第二章 リラクセーション・フェイク 5

「晴斗ぉ……私、もう無理ぃ……」

 加苗に中央都市を紹介してから、探索庁の本部や研究庁の支部にも寄る予定だったが、休みは引きこもる決まりの照葉が午後三時過ぎると、ようやくバッタリと倒れ、駄々をこね始めた。

 仕方なく、照葉を背負って先に寮に帰ることにしたが、今も背中から疲れを積極的にアピールしている。

「分かってるよ。ちょっとだけ寝ないか。起きたら家に着いたと思うよ」

「寝ちゃったら落ちるかもしれないぞ……! け、け怪我は嫌だぁ」

「うーん、困ったな。ではこうしよう。家に帰る前に、ちょっと、スーパーに寄らないか」

「えぇ――」

「そこで、肉やほかの食材を買って、晩御飯は照葉スペシャルハンバーグを作ってあげよう」

「お、おお……! か、神だ……!」

 今晩の献立を聞いて、照葉が両目をキラキラ輝かせながら楽しい想像に浸り始めた。無邪気な笑顔を浮かべ、疲れをアピールすることをすっかり忘れた。

 言葉が予想通りの効果を発揮したことに、晴斗が満足げに小さく笑う。それから、重力に引っ張られだんだん滑り落ちた照葉を背負い直す。

 自分の調波刀二本と照葉の調波刀二本、合計四本の調波刀に加え、照葉の体重や装備の重みが全部体に乗せているにもかかわらず、晴斗は汗すらかかずに、穏やかな足取りでスーパーの方向に向かっていく。

「ほかになんか食べたいものない?」

「ハンバーグ!」

「ほかに、と言ったけどね。うーん、デザートは?」

「ハンバーグ……!」

 すっかり晩御飯の妄想に耽った照葉が片手を天高く突き上げ、高らかに宣言した。

「はいはい、分かったよ。でも、野菜もちゃんと食べないとダメだぞ」

「えぇ――、でもぉ……私、野さ――」

 ねだるように、甘えるように、背中からかけてきた照葉のわがままな声が――何の前触れもなく、急に途絶えた。

 振り返って、何があったの、と聞きかけたとき、晴斗も照葉が気づいたものに気づいてしまった。

「………あた……私、今から冬眠……」

 早速現実逃避モードに入った照葉になんかを言おうとしたが、背中に顔を埋めて外の情報を遮断するつもりらしいので、仕方なく、いつもの笑顔で顔の向きを戻す。

 すると、ちょうど二人が気づいたものもこちらに気づいたらしい。をひらひら振ってきて、ゆったりした足取りで近寄ってきた。

「晴斗くん、お久しぶり。確か……えっと」

「前回の任務以来ですね」

「あ、そうでしたね。相変わらずすごい記憶力! そして親切さ! だから、皆から好かれてるのね」

 柔らかそうな両手を胸元で軽く合わせ、首を傾げて微笑んできた。

 流れる雪のような長髪は柔らかい純白。にこにこした水色の瞳は、天然な水晶のようで、奥ゆかしい光を静かに湛えている。

 程よく肉のついた体を白のブラウスに包み、その上にレモン色のロングカーディガンが羽織られている。上質な生地で作ったスカートは、白と緑、黄色の粉をかき混ぜたかのようなレモン色。それが膝に届いて、ももの柔肌を覗かせる。さらに下に視線を移すと、傷一つないきれいな足がミュールに包まれているのが見える。

 とはいえ、全体的に北国のお姫様を思わせる格好をしているものの、白いネクタイに挟んだ白とレモン色のシロクマのピン留めと、なぜか頭にかぶったシロクマのベレー帽のせいで、あどけない雰囲気を醸し出している。

「でも、なぜ小牧こまきさんがここに?」

「うふふ、それはね」

 よくぞ聞いてくれた、といった感じで、手を軽く口に当てて笑う。水色の瞳が動いて、気づけばにこりとした視線はすでに晴斗の視線と合わせられた。

 しみじみと、心地いい香りに精神が侵食されていく感じを覚えさせられる。小牧の魔力のある視線は、どれぐらい経っても慣れそうにない。

「私、佑弦ゆづるに頼まれてね、教育係をやることになったの」

「教育係……」

 可憐な唇からこぼされたその言葉に、晴斗が微かに眉をひそめる。

 教育係。

 それは、圏外から来たものが調波官に正式着任してから、仕事のサポートなどをする、専属の先生のようなものだ。

 勧誘の凪乃や案内の晴斗とはまた違って、新人が管理省に馴染むのを手伝う、非常に重要な役割だ。通常、経験だけではなく、性格も評価してもらえないと勤められない仕事だが……今回は、性格を考案したうえで、小牧を教育係に選んだようだ。

