量をぶつけてきた。が、嵐司はただ片手を上げただけで、それを強引に受け止めた。

 攻撃が不発でできた一瞬の隙を、透矢は見落とすことがなかった。

 受け止めた攻撃の衝撃波で揺らされた嵐司の鉛色の髪がまだ落ち着いていないうちに、銀色の斬撃はすでに泥の手首を走って、そのいびつの手を切り落とした。

 靴板があれば、一瞬で肉薄し腕ごと切り落としたところだったが、あいにく今は装備なんて持っていないのだ。こうやって削っていけるほうが戦いやすい。

 そう思って切断現象を具現化した日本刀を手に、さらに斬りかかろうとしたところで、ふと、足が止められた。

 透矢だけじゃなく、着任式に参加する全員が泥に攻撃を仕掛け始めたのだ。

「照葉、住民の避難を!」

「は、晴斗は……ッ⁉」

「あとで追いつく!」

 照葉にそう言い放ちながら、鞘に収まった調波刀の柄をそれぞれ腰の右側や背中に装備するような構えを取る。腰や肩の上から覗かせる柄を握り、体の重心を低くする。

 腰あたりからやや下に向いた柄を右手で逆手持ちにし、肩の上の鞘を左手で順手持ちにする。それらを同時に抜き放ち――そのまま目の前の空間を裂くように振り抜く。

 二本の調波刀の切っ先が描いた軌跡が二つの弧を作ると、晴斗の前方できれいにX字型に交差した。その弧の交差点から巨大な剣が出現し、弾丸のように光となって泥のもう片方の足を切り取る。

 物質ではなく、あえて言えば、形のあるエネルギーの塊というイメージの剣だ。

 軽く一般成人の身長の二倍を超えるそれを出現させたのは、おそらく、晴斗が使う調波刀に記入された式の指定事象だろう。

 透矢がそう思いながら、手が切り落とされたほうの前足を肩ごと切り落としたと同時に、泥の尻あたりに、ほかの誰かが攻撃を仕掛けたのか、すさまじい爆発が起こった。

 後ろ足二本を吹っ飛ばされ、四本の足を失った泥はそのまま床に倒れた。

 追撃を掛けるように、晴斗が二本の調波刀を鞘に収め直す。背中に装備するように見えた調波刀は、調波刀を収めたときの力や刀本体の重みで自然と腰の右側に落ちた。

 一瞬で調波刀の位置を変えた晴斗は、腰の右側から鍔あたりにあるスイッチを親指で切り、二本の調波刀を抜きざま横薙ぎに振り払った。

 きれいな水平の線が空中に引かれ、そこから今度は小さめの、調波刀ぐらいの大きさの剣が無数に生成された。横殴りの雨のように泥の体を削り取っていく。もともとは放射状に広がったはずのそれは、距離が近いのと、泥の体が大きいおかげで全部命中したのだ。

 その好機を、透矢が見過ごすはずがない。

 すでにボロボロだった泥の横に来ると、「切断」の攻性理論を込めた日本刀を泥の肩口にぶつけるように銀色の光を走らせた。

 それが悪臭を放つ肉に切り込んで、泥の胸を通過し、向こう側の首あたりから出ていった。泥の胸の半分ほどを、頭ごと切り取ったのだ。

「はっ、透矢、派手なデビューしやがって」

 そこでようやく動かなくなった泥を見下ろし、嵐司がにやりと口の端を吊り上げて茶化してきた。

 それをかまう暇もなく、透矢が踵を返しては出口のほうに足を向ける。

「嵐司、加苗。行くぞ。まずは靴板を――」

「う、うぃー」

 ――その出口から、首根っこを掴まれた照葉が、気まずそうな、がっくりした顔で、疲れたような笑いをこぼした。

「あの人は……」

 いつの間にか背中まで来て、服の裾を掴んできた加苗が呟く。

 そう言われて、透矢も照葉の首根っこを掴んだ人に目を向ける。

 黒い髪の一本結びに、落ち着きながらも魅惑的な雰囲気を漂わせる、ワインレッドの瞳。

 歳は三十歳ぐらいだろう。青年から大人になろうとしている感じがする。引き締まった体を襟元の開いたシャツが包んでいて、窮屈なのが嫌いなのか、黒いネクタイは緩められている。