 探索庁長官の佑弦が言い出したことだ。ただの二等調波官の晴斗には、意見なんて言える立場じゃない。しかしそれでも、少し気になることがある。

「確か、勧誘前に、小牧さんは教育係候補にいなかったと思いますが、なぜ急に?」

「うーんとね、それはちょっと違うよ?」

 にこにこと、楽しい思い出を思い出しているように人差し指をぐるぐる回しながら、その恐ろしいまでに柔らかい声で空気を震わせる。

「私は最初から、教育係をやることになっちゃうかもって佑弦に言ってたよ? 所持者二人だけなら、私の出番はないけど、ほら、三人目がいたじゃない」

「それは……」

 返答に困り苦笑いを浮かべると、小牧はこちらの反応に気づいたのか気づいていなかったのか、嬉しそうに言葉を続ける。

「えっと、確か左雨加苗さん、でしたっけ。もう、報告を読むだけですごい子だって分かっちゃったの! 任務が始まる前に、私、言ったじゃない。向こうも頭を使う人がいるかもしれないって。それで、予想が当たっちゃって、今、すごいいい気分なの」

「………」

 未来有望の新人を得た会社の社長みたいにすっかり舞い上がった小牧を見て、晴斗の心はだんだん、不安な雲に覆われていく。

「あの、小牧さん」

「はーい、小牧だよー」

「また、何かをするつもりですか」

「何かって?」

「………」

 甘い甘い毒薬のような声に、晴斗は中央都市にやってきた、これから仲間になる三人の顔を思い浮かべる。

「彼らは、今はちょっと中央都市に馴染んでいないかもしれませんけど、皆、いい人だと思います。惑星調波と文明復興……俺たちと同じ、その礎となるものでしょう。だから、あまり、壊さないでくれないかな」

「うん? 壊さないよぉ。もう、晴斗くんったら、心配性なんだから。私、こう見えても結構いろいろ考えてるんだよ。壊すなんてひどいよ。くすくす」

 わざとらしく泣くふりをして、目を擦ってみせる小牧に、晴斗は苦笑いを浮かべることしかできなかった。

「それに」

 と、晴斗を茶化すのをやめ、小牧は素敵な笑顔のまま、首を傾げて視線で晴斗の注意を背中に背負った照葉のほうに誘導する。

「晴斗くんも、他人のこと心配してる場合じゃないでしょう? 早く追いつかないと、照葉ちゃんに置いていかれちゃうよ?」

 ぴくり、と背中で照葉が体を震わせたのが肌に伝わってくる。

「晴斗くんは頑張り屋さんなんだから、長所を生かしないとダメだからね。じゃないと、今のこの時間、すぐでも終わってしまうの」

「またご冗談を」

「またまたー、躱すの得意なんだからー。私、よく晴斗くんの参加する任務で指揮取るから、忠告してるだけだよ。うんうん、優しい小牧ちゃんはいい小牧ちゃん」

 何か面白いのか、クスクスとひとしきり笑う。それでようやく気が済んだのか、小牧は来た時と同じ、ひらひらと手を振ってくる。

「じゃあ、佑弦のところにちょっと顔を出さないといけないから、先に行くね。着任式、皆の晴れ姿、撮ってあげるよ」

 そう言い残すと、小牧が軽快な足取りで探索庁の方向に向かっていった。

 しばらく経って、小牧が視線から消えると、ようやく狸寝入りをやめた照葉が晴斗の肩に顎をかけてきて、今度は本当に疲れた声を漏らす。

「私、あの人が苦手……」

「一応、すごい指揮官さんだから、そこは我慢しないとダメだよ」

「でもぉ……」

 一瞬の逡巡のあと、どこかバツが悪そうな感じで呟く。

「………あの人、晴斗のことバカにしてるぞ……」

「はは、照葉いい子だね。大丈夫だよ、それぐらい」

「で、でもぉ……っ!」

「大丈夫。照葉は心配しなくていい。ずっと、前に進んでいっていいよ。俺が、追いついて見せるからさ」

「………。……うん」

 いつにもまして優しい晴斗の声に、照葉が顔を晴斗の肩に埋め、その穏やかで優しい温もりを感じながら、どこか寂しそうな声をこぼした。

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