 その肩から、黒い調波官の制服が適当に羽織られている。

 確か……さっき離れた場所で凪乃に話しかけ、無視されっぱなしの男だ。

「はは、今期も皆強いね。えっと、五秒ぐらいか。ふむ、皆揃ってると、ネームドぐらい出さないと基本瞬殺か」

「長官……!」

「えい、名前でいいって、いつも言ってるだろう。晴斗くん」

「長官……?」

 晴斗の呟いた言葉に、透矢がすっと目を細める。

 ほぼ同時に、長官と呼ばれた男が照葉から手を離して軽く肩をすくめて見せる。

「まあ、いろいろ聞きたいことがあると思うけど、まずはこれだけ伝えておこう。この中央都市C3は、今日も平和で安全だ。なに、心配いらないとも。さっきの泥は、こちらから意図的に発生させたものなのでね」

 照葉が晴斗のもとへ駆けてきて、そのまま吸い込まれたかのように顔を晴斗の胸元に埋める。

 その様子を男が微笑ましそうに眺めて、この場にいる全員に言葉を続ける。

「では、そろそろ正式に着任式を始めようか」

 そういうと、男が集会場のステージ付近で、黒い制服を着用した凪乃たちのほうに目を向ける。その中で、シロクマのベレー帽をかぶった少女に目配せすると、彼女がにこりと微笑み、何やら調波器らしきものを操作した。

 すると、がらりと、

 ――景色が、書き換えられた。

 さっきまでの集会場の様子のままだ。だが、方向は逆になっている。出口の前に立っていたはずの男が、いつの間にかステージに立っていて、透矢たちがそこに体を向けているようになったのだ。

 そして、ステージ近くに立っていたはずの黒い制服の集団が、そのまま近くにあった出口から出ていった。

 会場の方向が逆になったのだ。

「………どうなっている」

「まずは自己紹介でもしようか。僕はこの探索庁の長官、佑弦ゆづるというものだ。初めまして、と言いたいところだが、基本、僕のことを知ってる人ばかりだね。ま、諸君らは今僕個人のことより、ほかのことが気になるだろうけど」

 ステージから飛び降りて、白い制服を纏った透矢たち調波官の前に立つと、ステージにもたれかかり、穏やかでありながらも、何か鋭いものを秘めている、ワインレッドの目を向けてくる。

 これも何かの仕掛けだろうか、景色が変わる前よりも、今の皆の距離が近くなっている。そのため、佑弦のよく通る声は大きくなくともちゃんと皆に届けた。

「順を追って説明しよう。ついさっき、諸君らが戦った泥とこの集会場にかけた幻術は、着任式の一環として行われたことだ。正式調波官しか知らないことだけど、この集会場そのものは一つの調波器でね。いろいろと使えるんだ」

 幻術。

 言葉としては聞いたことがあるし、そういう類の災変があるのも、知識として知っている。

 とはいえ、実際にかかると、その恐ろしさを思い知らされた。会場の方向が逆なのに何も気づかなかったのだ。もし、これは害意のないものじゃなかったら、今頃、どうなっていたのか分かったものじゃない。

「では、なぜこんなことをする、と思うだろう? 実は、これは諸君らのこれからの仕事に関係する、大事なテストなんだよ。探索庁の仕事は、変数がうんざりするほど多いからね。完全に気を抜いた隙が、思いっきりつかれることは日常茶飯事だ。その点において、諸君らの仕事は、完璧とは言えないけど、まあ、及第点といったところか。で、一応皆の対応を見たのだが。泥の対処は素晴らしい。とくに晴斗くん、対処と同時に、これからのことも考え、速やかに判断を下したのを僕は高く評価している」

「それは……ありがとうございます」

「礼を言う必要はないよ。これからお説教だからね」

 何やら複雑そうな顔な晴斗に、佑弦が朗らかな笑顔を浮かべる。

「泥の対処は素晴らしい、と言ったが、災変というものは決して雑魚泥しかないわけじゃあない。血霧、幻覚、運命を左右する災変もある。かの無二の天才が投下した次元弾による次元震盪はなおさらだ。けど、諸君らの中では、わずか数名しか幻覚を見破っていない。実際に圏外でこんなことがあったら、結果は……僕がわざわざ言わずとも分かるね」

 佑弦の声が集会場の空気を震わせ、ここに集まる全員に無言の圧力をかける。

 全員が一斉に口を噤むことで沈黙だけが流れると、この沈黙の意味を感じ取った佑弦が満足げに頷いた。

「ま、それはこれからの課題として、今からは諸君らに少しばかり、この時代のことをもう一度教えてあげよう」

 そう言って、佑弦がポケットからシャープペンを取り出し、目の前の空間に走らせる。

 すると、紙に書いているかのように、黒い線が優美な曲線を空中に残し、瞬く間に簡易な世界地図を完成させた。

 それを指先で軽くタッチすると、世界地図は透矢たちのほうに押し出され、同時に拡大し、映し出された映像のような感じでこの世界の形を皆に見せてきた。

 それだけじゃない。適当に引かれた大陸を表す線も、拡大しながら精緻化され、拡大が終わったときには、地図はすでに完璧にこの惑星の環境を表現したものとなった。

 山も海も海岸線も丁寧に表現する地図に、佑弦がシャープペンを横薙ぎに振り抜く。すると、引かれた弧が地図のあっちこっちに飛散し、いくつかの点を作っていく。

 大陸に、島に、海に、中の一つは日本に表示されている、数十個ぐらいの座標だ。

「今から三十年前、西暦の最後の年、2048年。これらの座標で、無二の天才が次元弾を投下して地球の次元を乱した。あれ以来、この星が地獄となり、人類の文明が徹底的に破壊された」

 淡々とした、けれどしっかりと重みを持った言葉が空気を震わせる。

「亜終末と言ってね。おかげさまで、人類の文明は後退し、この星が住めるような場所じゃなくなってしまった。こうして、バカでかい調波器ややけに厚くて高い壁の中にしか、生きることが許されなくなってしまった。日本全土にある、八つの中央都市。それが人類最後の砦だ……ということになっているらしいけど、聞こえがいいにもほどがある。最後の砦なんて大層なものじゃなく、ただの檻で、人類が最後の最後に逃げ込んだ場所に過ぎないのだ。中央都市は」

 その言葉に、透矢が微かに眉を吊り上げた。真っ向から中央都市を否定する論説の先が気になるのだ。

 この場にいる全員も同じなのだろう。皆が皆で黙り込んで、佑弦の言葉に耳を傾げている。

「僕はね、ここにいる数名と同じ、昔は圏外で生まれてね。新紀元二年に、という悪い冗談みたいなときにだ。亜終末を最初から味わうことになってしまう、もうついてないことこの上ない時間だと思ったよ。いや、亜終末をこの目で見なくて済むだけでまだマシか」

 昔のことを思い出しながら佑弦が小さく頭を振って、ふと演説の中だと気づき、またそのきれいな光を湛える目を向けてくる。

「ま、それはどうでもいいこととして、皆もご存知の通り、この星に、この日本に、決して中央都市にしか人が暮らしていないわけじゃない。圏外、あの地獄にも、人類が奇跡的に生き残っているのだ。過去の文明の残滓に縋って、一生懸命にね。

 さっき諸君らがいきなり出てきた泥と戦っただろう? 考えてみたまえ。今の諸君らには、攻性理論も調波刀も調波器も持っていない。そこに、泥が襲ってきた。さて、どんな気分だろうか。それが圏外の人々が日々味わっているものだ」

 別に口調を強めているわけでも、言葉遣いを鋭くしたわけでもないのに、佑弦の気さくな声が、物理的に重みを持つかのように心にのしかかるような錯覚を覚えさせる。

「別に、圏外の人たちと同じなれとは言っていない。安全な中央都市にいるんだから、この幸福や安全や安心を享受すべきだ。ほら、僕もこのいきなり死ぬなんてことのない生活が欲しいから、ここにいた。けど、もし諸君らはこれからも、同じことか、これ以上のことを望めば、今まで通り――戦うべきだ」

 シャープペンを無造作に振り、黒い線をいくつか地図に刺さらせると、刺されたところから黒い小さな円が展開し、そこに、映像が映し出された。

 あるものは、外国での中央都市の外周部の光景。

 あるものは、日本での壊滅した圏外都市の光景。

 あるものは、すっかり異境と成り果てた海原。

 あるものは、災変に侵され血霧や泥に満ちた荒野。

 いずれも、この星の傷跡を生々しく表現したものだ。

「重ねて諸君らに強調しよう。これが、諸君らの暮らす星だ。中央都市中央部は異例で、これが、諸君らのいる星、乱脈次元惑星カオスディメンションプラネットだ。諸君らには、この悪い冗談みたいな星に、三つの選択肢しか与えられていないのだ」

 言葉を述べながら振っていくシャープペンが、その先端から伸びた線で順に映像を指し示していく。

「圏外で死を恐れながら死ぬか、外周部で無作為に人生をやり過ごして死ぬか、それとも一層自分で自分を死なせるか、この三つだ。――しかし、諸君らは僕と同じ、四つ目の選択肢を選んだ。選んでしまったのだ」


「――この世界と戦い、尊厳ある生活を勝ち取るのと同時に、己の命を捧げ、いつか来る惑星調波の礎になる。バカみたいな世界で、バカみたいな選択肢を取って、バカみたいに戦って死ぬのだ」

 にやりと、佑弦の唇の端が吊り上げられた。

 嘲笑にも似た笑顔だ。が、不思議にも、そこには嘲笑にあるべきすべての軽蔑や負の要素が微塵もなく、あるのは、歓迎を示す感情と、何やら言葉にしがたい、諦観にも似た往生際の悪さだけだ。

「これが、この探索庁だよ。ようこそと言っておこうか。どんな理由であれ、諸君らは、この世界で最も険しい道に来てしまった。これから諸君らの人生は、この世界で一番希望に満ちていて、一番絶望に満ちている道を歩んでいくだろう。なに、安心したまえ。別に君一人が歩んでいるわけじゃないさ」

 その言葉とともに、佑弦がシャープペンを世界地図に一振りした。

 今度は線を引いていなかった。代わりに、世界地図は触れてもいないのに、何か見えないものに押されたかのように、透矢たちのほうに近づいてきて、やがて全員を素通りしていっては後ろへと消えていく。

 代わりに出現したのは、集会場のだだっ広い空間に映し出された、七つの映像だった。

 いずれもこの集会場によく似ている建物の中のもので、そこには透矢たちと似たような装いをしている人たちの姿が見える。

「探索庁五十七期新入調波官、総勢百十四二名。諸君らはこれから、人類の新たなる希望となるだろう。そして、僕がここで保証しよう」

 全身の力を抜き体重をステージに預けながら、佑弦がシャープペンを持った手を向けてきて、不敵な笑みで最後の言葉を放つ。

「諸君らの七割以上は、一年後に死に、九割以上は、五年後に死ぬ。――しかし、十割は、惑星調波のあとに迎えた、人類の新しい文明の創造主となる」


「―――誇るがよい。諸君らこそが、新しい時代の開拓者であり、救世主だ」


 最後の一言としては力強さを欠く、しかし空間全体をそこにいる全員の心ごと揺らすような声。それが、悠然と劣悪な環境で悠々と生き延びていく、一匹狼のようなプライドの高さが覗けるものだった。

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